桜 鼠・後編 ~ふたたび山吹の章~
認めるのは
「先生、どの辺に植えるんだね?」
いかにも職人といった感じのお爺さんが、ちょっと疲れた様子で聞いてくる。
「森の入り口のところです。ちょうど梅の木と向かい合う場所がいいんですけど」
「じゃあ、この辺だね。間隔も必要だから」
「ではそれでお願いします」
作業員の人たちが小さなショベルカーとスコップでどんどんと地面を掘っていく。それから桜の木をクレーンで移動し、深く掘った穴に据え、土をかぶせていく。人数もいるから作業も早い。最後に支えになる囲いを組み立て、すべては一時間余りで終わった。
そして鎮守の森に新しく、立派な桜の木が加わった。
🌸
「山吹先生……この桜の木」
クロコがいつの間にか隣に立っている。
そして私と同じく、桜の木を見上げていた。
ホントにクロコは気配を感じさせない。
いつの間にかいなくなって、そのくせ気付くといつもそばにいるのだ。
「ええ。これはあの桜の木ですよ……植え替えを頼んだんです。実に見事な枝ぶりでしょう? 花が咲く日が楽しみです」
私は桜の木を見上げてそう言う。
「先生、どうしてこんなに無茶したんですか?」
クロコは私の心を見透かしたようにそう言った。
🌸
そう。彼女は気付いている。
この桜の木の植え替えに三百万の借金をしたこと。
それが桜鼠という妖怪を助けるためだということ。
「私もね、あの木に桜鼠がいること、知っていたんです。彼と話したんですよ。何とかして彼を説得しようとしたんですが、彼はどうしてもあの桜の木と消えたいと言ってね」
「私にもそう言ってました」
「そう。それで私は納得してしまった。恥ずかしい話ですがね。彼の意思なら仕方ないと思ったんです」
🌸
私はちょっとしゃがんだ。
こうすると目線がクロコと同じ高さになるから。
いや、ちょっと低いかな。
でもクロコには、大事なことを話さなきゃならない。
「でもねクロコ、キミは違ったね、最後まであきらめなかった」
私はクロコの髪をクシャっと撫でた。
「『雛々団』の騒ぎの時、桜鼠を助けるために頑張っていたんでしょう?」
「知ってたんですか?」
「ええ。桜鼠から聞いたんです。あちこちに桜の木を捜しに行った、ってね。そしてキミは今日も彼を説得しに行っていた」
と、クロコがポロポロ涙を流した。
「でぼ、でぼ、ざぐらネズミは聞いでぐれなくって……でぼ、あだし、あぎらめられなぐっで……いぎででほじぐて……」
やがてうわーん、と私の胸で泣き出した。
「私はね、恥ずかしくなったんです。私は医者なのに、彼の命を簡単にあきらめてしまったことに。だから、どうしてもこの桜の木を今夜のうちにここに持ってきたかった。そしてあなたにそれを見せてあげたかったんです」
「でぼ、でぼ、あんなに借金じだら……もうおじまいでず!」
うぅ……今その現実を突きつけられるとつらい。
🌸
「大丈夫。なんとかなります。これまでだってそうだったでしょう?」
私はクロコの背中をポンポンと叩きながら語りかける。
「いいえ、ぜっだいムリでずっ! だっで、さん、三百まん、えん、えーん、うわーーーん」
思ったよりハッキリ否定されてしまった。
まぁ私もそうじゃないかとは、ちょっと思っていた。
それでも私は立ち上がる。
なぜなら自分のした決断に後悔はないからだ。
だからクロコの手をとり、もう一度桜の木を見上げる。
「そうだ! 花が咲いたら花見をするのもいいですね。近所の人が集まるようになれば、患者さんも増えるかもしれませんよ」
「今年は咲かないかもしれませんよ」
クロコは涙でぬれた目でジトっと私を見上げる。
「そうですね……でも、咲かなくたっていいんですよ」
私は桜の木の向かい、そこに植えられた梅の木を指さす。
「あの梅の木はね、私の祖父が昔、植え替えたものです。残念ですがあの木も植え替えてから、花をつけなくなってしまいました。でもね、私はあの木が大好きです。それに、あの木には古い友達が住んでいたんですよ」
🌸
「友達……モノノ怪ですか?」
「ええ、たぶんあなたが教えてくれた『梅鼠』という妖怪でしょう。桜鼠の友人かもしれません」
「桜鼠もそんなこと言ってました。友達がいたって」
「だったら彼らも再会できるかもしれませんね。それだけでもいいことをしたと思いませんか?」
「ぞれはぞうでずけど……」
私はクロコにそっとハンカチを差し出す。クロコは涙をぬぐい、お約束なのだろうが、ビーっと鼻をかんだ。
「そばにいれば、会える時が来る」
私は笑顔を浮かべる。そしてちょっとクロコを見た。
「先生、後悔、してないんですか? あたしのわがままでこんなことになっちゃったのに」
「まったくないですね。それに気持ちはあなたと同じです」
「先生、ありがとう……本当にどうもありがとう!」
クロコにもまた微笑みが戻ってきた。
うん。やっぱり笑ってる方がずっとかわいらしい。
「どういたしまして。さて、そろそろお腹がすきませんか? 実はカップうどんを買ってあるんです」
そうして私たちは診療所へと戻っていった。
🌸
いつものようにお湯を沸かし、クロコはカップうどんの用意をする。
今日はクロコのためにコンビニ限定のお揚げ二枚いりだ。クロコはお湯を注ぎ、いつものように『ばったもん』を置こうとして……
「あれ? 先生、ばったもん、どこかに移動しましたか?」
「いえ、動かした覚えはないですが……ありませんね。まぁたまには静かに五分待ちましょうか」
時間になると私はいつものようにお揚げの一枚をクロコのカップに移動する。
「センセ。ありがとう!」
そうしていつものように、クロコはハフハフ言いながら、実に美味しそうにお揚げを食べる。
こうしていつもの日常が戻って来たな、などと思っていたのだが、とんでもなかった。
本当の大事件はここから始まったのだ!
それはクロコの何気ない、こんな一言で幕を開けた。
「先生、なんか境内の方から音楽が聞こえませんか?」
🌸
『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』
『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』
かすかに聞こえるこの音楽。このメロディー。
嫌な予感しかしない……
「この音楽……まさか、また、あいつらが箱から出て来たんじゃ……」
「でしょうねぇ。『雛々団』ですね。たぶん」
なんだって勝手に出てきてるんだ? 目的は何だというんだ?
私はガタッと立ち上がる。ちなみにうどんは食べ終わっている。
「私がちょっと様子を見てきます」
そして診療所の扉を開けた瞬間、私は驚きの光景を目にした。
「な、な、なんです……これは?」
「どーしたんです? 山吹先生」
クロコも隣からひょっこりと顔を出す。
「な、な、なにコレ?」
🌸
桜の木の下に妖怪が集まっていた。
そして花もないのに花見の宴会を開いていた。
「ああ、んめぇ」
「猿酒、んめぇぇ」
柿の柄を染め抜いたお揃いのハッピ姿、腹にはラクダ色の腹巻の任侠スタイル。『猿柿』たちが三十匹以上も集まっている。
「ホ~ホ~ホ~、今日は花見だ、パーリナイッ! ご馳走食べて、腹イッパイ! お酒飲んだら、ヨッパライッ!」
輪の中心でラップを歌っているのは『聖夜爺』だ。
「雛々団参上でおじゃる! 負けないでおじゃる!」
「かっけー、さすがヘッド!」
「ウタで盛り上げるでおじゃる! ウム……君がため~……」
あの『雛々団』ももちろん全員集合していた。
「ハイ、というワケでばったもんですー。名前はバッタモンですけど、ほんまもんの妖怪ですー。ニセモンちゃいまっせ! さて、今日は花見……って花咲いてないやん!」
猿柿達を爆笑の渦に巻き込んでいるのは『ばったもん』。
それだけではない。上空では『鶯大夫』も飛んでいるし、良く見えないけど『賽ノ目』の声も聞こえる。さらに見たことのない妖怪たちの姿もちらほら見える。
とにかくみんなが集まっていた。
🌸
「いったい、どうしたんでしょう?」
私はクロコに聞いてみる。
「たぶん……桜の木を元気づけるためだと思いますよ。妖怪には妖気というのがあって、みんなが集まることでその妖気を高めて、たぶん植え替えたばかりの桜に元気を分けようとしている、そんな感じじゃないですか?」
「そんなものなんですかね?」
「あ、あたしも詳しくは知らないんですけど……その、妖怪辞典にそんなことが書いてあったようなぁ……」
クロコの様子はなんだか白々しいが、まぁ信じることにする。
そして私は決意する。
「そういうことなら仕方ありませんね。桜の木のために、私たちも一緒に楽しむことにしましょうか!」
まぁ大した決意ではないけれど。
「えっ? あれに参加するんですか?」
「もちろんです。みんな仲間ですからね!」
私はクロコの手を取り、猿柿達、妖怪の輪の中に加わる。
「おーいみんな、私たちも仲間に加えてください! それから倉庫のお酒、全部さしあげます! 猿柿さんたち、運んでください!」
妖怪たちが歓声を上げ、私たちを明るく迎えてくれる。
🌸
かくして宴は続く。
みんなでお酒を飲み、月を眺め、花のない桜の木を何度も眺めた。
踊りだす猿たち、演奏する雛々団、聖夜爺のラップも楽しい。
時折ウグイスの美しい声が聞こえ、お内裏様の披露する和歌にも酔った。
「
少し酔ったのかもしれない。私は桜の木に語りかけた。
「
梅の木にも語りかけた。
だがどちらも姿を現すことはなかった。
「うーん、花が咲かん限り、出てこないんじゃないかのぅ」
そう語りかけてきたのは意外にも聖夜爺だった。
「あれ、ラップじゃないんですね?」
「ん? ああ、まぁな。あれはその、サンタクロースのキャラクターづくりのために勉強したんでな。ワシは本来、別の妖怪なんじゃ」
そう言いながら、私の盃に酒を注いでくれた。いや、サンタクロースはラップなんかしないけど、とは思ったが言わなかった。
「あれ? そういえば聖夜爺ってなんの妖怪だったっけ?」
そう聞いたのはクロコ。お酒を飲んでるわけでもないのに、頬がピンク色になっている。たぶん場の雰囲気に酔ったのかもしれない。
「ワシかね? ワシは昔こう呼ばれておった『
一瞬場がシーンとなった。そして、
「あーーーーーーーッ! 花咲爺!」
クロコが聖夜爺を指さして叫び声をあげた。
🌸
「だからそう言ったじゃろう?」
「そうだ! 思い出した! あんた花咲爺! なんで花を咲かせないのよ?」
「うーん、昔はできたんだがのぅ、今はもう妖力が弱ってしまって、そこまでの力がないんじゃよ。だからまぁせめてラップで盛り上げようと、こうしてじゃな、ホ~ホ~ホ~」
クロコが指であごの先をつまんで、なにやら思案している。
「なんかこう、急激にガッと妖力を高められる、そんな便利な道具があればいいんですけどね……そんな都合のいいモノ、さすがに……」
クロコはグッと目を閉じ、なにかを思い出そうとしている。
「ですねぇ、藪から棒にそんな便利な道具が……」
と私が言いかけると、
「藪から棒って……棒が出てきてもなんにも……藪から出るのは……」
パッとクロコが顔を輝かせた。
「あった! 藪といえば蛇! あたし持ってました! ちょっと取ってきます!」
クロコはさっさと診療所に走っていき、そしてワンピースと同じ生地の手提げバックをもって戻って来た。
ちょっと息が切れている。かなりのスピードだったから。
それにしても……いったいなんだろう?
「これですよ! 蛇です! この前手に入れたんですよ!」
そう言ってクロコがカバンから取り出したのは……
『
🌸
「聖夜爺、これなら花咲爺に戻れるかも!」
「うーん。どうかなぁ、もうお酒はずいぶん飲んだけどねぇ……」
「ふっふっふっ……中身が蛇酒でも?」
「へ、蛇酒? そんなものいったいどこで?」
クロコと聖夜爺はなにやらコントのように話している。それにしても聖夜爺の驚きぶり。そんなに凄いものなの? 小さい管巻蛇が漬けてあるだけなのに? 私はそう思わずにはいられない。
「そうとなれば話は別じゃ!」
聖夜爺はその酒樽を受け取り、指先で管巻蛇を取り除くと、腰に手を当てグイッと中身を飲み干した。
みるみる聖夜爺の体が光りだす。
「ふぅっっっっっかぁぁぁぁぁつっっっ(復活)!」
その声と共に、聖夜爺は空高くクルクルと飛び上がった!
🌸
聖夜爺は桜の木の一番てっぺんに立った。そして赤いガウンとナイトキャップをパッと脱ぎ捨てた。その下から現れたのは、桜の花柄の和服、ナイトキャップ代わりの白い頬かむり。そして肩にはサンタと同じ大きな白い布袋をかけていた。
その姿はまさに『花咲爺』!
みんなから『おおーっ』と歓声が漏れ、じっと花咲爺の姿を見上げる。
何かが始まる……それを期待させる一瞬の静寂。
🌸
「枯れ木に花を咲かせましょ!」
花咲爺が袋の中に手を入れ、パッと灰を振りまいた。
「サクラの花を咲かせましょ!」
花咲爺は枝から枝へと飛びまわる。
そのたびに雪のようにふわりと灰がまかれる。
「きれいな花を咲かせましょ!」
枝の隅から隅まで、軽やかに空中を舞い踊る。
踊りながら、つぎつぎに灰を蒔いてゆく。
「花が咲いたら集いましょ!」
蒔かれた灰がゆらゆらと落ちながら、やがてゆっくりと金色に光りだす。
その光は桜の木の全体を包み込んで輝きだす。
「仲間と一緒に騒ぎましょ!」
花咲爺は白い袋の底を掴み、最後にドバッと中身を振りまいた。
🌸
そして……
突然、桜の花が一斉に咲きだした。
枝に突然ツボミが現れ、それはあっという間にピンク色の花びらを広げた。幹から枝の先まで、巻物が広がるように、花が咲いてゆく。
まさに圧巻だった。あらゆる枝、その先々までピンクの桜がどっさりと花開いていった。
さっきまで見えていた枝と夜空が、あっという間に、桜の色に埋め尽くされていった。
声を上げるものはいなかった。
みんながその光景をうっとりと眺めていた。
本当に幻想的だった。
ただただ美しかった。
みんなが言葉をなくし、音楽をなくし、世界をまるごと包み込むような、圧倒的な桜の花に包まれ、その美しさに心を奪われた。
わたしはこれ以上に美しい光景を見たことがなかった。
そしてこれからも見ることはないだろう。
それはそんな光景だった。
そして妖怪たちの歓喜の声が広がった。
🌸
「あの、ここは? それにこれは?」
その声は桜の枝の上で聞こえた。
『桜鼠』が姿を現していた。
二本の足で立ち、片手で幹につかまっている。
そして不思議そうに私たちを見下ろしていた。
「ここは私の神社ですよ。桜の木をこの神社に植え替えたんです」
私は桜鼠を見上げてそう答えた。
桜鼠は大きく息を吸い込んだ。
「ここは、とてもいい匂いがしますね」
「まぁ潰れても神社ですからね」
「それにとても楽しそうだ」
「そうでしょう? 仲間もたくさんいるんですよ!」
と、さらに驚きは続いた。
🌸
「……仲間だけじゃないぜ。友達も一緒だぜ!」
その声は梅の木から聞こえてきた。
梅の木もまた赤い花を咲かせていた。
その枝の上に、桜鼠よりはずっと小さいが、懐かしい友達の姿があった。
「キミ、久しぶりですね。私のコト覚えてますか?」
「当たり前だろ、
友近……それは私の名前だった。
むかしむかし彼だけが私を下の名前で呼んでいたのだ。
「悪かったな。でもずっとそばにいたんだぜ。お前の名前と同じさ、友はいつでも近くにいるものさ」
「梅鼠! キミもここにいたのか! 私のことは覚えているかい?」
桜鼠が木から下りてきてそう言った。
梅鼠も木から下りてくる。
「当たり前だろ、忘れるもんか」
そうして桜鼠と梅鼠もまた宴会に加わったのだった。
🌸
そして宴会は続いている。
桜の木の下、満開の桜の花の下、みんながわいわいと話し、音楽が流れ、楽しくお酒を飲み(今は管巻蛇も加わっていた)、踊りを踊っていた。
桜鼠と梅鼠は枝の上で静かに語り合っている。
この楽しそうな光景。
楽しそうなモノノ怪たち。
考えてみれば彼らはそれぞれ好きに生きてきた妖怪たちだった。それが今は輪になってみんなで楽しく騒いでいる。
私とクロコは宴会の輪から離れ、鳥居の下、石段のてっぺんに並んで腰かけた。
ここからは七つ闇町がよく見える。今はもう夜中に近い。家々についている明かりもポツリポツリと少しずつ数を減らしている。
「縁とは不思議なものですね。こうしてみんなが集まっている」
私は彼女にそう語り掛ける。
「そうですね……でぼ、」
そう言って彼女は急に眼に涙をあふれさせた。
「……でぼ、借金がっ……うぅ……ざ、三百万円でずよ……」
ちょっと鼻水も出ているのでポケットティッシュをそっと渡す。
🌸
「まぁ大丈夫。なんとかなりますよ。それよりみんなが喜んでくれた。こっちの方こそ、価値がある事だとは思いませんか?」
「……でぼ、ごの病院ももう終わりでず……」
まぁ確かに。さすがに三百万の借金を簡単に返せるとは思えない。月々の支払いもあるし、食費だって必要だ。
あとはどれだけ伊万里が待ってくれるかだが、これはあまり期待できない。優しそうに見えて結構容赦のない奴だから。
「ゼンゼイ(先生)……あだじ(あたし)、ずっどごごにいだいでず(ずっとここにいたいです)でぇぇぇぇん(エーーーン)」
私はちょっとクロコの肩を抱く。なんだかちょっと安心させてやりたくなったのだ。するとクロコは脇腹に抱き着いてきて、またエンエンと泣き出してしまった。
やれやれ。どう慰めたものやら。
🌸
――その時だった――
神社の石段を、一匹の白いネコが、二本足でヨタヨタとあがってくるのが見えた。頭には頬かむり、なぜか目元には大きなサングラスをかけ、赤い腹掛けにはアップリケで『$』のマークが縫い付けられている。
「まさか、キミは……」
わたしはとっさに立ち上がる。そしてネコを迎えに行く。
ネコはフラフラと階段をのぼってきて、パタリと私の腕の中で力尽きた。
その姿……腹掛けのマークは変わっていたが【小判猫】だった。
「どうしたんですか? 小判猫さん」
「……お久しぶりですニャ、先生。実は、ハワイの水が合わなくて、戻ってきましたニャ」
そういって仰向けで、やっぱり手足を伸ばしてスヤスヤ眠りだした。
🌸
「ちょっと待った先生! これでなんとかなりますよ!」
階段の上でクロコが凛とした声を上げた。
さっきまでの泣き顔はどこへやら、腰に手を当てて、なんか自信満々のポーズで決めている。
「いったい何の話ですか?」
「解決策を思いついたんです!」
そう言ってクロコはカバンの中をゴソゴソ探り出した。慌てているせいだろう、妖怪辞典を放り出し、ハンカチを放り出し、なぜかドングリやら松ぼっくりを放り出し、そして最後に……
「あった!」
彼女は小さなカードを取り出して広げて見せた。
「それは……まさかあの時のスクラッチカード!」
そう、それはずいぶん昔にクロコが回収した私の宝くじだった。
🌸
「そうです! これを小判猫に削らせれば一攫千金ですよ!」
「でも小判猫は、弱ってますし……」
「大丈夫です! まだ奥の手があります。猿柿っ!」
クロコは猿柿に向かって語気も鋭くそう言った。
そのただならぬ様子に二匹の猿柿がスッとクロコの隣に現れた。
「へぇなんでやしょう?」
「猿柿! トシオ君の家から大至急『尻茶碗』を連れてきて! あんたたち、そういうの得意でしょう?」
「そういうことならお安い御用で!」
二つの猿の影が、クロコの背後でブワッと夜空に舞った。
「いったいなにをはじめるつもりです?」
「尻茶碗で汲んだ水は、妖気を復活させるんです! それを小判猫に飲ませれば、全部解決です!」
もうクロコは生き生きしている。
「そういうものですかね?」
私はちょっと半信半疑だ。お金にはあまり縁がないから。
「そういうものです! 任せてください!」
🌸
……まぁそれにしても長い夜だった。
猿柿達はすぐに尻茶碗を持って戻って来た。すぐに尻茶碗に水が注がれ、その水を小判猫に飲ませた。
「助かりましたニャ! すっかり元気になりましたニャ!」
クロコの言う通り小判猫はあっという間に元気になった。
「いいのいいの。お代はすぐに回収させてもらうから」
「それ……どういう意味ですニャ?」
「いいから、いいから! はい、コレ! カードとコイン!」
小判猫本人にスクラッチを削ってもらう。
スクラッチは全部で二十枚。最初に五十万を当てたが、次は三十万。そしてはずれ。ここで小判猫に再び水を与える。次は五十万が連続で二回、と続けていき、
「まだやるんですかニャ? ボク、ちょっと疲れてきて……」
「まだまだやるわよー! さ、飲んで飲んで!」
「ワシもそろそろ限界じゃ……」と尻茶碗。
「頑張ってーお爺ちゃん、先生のためなんだから!」
クロコはノリノリだ。
そして最終的に総額三百万円と、一枚だけ五百円の当たりくじが私の机の上に残っていた。
これで伊万里に返済する分は確保できた。
なんとかなったのだ!
🌸
そして夜は明けた。
窓から外を見ると、桜の木からも梅の木からも、花びらが消えていた。まるで昨日の事すべてが夢か幻だったかのように。
小判猫は仰向けで、手足をピンと伸ばしてベッドで眠っている。小さな毛むくじゃらの腕には点滴の針が刺さっている。
「結局五百円が手元に残ったわけですね」
クロコに語ったつもりだったが、彼女もまた小判猫の隣で、眠っていた。
口元には穏やかな微笑が残っている。
昨日は慌ただしいけど、本当に楽しい夜だったから。
きっといい夢を見ているのだろう。
🌸
わたしはその五百円の当たったくじをポケットに入れる。
「私にはこれくらいでちょうどいいですね。クロコの好きなカップうどんを二つ、お釣りで子供たちに駄菓子でも買いますかね」
そんな独り言を言ったせいだろうか、クロコが目を覚ました。
「おはよう、クロコ君」
「おはよ、センセ。結局みんなに助けられましたね」
「そうですね、みんなには感謝してもしたりないですね。でも結局は何とかなったでしょう? 私の言う通り」
「ふふ。あたし先生の言おうしていること分かる気がします」
クロコが楽しそうに告げる。
「でもぴったりのコトワザでしょう?」
「そうですね」
『終わりよければすべてよし』
○~〇~〇
関東地方のとある県、その最北端に「七ツ闇」という町がある。
その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。
だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。
そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。
神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。
その『七ツ闇クリニック』には町で唯一の医師が住んでいる。
町の人々は彼を『山吹先生』と呼んだ。
その山吹先生、器量も悪くないし、物腰の柔らかな好人物。
そして山吹先生のそばにはいつも一人の女の子がいた。
彼女の名前は『クロコ』。
年のころは中学生、おかっぱ頭の可愛らしい女の子だ。
だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。
そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。
その噂いわく「あの診療所には物の怪がでる」というのである……
だがどうもただの噂ではないらしい。
妖怪の大好きなある子供の話によると、
月の綺麗な晩、綺麗な花が咲いた晩、そんな美しい夜には、
モノノ怪たちが集まって楽しく騒いでいるという。
ただしそれを見るにはダテメガネが必要とのことだ。
○~〇~〇
『モノノ怪クリニック』 おしまい
〇~〇~〇
○~〇~〇
🦊 と 🌸
「おしまいって……先生なにを勝手に終わらそうとしてるんですか!」
「え? 急にどうしたのですか? そもそもなんの話です?」
「話って、この話ですよ! 『モノノ怪クリニック』の話です」
「ああ。その話ですか。ちょうどいい頃合いかと思いましてね。私もそうですが、読む人も飽きたんじゃないかと思いましてね」
「そんなことないです! ないハズですっ!」
「そうですか? でも、そろそろ飽きるでしょう。ほらワンパターンだし」
「絶対反対ですっ! もしやめたら、あたし化けて出ますからね!」
「それは勘弁してほしいですね。それでなくてもモノノ怪がこんなにたくさんいるんですから……」
「じゃあ続けてくださいよ」
「そう言われましてもねぇ……うーん……」
ま、それはそれとして
第十夜『桜 鼠』 終わり
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