4噺 首吊り結び
「首を吊る時のロープの縛り方をなんて言うか知ってるか?」
「―――ハングマンズノット」
厨房の掃除を終え、後は風呂へ入って寝るだけになっても、俺は厨房の隅の椅子に腰かけたきり立ち上がれなかった。
いつもは楽しく手際よく作れるデザートが、すごく重い何かを作っている錯覚に陥り、どうにか仕上げて沙月さんに渡した後はぐったりしてしまった。
あの喉を少しでも労わり、楽しく美味しく感じてもらうデザート。慈雨さんに献立を聞いてから、柑橘系のゼリーと洋酒風味のするムースの合わさったデザートを作った。
……あれでよかったかなぁ?と、ぼんやり考えていると、背中と肩に思い切り覆いかぶさって来たのは、我らが大将だった。
俺よりおっさんのくせに、いい
「さらーと出てきたな。おい」
「真珠様…イイ匂いしますねぇ。風呂上りっすか?」
「俺様相手にセクハラか?お前だっていい匂いするぞ?バターやら乳やらバニラやらのうまそーな匂いがよっ」
「ちょっ!やめっ!!」
俺のやりかえしに真珠様は、俺の後ろ首や耳元にわざと鼻を押し付けてスーハ―スーハ―と匂いを嗅ぎだした。くすぐったいは恥ずかしいはで、俺は首を竦めながら抵抗した。
「英ちゃん…俺の食ってねぇ菓子を、客に出したんだってなぁ?ああン?」
「え?駄目でしたか?すいま―――」
「俺が食ってねぇんだぞ!!なんで、他の奴に先に食わせるんだ!」
なんだよ!そっちかよ!さっきのセクハラの前に、すでにそれで鼻を曲げてたのかよ!やーめーてーっ、耳元で魅惑の色悪声で文句言うのは!耳たぶ噛むな!
存分に俺を構ったのか、ふっと動きを止めて俺の肩口で溜息を洩らした。
「日本の輪縄と欧州の輪縄の結び目が違うのは?」
「え?……知りませんが」
「日本はもやい結びでな、あっちはちまき結びなんだってよ…」
「あー…なんか映画で見たことが…輪の上に何重も巻いてある…」
「そそ、それ」
「…あのお客さんの話しっすか?」
物騒な会話が続くのに嫌気がさして、なんとなくだが憶測を口にしてみた。
「まだ、分からん。本人が話してくれりゃいいが、まだ何も言わねぇしな。寿莉の情報待ちだ」
「また前世へお使いっすかー。なんなら寿莉にあっちのケーキ買ってきて貰えば」
「こっちに持ってこれねぇんだよ。それにな、あいつは現世で何も食えねぇんだ」
「得だか損だかわかんねぇっすねー。現世行きって…」
「まぁな。……ああ、お客には、心休まる旨ぇモン作ってやってくれ」
「はぁ」
それだけ言って、やっと俺の背後から離れた真珠様は、部屋へ戻るのかと思えば、ぐるーっと回って厨房の冷蔵庫を開けた。
「めーっけ♡」
「あっ!それは明日みんなでー」
「明日は明日!今日は今日!いただいまーす」
何をしに来たのかと不信に思ってたが…ムースの残りで作って置いておいたババロアのカップを掴むと、脱兎のごとく逃げて行った。
どうにかしてくれ、あの残念亭主!寿莉辺りがやるなら分からんでもないが、いい年をした宿の主人が、厨房に強奪に来るって、なに?!
***
客の名は、前川 真一郎、32歳。とある企業の役職で、若いながらにやり手社員だった。そろそろ上役から縁談が持ち込まれようとしていた時の――――絞殺。
「誰にやられたんすか?」
「弟さんのお嫁さんだってぇ。こっわいはよねぇ」
沙月さんがスイートポテトをパクつきながら、客の身の上を話してくれた。
これは客が自ら話したんじゃなく、明け方戻って来た寿莉からの情報だった。
「首の痕を見た時は…女性絡みかなーと思ったけど、まさか弟の嫁って」
「びっくりよねぇ~。それもね、浮気とかじゃぁないのよぅ。お金のことだってぇ」
「はぁ?」
呆気に取られた俺の声に、沙月さんがふっと笑う。その笑みがなんと言うか、凄く人間臭い笑みだったのに、俺は息をのんだ。
沙月さんは、推定50代のちょっと化粧の厚さが気になる可愛いオバサンだ。口調が特徴的だが、変なイヤラシさはなく素敵な色っぽさを持つ。丁度バーやスナックの、美人じゃないけどからっと明るいママさんって感じの。
件のケンジが沙月さんの旦那だってのにはド肝を抜かれたけど、沙月さん自身はとても世話好きで優しいママさんだった。そんな彼女の笑みに見えたモノ。
「お金の苦労ってね、笑えないのよねぇ……いつまでたってもさぁ」
「俺は、親も兄弟も死んじゃったけど、金の苦労だけはしなくてすんで、正直ありがたかったすね…」
「……生きるって、難しいわよねぇ…」
二人で遠い目をしてお茶を啜る。死んでるみたいな俺たちなのに、生きるってことの意味を考えてみたりしてるし。
「じゃ、前川さんを引っ張てる縁って、その義妹ってことっすか?」
「そこがまだ分かんないらしいわぁ」
「愛情もない上に自分で殺しておいて、未練があるって……」
「だぁかぁらぁ、まだその義妹だって決まってないのー」
あ、そっかと頷く。なんか早とちりしていた。殺人の場合、縁を引くのは殺人者の方だと思い込んでた。
「あの紐の痕って、縁を切ったら消えるんすか?」
誰か判らないけど、さっさと切れればいいなと思う。痛々しい痕は、見る方も見られる方も辛い。
「ん~ん。お客様ご本人がねぇ、切ってもいいって納得した時に消えるの…それまではずっと……」
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