4噺 黒衣の狗ーいぬー
「英、番頭の勝さんに『
先に黒服の男と話している沙月さんに向かいかけた寿莉が、少し腰を落として俺に耳打ちしてきた。俺はひとつ頷いて、足早にその場を後にした。
裏口からまっすぐ控室へ向かい、帳簿整理をしていたらしい番頭さんを見つけた。
「番頭さん、あのー寿莉から伝言で『狗が来たんで、真珠様を呼んでほしい』と…」
「あ、はい。では―――」
番頭さんも、俺の一言で表情に緊張が走る。手早く帳簿をしまうと、機敏な動きで俺のいる廊下へと出てきた。向かいの食堂を突っ切り、食堂と菓子厨房との間にある細い通路を左に曲がった。
「狗とは、先日お話した捜索専門の人たちのことだよ。後で、紹介されると思うから」
「あの、俺はどうしたら…」
「正面門の前で待機していて。あ、風邪引かないように暖かくしてきてね」
いつもと違って口早に話す番頭さんに戸惑いなら、それでも俺を気遣う優しさに足を止めて見送った。
風邪なんか、引くわけないのに。
***
自室で着替えて宿名の入った半纏を羽織ると、雪駄に履き替えて前庭を回り正面へ。不思議なことに、俺を含め、皆が暗闇の中でも目が使える。暗視カメラの画像よりももっとはっきりした視界。
ただし、モノトーンの世界だ。物体は黒く遠近感は黒の濃淡で判断できる。で、なぜか白い部分は白く見える。例えば、白いシャツの人物がいたとすると、シャツと白目だけが白抜き。だから、壁にぴったり人が張り付いていたとしても、後ろ向きじゃないかぎりは気づく。まぁ、いるとは知らないで目にしたら、心臓に悪いけどね。
玉砂利が敷き詰められたアプローチは、中央に門から玄関まで大小様々な飛び石が敷かれている。それを渡って門へと近づいていくと、四脚門には初めて見る大提灯が二つ煌々と灯っていた。
「遅くなりました…」
門の前には、真珠様を中心に番頭さんと、雛巳さん、沙月さんが並んで門の外を見つめて立っていた。
「悪いね、こんな時間に」
「いいえ…」
番頭さんの気遣いに返しながらも、俺の目は灯りに照らされて一層凄みを帯びた美貌に縫い止められていた。
いつもの残念なイケメンが、今は本当に『この世のものとは思えない美貌』の麗人に変わっていた。濡れ濡れと艶やかな黒い長髪に縁どられた白い容貌が、じっと門の外を睨んでいる。幽玄…いや、幽艶とでも言うのか。
ぴんと張りつめた空気の中、門の外から提灯の灯りの輪にぬぅっと黒くしなやかな四つ足の獣が入って来た。
「見つかりんしたえ」
「ご苦労」
続いて、カシカシと石畳を叩く複数の音が近づいてきて、門前でぴたりと止まった。
「お連れしました。迷い過ぎて大変お疲れのご様子です」
「承知した」
黒々とした犬たちが並んで座っていた。その後ろから、先ほどの男の声がした。
と、男と犬の間に、ぼんやりとした明るさの炎が現れた。
ああ、あれは人魂―――。なるほど、死者は神域ではああなるのか。
だから、俺は驚かれたんだな。
緊張に血の気が下がって、鈍くなった頭で考える。
真珠様の答えに呼応して黒い犬たちが立ち上がり、人魂を囲いながら門を入って来た。すると、人魂は生前の姿に変わり、先に入って来たはずの犬たちは黒い煙になって消えた。
ぐらりと女客が崩れかけた。それを後ろの男が支えて助け、沙月さんと雛巳さんに預けた。中居二人は何も言わずに女に寄り添い、黒い獣を先頭に宿へと歩いて行った。
「見つけた時には儚くなってまして…」
「ありゃあ、死んだ時からだ。気にするな」
三人を見送りながら話し込み始めた真珠様と男の側に、番頭さんが俺の腰を押しながら近づいて声をかけた。
「真珠様、よろしいですか?」
「おお、そーだった。
「パティシエって…それじゃ紹介になっておりませんよ。改めまして、綾目と申します。狗を使役して神域の巡回警備と捜索を担っております」
あんまりな紹介に綾目さんは真珠様に苦笑を返し、俺に顔を戻すと真顔で折り目正しい自己紹介をした。
これまたイケメンだよ!狗使いだってさ!カッコいい~…なんか凹む。
「初めまして。茅野 英です。よろしくお願いします」
「すでに味は保証済みだ。休みの日にでも食いに来い!」
「それは…楽しみです」
真珠様の勝手な誘いに、綾目さんの口元に笑みが浮かぶ。
あのー、さっきの緊張感は何処へ?
無表情でサイボーグ・リーマンみたいだった綾目さんは?お仕事用の顔っすか?
しっかし、ここの若い衆は、大将を筆頭に甘い物好きすぎ。はしゃぎすぎ!
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