8噺 本結び
離れの客室には、
向かいに寿莉が厳しい顔で胡坐をかいて座り、じっと睨んでいる。
「お決まりですかね?」
俺を引き連れて部屋へ入った真珠様は、寿莉の隣りに蹲踞すると、覗き込むように首を傾げて問いかけた。
信一郎さんの目は、正面の寿莉を通り越して、遠くをじっと見つめている。その方角は、弟がいる本館の客室だ。
「雄二さんは、昨夜からあんたに会いたい、会わせてくれと叫びっぱなしだ。どうする?」
真珠様の物言いは、すでに客相手じゃなく、うんざりしたような
それよりもだ。俺は、一体何のために呼ばれたのか。
「……会いたくありません」
「なら、さっさと縁を切ろうや、お兄ちゃん」
緊迫した場面なんだろうが、この場所へ連れて来られても俺は全くの部外者状態で、ただただ見守るしかない。なんだか、ヤクザの幹部が監禁したエリートサラリーマンを、手下のチンピラと一緒に脅してるようにしか見えないんですが…。
そんで、脅されてるエリートさんは、完全無視で口を閉じたまま。
「仕方ねぇ……見せたくねぇんだが、あんたが何のために意地を張ってんのか知らねぇが、その目で見た方が決心もつくだろう――――寿莉、弟を連れてこい」
「ほい」
すっと立ち上がった寿莉が、扉の前に立ったままの俺に目もくれず、部屋を出て行く。
判らない。縁を引いてるのは弟のはずなのに、俺には兄も弟を思っているとしか見えない。だって、そうだろ?何も思いが残ってないなら、さっさと縁を切った方が簡単だ。ここに居座っていても、何もいいことなんてないんだし。あの哀れな二重の紐の痕と、いつまでも血を滲ませている傷だって、見てるこっちが辛くなる。
考え込んでたせいか、眉間が痛くなり慌てて寄ってた皺を揉みほぐした。
がたがたっと玄関から複数の乱れた足音が聞こえ、そのすぐ後に丹前姿の前川弟が走り込んできた。
俺は、声が漏れそうな口を慌てて手で押さえた。
なんでだ?なんで!?
雄二さんの容貌が、昨夜見た時と様変わりしていた。そして、彼が部屋へ入ったと同時に、ぎょっとするような物が、もう一つ現れた。
「にぃ……さぁ…ん」
雄二さんの顔はどす黒く変色し、片目の眼球が半分飛び出し、黒い唇から舌がだらりと垂れ下がっていた。苦し気な声が、兄を呼ぶ。
首が締まっているんだ。燐光の様な緑がかった青い光を発した紐が、彼の首をぐいぐい絞めつけていた。
その紐の先は上じゃなく、なんと信一郎さんの手に握られていた。ぴーんと張った紐が、勝手に動いて首を絞めていた。
「ふ……」
真一郎さんの口から、息が漏れる音がした。
彼は、目を爛々と輝かせ、驚愕よりも面白いものを見つけた子供の様な双眸で弟を睨め付け、今まで全く感情らしい感情を表さなかった唇の端を上げた。
勢いよく立ち上がると、身を反らして大声で笑い出した。
「ふっ…あははははっ!こいつは笑える!はははは!死んでも追いかけて来るなんて、相変わらず気持ち悪いな!ああ!?雄二!なんだ、その顔!同じ顔なのに、やめてくれよ。腐りかけの顔で!俺を見るな!」
「に…どうぢ…でぇ俺をぅ……おいてぇ…ぐぶぅ」
「お前の女房が俺を殺したんだろ!お前を置いてとか、全く関係ない!俺は生きていたかっよ。お前のいない世界でな!何が愛してるだ、気色悪い…お前の方が殺されればよかったんだ!馬鹿だよ、あの女も」
真一郎さんが罵倒するたびに紐が絞まり、雄二さんが苦し気にのたうつ。なのに、零れ落ちそうな眼だけは、信一郎さんから逸らさない。
「お前が俺を抱きたいなんて言い出したから、さすがの俺も神経が参ったよ。だから、幸恵に殺されても死んで良かったって気になれた。お前がいないからな!なのに、なんで来るんだ!くそが!」
今まで溜まっていた鬱憤をはらすかの様な、荒々しい罵詈雑言を叩きつけ終えると、信一郎さんは急に虚脱したように座り込んだ。
「切ってください。こんな腐った肉と繋がりを持ちたくない!」
冷たい声だった。何もかもを拒絶し、捨て去ることに何の躊躇もない、冷めた声。
「承知」
返した真珠様の声も冷淡だった。
凛とした返答と同時に、横へ伸ばした手の中に、いつの間にか刀が握られていた。
漆黒の塗りに金で何かの模様が描かれた鞘から、恐ろしいほど冴え冴えとした刀身が引き抜かれた。とたんに、室内が暗闇になった。雄二さんの呻きだけが聞こえ、一体なにがどうなるのかと息を詰めていると、今度はゆっくりと刀身が輝きだした。
まるで心臓の鼓動の様に刀身の光は脈打ち、それに合わせる様に雄二さんの伸ばした掌から蛍光色の細いバネの様なモノが信一郎さんの首へと伸びているのが見え始めた。それが伸びたり縮んだりして信一郎さんの首を絞めているらしいが、いかんせんバネだから、首は締まりはしない。
同じく信一郎さんの手から伸びた、雄二さんの首にかかった紐とは全く違う。こっちは無残な具合に絞めている。
ああ、これが二人の違いなんだ。
光る刃が振り下ろされた。何の音も抵抗もなく、二つの縁が真っ二つに離れた。
片方は煙の様にさっと消え、もう片方は捻じれ捩れて燃え尽きた。
そして、不意に部屋へ差し込む日差しが戻った。
そこには、首の痕も傷もさっぱりと消えた信一郎さんが端座してるだけで、雄二さんの姿は掻き消えていた。
「縁は切れ、なんの憂慮もなくなった。後はゆうるりしていきませい」
「……ありがとうございました」
刀を鞘に戻した真珠様が労いをかけ、踵を返す。その後ろ姿に、信一郎さんが深々と頭を下げて礼をした。
俺は、縁切りの見届け人だった。
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