■嵐谷イサミの十戒 その三

嵐谷イサミの十戒 その三 前編

「アタシ、バイトを始めることにした」


 唐突にイサミさんから繰り出された言葉に僕は思わず、口に含んでいたココアを吹き出しそうになりました。


 六月。雨が連日しとしとと降り続く梅雨の時期となり、夏を目前としたある日。心がブルーになる雨模様をガラス越しに見つめる僕とイサミさんは集合場所たる公園、その近所にある喫茶店にて雨宿りをしていました。流石に雨とあってはイサミさんも外で遊ぶ気にはならないようで、不服そうな表情を浮かべながら喫茶店へと誘導することに成功したのです。


 そんな最中にイサミさんの宣言。


「バイトって、イサミさんがですか?」

「アタシが始めるって言っただろう? ちゃんと聞いとけよ」

「それは分かってますよ。僕が言いたいのは『あのイサミさんが?』って意味ですって。労働とは無縁の存在であるかのように捉えていたもので……」


 僕は至極、真っ当なことを語っている心持ちと口調だったのですが、外の天気を思わせる曇り空を表情に浮かべていくイサミさん。


「何だよ。アタシだってお金が欲しくなればちゃーんと働くんだぞ!」

「ふむ。……となると何か新薬の試験体みたいなハイリスクハイリターンな仕事でも見つけたのですか。堅実に働いて稼ぐタイプとは思えないですし、一発デカいので当てる気ですね」

「あはは。素直に失礼なやつだと言って小突いてやりたい所だが――流石に二カ月ほど一緒にいればアタシのことも段々と分かってきたみたいだな」

「そう言って頂けて光栄です」

「確かにお前が思っているようにアタシは、一所で社会の歯車として役割を全うするような働き方はしたくないんだよ」

「将来は引きこもらないニート生活まっしぐらですね」

「頑張らない介護生活みたいに言うなよ」

「言ってませんよ」


 こんな風に揶揄して語ってはいますが、イサミさんの思想だったりスタンスというのはただひたすら自由に基づいていますから、労働に対する意欲がどうとかそういう問題じゃないんですよね。風のように生きる人ですからイサミさん自身も語るとおり、一所には留まっていられない。


 そんなイメージはやっぱり僕の中にもあります。何だか、普通の生き方で人生を歩んでいくわけではないのだろうなという漠然とした印象が。


 きっと、どんな風にでも生きられるくらいに優秀だから、そのようにだって生きられるんでしょう。一所で留まって働くことはしたくない、飽きっぽく変化を求める人だから。


 まぁイサミさんが語るように、どこかで勤めて給料をもらうだけが生き方じゃないのは誰だって分かっているのです。でも、普通の人はそんなジプシーみたいな生き方は出来ない。だからこそ、そんな人がどうしてとは思ってしまうんですよね。


「まぁ、その言い方だとまともなバイト先を見つけたようで僕としても安心ですけれど……しかし、何でまた働こうと思ったんですか?」

「簡単に言えば貯金だよ。ちょっと先月使い過ぎたお金の補填もしておきたいんだ。貯金を切り崩しちゃったからな。それに一つの経験という意味ではバイトをするのって面白いかも知れないだろ。続けばお小遣いに加えて給料分のお金が貯まっていくわけだし」

「お給料が入ったら、親からもらうお小遣いはいらないんじゃないですか」

「アタシがそんな殊勝なことを言うと思うか」

「そんな悲しくなることで胸を張らないで下さいよ」


 ふんぞり返ってしたり顔を浮かべるイサミさんとは対照的に、嘆息して頭さえ抱えてしまいそうになる僕。まぁ欲望に忠実な人ですからお金だって大好きですよね。


「でも貯金しているのは意外でしたね。江戸っ子みたく宵越の金は持たないのかと思ってましたけど」

「とんでもないイメージだな。そんな使い方してたらお前にゲーム機買ってやれないだろ」

「バイトする理由ってそれですか!」

「まぁ、理由の一つであって全部じゃないけどな」


 イサミさんの貯金が抉られた理由に何だか申し訳なくなって萎縮し、途端言いだそうとしていた全てが引っ込んでしまう感覚。


 ……確かに高価なものを頂いてしまいましたからね。お金に関してはあの後、一応僕は貯金を切り崩して払う意思を見せたのですけれどイサミさんは必要ないと言ったので甘えていたのです。こういった所で遠慮とかを見せる人ではないと思うので、本当に必要ないと言ってくれているのは確かなのでしょう。


 ちなみにあのゲーム。イサミさんは珍しくまだ遊び続けているそうです。もしかすると僕に勝てなかったから納得出来ていないという理由があるのかも知れません。飽きることってある程度の納得だったり、諦めが必要なのでしょう。もしくは時間との取捨選択というか。


 まぁ、それはさておき――。


「そういえばバイト先ってどこなんですか?」

「飲食店だよ。ホール担当だからウェイトレスってやつだなぁ。駅前にファミレスがあるだろ。あそこだよ」

「あぁ、ありますね。確か僕の通ってる塾の近くです。しかし、それにしてもウェイトレス……イサミさんに出来るんですか?」

「出来るよ。客にご飯持っていくだけだろ?」

「そんな認識だから不安なんですよ」


 イサミさんの機嫌が良さそうな表情と共に語られた言葉に対し、不安感を伴ったトーンで返答した僕。


 正直、大丈夫なのかなぁとは思います。でもそんな不安感も実は、僕の心が今抱いている三分割された感情の内の一つで。


 もう一つはちょっとした期待なのです。それは単純な話、イサミさんがウェイトレスとして制服を身に纏って仕事をする姿を見られるのが楽しみで仕方ないということでした。通い詰めてお小遣いを使いきらないようにしないと!


 そして最後の一つ。それはどこか遠ざけ思い浮かべないように努めてしまうのですが、少しでも頭に過ぎれば無視できない疑問でした。明言されたようでいて、イサミさんは何か貯金をしている理由に含みを持たせています。まぁ誰だって貯金くらいはしますし、そこに理由が存在しないことの方が多いかも知れません。


 でも、イサミさんのような人が欲望の象徴みたいなものであるお金を一所に留めていることには理由があるのではないでしょうか。そして、僕には何となくそれが分かってしまっていて……だからこそ落ち着かないなぁと思うのです。


 そんな気持ちを持て余し、ふと窓の向こうに視線を預けてみます。しとしとと降り続く雨を浴びて、公園に植えられている紫陽花が紫色の花弁に滴を湛え――そして重みに耐えかね弾き、揺れているのでした。


        ○


 イサミさんがバイトを始めてからおおよそ一週間。流石に慣れてない内から仕事ぶりを見に行くのは邪魔になるかと思ったので、期間を開けて今日訪ねてみることにしました。土曜日ということもありイサミさんは朝から晩までの勤務となっているようで、基本的にはどの時間に訪ねても働く姿が見られそうです。とはいえランチタイムは混むでしょうから避けることにして、昼下がりに勉強がてらファミレスに来た感じを装って入店――というのが僕の計画なのでした。


 というわけでやってきたのですけれど……。

 

「おお、誰かと思えばいらっしゃい。煙草は吸わないはずだから禁煙席だな。あっちの方に空席があるから適当に座れ」


 ドアを押し開いて店内へ入ると来客を知らせるベルが鳴り響き、対応すべく足早にやってきた店員さんが放った第一声。乱暴な言葉遣いと無表情で接客してくる店員に僕は思わず溜め息を吐き出し、肩を落とします。


 その店員とは言うまでもなくイサミさんでした。胸に「研修中」と「嵐谷」の字を記載した二つのバッジをつけています。


 何だか自分の中で抱えていた不安感や懸念が具現したものを見せつけられたようで表情を引きつらせてしまう僕。


「だから不安だって言ったんですよ……。その対応はおかしいですって。流石にお客さんなのですから、僕が顔見知りとかは関係なくきちんと礼儀正しくしないと」

「あぁ、ごめんごめん。つい素が出てしまって。ずーっと敬語で話さなきゃならないだろ? だから息抜きってことで許してくれよ」


 照れたように後ろ頭を掻いて事態を流してしまおうとするイサミさんですが、僕は咎めるような視線を送ってそれを許しません。


「そう言いながら敬語になってないじゃないですか。それに営業スマイルを店外からこっそり見ていました。あれを僕もやって欲しいんですけど」

「なんで外からいちいち見てんだよ。不審者じゃないか」

「そんなことはいいです。早く、スマイル!」

「有料」

「ほう。言いつけてあげますから上司を呼んで下さい」


 脅し文句に屈することなく「あーあー」と耳に指を突っ込みながらスルーするイサミさんに、僕の方が何だか面倒になって「はいはい、分かりましたよ」と発した言葉でようやく禁煙席まで案内されました。席へと腰を降ろしてメニューに手を伸ばすと、イサミさんは注文が決まったら呼ぶように言って去っていき、そんな後ろ姿を見つめる僕。


 とりあえず、職場には馴染んでいるような気もしますが……。


「思ってたのと違う」


 僕は不満に嘆息を交えて独り言を口にしてしまいます。


 理由は簡単、イサミさんの服装です。僕の中ではひらひらとしたスカートに胸が協調されたようなデザイン、そして頭にはフリルがあしらわれたカチューシャでも乗っているようなウェイトレス姿をイメージしていたのですけれど……そういうのはやはり漫画の中だけというか。妄想の産物というか。


 現実は随分と違いました。


 ブラウスの上に黒いベスト、タイトスカートにストッキングという大人びた印象。……まぁ正直に言ってしまえば普遍的で地味。不服な気持ちはありますけれど、考えてみれば僕の想像してたようなのが現実に出てきたらそれはコスプレなので案外、地味でよかったのかも知れません。スタイルの良いイサミさんによく似合っているのは事実ですし。


 とりあえず何を注文したものかと思案すべくメニューを開き、しかし視線はやはりホール内を忙しく動き回るイサミさんの動向を追ってしまう僕。俊敏かつ合理的で、テキパキとあまり隙がなさそうに見えるイサミさんの仕事ぶりに流石だなぁと感心してしまいます。こういった場でもイサミさんのスペックの高さは活かされているんですね。


 ――と、抱いていた心配も霧散しかけていたその時、隣の卓に座っていた中年の夫婦がベルを鳴らしたため注文を取りに来たイサミさん。お客とイサミさん両方の声が聞こえる状況。折角なのでここは耳を澄ませてみましょう。


「あなた、店員さん来ちゃったのにまだ決まってないの?」

「お前が勝手にボタンを押すからだろう。うーん、そうだなぁ。ここのミートドリアってどうなの? 店員さん的には」

「ん? ミートドリアか? それは全然ダメだよ。おいしくない。この間、休憩時間に食べたけど好んで注文するほどものじゃないよ」


 あっけらかんと親しい人間と会話する口調そのままに語ったイサミさん。反応を伺うべく横目で視線を送ってみれば、そのぶっきらぼうな語り口調に夫婦は目を丸くし驚愕していました。


 違和感を遅れて感じ取ったイサミさんも「あっ」と自分のミスに気付いたのか、同じように目を丸くして「です、です」と補足にもなっていない丁寧語を口にしつつ、にこやかな営業スマイルを浮かべました。


 この接客態度はどうなんでしょうか……。


 料理を出したり後片付けなどは迅速かつ正確に出来ているようですが、対人となると不安が残りますね。キッチン担当でよかったのでは。しかも自分の店の料理をけなしてましたし。


「あっはっは! 全然ダメなのか! そうハッキリ言ってもらえると逆に信用出来るね。じゃあ逆に店員さん、オススメはないの?」

「オススメ! それなら沢山ある……いえ、ありますっ!」


 何故かビシッと敬礼をして自分のミスを繕おうとするイサミさん。その行動の意味は分からないですけど、こういう場所でも自分の思ったことをはっきりと述べて、それが良い方向に働いているのはちょっと驚きですね。お店の責任者さんに見られればきっと怒られるような発言、態度ばかりですけれど。


 そんな風に微笑ましい気持ちで物思いにふけっていると注文を聞き終わったイサミさんが今度は僕の席へ。


 さては自分の接客態度がどうだったか感想でも求めにきたのでしょうか?


「さっさと注文してくれよ。お冷だけで居座る気か」

「あぁ! そういえば僕もお客さんでした。このままじゃ確かに冷やかしですね」

「なるほど! 考えてみれば冷やかすの語源ってそういうことか」

「そういうことではないです」


 イサミさんの手をポンと叩いた納得をビシッと指摘しつつ、勉強のために訪れたのであまりお腹を膨らませたくない僕はドリンクバーを注文することに。


「そうだ、休憩時間に食べるケーキを注文しよう」

「好きに頼んだらいいじゃないですか」

「ん、いいのか!」

「僕は払わないですよ」


 期待だけさせておいて落胆させる結果となり、イサミさんは肩を落として厨房の奥へと消えていきました。


 何故、僕にケーキを支払わせようとするのか疑問に思いましたが、先ほどのようにおすすめ出来るくらいこの店の料理を食べていることを考えれば明らかです。本末転倒ですがバイトを始めたことで逆にお金を使い過ぎてますね!


 まぁ、改めて考えれば高価なゲーム機をプレゼントされているのですから、それくらいは奢ってもよかった気はしますけれど……。


 しかし――イサミさんが本当に働いていますね。確かに自分の利のためならば多少の苦は惜しまない人です。それを苦とも思わない人、が正しいでしょうか。学校にきちんと通っている理由もお小遣いのためらしいですから、褒められたことではないですがお金が絡むと頑張るイメージがあります。


 で、そんな努力をして貯めたお金を――何に使うのか?


 何となく分かっているんです。ヒントというにはあまりに寛大過ぎる、答えとさえ言える発言が今日までのイサミさんが発した言葉の中にありました。いつものように一言問いかければ分かることかも知れません。でも、例えばいつか投げかけた「自分の告白をどうして受けてくれたのか」という問いなんかとは比べものにならない、強いためらいが僕の中にはあるのです。だからこそ、そっと蓋をして聞かず、思考せず――それでいいと思うのです。


 いずれ嫌でも分かることでしょうし、杞憂であればそれは幸せです。


 そのように思考を打ち切ると僕はドリンクバーコーナーからココアをカップに入れて再び席に戻り、持参していた問題集へ取り掛かることに。


 こう見えて僕はイサミさんほどではないにせよ、成績はそれなりに良い方です。学年での成績はトップクラスですし、イサミさんが通う難関校に関しても四月に行われた模試の判定では現状、合格ラインとされています。それは両親が勉強する環境を整えてくれたこと。そしてひたすら学び続けることを疑わず邁進してきた日々の賜物であるように思います。


 でも、どうしてでしょうね。イサミさんと出会ってから僕はそんな全てが何だか薄っぺらく感じるようになったのです。自分の意思で舵取りを行っていないことはまるで、正しい行いではないかのように。


 いえ、よく考えてみれば疑問に思うこともないのでしょう。イサミさんを見ていると嫌でも自分の素直な意思で選び取り行動している姿こそが人間らしく、正しい行いであるように思えて。無意識にただ勉強してきた僕にはそれがあまりにも刺激的で。


 今のままひたすら勉強していることが本当に幸せへと繋がるのか?

 知らなければならない全てを、学校は教えてくれるのか?


 大学を卒業して社会に出れば、大人としての――正しい人間としての設計図通りに組み立てられた自分としてきちんと完成出来るのか?


 イサミさんが語っていたとおり「学歴が全てではない」のかなぁ、と……そんな疑問が最近、ふわりとこの胸の中に浮かび上がるようになったんですよね。


 と、その時――。


「おい、それ間違ってるぞ」


 ふと思考の海にどっぷりと浸かっていた僕の意識が引き上げられる感覚。気付けば目の前には問題集に記述した僕の回答を指差すイサミさんの姿が。言われるまま確認してみると確かに些細なケアレスミスで導きだした回答に誤りがあるようでした。


「し、仕事してて下さいよ!」

「とはいえ、お前が間違ったまま問題集を閉じるのはよくないだろ」

「しかし結構恥ずかしいミスですよ、これ。そういうのはオブラートに包んで優しくお願いします」

「そんな面倒なことするもんか。アタシ、嘘は方便って言葉が大嫌いなんだよ。だからってわけじゃないけど、生まれてから一度も嘘なんてついたことはないぞ!」

「でしょうね。それは立派だと思いますから、仕事に戻って下さい」

「分かってるよ。でも、こんな場所でだって勉強するなんて熱心なもんだなぁ」

「ずっと目指してきましたからね。どこでだって勉強しますよ。やっぱり合格はしたいですし」

「なるほどなぁ。じゃあ、お前がどーしてもっていうなら今度勉強を教えてやってもいいんだぞ? アタシが教えれば合格も間違いなしだ」

「本当ですか?」

「言っただろう、アタシは嘘をつかない」


 そう言い放ったイサミさんに僕が「どうしても!」を口にすると、快活に笑みを浮かべて「任せとけ」と言って手をひらひらと振り、去っていきました。


 イサミさんが勉強を僕の教えてくれる……それは何と素敵なイベントなのでしょう!


 ……でも、あの人のことですから何か裏があるのでしょうか。自分にとって何か利になるような理由があるからそのような誘いをしてきたのでは、と思ってしまうのはイサミさんと付き合いが二カ月ほどとなる僕だからこそでしょうか。


 うーん、それでも嬉しい!


 心が急激に幸福感で満たされていくようで。胸の中がじんわりと熱くなる度、大袈裟ですが自分がこの世に生を受けた喜びさえ知った気持ちになります。いいですねぇ。恋人と一緒に勉強なんて素晴らしいシチュエーションじゃないですか!


 幸福感で気分良くなったことによる相乗効果で勉強が捗る僕。問題集の上でペンを軽快に走らせ、回答を書き連ねていきます。


 そんな最中に起きたことでした。

 何となく向けた視線の先――不穏な空気を感じる光景が飛び込んできました。


 それは僕の座る位置から数席向こう側、随分と派手な格好をした男性の三人組。派手な髪色や髪型。耳や指などはピアス、指輪などがはめられており、黒革を基調とした随分とパンキッシュな恰好をしていて随分とガラが悪そうな印象。そんな集団の注文を聞いているイサミさんがさっきからずっと話し掛けられ続けて、その場から離れないのです。


 もしかして、絡まれてるんでしょうか?

 だとしたら危ない!

 助けにいくべき?

 

 ――でも。


 慌てる気持ちを制するのは恐怖心。僕は生まれてから一度も喧嘩の経験がなければ激しい罵り合いをしたこともありません。そんな僕に人並みの勇気が備わっているはずもなく、尻込みしてしまったというのが現状。


 僕が行って、どうなるのか?

 ……でも、イサミさんは困っているんじゃないでしょうか?


 でもきっと、こういう場合はお店が何とかするマニュアルやシステムを持っているはず。あまり激化すると何らかの対処はしてくれると思います。ですから、流れに任せておけば良いでしょう。


 そう思うのですけれど。

 なら、どうして放っておけないのでしょうか?


 そんなのは決まってます。僕がここにいる。あんな風に絡まれて、自分の彼氏が見ているだけの状況に気持ちが冷めてしまわない女性などいないでしょう。普段は感じさせないですけれどイサミさんだって女の子なのですから、ああいう状況は怖いに決まってます。守って欲しいって思うに決まっています!


 そして、それ以上に――イサミさんの納得以上に、僕が許せません。


 決意したのです。イサミさんを惚れさせ、そういう気持ちにさせるだけの努力が必要なのだから頑張ろうと。そう自覚した日から僕は色々とイサミさんの前で恰好をつけては失敗してきたのです。道を歩く時に車道側を歩いても配慮に気付かれませんでした。エレベーターに乗る時、気を遣って扉を押さえているのにイサミさんに「閉」ボタンを押されました。


 ――でも、今日の僕は違います。

 見ていて下さい、イサミさん!

 

 僕は意を決して席を立ち、イサミさんの隣にいる時とは質の違う緊張感を感じながら男達の席まで歩み寄ります。そして、やってきた僕の存在に気付き注目した男達、イサミさんを含めた四人に対して堂々と。


 可能な限りの勇気を振り絞って言い渡します。


「他人の彼女に絡んでんじゃねーよ」

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