縁切り~えんきり~ 糸

1噺 ジョロウグモ 其の一


 女客の名は、江本 玲香。

三十過ぎのほっそりした人で、死者相手になんだけど、本当に生気が抜けてるって雰囲気の人だった。なんかさー、水気が抜けてくたっとした野菜…。真珠様の見立てじゃ、生前からあんな感じだったらしい。


 彼女は、一番奥の離れに泊まり、担当は雛巳さん。

宿に入ってから一言も口を開かず、眠らず。それどころか、何もせず反応もなしとか。

雛巳さんがお茶を入れても、まるで見えてないのか茫洋と座り込んでるだけ。

 こうなると悩むのが、食事担当の慈雨さん。

好みが判らず献立を考えられないし、それ以前に食べてくれるのかも怪しくて。

俺も食後のデザート係なんで、一緒に控室で番頭さんと三人で悩む。


「こんな場合は、どーしてたんですか?」


 訳あり客をもてなすための宿だってのが、前提のだ。あんな状態の客は珍しくないんじゃないか?と思って訊いてみた。


「茫然自失のお客様は、珍しくないんだけどね…あそこまで無反応な方はねぇ」

「…真珠様に、指示を仰ぐしかねぇか…」


慈雨さんは眉間にしわを寄せたまま、ぱんっと威勢よく膝を叩くと立ち上がって出て行った。慌てて俺も立ち上がるが、番頭さんに止められた。


「板長が訊いて来てくれるから、戻るまで待とう」

「あ、はい…」


 再び座布団に腰を下ろす。でも、顔だけは裏への出入口へ。

少しして、ロビーから小走りの足音が近づいてきた。

暖簾を分けて駆け込んで来たのは、息を切らし血相を変えた雛巳さんだった。


「勝さん、お客様がっ!」

「どうしました!?」

「人形みたいに動かなくなったかと思ったら、口から何か吐き出し始めてっ」


 なにそれ、こわい!!

雛巳さんの報告に、俺たちは一斉に立ち上がった。


「今、沙月さんがついてるんですけど、どうしたらい…か……」

「え?」


 顔を強張らせて喋っていた雛巳さんの呂律が突然おかしくなり、そのまますとんと座り込んだ。俺は棒立ちで、視線は雛巳さんを追ってたが頭は大混乱中だった。

しかし、番頭さんは意外にも冷静に雛巳さんの様子を伺ってから、横にしゃがむと肩を揺すって声をかけた。


「ケンジさん、こんな時に出てくると困りますよ?」


 苦笑混じりに番頭さんが言うと、雛巳さんの頭ががくっと上がった。

気絶でもしたのかと焦ったが、目は開いて…あれ?雛巳さんじゃない…この顔!


「あのオンナぁ…野郎喰いのジョロウグモだぜぇ…ひひひひっ。尻からじゃねぇ口から糸吐いてるなんてよぉー。喰われんなよ?ニイチャン…ひっひひ」


 雛巳さんの可愛い顔が醜く歪んで、全く人相が変わっていた。顔だけどこかのジジィと取っかえたんじゃないかと思うほど、様変わりしているのには驚いた。

リップを引いてるピンク色の唇が左右にズレて、ドスの効いたしゃがれ声が俺に向かって忠告する。

ケンジさんって、沙月さんの旦那の名前?

ジョロウグモ!?クモって!?


「ケンジさん、何か知ってるんですか?」


 番頭さんが真剣な顔で尋ね返すと、俺に向けられていた顔が番頭さんに向いた。

にやけ笑いを貼り付けた顔が、ぐっと番頭さんに伸びる。

チンピラがいちゃもんをつける時みたいな、人を小馬鹿にしてる態度だ。


「勝…ありゃーなー、男を釣ってんだよ。この世めいどまで来てな…。ここの客じゃねぇよ。あーあー…あんな糞オンナぁ連れてきちまってぇ――」

「しかし、綾目さんが――」

「アレも釣られやがったんだぁ…どの狗もオスだしなぁ…くひひひっ」


 番頭さんが、いきなり雛巳さんの背中を思い切り叩いた。

雛巳さんの表情が戻り、ゆっくりと横に倒れた。もう目も口は開かない。

横たわった雛巳さんの頭に座布団を枕にして押し込んだ番頭さんは、厳しい顔で俺を見上げた。


「私も真珠様の所へ行ってきます。英君は雛巳ちゃんを見てて下さい。…彼女が目を覚ましても、君だけは離れへ行かないように…」


 それだけ言うと、今度こそ控室を出て行った。

俺は横になってる雛巳さんの側にくたくたと腰を落とし、何が何やらな混迷の中で、疎外感を覚えて悄然としているだけだった。



                ***


 慈雨さんが控室に戻って来たのは、番頭さんが出て行ってから半時ほどたってからだった。

 雛巳さんはまだ意識が戻らず、凹んでいたのはわずかの間で、すぐに心もとない気分に焦りだした。だから、慈雨さんが戻って来た時は、ものすごく安堵した。ナサケナイ。

慈雨さんの話じゃ、番頭さんが駆け込んで来てすぐに真珠様と離れへ走ったとのことで、反対に俺の方がさっきの一部始終を問われた。

なるべく一字一句思い出しながら、ケンジが話した内容を聞かせた。


「あの、ジョロウグモって」

「ん?あのデカくて黄色と黒い縞の蜘蛛だ。見たことねぇか?」

「いいえ、無いっす」

「そうか…デカいメスのヤツ全般にあるんだがな、ジョロウグモって言うと交尾の時にメスがオスを食っちまうってな話は有名だ。それに妖し噺あやかしばなしに『絡む新婦』と書いてジョロウグモと呼ばれる妖しあやかがいてな、そいつがイイ女に化けて男を誑かして食っちまうってぇヤツでな…」


 なんとも薄気味悪く残酷でエロ臭い話に、慈雨さんがいくぶん複雑な顔で俺に語って聞かせてくれた。なるほどなぁと感心しつつも、ふと考える。

なら、ケンジの言った『ジョロウグモ』ってのは、その妖怪のことか?と問うと。


「いや、ありゃあ揶揄だろう。男をとっかえひっかえして金や色々吸えるだけ吸っててな女を、よくジョロウグモと揶揄するからな。まぁ、隠語みてぇなもんだ」

「あの女の人が?」


 昨夜見た印象が強かったせいか、そんな悪女みたいなパワフルさが信じられず、唖然とする。

それを見て、慈雨さんが笑った。


「ああいう風情だから男が寄ってくるんだろうさ。若いねぇ、英は」


 ああ、なるほどね!勉強になります!はい!

つか、勉強になっても、ここで実地は無理っす!探すどころか、真っ当な女の子がいませーん!

ココ ノ オナゴ ハ コワイ!


 

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