7噺 ふじ結び
二人目の客の名は、 前川 雄二 32歳。
前川 真一郎さんの双子の弟だった。
柔らかそうな茶がかった髪とスタイルは、兄とは違って明るい雰囲気の人物に見せているが、顔も体格もそっくりだった。それに、今の彼はどこか張りつめた表情で宿を見つめながら、番頭さんの後をついて行った。
「どういうことだ……?」
「どうもこうも、弟も死んだんだよ。今度は自殺だ」
「え?でも自殺って、ここに来れるのか?」
寿莉のあの金色に光る眼差しが、ニットの背中を凝視している。髪を短くしてからの寿莉は、本当に地獄の鬼って風情で、普段のとぼけたアンちゃんの時は街のチンピラだが、こうなるといささか恐い。
「通常なら来れねぇな。自死の魂は、自分で選んで縁を切って来たんだ。現世から引かれることはねぇ。後は幽世で裁かれるだけだから、宿は無関係だ。でもな、今回みてぇな例外がある」
「例外……」
「先に来た兄ちゃんの縁を引いたのが、弟だった。その縁を頼りにここへ来ちまった……だから、さっさと切っちまえって……」
最後にぼそりと呟いた声は、苛立たしげに聞こえた。
俺は思わず真珠様を振り返った。
そこには、全ての感情をそぎ落とした仮面のような表情の異形の人が立っていた。
ただ、双眸だけは炯々と底光り、殺気に似た気迫が漂っていた。
ああ、これは真珠様の怒りだ。兄弟のどちらかへなのか、はたまたどちらもなのか分からないが。
二人目の客は、本館の客室に案内された。
迎えの後すぐに俺は自室へ戻って布団へ入ったけど、寝返りばかり打って寝付けなかった。
寿莉から聞いた話しだが、信一郎さんの遺体はすでに見つかっていたのだそうだ。けれど、警察が殺人事件として扱うことになり、『身元不明』と偽って公開せず、遺族にも内緒にしながら捜査をしていたんだそうだ。実際、警察がそんな捜査をするのは違反だ。だから『身元不明』と偽ってた訳だ。
そんな中、遺体がいつまでも見つからないことに、痺れを切らした幸恵が現場へ現れた。遺体の確認のつもりだったのか、はたまたもっと見つかりやすい場所へ移動するつもりだったのか……。
幸恵が重要参考人として確保され、自白の末に犯人逮捕となった訳だが、やっと兄の遺体と対面した弟の雄二は、その後に兄の部屋で首吊り自殺していた。妻が兄を殺害したことを悲観したのか、それが遺産問題に関係しての殺害動機だったからなのか、もっと根深い問題が彼らの間にあったのか。
本館の方へ目を向け、俺は溜息しか出なかった。
翌日の館内は、みんな何故か殺気立っていた。仲間外れは、俺と慈雨さん。通常通りに仕事をこなし、客の朝食と従業員の朝食を用意して待機中だ。
たれ目の雛巳さんが、目尻をキッと上げて、黙したまま前川弟へ食事を持って行ったのを見送り、ちょっと動揺してしまった。
「昨夜ね、弟が騒いだのよぅっ!兄に会わせてくれってぇ!真珠様は、兄の部屋に篭ったままだし、雛巳ちゃんじゃ相手にならなくってぇ、勝さんが必死で宥めに行ったんだけどさぁぁぁぁ!もう!」
楽しく明るくがモットーな沙月さんが、珍しく出会いがしらからプリプリ怒りっぱなしだった。それを宥めつつ、信一郎さんへ食事を運んでもらった。
神経ぴりぴりの中での夜番だったから、寝不足に加えてストレス溜まったんだろーなー。それにしても、弟に兄さんが逗留してるって誰かが話してやったのか?
「聖域に来るとな、繋がってる縁が見えちまうんだとさ。お互いが繋がる縁なら、お隣へ向かうのが定常だが、一方通行ならな……」
うわーっと俺が顔を顰めると、慈雨さんが苦笑した。
だから、信一郎さんにさっさと縁を切ればって寿莉が言ってたのかぁ。しかし、縁てどんな風に見えるんだろうか?昨夜の俺には、雄二さんの姿にそんなモノ見えなかったが?
「縁って、糸みたいに見えるんですかね?」
「いや、太さや形は色々らしいぜ。それに、見えるのは本人達と真珠様にだけだ。俺たちの目に触れるとしたら……真珠様が縁を切る時だけだな?」
「え?切る時に、実体化させるんすか?」
「なんでかは判らねぇが、真珠様の愛刀で切るには、他者に『縁を切る』ってことを認識して貰う必要があるらしい」
「へー」
俺たち二人は、沙月さんを見送ったままで立ち話をしていたが、用意された朝食を食べに来るはずの番頭さんと寿莉が、いつまでたっても来ないことに気づいた。
「……俺たちだけで、さっさと食うか」
「はい。冷めちまいますし」
本当に、俺たち二人は置いてきぼりだ。
仕方なく食卓につく。慈雨さんが俺に給仕してくれ、手を合わせて朝食を始めた。そこへ、やっと番頭さんが現れた。
夜番じゃなかったのに弟に付き合わされたせいか、いつもの朗らかさが落ち、精彩に欠けていた。
「…どうなりました?」
小声で尋ねると、番頭さんは無理やりな風ににこっと微笑んだ。
「お兄さんが、お会いにならないんですよ。それで真珠様が苛立っちゃってね。ならなんで、さっさと縁を切らなかったのか!ってね……お兄さんご本人は、こんなことになるとは思わなかったのでしょう、とても気落ちしてらしてねぇ」
慈雨さんが俺と番頭さんの朝食を用意し終え、厨房へと戻って行く。彼はこんな場合、すぐに動けるようにと厨房で食事を取る。
手を合わせて食べ始めた番頭さんに、俺は自分の分と一緒にお茶を用意して労った。
「奥さんはともかく、子供もいるのになんで自殺なんか…」
「どんな事情があってもねぇ……」
いくら資産家の親族がいても、親が殺人犯と自殺じゃ残された子供は辛い先を過ごすことになるだろう。祖父母が金と地位でどうにか庇ってくれても、人の口に戸は立てられないし、子供は子供の世界がある。
俺ですら、最初は被害者の遺族で同情されてたが、最後には妙な輩が近づいて来て「いっぱい金貰ったんだろう?ちょっと奢れよ」「口うるさい親がいなくなって、気楽なもんだろ?」なんて無神経なことを言われ傷ついてもんだ。あの頃の友人は、即知人やただのクラスメイトにランク下げしたが。
「英!!いるか!」
他人事ながらしみじみと残念に思いつつ食事をしていた俺に、ロビーから俺を呼ぶ真珠様の大音声が届いた。
「はい!」
箸を置いてすぐにロビーへと向かった俺は、裾を乱して仁王立つ真珠様に走り寄った。
寿莉が鬼なら、今目の前で怒り狂う男はまさに地獄の主だった。
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