3噺 ヒナミンの例のアレ

 俺はいま、うつうつグダグダと悩んでいた。

 

 歓迎会の翌日、朝食で顔を合わせたヒナミンこと雛巳さんは、『昨夜の惨事なんか全然覚えていません』っつー態度で俺に朝の挨拶をしてきた。

槐色の作務衣に紺染めの前掛けをして、セミボブの前髪をピンクのクリップで上げて、スッピンのちょっとはにかんだ可愛い笑顔でだ。

雛巳さんが現れるまで、どんな顔して会えばいいのかと、悩み続けていた俺の気苦労を誰か労わってくれ。

 覚えてないのか、素知らぬ振りなのか…どっちにしても直に尋ねるつもりはないが、どっちなのかを知っておかないと今後の俺の為にならないんじゃないかと。


「ヒナミンのあれはなぁ――病気!」

「え?アル中かなんか??」

「ちっげーよっ。あっ、でもそーゆーことになんのかなぁ…」


数日考えたが結論がでなかったので、一番話しやすい寿莉にこっそり訊いてみた。

でも、全く要領を得ない。ジュリアンだしなー、分かってた。

キンパツの長いクルクル巻き毛を無造作にがしがし掻いて、唸ってる。

頑張って少ないボキャブラリーを駆使して、俺に理解できるよう努力してくれたが、結局は通りかかった沙月さんを見つけてすがるような目で手招きし出した。


「あんたたちぃ、お風呂上りに男二人でなぁにしてんの~?やぁね~」

「ちょちょちょ、沙月さん、説明してやってくれ!」

「え?え?なに?」


 現在、俺たちは温泉上がりで缶ビール片手に、従業員離れの入口横に置いてある縁台で涼みながら密談している最中。玄関灯の灯りが丁度いい具合。

それにしても、『やぁね~』ってなにが?

寿莉の高速手招きに応じて、沙月さんまで腰と声を落として忍び足で寄って来た。


「英ちゃんがさっ、宴会ン時のヒナミンの、寝て起きたら忘れてンのかどーかって……って病気だよな?」


 沙月さんは、すごーく自然な動きで寿莉の手から缶ビールをさらうと、ぐびっと仰のいて一口。寿莉は缶ビールが消えたことに気づいてない様子で、手を宙に浮かせたまま沙月さんの反応を待っている。


ね、結論を先に言っちゃうとぉ、覚えてないのよぉ。全然まったく微塵も」

「じゃ、宴会中の記憶って?」

「雛巳ちゃん自身は、お酒を美味しくいただいてたら酔っちゃってぇ寝落ちしちゃったと思ってるのよぉ」

「…今まで、誰も言わなかったんですか?」


 俺の突っ込みに、沙月さんがビールを一気しながら笑いを滲ませた目で寿莉を見た。その視線を受けて、急に寿莉の表情が仁王様になる。


「…英ちゃんが来るまで、被害者はずーっと俺だけだったンだよっ!んで、そのたんびに注意したさ!でも、俺が揶揄からかって嘘言ってると思い込んでて信じねーでやんのっ。あの似非ロリ!」

 

思い出したのか、眉間に深い皺をよせて憤慨している寿莉の浮いていた手に、またもやさりげなーく空き缶を返し、自分より上にある寿莉の頭をポンポンと叩いた。


「良かったねぇ、仲間ができてぇ」

「やめてくださいよっ」「俺は脱会するンだっ」

「うはは~。でね、アレはね、一種の病気みたいなものなの」

「みたいな?」


 出た!『病気』。

俺はわずかに身を乗り出して、沙月さんの言葉を拾おうとした。


「あのの中にね、オジサンの霊体が入ってるのよぉ。」

「へぇ!?」


 おいおい、オヤジご降臨とかなんとか内心で揶揄やゆしてたけど、揶揄じゃなくて事実だってのか?あの小柄で小顔で、そのくせ胸はばいんばいんな高校一年生♪(二十歳過ぎてるけど)みたいな雛巳さんの中に!?


「あの娘が生きてる時にね、近くで自殺したオジサンの魂を死魂迎しにがみえが取り逃がしちゃって、逃げた先があの娘の中。その衝撃で雛巳ちゃんは川へ落ちちゃってぇ、慌てて神様がこっちに連れて来たんだけどオジサンが出てこなくてね~」

「落ちちゃってって…助かったってか生きてたんですか?」

「それがねぇ、オジサンが雛巳ちゃんの魂にしがみついちゃてて判断つかないらしいのよぅ」

「道っぺたのガムかよ…クククッ」


 オジサンに絡みつかれてる、似非ロリ…なんか…エrげふんげふん。

憤りからくる恨みに、寿莉はあくどい含み笑いで妄想している模様。

しっかし、また死魂迎しにがみえの不手際かよっ。


「で、お酒で雛巳ちゃんが人事不省になるとオジサンが表面化して。それで、そのオジサンが私のぉダ・ン・ナ♡うはははっ」

「「ええっ!?」」


沙月さんの最後の告白の衝撃に、俺たちは思わず大声で叫んでしまっていた。

ダンナって…。寿莉も知らなかったのかよ!?


 その時、がさりと椿の枝を分け、本館の前庭から黒い長身の影が現れた。

影に似合いの冷淡で刃物めいた低い声が響く。


「こちらにおいででしたか」

「あらっ」


 黒いスーツに身を包んだ、見知らぬ若い男が声をかけて来た。

途端に、寿莉と沙月さんはがらりと表情を変え、まるで俺を隠すように立ち上がって、男へと近づいて行った。

寿莉は空き缶を握り潰しながら小さな舌打ちをもらすと、アルミの塊りを俺の手に落とし込んだ。

 なんだか、どこからか不安な気持ちが湧き上がってきた。


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