第七夜 【鶯太夫】
鶯太夫・前編 ~山吹の章~
○~○~○
関東地方のとある県、その最北端に『七ツ闇』という町がある。
その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。
だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。
そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。
神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。
だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。
そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。
その噂いわく『あの診療所には物の怪がでる』というのである……
○~○~○
🌸
「先生、今日も患者さんきませんねぇ」
クロコが白衣を着て、聴診器を首にかけ、私のデスクに座っている。
どうも今日は医者の格好のつもりらしい。
「そこは私の席なんですがね?」
そういう私は外の掃除をしてきたばかり。黒のトレーナーの上下にマフラーを巻いている。もうすっかり冬になり、朝晩はかなり冷え込む。
「少しぐらい風邪ひいた患者さんが来てもいいはずなのにナ……はぁ」
クロコはそう言って大きくため息をついた。
「町の皆さんが健康なら、私はそれで満足ですよ」
私は胸をはってそう答える。
と、鼻が急にむずがゆくなった。と、同時に急にくしゃみがでた。
「ぶわっくしょい!」
「先生が風邪ひいてもしょうがないですよ……お金にならないんだから。さ、そこ座ってください、診察しますから」
クロコの言葉になんだかそのまま座る。クロコはちょっとドキリとしたような顔をしていたが、白衣のポケットからペンライトを取り出してスイッチを付けた。
🌸
「さて、どうしました?」
とクロコ。すっかり医者のようだ。
「なんだか喉が腫れてる気がします」
私は口を開けて喉を見せる。
「どれどれ……」
クロコがペンライト片手に覗き込む。
「あー、なんともないですね。だるさは?」
「うーん、それほどでも。でも少し熱っぽい気がします」
クロコが小さな手を額に当ててくる。
うーん。クロコの手の方が暖かく感じる。
「あー、むしろ冷たいですね。熱はなさそうです」
ちなみに私は医者だが『医者嫌い』だ。クロコには内緒だが、病気というものをほとんどしたことがないので、病気に対してすごく弱気なところがあるのだ。
もちろん、そんな素振りを見せることは決してないが。
🌸
「その、ちょっと心臓がいつもよりドキドキしているような。動悸かも」
「じゃ、じゃあ胸を出してください……」
クロコはちょっと目をそらしながら告げる。
私はスエットをまくり胸を出す。クロコがそっと聴診器を心臓にあて、顔を赤くしながらじっと耳を澄ましている。
「あの、クロコ先生、どうですか?」
「ちゃ、ちゃんと動いてますね。たぶん、いつも通りです」
「そうですか……しかし今日はやっぱり病院を閉めた方がいいかもしれませんね。患者さんにうつしては悪いですし」
私がそういうと、クロコがサッと立ち上がった。
「先生! 先生は風邪なんかひいてませんよ、気にしすぎですっ! それより、またあいつら来ましたよ! あたし行きます!」
クロコは私の首に聴診器をかけると、そのまま出て行ってしまった。
🌸
「せんせー、また来たよぉー! 今日は妖怪きたぁ?」
マサヒコは相変わらずランドセルをブンブンと振り回している。その後ろには妹のアキナちゃんもくっついている。
「ここは
私は冷静に告げる。ビシッと。
「でもここは本当にうわさが多いんですよ。この間も猿の妖怪を見たって」
そう告げるのはトシオ君。まぁ彼がそう言うからには、そうなのだろう。それに心当たりも、なくはない。
「山吹先生は妖怪見えるんでしょ?」
いきなりそう聞いたのはチエミちゃん。
そんなことまで噂になっているのだろうか?
「いえいえ。見えませんよ。だいたい妖怪なんていませんから」
私はそう告げる。本当はばっちり見えるし、夜中によく診療所にやってくるのだが、それを言うとガキどもが泊まり込みで遊びにきかねない。
それに『モノノ怪』が見えるというと、人は壁を作るものだ。そういうときの嫌な視線は、小さいころからさんざん味わっているのだ。黙っているに限る。
『沈黙は金』というコトワザもある。ま、金になったことはないが。
「そんなコトより、今日もおやつを用意しましたよ」
私は話題を変えるため、今日のおやつを出す。
今日はシンプルに『ハクサイ太郎』。一個ずつになった小さい包みを、彼らに渡す。そして私の目論見どおり、彼らは妖怪の話題を忘れ、お菓子に夢中になる。
🌸
「それで先生、さっきの妖怪の話なんだけどさーぁ?」
食べ終わると、すぐにチエミちゃんが聞いてきた。
がっくり。目論見ははずれ、あっさりと妖怪の話に戻されてしまった。
どうやら彼らにも少しは知恵がついてきたのかもしれない。
「はぁ。また妖怪の話ですか。いったいなんです?」
「実はさウチに『妖怪グッズ』があるの」
とチエミちゃん。それに真っ先に食いつくのはやはりマサヒコ。
「妖怪グッズ? なにそれ!」
「ウチのおばあちゃんね『ウグイス笛』っていうの持っててね」
「ウグイス笛……なんですかそれ?」
トシオ君が聞いてくる。もちろんそのきっかけを逃すチエミちゃんではない。さっさとマサヒコにお尻を向け、トシオ君をじっと見つめながら話し出す。
🌸
「こう、竹の筒を組み合わせた笛でね、指で押さえたりして『ホーホケキョ』って音が出せるの!」
「そんな笛があるんですか! すごいですね。知りませんでした」
「でしょ、でしょ?」
チエミちゃんはますます嬉しそうにトシオ君にグイッと近づく。
そうか、今の子供はそういうの知らないのだな。
「昔はけっこう見かけたものですがね……」
と私。私も昔持っていたのだ。けっこう練習もした。うまく音が出せるようになると、時々ウグイスが鳴き返してくれるのだ。
「……でもねぇ、それは妖怪グッズではありませんよ。ただの笛です」
一瞬、チエミちゃんの冷たい視線が刺さる。が、チエミちゃんはすぐに目を逸らし、何も聞こえなかったように話の続きを始めた。
🌸
「それでね! おばあちゃんが言うにはね、その笛にはウグイスの妖怪が住んでて、ほかのウグイスに鳴きかたを教えてるんだって!」
チエミちゃんがテンションも高く説明する。もちろんトシオ君に向かって。
「意味わかんね」とマサヒコ。だろうね。
「あんたじゃそうでしょうね。トシオ君ならわかるよね?」
「えっとー」
返答に詰まるトシオ君。でも分からないのも当然だ。チエミちゃんの説明が悪い。ということで私が代わりに説明する。
「つまりですね、ウグイスの中にも、たまにちゃんと鳴けない鳥がいるんです。そういう鳥にこの笛を使って、鳴きかたを教えるというわけです。本来、人と鳥では意思を交わすことはできませんからね。それで妖怪の仕業ということになったのでしょう」
「そっかぁ、なるほど!」
トシオ君とアキナちゃん、当のチエミちゃんまでもうんうんと頷いた。
「て、ことはさ。やっぱ妖怪いるんじゃん!」
ただ一人マサヒコだけが嬉しそうにそう言った。本当にマサヒコの頭は妖怪のことでいっぱいなのだ……今、妖怪の仕業じゃないと説明したのに、どうも都合よく変換されるているらしい、ガキは頭が悪いものだけど、
「……特にキミは残念だねぇ……」
このグレーの坊主頭の中は見事に空っぽなのだ。
どれ、今日はちょっと触って確かめて……
「せんせ?」
私の伸ばした手をアキナちゃんがつかんでいた。
そしてゆっくりと首を横に振った。
おっといけない。私はニコリと微笑みかけて手を引っ込める。
🌸
「それでね、」
チエミちゃんの話はまだ続く。もう本当にどうでもいいのだが、トシオ君をはじめガキどもは興味津々だ。
「この前、おばあちゃんがそのウグイス笛を落としちゃってね。骨董屋さんに修理に持ってったんだけど、直らなかったのよ」
「骨董屋って、あの駅前の怪しいとこ?」
とマサヒコ。
たぶんその骨董屋の名は『
ちなみにアコギな商売で有名な店で、捨て値みたいな値段で仕入れたものを、法外な値段で売っているという。悪いうわさはいつも絶えないが、それでも商売は順調らしい。
ちなみにそこの店主、
いわゆる腐れ縁というやつなのだ。
🌸
「それがさぁ、ひどいの! 傷をふさいで直したってそういうの。でもね、やっぱり音は鳴らないの。なんか空気が漏れてるみたいでね」
ふむ。なにやら妙な話になってきた。だが私はちょっと興味がわいた。伊万里が何やらトラブルに巻き込まれているというところに。
というのも小判の件では、危うく騙されるところだったのだ。
ちょっと仕返ししてやりたい気もある。
「要するにちゃんと直していないと、そういう訳ですか?」
そう聞いたのは私。
「そう! それなのに修理代をよこせって言ってくるのよ!」
修理代か……あいつなら、どうせ吹っかけているに違いない。ちょっとボンドで塞いで、三千円とか五千円とか、無茶なことを言っているのだろう。
アイツならやりかねない話だ。
「ほぅ。それはひどい話ですね。まして修理代ですか、いやどれほどの金額かは知りませんが……まったくひどい話ですね」
私が聞くと、チエミが怒ったように振り返り、こう言った。
「そうなの! 修理代、十万円だって!」
🌸
ちょっと息が止まった。
伊万里のヤツ、そんなに吹っかけているのか。
ちょっと許せない。十万……それは寿司やウナギ、ステーキどころの騒ぎではない。たぶんフカヒレのコースとか、いや、フランス料理のフルコースか? 額が大きすぎて想像が追い付かない。
だがいい機会だ。これは伊万里のヤツを懲らしめる絶好のチャンスだ。
「いいでしょう、分かりました!」
私は立ち上がった。子供たちが怖れのまなざしで私を見上げている。
オーケー。ちょっと見せてやろうじゃないか、大人の本気を。
「実は伊万里とはちょっとした知り合いなんです、私から彼に話してみましょう」
「おぉ! 先生やる気じゃん!」マサヒコの口が驚愕に開く。
「ん……」アキナは無言だ。彼女は……まぁいい。
「先生! かっこいい!」チエミちゃんも頼もしそうに私を見ている。
「さすが頼もしいですね!」トシオ君からはいい言葉をもらった。
「まぁ、任せておきなさい!」
その時だった……
「こんちは、山吹君! いるんだろ? お邪魔するよぉ」
そう言って診察室の扉を開けたのは、なんと伊万里本人だった!
🌸
「やぁやぁ久しぶりぃ! 元気そうだねぇ、山吹君!」
あっけらかんとした感じで挨拶をしてきたこの男が『伊万里』だ。
ちなみに歳は私と同じ。幼稚園からの幼馴染なのだ。いつも和服を着ており、今日はまたグレーの渋い柄、さらに同色のマフラーをオシャレに巻いている。
顔つきは細面で、ちょっと切れ長の鋭い目つき、長めの髪を後ろで一つ束ねている。なかなかクールな感じと思いきや、実際はいつもニコニコしており、その笑顔も、細い糸目も、なんとも人懐っこい。
「久しぶりですね、伊万里君。ちょうど今、あなたの話をしていたところですよ」
私はいつも通りにちょっとクールにそう答える。
「えぇー、オレの噂してたの? なになに? いい噂?」
これだこれ。この懐っこい笑顔。この馴れ馴れしい話し方。
これでいつもペースを崩される。
「いえいえ、あなたがお年寄りをだましているという噂ですよ」
「えぇー、オレそんなことしてないよ?」
その語尾の疑問形はなんだ? 意味がわからない。
こいつとは、なんというか水と油のように、分かり合えない感じなのだ。
🌸
「伊万里君、あなた今、ここにいるチエミさんのおばあさまの『ウグイス笛』の修理を頼まれているんでしょう?」
「ん? 君はたしか……トメさんとこのお孫さんだよねぇ? 確かぁ……チエミちゃん! そうでしょ?」
伊万里がチエミに声をかける。が、チエミは伊万里を睨み返していた。騙されないわよ、そんな目つき。
伊万里はちょっと腕をくみ、それから、スッとかがんだ。そしてほとんどくっつきそうなくらいに、チエミちゃんに顔を寄せる。
それからニッと笑った。
「やっぱりねぇ。キミはきっと将来すごい美人になりますよ。だからそんな怖い顔をしちゃだーめ。それにさ、たぶんそれ、誤解だから」
「え? そうなんですか?」
チエミは一瞬で笑顔を取り戻した。
そう伊万里はそういう奴なのだ。
昔っから女性にはとにかくモテるのだ。年代問わず。
それをいつも自然にやってのける男なのだ。
🌸
「そう! その証拠にね……」
伊万里はそう言って袖の中をゴソゴソと探り、ウグイス笛を取り出した。
「あ、これ、おばあちゃんの!」
そのウグイス笛は二つの竹筒を組み合わせて出来ていた。だが表面にはしっかりと漆が施され、さらに精緻なウグイスと梅をあしらった彫刻が施してあった。こんな本格的な作りのウグイス笛を見たのは私も初めてだ。
「そうだよ。ここにいる山吹先生はね、こういうのを直すのが得意でね。ボクじゃ無理そうだから、見てもらおうと持ってきたわけなんだ。ちょっと言葉が足りなかったかもしれないね、心配させちゃってゴメンね」
そう言って伊万里はチエミの頭をそっと撫でる。
「なんだぁ、そうだったの!」
チエミはすっかり伊万里を信用したようだった。
そして私はいつの間にか孤立していた。
日ごろお菓子で餌付けしているガキどもが、今やキラキラした尊敬のまなざしで伊万里を見つめている。
「そういう訳でさぁ、これは君にしか直せないと思うんだよね。山吹君! ひとつ頼まれてくれないだろうか? てか、いいよね!」
そういう訳って、どういう訳だ? 訳が分からない。そう思いながらも私はすでに伊万里のペースにのせられていた。
これだ。これだからコイツは苦手なんだ。
🌸
「わ、私は専門家ではありませんから……」
そう言いかけたものの、伊万里をはじめとして子供たちみんなが、今度はキラキラとした目を私に向けていた。
これは……実に断れない雰囲気だ。
「大丈夫、大丈夫。山吹君なら楽勝だよ、ね?」と伊万里。
「先生お願いっ! 直して!」とチエミちゃん。
「先生がんばってください!」とトシオ君。
「せんせ……」と言葉は少ないがアキナちゃん。
「先生、ケチケチしない直してやれよぉ」とマサヒコ。
「ま……」
ああ。追い詰められていく。
私は伊万里を睨む。が、伊万里はいたずらっぽくウインクを返してみせる。
なんでウインクなんだ? 私の視線をどう解釈すればウインクなんだ?
「……ま……」
もうこうなっては、子供たちの前で修理代の話も出来ない。
タダ働きだ。またしても伊万里にしてやられてしまった……
はぁ。
私はあきらめた。もうどうにもならない。
コホンとひとつ咳払い。
「……まぁ、私に任せなさい!」
結局、自分を公開処刑することになってしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます