縁切り~えんきり~ 紐

1噺 硬結び目


 俺は早朝から、おっそろしくたくさんのシューを焼いていた。

小さい物じゃなく、至ってごく普通のこぶし大のシュー。天板一枚に20個を二枚入るオーブンに、次々入れ替えて。中身はシューが冷めてからじゃないと入れられないから、どんどん出してはあちこち並べて。

 クリームは3種類。抹茶クリームとカスタードとブルーベリー・クリームチーズ。

 冷めたシューからクリームを挟む。俺流は、注入タイプじゃなく、シューの横に切れ目を入れて、クリームを盛って挟むタイプ。抹茶クリームには小豆煮を、カスタードには生クリームを、ブルーベリーにはラズベリーの砂糖煮をトッピング。

 で、なんでいっぱい作ってるのかって言うと、真珠様の指令でご近所へ新顔のご挨拶のための進物だそうだ。

近所って、どこにあるんだ?あるのか?


  時折、寿莉や雛巳さんが覗きに来たが完全無視で作業をしていると、諦めて去って行く。番頭さんが包装用の箱を持って来てくれたり、沙月さんが忙しそうな俺を見てシンクの中をかたずけてくれたりした時は、こっそり味見に崩れたシュークリームを食べてもらったりした。


「機嫌悪そうだって、雛ちゃんがしょんぼりしてたぜ?」


 昼食の後に、珍しく慈雨さんがこっちの厨房へ現れて、隅の椅子に腰かけながら言った。今日の昼飯は、まぐろの山掛け丼とハマグリの吸い物。付けはきゅうりとカブの糠漬けで、大変満足。


「朝に揶揄ったのが悪かったのか、だとさ」

「あれは―――もういいんです。ただ…不完全燃焼っつーか…なんか自分でもよく分からなくって」


 そんなあやふやな物言いだけで理解したのか、慈雨さんは腕を組んで微苦笑しながら頷いた。その笑みがまた渋みを増して男前で…かっこいいなぁ、ちくしょー!


「俺たちは裏方だからなぁ。客に呼ばれりゃ顔を出すが、それ以外は役にたちゃしねぇし。それに、今回の客はイレギュラーだったしなぁ」

「あーゆーあやかしってのは、珍しいんすか?」

「いや、割と多いぜ。ただな、宿に入れるこたぁ滅多にねぇんだよ。常なら妖だけ門番か狗に喰われ、魂は黄泉へ送られる。今回の蜘蛛は、女がヤツを受け入れちまって同化してたせいで、門番や綾目が見逃しちまったようだ」

「でも、真珠さまも会ったっすよね?」

「だから血相変えて離れに飛んでったんだろうさ。自己嫌悪で情けなくて報告もろくにできゃしねーで…くくくっ。まだまだ可愛い坊ンだよ」


 さすがに真珠様を「坊ン」扱いはできないけど、日常を見てると可愛いっつーかガキっつーか…そんな心境にはなる。一見しただけだと、どうみても色悪な美丈夫なんだが、内部にガキ大将がいらっしゃる。

 なるほど、失敗したのかぁ。宿屋の亭主として。


「まぁ、まだ来たばっかしだ。誰も彼も何でもかんでもいっぺんにって訳にゃいかねぇから。ゆっくり行けや」

「はぁ…」


 慈雨さんの気遣いは判る。判っちゃいるけど、溜息は漏れる。


まるで、芝居を見ているような気分になる。

TVや映画と違って、手を伸ばせば役者に触れるけど、そのストーリーの中に俺の配役はないし、舞台の上にもあがれない。ただ、観客席から見てるだけ。そんで、時折楽屋に呼ばれて『あらすじ』を聞かせてもらって…。


 慈雨さんはパンと膝を叩いて腰を上げると、「じゃあな」と倉庫の扉から出て行った。

俺は止まってた手を再び動かして、急いで贈答品を作った。

真珠様の話しでは、これから伺う先は大人数で住んでいて、子供が多いとか。だから凝ったスイーツよりも手軽なシュークリームがいいだろうと考えた。

せっせと箱に詰めては積み重ねて、綺麗な風呂敷に包む。十個だけはこっちのお茶請けにと番頭さんに預けて行く。沙月さんあたりに頼むとつまみ食いされそうだしな。


「お待たせしました。用意できました」


 部屋へ戻ってエプロンを店半纏に変え、宿の玄関へと荷物を運ぶと控室へと声をかけた。


ほうおうほんはぁそんじゃひふは行くか!」

「……真珠様ぁ」


 なんで、さっき番頭さんに三時のおやつにって預けたヤツを、真珠様が銜えてるんだ! 


「お?だって、人様の宅への進物だ。主人が味見しておかえねぇと、勧められねぇだろ」

「真珠様以外の人数分をおやつに渡しておいたんですけど、食べられなかった人の恨みは、ご自分で受けてくださいよ」

「はっ!恨みなんざ鼻くそみてぇなもんだ!指先で弾き飛ばしてやんよ!」


 これだよ…ガキ大将。絶対違う!番頭さんの目を盗んでつまみ食いだ。

言い合いながら門を出て、俺がここへ来た時通った方向へと石畳を歩き出した。

長い長い板塀が続く。入ったことはないけど、客室離れのある竹林と林が、板塀の向こうにあるのは知っている。

 その板塀が終わった角へ着くと、あの真っ白な空間が広がっていた。

ここからどうするんだ?と思っていると、いきなり目の前に木戸が出現した。当たり前のことのように、真珠様はがらがらっと開けて中に入った。


「琥珀!来たぜ!」


 裏口なのか勝手口なのか、一間ほどの玄関内で大声で家人を呼ぶ。

パタパタと足音を立てて現れたのは、真珠様と同世代くらいの細身の男だった。

落ち着いた色合いの無地の着物姿で、きちんと足袋を履いた足捌きは上品だった。

綺麗な所作で膝を落として出迎える。…こちらのガキ大将に爪の垢を…。


「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」


 まるで茶道や華道の先生とか、呉服屋の若旦那って風情の彼は、俺だけを見ながら頭を下げて挨拶をした。


「初めまして。隣に住み込みで働いてます。茅野 英と申します。よろしくお願いします。これは、私の手作り菓子なんですが、お茶請けにでも…」


 黙したまま仁王立ちしている真珠様を放って、相手方に包みを差し出しながら挨拶を返した。「私」なんて久しぶりに使ったぜ。つか、それくらいして当然な雰囲気の相手だったんだ。


「丁寧なご挨拶とお菓子、ありがとうございます。私は、ここの主人の琥珀と申します。真珠さんとは長いお付き合いで―――」

「だーーーーっ!やめっ!あちこち痒くなる!亭主そっちのけで、なに挨拶しあってんだ!」


 眉間を寄せて体のあちこちを掻く真似をしながら、真珠様が叫んで邪魔してきた。

俺はジロッと横目で睨み、大きな溜息を漏らした。


「真珠様に任せたら、また以下略な紹介されるし」

「だったら、好きなだけ二人で頭下げ合ってろ。俺は先にお茶する!――――志ま子ー!お茶!」


 そう宣言した真珠様は、琥珀さんの手から包みを搔っ攫うと、勝手に上がりこんで、大声でお茶を催促しながら奥へと行ってしまった。

 残された俺たちは、同時に呆れ顔でまた溜息をつく。


「あいつは全く…どうぞ、お上がり下さい。粗茶ですがご一服していってください」

「それじゃ、お邪魔します…」


 真珠様の無礼を苦笑いで見送った琥珀さんの誘いで、俺はおずおずと上がらせてもらった。


 「こちらは、どう言った御宅なんですか?」


 ご商売は?とも訊き辛く、やんわりと尋ねてみた。


「ここは、縁結びの場所です」

「え!?」



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