2噺 準備中の札 其の二
俺は今、浮かれまくっている。
あれもこれも、この厨房内の物全部が俺だけのために
神様がどーやって運び出したのか知りようもないが、家財が詰まった箱をひっくり返して、その中にあった俺の道具と書き溜めたレシピノートの束と家族のアルバムを見つけた時、思わず胸に抱いて号泣した。
ひとしきり泣いて、道具とノートを厨房へと持ち込んだ。
コックコートは嫌いなんで、うぐいす色の長袖作務衣(袖口は安心のゴム入り)に紺染めミドル丈のパティシエエプロンを制服にした。
ノートを開いて、簡単な物を作り始める。
コンロの調節具合、デッキオーブンの火の回りやスチームの具合の確認など、新品の器機は本番までに癖を知るために何度か使って試作してみることが大切だ。同じく器具も、使い勝手や癖や揃えを確認して、自分の道具を使うか用意されてる物を使うか確かめる。
そこは、板前の包丁なんかと同じだ。
クリームひとつ作るのだって、泡だて器やハンドミキサーの具合ひとつで決まる。
材料の分量は、菓子作りは科学反応と言われるくらいきっちり決まった基本があるが、その反応を出すには、パティシエと器具の相性も関係ある。
パレットナイフやドレッジ・コーム、絞り口やのし台にのし棒…細かい作業器具がいっぱいだ。
「…イイ匂いがするぅ~~~」
キンパツ鬼の奇声が、食堂に面した入口の隙間から聞こえた。
オーブンから目を向けると、隙間に二つの顔が縦に並んでいた。
「ジュリアンはともかく沙月さんまで…」
「おい!ジュリアンはやめろっ」
「
「は~い」
よいこのおへんじで、二人は静かにフェードアウトした。
ジュリアンこと寿莉は《鬼》なのだそうだ。
以前は、人間として生きて死んだ者だったそうだが、途中から《鬼》になった。
《鬼》ってなんだ?あの昔話に出てくる角のはえた奴か?と訊いたが、寿莉はニヤッと悪い顔で微笑んで「そのうち話してやる」とだけ言って話題を変えた。
あの様子だと、知らずに成った訳じゃなく、自覚あってのことみたいだ。
あの
角の代わりにたくさんの金属の
天板いっぱいの、四角いシフォン生地をオーブンから取り出して、焼き具合を見る。表面の色や感触、万遍なく竹ぐしを刺してみて焼き加減やムラがないかを。
OKなら生地は網にあげて冷ますために放置。シロップ煮にした果実を小さく切って、冷蔵庫で冷やしたクリームに混ぜて、冷めた生地にあんずのリキュール入りのシロップを塗ってクリームどっさりくるっと一巻き。ラップに包んで冷蔵庫へ。
返して、冷凍庫からバニラと抹茶のアイスクリーム。それを人数分のデザートグラスにセッティング。
頭の隅で鐘が鳴った。
急いでロールケーキをトレーに出すと、慎重に切り分ける。端切れも。
「できたぞー。運んでくれー」
「おう!俺様が直々に運んでしんぜよう!」
引き戸を開け放ち、食堂にいるだろう寿莉に声をかけたつもりが、総大将が仁王立ちしてました!相変わらず、ド派手な柄の着流しを着崩して、今日は扇子の代わりに銀のフォークを持っていた。
マイ・フォークっすか?
出しかけたロールケーキのトレーを引っ込めて、真珠様には全員分のアイスの乗ったトレーを渡し、先に焼いた様々なクッキー入りの籠とロールケーキは俺が持って食堂へ移動した。
客のいない日は、全員でお茶をする。
「「おおおおおおお!」」
「「きゃーっ!生クリームがっっ」」
「まだ試運転中なんで、今日はシフォン・ロールとアイスを。ロールは端が余ってますんで、欲しい人が食べて」
いい年した餓鬼が四人おる。
俺の説明など聞いちゃいない餓鬼四人は、歓声を上げて我先にと自分の分を皿に盛りだした。
溜息をついて、呆れ顔を番頭さんに向けると初めて苦笑らしいものを浮かべた。
「今日はコーヒーを点ててみました。いつもはインスタントですが、今日はドリップですよー」
「いつもはどうしてたんすか?お茶の時間は」
番頭さんと慈雨さんにケーキとアイスをサーブし、コーヒーを受け取りながら尋ねてみた。
「各自で休憩だな。お茶もコーヒーもあるんで、好きな物を。菓子は市販の煎餅か駄菓子だな」
「ここは不思議なとこでねー、日持ちのする市販のお菓子は業者から買えるんだよ。なのにお煎餅はあってもクッキーはないんだよねー…美味しいねー」
「あ、あざーっす!」
福笑顔が、クリームを頬張ってとろけている。その横で抹茶アイスを食べながら、珍しく笑顔の慈雨さん。うわー和風イケメンの笑顔って爽やか過ぎだ。
それよりも、ずっと謎の『業者』。どんな人?か乞うご期待。
さて、お餓鬼様四人はってーと、ロールの両端を掛けてマジ顔でジャンケンしていた。どんな勝負なんだと勘違いしそーな真剣さ。
それに加えて、俺の分のアイスグラスが消えていて、空のグラスが真珠様の前に…。別にいいけどね。さんざん味見したし。
勝者は女性陣で、これまたとろけた顔で端をフォークに刺して、少しづつ味わっている。負け餓鬼二人は、揃って卓に突っ伏していた。手だけは、クッキー籠に突っ込まれているがね。
「そちらの皆様、お口に合いましたでしょうか…?」
口の端をクリーム塗れにしてまだ頬張っていた二人は、同時に力強くサムズアップ。
その向かいで、卓に生首状態でクッキーをかじっている二人は、ぎろっと目線だけをよこして不貞腐れ顔。でも空いた手だけは、やっぱりサムズアップだった。
今度は、もう少し多めに作ってやろう!うん!
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