2噺 御宿
高級旅館の玄関ってのは、どーしてこーもだだっ広くて居心地悪いのか。
自分の履いてる靴の裏が汚れてないかって焦ったくらい、隅から隅まで掃除が行き届いた高級感あふれる石材敷の玄関。上がり框は艶々あめ色に磨かれた一枚板がどっしりとお出迎え。
「ごめんくださーい…」
気おくれに掠れた声で呼んでみる。
まだ営業時間じゃないのか、薄暗い玄関ホールには誰もいない。
外観は完璧な日本建築の旅館だったが中はどこかしら現代的な内装で、ここが現世じゃないってことを忘れそうだった。
そーっと靴を脱いで框にあがり、中腰姿勢でこれまた黒光りした重厚なカウンターへと近づいて行ってみた。
「ごめんくださーい!誰かいませんk「はーい!ただ今!」
首を伸ばしてカウンター奥へと少しだけボリュームを上げて声をかけてみたら、ガタゴト雑音をBGMに甲高い声が返ってきた。
若い女の子の声になんでかホッとして、姿勢を正して手にした紹介状を確認したり服を直したりしてみる。
「お待たせしましたー。お泊りですかー?ご予約――へ!?」
従業員の控室らしい奥から、槐色の作務衣に宿の名の入った半纏を羽織った妙齢の…うん、はっきり言おう。厚化粧のオバサンが口の端に菓子の屑をつけたまま出てきた。
そんで、俺を見て
「まぁまぁまぁ!なんで生きてるのーーーーー!!」
やっぱりさっきの若々しい声は、オバサンの声だった。俺の純情かえせ!
つか、なんで生きてるって、あんただって同じだろう!
と、返したいが、あまりの阿鼻叫喚ぶりに圧倒されて俺はフリーズしたまま。
「
「だって、生きてるのに――!」
オバサンの悲鳴にもう一人の従業員が顔を出した。今度は俺くらいの年齢の、キンパツ・モッズヘアーの男が、眉間に盛大な縦皺よせてオバサンの指の先にいる俺を見た。顔面あちこちに金属の輪っかやら棒やら盛りだくさんですが…。怖い!
ここで一気に『高級旅館』感は消失した。
「あぁ!?おめぇ―」
「あの!神様の紹介で!」
さすがにこれ以上固まってても話が進まないと思い、決死の覚悟で握りしめて皺くちゃになりつつあった紹介状を差し出した。
「お?神様の?」
「はい!ここで働けるようにと紹介状を…」
肩をいからせて凄んでみせていたヤンキーあんちゃんが、ふっと眉間をほどいて俺の手から紹介状を引ったくった。
書面を開きながらちらちらと俺を見て、こそっとオバサンに「真珠さん呼んで来い!」と耳打ちしていた。オバサンは脱兎のごとく紺染ののれんの奥へと走り去った。
「あーこりゃ…え?パティシエ?なに?パテ?」
紹介状の中身は、やっぱり時代劇に出てくるような巻き物めいた手紙で、男はそれをびら~っと垂らしながら読んでいる。ちらっと見えた内容は、あまりの達筆に俺には読めなかった。すげーよ!君!でもパティシエは判らないか…。
待つこと数分。
急に背筋がざわついた。え?と違和感を覚えた瞬間、両脇から腕が伸びてきてがっと拘束された。見れば、胸の前でしなやかな筋肉の張った腕が交差していた。
「つーかーまーえーたっ!もう逃がさないよ?」
あーなんつーの?…尾てい骨に響く美声っての?ちょい低めのテノールって感じで、そこにわずかな掠れが入ってて、女ならそんな声で耳元で囁かれたらメロメロになるところだろうが、いかんせん俺は男だ。
もーなんなんだよ、ここは。驚くことに疲れてきた。
「あのーすいません。離してもらえませんか?逃げたりしないんでっ!」
宣言と同時に胸に回っていた腕を力一杯押し返し、後ろを振り返った。
うわーーーーーー!!!なんだ、これ!?なんだ、これは!?
心の中で、それはもー全力で叫んだね!驚愕って言葉の意味を、今の俺は十分に実感していた。
目前に迫っている顔。イケメンなんてもんじゃない。ハンサムでも美形でも足りない。―――凄絶な美貌―――。なんだったかの小説の中で読んだ記憶のある表現が、俺の脳裏に渦巻いていた。
人種的には欧州系にアジアが少量ミックスされてるような肌色と容貌で、なのに髪も眉もまつ毛も真っ黒。烏の濡れ羽色ってーの?艶つやのキューティクルキラキラ。なのに、瞳がピスタチオみたいな緑がかった茶。澄んだ白目の切れ長の目の周りを長いまつ毛がばっさばさ。鼻筋はすっと通ってるが、小鼻はきゅっと締まってて嫌味じゃない高さ。
化粧しててこれなら理解できるが、こんな間近で見ても化粧のケの字も見当たらない。30前後くらいの男の肌かと思うくらいに滑らかで血色良く、シミも皺もない。
そんで唇がヤバい!女と比べりゃ大きめだが、口角が左右対称に上がてて、下唇がわずかにポッテリした桜色。で、唇の右下に薄いほくろがぽっつと。
「…ミルクレープ、作れる?」
「はぁ!?」
息を呑んでガン見していた俺は、喉に引っかかった調子外れの返ししかできなかった。一気に全身から力が抜けて、まるで貧血をおこした学生みたいに俺はその場に崩れ落ちた。
***
「―――だ…思う」
優しい誰かの声に促され、俺はゆっくりと意識を取り戻した。
視界はまだぼんやり霞んで誰かわからないが、今度こそ年下の女の子だろう。
頼む!夢ぐらい見させて…って、女の子に寝顔見られてるのも情けないが。
「あ、気がつきました?」
沙月オバサンとは違う若々しい声が、ほっそりとした冷たい指先が額に触れたと同時に耳に届いた。
瞬きをして霞みをのけ、声の持ち主を確かめる。
たぶん女子高生くらいの、すんげー可愛い女の子♪ちょっと目じりが垂れ気味の、優しい顔立ちの娘さんが、心配そうに俺を覗きこんでいた。
「え?あ…ハァ…ダイジョウブ…デス」
超至近距離のぴちぴち女子高生に、俺はまた別の緊張からなぜかカタコト。
洋菓子屋に勤めてんだから女子に免疫あるだろうって?んな訳ねーだろ!早朝から晩まで俺はずーっと厨房勤務だっ。店長の主義で、厨房と店を隔てていたのはがっちり分厚い扉で、開けっ放しなんて商品を運ぶとき以外は厳禁だった…声すら聞こえねぇよ。
「ヒナミン、あんま寝起きの男に近づくんじゃねー。寝ぼけて布団に引きずり込まれンぞぉ?」
彼女の向こうから、ニヤニヤ混じりのヤンキーの
ばっと音がすんじゃねぇかって勢いで、傾げていた上体を起こして立ち上がった。
「そんなことありませんっ。眠ってたんじゃないんですよ!?倒れて気絶したんですからっ!あたし!真珠様に伝えてきます!」
ああああああああヒナミンちゃん!そんな情けない事実を赤裸々に叫ばないでぇ~。否定してくれても、上半身が忠告にしたがってますよぉ~。おにいさん、このまま目を閉じて涙で枕を ―――― あっ!
「あの!すいません!!俺 ――…うひゅ~」
思考回路が回りだした途端、現実が戻ってきた。
ヒナミンちゃんの駆け出していく足音をバックに慌てて体を起こして、ぐらりと目が回って、血の気がさーっと引いてうずくまった。
「うう…」
「あはは~お兄さん、無理すンなって。なんか色々あったンだろーし、ぶっ倒れてもしゃーないって」
「はぁ…でも倒れたなんて、初めてで…」
うーうーと唸って頭を抱えている俺の傍に、ヤンキーあんちゃんが這って来た。
「熱もねぇみたいだし、たぶん緊張と腹が減って貧血おこしたんじゃねぇかってさ」
「あー…そう言えば朝飯に食パン1枚しか食ってねぇ…」
「それだな!あははははっ」
カラッとした明るい笑い声を立てて、ヤンキーあんちゃんは俺の丸まった背中を1つ叩いた。痛ぇっつーの!俺は今、HPゼロなのよ~。
「ジュリアンさーん、お夕食の用意できましたから、茅野さんを案内して来てくださいって~」
雪見障子が少し開いて、ヒナミンがニヤッと悪い顔をしながら覗きこんで来た。
それにヤンキーあんちゃんが血相を変えてわたわたし出した。
ジュリアン???
「やめろ!その名で呼ぶンじゃねぇ!」
「さっきのお返しでーす。じゃ、食堂で」
顔面真っ赤にしていきり立ったジュリアン君?の報復を避けて、またヒナミンちゃんが走り去った。
残された男二人。俺はあんぐりと口を開けて呆け、彼は首筋まで真っ赤になって。
「ジュリアン…くん?」
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