2噺 ジョロウグモ 其の二
日が暮れた。
太陽は無いけど、外は薄暗くなってきた。
俺と慈雨さんと雛巳さんの三人は、雛巳さんが目を覚ました後で食堂へと場所を移した。
待てど暮らせど誰も離れから戻って来ないし、結局のところ俺や慈雨さんは中居じゃないから直接なにかすることもない。その中居の雛巳さんは、ケンジが出てきたせいで虚脱状態で動けなくなって仕事は一時休止。
本人は、客の奇行?に遭遇したショックで気絶したんだと思い込んでるらしく、俺に介抱された情けなさに座卓の下で悶えている。それでも、番頭さんにギリギリ報告できたことは最後の心の拠り所だったのか、自画自賛しては気絶した事実を思い出して悔しがってをくり返している。
さて、食事に関してだが、状況が状況だから客への提供は中止っつーことで、ただ今から厨房組は、従業員飯と甘い物作りに移行。
横になってうーうー唸っている雛巳さんを尻目に、俺は厨房へ行きかけて思い出す。
あれ??
「なぁ、寿莉を見てないんだけど…」
「ジュリアンは、真珠様の御用でお出かけ中ですよ~」
「お出かけって、どこによ」
旅館しかないこんな所で、お出かけする場所があるのか?
「どこって、現世へです~。ジュリアンは真珠様の下僕なんですよ~。なんたって鬼ですから~」
わざと語尾を伸ばしながらふ抜けた声で、雛巳さんが何でもないことみたいに話す。俺は片足を廊下に出したままフリーズした。
「……鬼って、現世へ戻れるのか?」
「御用に必要ならね~」
雛巳さんの口ぶりから寿莉が鬼なのは周知の事実らしいが、それだけに「いずれ話す」と誤魔化されたことを思い出して、なんだかもやもやした。
ああ、また疎外感を覚えて……でも、まだ一月も過ごしてないんだし~?と自分を慰めてみる。
冷蔵庫からトレーを二つ取り出す。
一つは、直径30cmはあるクレープを何枚も重ねたトレー。もう一つは、一番大きい型で焼いたタルト台にアーモンド風味のブラマンジェを敷いて冷やしたもの。
それを氷冷台に置き、上からリキュールミストを吹きかけ放置。次に、空の大ボウルに生クリームと粉砂糖少量を入れ、俺は作務衣の袖を腕まくりした。
氷冷台の横にあるツマミを引くと、ステンの板がスライドして出てくる。すると、板が引き抜かれた台の端には樹脂製の滑り止めに囲まれた丸い穴が出現。中は氷水。そこにボウルを設置し、泡だて器片手にいざ心頭滅却作業開始。
ハンドミキサーもあるが、こんな気分の時は一心不乱に手を動かすに限る。
「英君、それ、腕痛くならないんですか?」
扉を少し開けて、腹這いで雛巳さんが覗きこんでいた。体調不良だし、だらしないのはこの際目を瞑る。ふくよかな丸みの上に顔が乗ってるのも、目をそらす。
「修行の成果です」
「お腹へったねー」
「慈雨さんに言え」
「言ったら、コレ貰った」
にょきっと隙間からサツマイモの天ぷらを摘まんだ手が出て、雛巳さんの口にそれを運ぶ。
「俺はなにもあげませんからねっ。デザートは食後です!」
「ケチ!」
扉がガンっと盛大な音を立てて閉まった。
そして、また直ぐに開かれた。
「ケチで結構!」
「おんや?英ちゃんは、ケチでありんすか?それなら、ケチと呼びんしょ」
「え?ああああ、
雛巳さんだと思って言い返したが、顔を出したのは真っ黒な大猫の飛女だった。
慌てて首を横に振る。
猫の目が細くなって、ニッと笑う。
「皆さま、戻りやんしたよ」
「……分かりました。切りのいいとこまでやったら、そっちへ行きます」
「あいな」
すぐに行きたいのは山々だけど、作業中で手を離せない。
なにしろ今は、ミルクレープ作成中。クレープとクレープの間にクリームを塗って層を作るっつー山場だ。こんなことろで手を止めたら、せっかくのクリームが駄目になる。
急ピッチで作業を進め、完成品を冷蔵庫に戻して食堂へ。
「お疲れさま」
「そちら様もお疲れ様です!」
いつでも姿勢よく正座をして座る番頭さんが、珍しく足を崩して座り込んでいた。座卓の縁に腕を置いて、ぐったりしてる。その横で、恥も外聞も投げ捨てた沙月さんが、大の字で寝転がっていた。で、雛巳さんはまた眠っていた。
「あれ?真珠様は?それと…飛女さんが居んじゃ…」
「滅茶苦茶に汚れたからぁ、真珠様と寿莉はぁお風呂よ。飛女ちゃんは、あそこ~ぉ」
大の字のまま、沙月さんが慈雨さんの厨房を指さす。
配膳カウンターに頬杖をついて厨房内を眺めている、豪奢な衣装と飾りの花魁がいた!!
だれ!?飛女さんだって!?
滅茶苦茶汚れたって…いったい何が?
「慈雨ぅ、お腹がすきんした 。早くしてくんなまし~」
「飛女はもう旨いもん食ってきたんじゃねぇのか?」
「旨い訳ありんすか!あんなもん!」
「あの~ぉ、飛女さん?」
後ろから恐る恐る声をかけると、花魁はぐにゃりと歪んであっという間にデカい黒猫に戻った。
昔見たリバイバル・アニメに、確かこんなヤツいたよなぁと、遠い目をしてみる。あっちは男の声で黒豹だったけど。
しかし、なんで戻るんだ!
「えぇ~!?そんなぁ…」
「アチキの艶姿は、惚れた男にしか見せんせん」
「惚れた男って…惚れてんのは、俺の料理だろう?ほら、もってけ」
トントンとカウンターに出来立ての料理が、次々と並ぶ。
飛女が器用に両手に一皿づつ持って、二本足で座卓へと運び出す。俺もすぐに手伝って、あっという間に卓上は満杯になった。今夜は、揚げ物メインの蒸し物に煮物のサブ。茶碗蒸しらしい蓋つき容器が、よく見る物よりちょっと大きいのが嬉しい。
「飛女、真珠様たち呼んで来い」
「あいなぁ~」
慈雨さんが命令すると、飛女は可愛い声ですっ飛んでった。
可愛い…可愛いんだけど、真っ当な女の子、いないかなぁ。グスン。
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