神域~しんいき~
1噺 準備中の札 其の一
あの歓迎会と銘打たれた大宴会から、五日が過ぎた。
あれは、俺を歓迎したんじゃなく『スイーツ』様を歓迎しての宴会だった。
最初はもう目の前の料理に舌鼓を打つのに忙しく、一口一口が幸福の極みで最高の瞬間だった。そこから挨拶がてら酌してされて、俺もいける方なんで…いや、この際だ。はっきり言おう。俺以外の人たちから見たら俺なんて『ちょい飲める』程度だ。
幸福の極みは、時間の経過とともに、最凶最悪の不幸のどん底に移って行った。
こんな所に来てまで、凶儀『俺の酒が飲めぇってのか!?』を発動されるとは思わなかったし、その凶儀の使い手が――――ヒナミンだってことが俺を奈落へと突き落した。
あんな顔して二十歳過ぎだって、こっそりジュリアンから聞いた時は、すでに彼女にアル・ハラおやじがご降臨なさっていた。あの細く小さい手が俺の胸倉を掴みあげ、ドスの効いたべらんめぇで脅され…。後ろで扇子を振り々、涼しい顔で囃し立てていた真珠さんとジュリアンをぼんやり覚えている。倒れた俺を介抱してくれていたヒナミンは何処へ。俺の妄想?どっちが!?
ちなみに、ジュリアン=田中は19だそうだ。いいのか、飲酒。あ、ここは法律皆無かぁ。
どの辺りでオチたのか…気がついたら、またもや自室の布団の上だった。
たった数時間の間に、貧血で倒れ、酒で意識を飛ばして布団に舞い戻りだ。
この布団は、セーブポイントかっ。
はぁ。
まあ、あれは早急に忘却するとして、この五日間の俺は準備中の札を下げた状況だった。
歓迎会の翌日、どんなに酒が残っていようとも早起きが習慣になって体に染みついているせいで早朝目覚めた。本館へ行くと番頭の木ノ内さんと慈雨さん(中埜さんと呼んだら、慈雨でいいと)に会い、朝の挨拶を交わしてお茶。
そして番頭さんから、これからの俺のスケジュールを説明された。
新人教育は、真珠様から番頭さんに采配は任されているそうで、初日の午前中は朝食を取ったら温泉はいって一休み。昨夜の疲れ解消と気持ちのリセットに、と。午後から、番頭さんにここの決まり事の説明や施設と敷地内の案内。2日目は、俺の仕事場の確認と慈雨さんからの業者・仕入れレクチャー。3日目以降は、試運転&試作開始となった。
この旅館の正式名称は、”縁切り
死の際に心残りや未練が残って成仏できない魂の―――とかではなく、生きている方からの干渉によって迷子になった魂を救済する宿なんだと。
地縛霊や怨霊ってのは、死者側の問題で魂のまま現世で迷ってしまっている状況で、それはこちらの管轄じゃない。反対に、生きてる側の心残りや未練によって、心安らかに幽世へ向かっている死者の魂が引きずられ迷ってしまう場合ある。その時は、速やかに捜索して保護するのがここの役目なのだ。
「捜索って、みんなでするんすか?」
「いや、それ専門の人がいるんだ。来た時にでも紹介するから」
館内の案内をしながら、番頭さんが説明をしてくれる。
保護し、迷った原因 ――『縁』を死者の納得の上で切ってあげる。そして、幽世へ送る。
宿泊は、三組限定。本館に一室。離れが二棟。部屋を決めるのは客ではなく、亭主の真珠さん。死者の事情で、提供する部屋が決まるんだとか。従業員たちは、客の心が決まるまで心づくしの接待をする。だからかーと納得する。こんな大きな旅館なのに従業員が少ないのは。
そして、次は従業員側の一日のスケジュール。
ここには時計ってもんはない。だから時間なんつー概念もない。外が明るくなったり暗くなったりするのを1日と仮定しているだけ。で、それを四つに分けた境目に鐘が鳴る。どこで誰が鳴らしているのか分らないが、どこにいても眠っていても聞こえる鐘の音。聞いた覚えのない音がするんで疑問に思っていたら、従業員として採用された瞬間から聞こえるのだそうだ。それを目安に皆は働いている。
太陽も星もない。ここは―――神域―――。
「
俺の肩くらいの小柄で小太り、丸顔でいつも糸目の優しい笑顔の番頭さんは、俺を見上げてほんわりした声で忠告してくれた。
なんだか、ありがたい。罰当たりかもしれないが、あの神様より番頭さんの方が神様に見える。
「あの…生きているってのは俺だけなんすか?」
「あーそれは、各々に訊いて?皆ここに居るだけの事情があることだから。…ちなみに、僕は生きてます。事故死する直前に、先代女将の強引な勧誘で連れてこられました。ここに来て三十年です」
なんだか怖い事情なのに、番頭さんは一層にっこり笑った。
そんで、聞き捨てならんことを耳にしたぞ。
「え?女将さん、いらっしゃるんですか?」
「ええ、先代様はまだご存命でいらっしゃいますよ。ただ、当代は女将不在で、亭主の真珠様が代行なさっています。先代様は旅行中で、お帰りになったらお会いできます」
あー…先代ってことは、隠居の身ってことで。当代が真珠さんなら、彼の母か祖母…。ん~~~惜しい!内心でがっくり。
さて、俺の仕事場だが、なんと俺専用のキッチンが用意されていた。
あ、『洋菓子職人専用』ね。まぁ、今は俺だけなんだが。
板前の慈雨さんに厨房の中を見せてもらった時、てっきり俺もその隅っこで仕事をすることになるんだと思っていた。しかし、慈雨さんの手招きで厨房から食材保管室へ入り、向かいの壁にあるドアを抜けて行った先に、真新しい厨房があった。
菓子を作る上で必要な器具や器機が全て新品で揃っていて、俺は夢中であちこち点検して歩いた。
「ここが英の仕事場だ。必要な物はすべて揃ってるはずだが、使い勝手やこだわりもあるだろう…欲しい物があったら遠慮なく番頭に言え。待望の洋菓子職人だ。」
「いいんですか…?俺がひとりでこんな立派な…」
「馬鹿言うな。俺と英じゃ分野が違うだろう。俺は俺の城に場違いな香りや匂いを入れたくねぇし、お前さんだって出汁の匂いのする菓子なんか作りたくねぇだろうが?」
四十前半くらいの、短髪に一重のきりっとした男前の慈雨さん。俺と同じくらいの身長だが、俺の1・5倍くらいのがっしり逞しい体格で、これぞ日本食の職人って感じの人だ。白衣の七分袖から伸びた腕なんて、動かすたびに筋肉がよりっと盛り上がる。ちょっと妬ましい。
一見無口な人だが、受け答えはきっぱり遠慮なしの物言いだが、嫌味がなくて清々しく聞こえる。
だから、ちょっと疑問に思っていた事を尋ねてみた。
「待望のって言いますけど、慈雨さんならちょっとしたお菓子くらい作れるんじゃないんすか?アイスとかパンケーキとか…」
「たぶん他の職人なら作れるんだろうが、俺には無理だ。」
「全く駄目なんで…?」
「ああ、俺は先代料理長だった人から受け継いだ技と料理しかできねぇ。…俺は死人なんだよ」
苦く…寂し気な笑みを浮かべた慈雨さんは、俺にひとつ頷いてみせた。
「死人の俺には、生前の俺が覚えてたことしかできねぇんだ。ただ、俺の持つ知識に関連する事なら教えてもらえりゃ覚えられた。日本料理の板前だったから、先代料理長にみっちりしごかれて後を継いだ。だから、菓子は専門外だ。甘いものと言えば、大学イモか甘露煮ぐれぇかなぁ…」
なんだか胸が詰まった。
死人ってことは、目の前にいる慈雨さんが、そのまま死んだ時の慈雨さんなんだ。
男盛りの年齢の板前だった慈雨さん。もう一人前として店を任されたり持ったりする時期だったんじゃないだろうか。死んでもこの腕前だ。
だからか?未練が残って、ここに居るのか?
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