5噺 縦結び


 傷を持って宿に入って来た客は、縁切りに納得しない限り傷ついたままだ。俺たちには癒すことも隠してやることもできず、ただ決心するのを見守るだけ。

 真珠様が亭主として客に会いに行く。茶の時間や食後のひとときを、客との語らいに亭主は向かう。そんな時も真珠様はいつもの奇抜な衣装を身に纏い、夕食後なんかは酒を交わしながら長い時間を過ごすらしい。そんな時は、係りの中居と板前の慈雨さんが夜番をする。


  時折、客が本館内をぶらつくことがある。現世の旅館のように土産物コーナーがある訳じゃないから、何をするかと言えばロビーの椅子に座り込んで、庭園を窓越しに眺めながらうつろな想いに沈んでいることが多い。

 前川氏もその一人で、離れ周りの散策にも飽きたのか、時々通りすがる従業員も目に入らないって体で座っていた。

 俺は、小さなマジパンとプラリネを皿に盛り、番頭さんに頼んで紅茶と一緒に届けてもらった。


「……ここは、いい所ですねぇ」

「ありがとうございます。ですが……長逗留する所じゃございませんよ?」

「はい…」


 番頭さんの落ち着いた声と前川氏の引き攣った声で、静かな会話が流れた。

窓から空を見上げるその喉元に、相変わらず血が滲んでいる。痛くないのか、痛いのか。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、バタバタと盛大な足音が奥の方からした。これはーと耳をすまして中りをつける。


「あ、いたいた!部屋かと思ってあっち行っちゃったよ。前川さーん、話しがあんだけど、部屋行こう」


 やっぱり寿莉だ。腰を上げ四つん這いで、そっと暖簾の下をくぐるとフロントの下に潜んだ。


「話し?なら、ここでして下さってかまわないよ」

「人の耳があるぜ?」

「耳と言っても、皆さんはここの方々でしょう?かまいません」


フロントの脇から覗くと、盛大な溜息と共に寿莉が前川氏の前にしゃがみ込んだのが見えた。俗に言う、チンピラ座りだ。


「英ちゃーん、俺のお茶も入れて来てー!おやつも」


 え?ばれてた?頭を掻きながら立ち、またそっと奥へ引き返した。リクエストに応えて、紅茶とプラリネを持ってロビーへと戻る。まるで俺を待っていたかのように、二人は全く関係ない雑談をしていた。


「寿莉、行儀悪いぞ。ちゃんと座ってお茶しろ」

「おー、チョコだ。うまそー」

「では、ごゆっくりどうぞ」

「あー、英ちゃんもここに居て。一緒に話し聞いてて」


 踵を返しかけた俺は足を止め、子供のように自分の隣りの椅子を叩く寿莉に苦笑する。


「かまいません。よかったら一緒に聞いて下さい」

「……それじゃ、お邪魔します」


 前川氏の言葉に従って、俺も寿莉の隣りに腰を下ろした。

丹前姿の前川氏は少しだけ寿莉の方に体を向け、手にしたカップを口元に運んだ。


「それで、お話とは?」

「俺はここの亭主の使いで、現世へ行って今の状況を調べて来た」

「……騒ぎになっていたでしょうか…?」


 さらりとした印象の面の眉間に深い皺が寄る。嫌悪か自省か。


「前川さんの遺体ね、まだ見つかってない。そんでー、前川さんを殺した幸恵って女は、いつも通りに暮らしてる」

「まだ見つかってないんですか…」

「彼女はさー、さっさと見つかって欲しいと思ってンでしょ。でも、まだ発見者がでないから、普通の生活しながらメチャ焦ってる、はず」


 二人が交わす会話を聞くが、全く訳が分からない。

前川氏を殺したのは、義妹の幸恵って女なんだろう。愛憎じゃなく、金銭だって言ってたよな、沙月さんは。

 金銭問題で殺人する原因て、例えば借金の返金催促されて―――とか。遺産問題とか?


「ばかだよねー。自殺に見せかけて殺したのに、遺体がまだみつからないってさー。だから、前川さんは迷っちゃったんだよ。早く見つかればいいねー」 


 自殺に見せかけた殺人かぁ。でも、あの紐の痕じゃ、どう見ても自殺には見えないだろう。素人の俺ですら判るんだから、警察が間違えるとは思えない。それにあの喉下の傷は抵抗した傷―――防御創だ。


「見つからないままだと、私は行方不明者になるだけですよね?」

「うん。今はまだね。でもね、前川さんの立場が『ただの家出』じゃないって疑われるだけの立場だからさぁ、捜索はされるんじゃないかなー」

「そうですか……」


 また前川氏は考え込み始めた。

寿莉はぽんぽんと口へプラリネを放り込み、冷めた紅茶を一気に飲み干すと、俺の腰を叩いて促しながら勢いよく立ち上がった。


「まぁ、とっとと縁切ったほうがいいよー。どっちにしても、結果は見えてるし」


 俺は黙って立ち上がると、寿莉の食器を持ってフロントへ向かった。後ろをついてくるかと思った寿莉は、また離れの方へと消えて行った。

なんだ?俺に聞かせたい話しなのかと思ったが、聞いても分からん。憶測するしかない会話だ。

 食器を手に厨房へ入って洗い物をしながら、とりあえず夕食用のデザートを考える。

喉通りの良いもの。するりと喉を通るデザート。

するりと首を絞めた紐なんか、するりと縁を切ってもらって、するりとあの世へ行けたらいいのに。


 絡まった縁も紐も具合が悪いなぁ。本人もだろうが、見てるこっちも嫌な感じだ。やっぱり結び目は、綺麗な方がいい。

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