幽世異譚~縁切り御宿~

りぃん

序 あの世とこの世

 トンと背中を押された。

肩甲骨の下あたりに、誰かのどこかがぶつかった感じ。


茅野かやの えい25歳。新進気鋭の某パティシエの店で中堅として頑張っている。あと何年かしたらフランスへ修行にって話も店長から出て、仕事に一層力が入るってもんだ。

 洋菓子が好きでこの道を?と訊かれることが多いが、パティシエを選んだ理由は、妹が大の洋菓子好きだったから。

そう、過去形の「」からだ。

 俺の家族は、俺が高校2年の初夏に自動車事故でいっぺんに亡くなった。

両親が孤児同士の結婚だったから、両親と妹を亡くした俺は天涯孤独の身となった。それでも、こちらが被害者だったため保険も賠償金も十分に出たし、学生生活を諦めることはせずにすんだ。

 ただ、大学へ進学せずに専門学校へ進んだのは、あの日、妹が待ちかねていた俺の手作りのバースディ・ケーキを食べさせてやれなかった悔しさが残ってたから。

 

 なのに今――俺は、押されたはずみで線路上へとダイブ中。

そして、待ってた電車がホームへ滑り込んで来たのが、視界の隅に映ってた。

ガツッと顔面に衝撃が走り、一瞬で痛みは過ぎ去った。

 過ぎ去った…はいいが、どこも痛くないって…助かったのか???


「悪かった!すまん!ごめんな!」


 いきなり辺りが静まりかえり、その後にあまりにも場違いな謝罪の声が響いた。

おそるおそる瞑っていた瞼を開くと、俺は線路上に横向きでうつぶせに倒れ、その上に電車の車体が覆いかぶさっていた。そして、あと数センチで俺の両腕と両足が、車輪に轢かれるところで止まっていた。反射的に体が逃げようと反応しかけたが、動かせるのは顔面だけだった。激しく打つ鼓動をどうにかなだめつつ、目前の車輪を凝視する。電車が停車したんじゃなく、まるで写真やビデオを一時停止させたような…時間が止まっているようなそんな状況の中、また声がした。


死魂迎しにがみえのヤツが二日酔いで仕事しやがって、寿命じゃなかったお前さんにぶつかっちまって――あーっと、本当にすまん!」

 

 声のする方へと目だけ向けると、車輪の隙間から白く発光したヒトガタが、土下座しているのが見えた。たぶん土下座だろーなー?って感覚だけの判断だけどね。

だって、発光しているせいで輪郭は朧気おぼろげだし、光量もあるから顔面の部位や四肢や胴体の細部すべて白飛びしてて、見た目は発光するシーツを被った人っつー具合だ。それがしゃがみ込んでるから、発光するスライムにしか見えない。

 これは、もしかして神?んで、ラノベ的テンプレ?異世界召喚とか転生とか?

お願いしなくても、チート能力全プレ?勇者とか大賢者とk――


「それは無理。ワシは日本の神だし、異世界へなんてワシだけの力じゃ無理!」

「じゃあ、何しに来たんです?部下の不手際の詫びに来ただけっすか?」


 俺の思考を読んでるのか、神様はかぶせ気味に慌てて否定してきた。

なら何のためにこんな状況を…。眉間に力が入って不機嫌オーラいっぱいの声が出た。


「いや、お前さんの寿命はまだあるから死んでもらっちゃ困るんだ。が、この状況は此方こっちの不手際だから、お前さんには二つの人生を用意した。そのどちらかを選んでもわらんと困るんだ…」

「二つの人生?…ここからの未来ってこと?」

 

 異世界じゃなく転生でもなく、死なれちゃ困るってことは生きている未来ってことで。


「ああ、二者択一だ。好きなほうを選んでくれ」

 発光した神が、ニッと笑ったように見えた。

 


                ***



 神様の二択は、マジで腹立たしいこの上ないものだった。


 ひとつは、現世で助かる。

ただし、現状が現状だから五体満足って訳にはいかない。

人に押されてホームから落ちたが、入って来た電車に轢かれるも九死に一生を得て命だけは助かる。しかし、身体のあちこちが欠け、頭もやられてて意識不明の重体。

犯人は見つからず、いつ意識が戻るかも知れず、生命維持装置に繋がれて時間が過ぎるだけ。

 もうひとつは、幽世かくりよの神域で寿命まで生きる。


「かくりよ?ってなんすか?」

「幽世は常世とも黄泉とも言う。そして、現世と幽世の狭間に神域がある。お前さんには、そこの宿で働いてもらいたい」

「はぁ!?やど!?」

 

 訳の分からない専門用語が羅列される中に、いきなり出てきた「宿」。

宿ってのは、旅館とかホテルって言う宿泊所のことだよな?


「そうそう。日本様式だから旅館だな。加えて温泉もあるぞ」

「そんなとこに、なんで旅館が!?」

「まぁ…訳ありの死者きゃくがな…」


訳あり?――死んじゃってる人に訳って。

あ、地縛霊とか?怨霊とか?


「いいや、えにしが残って幽世へ進めん者だ。

  その宿で縁を切ってもらうんだ」


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