3噺 二十結び
客が来る、と沙月さんが、厨房で仕事をしていた俺に伝えに来たのは、午後のお茶時間近くだった。
昼間の客なら、俺や慈雨さんは迎えに出ずに、宿入りした客のための用意をしておく。ちょうど午後のお茶を出す時間だ。
コーヒーや紅茶なら、モンブランかル・レクチエのパイ。日本茶なら、小豆とクルミのパウンドか抹茶のチーズケーキ。
琥珀さんの所へも届けたんで、いつもより多種。モンブランがカップタイプで手間がかかるだけで、後は1ホールづつだけなんで手間はかからない。
さて、どんな客か。
「英ちゃん、抹茶のチーズを注文ですぅ」
「お茶は?」
「紅茶でぇ」
「へい」
紅茶なら、ケーキは洋皿を使用して、ケーキの傍らに口直しの干しキンカンを添える。トレーに置いて、カバーをして沙月さんに渡す。
紅茶に抹茶チーズかぁ、相手は男かな?
「ご注文、あがりました。…お客さん、男?」
「男性よぉ…英ちゃんより、ちょっと上かなぁ」
「へぇ~」
今度は常識的な(?)客みたいで良かった。
訳あり客の宿だって前提があっても、この間の女客はそれ以前のヤツだったからな。男客か。
俺より年上となると、彼女か嫁さんに縁を引かれてるってところかな?
皆の分のケーキの乗ったトレーを手に、食堂へと入る。おやつをしまっておく棚の隣りに新しく配置した小型冷蔵庫に入れると、俺もお茶休憩。
パウンドケーキを齧りながら冷えた麦茶で一息ついてると、慈雨さんがカウンターから声をかけてきた。早い者順だからとケーキのメニューを伝えると、にやりとしながら入って来る。
「慈雨さん、ケーキ好きっすか?」
男ってのは、女より糖分に耐性がない。甘すぎる物を、いくつも食い続けることができない作りになっていると聞いたことがある。だから、見るからに男らしい慈雨さん辺りは、お愛想程度の付き合いかな?と少々下種の勘繰りめいた思いでいたんだけど、この顔をみるとそうは思えないんだよな。
「…生きてる頃は、全く指触は動かなかったな。ところが、今じゃ甘いモンが好物になってる。死んでんのに、生まれ変わったみてぇなもんだ」
笑いながらモンブランにフォークを入れる慈雨さんが、妙に可愛い。うへへ。
と、そこへ沙月さんが、神妙な顔で現れた。
「お二人さん、お客様が来て欲しいって。なんでも、夕食のリクエストをしたいそうでぇ…」
「おう、分かった。すぐ行く。英、行くぜ」
バンと俺の背を叩いて、慈雨さんが颯爽と立ち上がった。俺も慌てて立つと、エプロンを取って後に続く。
フロントを出て、ロビーを過ぎて裏玄関へ。下駄をつっかけて離れへ続く飛び石を辿りだしたところで、さぁーっと背中を緊張が走った。
離れの玄関に番頭さんが待っていて、その後を静かについて行く。
「お寛ぎの所、お邪魔いたします。板前と菓子職人をご紹介にまいりました」
番頭さんの後ろに揃ってしゃがみ、襖が開くのを待つ。
「どうぞ」
あ、妙に耳障りな声だな。と客の声がした瞬間に思った。
息を吐いて出す声と言うより、詰めて出したような引き攣った嫌な声だ。
俺は顔にでないように心持ち気を引き締めながら、番頭さんが開けた襖の奥へ頭を下げた。
「呼び立てて申し訳ない。料理に注文をつけるのは無作法だが…喉がこの通りでね。悪いが喉通りの良いものにしてもらいたいのだが…」
俺は慈雨さんに倣って頭を上げ、客と顔を合わせた。
その男の指す喉元を見て、内心ぎょっとした。顔に出ないように必死だったが。
客は三十手前の、中肉中背のこれと言った特徴のある容姿じゃなかったが、デキる男って雰囲気の落ち着いたスマートさが感じられた。それだけに、目立った。
男の喉元には、真っ赤な二重の紐の跡がくっきりと刻まれていた。それも太くて頑丈そうな。よくよく見ると、紐に擦られたのか顎の下にまだ血の滲む擦過傷が見えた。
ああ…あのせいで声帯をやられて声を出し辛いのかと、得心した。
「ご注文、承りました。お嫌いな物や食が進まない物はございましょうか?」
「そうだな…あまり油っぽい品は控えて欲しい」
「食後のデザートは、どういたしますか?」
今度は俺だ。まっすぐに相手の目を見て訊く。
「お茶の時のケーキ…美味かった。デザートは、さっぱりしている物が欲しいな」
「ありがとうございます。デザートもお口に合うよう作らせていただきます」
「それでは、失礼いたします」
まるで儀式のように礼をして、廊下へ下がる。番頭さんが一礼して襖を閉めて終わり。足音を忍ばせて離れを出ると、やっと満足に息ができた。でも、まだここで雑談する訳にはいかない。黙ったまま本館に入り、フロントを通って食堂へ戻った。
「ふう~やー緊張したぁ!」
ぐっと両腕を上に伸ばして肩の凝りをほぐす。慈雨さんが笑いながら、おやつの続きを始めた。俺は、冷めた慈雨さんのお茶を入れ直しがてら自分の分も入れて卓についた。
旅館の接客と言っても、現世と全く違うのだと改めて思い知り、ショックを受けた自分を叱咤する。自分の目で見て、ここが『なんのために存在する』のかを実感した。
「どうだ?念願の接客は?」
「やめてくださいよ~。子供が仲間外れにされてるって勘違いして、思い切り拗ねてただけなんすから~」
「自分で言うなよ」
慈雨さんは湯呑を受け取りながら、俺のたわごとに大笑いし始めた。笑いとお茶で少し心身の冷えをおさめた所で、声を落とした。
「あれ、なんでしょうね…首の痕は」
「縊死か…絞殺か。どっちかねぇ…」
二人並んで肘をついて、湯呑を両手に考察する。
同じ男として、なんとなく同情めいた気持ちが沸いてくる。それに、あの血の滲んだ傷が痛々しくて。
「あんな風に、傷がそのままの姿で来るのが通常なんすか?」
「ああ、傷が縁に繋がってできたもんなら、死んだ時そのまんまだな」
「じゃ、今日のお客さんはまだいい方なんじゃ…」
遠くを見るような目で話していた慈雨さんが、いきなり俺を見返した。
すっと切れ上がった眼が光る。
「そうだな。縁が繋がったまんまなら、腹ぁ刺された傷だろうが、喉を掻っ切られた傷だろうが、な」
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