9噺 止め結び


 その日の夕食は、客のリクエストで作られた。

俺と慈雨さんは、また信一郎さんに呼ばれ、幽世へ旅立つ前にぜひ食べたいものがあると注文された。

 信一郎さんは、何の憂いもなく晴れ晴れとした表情で、宿を騒がせたことを俺たちに詫び、和やかに注文の品を相談してきた。

 首の痕も傷も消え、こってりとした肉料理とチョコレートケーキを嬉しそうに頼む顔は、さっき見た弟を蔑み罵倒する兄の顔とは別人だった。

本来は、この顔が信一郎さんの本当の顔なんだろう。穏やかで優し気な笑みを浮かべた、でも精悍でエリート然とした男の顔。


 あの後、俺と真珠様と寿莉を前に、信一郎さんは聞いてくれと内実を話し始めた。

沙月さんが持って来てくれたお茶を飲みながら一息つくと、彼は話し出した。


 双子の兄弟だった信一郎さんと雄二さん。信一郎さんは跡継ぎとして期待され、模範的な継嗣として学び育った。弟の雄二さんは、形は双子でも性格は正反対で、明るく闊達で自由奔放に育った。それでも二人は仲が良く、親も跡継ぎとしての帝王学以外は二人を差別することなく育てた。

 ただ、問題があるとすれば、弟の兄に対する関わり方だった。思春期になれば、個々の性格の違いから生活態度も違いが出るものと思っていた周りの意に反して、雄二さんはなぜか兄にべったりになった。その兆候は、幼い頃からあったが、さすがにこの年になっても兄優先の考え方に、親も友人たちも苦笑いした。

 当の信一郎さんは 鬱陶しく感じ始めた頃で、弟の執着が異常なのではないかと気になりだしていた。そのため、弟をあからさまに邪険に扱ったり冷淡な態度であしらったりと突き放してみたが、すればするほど追い縋ってくる弟に、最終的には危機感を覚えて家を出た。

 表向きは学業の忙しさやら、就職後は仕事の多忙にかこつけての独立だったが、内情は弟からの異常な干渉を避けるためだった。親が、それならマンションをと勧めて来たのも断り、逃げ道を確保するために持ち物は最小限にして賃貸を選んだ。

 そんな時、弟が結婚することになった。相手は会社の同僚で、子供ができたから責任を取る形での婚姻だった。

 真一郎さんは、それを聞いて安堵したそうだ。妻子ができれば、弟も落ち着くだろうと。だが、今度は人目を避けての干渉が始まっただけだった。

 まるでストーカーかと思うような、常軌を逸した干渉が始まった。信一郎さんのスケジュールがどこからともなく漏れて、プライヴェートな外出先に必ず現れ、部屋にいても盗聴されているのか行動が知れており、最終的には渡したはずのない合鍵で侵入されて襲われかけた。そして引っ越し。そんな攻防を何度も繰り返し、疲れ果てた辺りで親から結婚の話が出始めた。

 彼は迷った。このまま結婚したら、相手に弟が何か危害を加えるんじゃないか?と。そんなことになったら、必死で隠して来た兄弟間の問題が公になる。スキャンダルとしては最低最悪な内容だ。

 疲れ切っていた信一郎さんが選んだ回避方法が、弟の妻に相談してストッパーになってもらうことだった。

 だが、それが最悪な方向へと傾いてしまった。

 義妹の幸恵は、付き合い出した頃から、夫が義兄にある種の執着を持っていることに気づいていた。そのために計画妊娠して夫を義兄から引き離したのに、それもなんの枷にならなかった。結婚したことによって、夫の執着はもっと酷くなった。

 信一郎さんがそれを迷惑と思っているのを知っていたから我慢していたが、その義兄から詳細な被害内容を話され、相談と言う名の忠告と非難に、溜まっていた怒りが爆発した。八つ当たりだと自覚はあったが、頭の隅にあった打算が後押しした。


「貴方さえいなくなれば、あの人はまともになるのよ!」


 義妹コートのベルトが首に巻き付けられ、そう罵られたのを最後に、信一郎さんは息絶えた。抵抗はしたが、彼女の最後の叫びは、彼に甘美な誘いに聞こえたそうだ。

 あの世なら、弟はいない。

 精神的な疲れが、死の誘惑に勝てなかった。

 気づけば、この宿に案内されていた。何故と問えば、美しい宿の亭主が事情を話してくれた。

 現世の誰かが執着して、幽世へ行く道を邪魔している。すぐに誰か気づいた。

だけど、弟のいない宿でのひと時が嬉しかった。どこへ旅をしても現れ、一刻も楽しめたことがなかったから。なにも煩わされずにぼんやり過ごせる時間が、やっと手に入ったと思うと―――だから、先を急ぎたくなかった。

 それがこんなことになるとは!


「己の命を己で断った者は、あんたと同じ処へは逝けない。この先、輪廻の輪にも入れずだ。安心しろ」


 一瞬だけ顔を顰めた信一郎さんに、真珠様は言った。

その言葉に、彼は本心からの安堵を見せた。

 弟の死を蔑み、生まれ変わりを呪う兄。端から見れば、なんて情のない兄だろうと思われるかもしれない。だが、その原因は弟だ。仕方のないこと。


 俺は、最後のデザートを作るために、腕をまくって厨房へと急いだ。


 大人の味わいのチョコレートケーキにするため、リキュールとブランデーを少し足す。チョコもココアもビター。あんずジャムじゃなく、ブランデー漬けのチェリーをチョコムースに入れて塗る。

 別名ザッハトルテ。


 少し大きめに切って、夕食のデザートに付けてもらった。

残ったケーキは俺を抜いた従業員人数で切り分けた。いつもの甘味ガキ四人に加え、なんとお迎え役の綾目さんが待機していた。それを見て、慈雨さんが自分の分を勧める。男前っす!兄貴!後でレモン焼酎で作ってみたゼリーをと耳打ちしたら、そっちの方が嬉しそうだった。

綾目さんは、サイボーグ顔一転、目を細めてちまちま食べてるし。

 

 食事を終え、好きなだけ温泉に入ってもらい、新しい丹前に着替えた前川 真一郎さんを、宿の全員で見送った。

 狗に囲まれ門を出る。

 丹前が地に落ち、ぼうっと青い炎の塊りに変化した。

 

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