賽ノ目・後編 ~クロコの章~
あたしは鳥居の上に腰掛け、ガキどもが階段を降りていくのを見下ろしていた。
太陽はそろそろ夕焼け色のオレンジに変わり、上空ではゆっくりと群青色の夜空が広がろうとしている。
🦊
「さーて、先生は何をご馳走してくれるのかな?」
ふわりと地面に降りると、ガキどもと入れ替わるように階段を上ってくる三つの人影……いや猿影が見えた。
「なんか嫌な予感しかしないんだけど……」
先頭はいつもの若頭、そのすぐ後ろから二匹の猿がついてきている。その二匹は紫色の風呂敷に包まれた大きな箱をえっちらおっちらと運んでいた。
あたしは彼らが登ってくるのを待ち、鳥居にたどり着いたところで彼らの前に立ちふさがった。だってこいつら『猿柿』と関わるとロクなことがないから。
もちろん先生にも会わせたくない。
🦊
「あんたたち何の用?」
「や。これはこれはクロコの
「おめでと。でも、ほんとにそれだけ?」
なんか裏がありそうな気がする。
「まさかまさか……」
若頭はふさふさの毛が生えた手を小さく横に振った。
「……もちろん手ぶらじゃありやせん。今日はおせち料理を持ってきたんでさぁ」
思わず耳がピクリとなる。
おせち料理。
そう言えば先生がずいぶん食べたそうにしていた。それにあの風呂敷からすると、そんなに悪いものではなさそうだ。
それにあたしもちょっと興味がある。
🦊
「これは人間からの供えものでして、今年はずいぶんと先生とクロコの姉さんにお世話になったので、ぜひ召し上がっていただこうとお持ちしやした」
「なんだ、そういうことね」
うん。先生と一緒にご馳走を食べに行くのもいいけど、きっと先生はこっちの方が喜ぶんじゃないかな。
それに……なんといっても、
「……臨時収入が月末の支払いにまわせる!」
「クロコ様? どうかしやしたか?」
はっ! なんかちょっと先生っぽくなってた。気を付けないと。
🦊
「でもさ、ほんとにもらっちゃっていいの?」
「もちろんでさぁ」
猿柿の顔はそのまんま猿だから表情はよくわからない。でもこのままタダでもらうってわけにもいかないような……なにか罠が待っていそうな気もするし。
で、あたしはひらめいた。
「そういうことならさ、みんなで宴会にするってのはどう?」
ちょっと若頭の目が輝いた。後ろの二匹もなんだかうれしそうに体をゆすり、手を叩いている。
「実はそうなるかもしれねぇと思いやして、猿酒をもってめえりやした。そうと決まれば宴会といきやしょう! 先生のとこに行きやしょう!」
🦊
「ところでさ。そのおせち料理ってそんなに美味しいの?」
猿柿を連れて病院に戻りながら話しかけてみる。
「そりゃあもう。このお重の中には、海の幸、山の幸、甘いの、辛いの、しょっぱいの、おいしさの全てが詰まってるんでさぁ」
なんかどっかで聞いたようなセリフだが、まぁこれだけ言うからには相当においしいものに違いない。
「山吹先生、喜んでくれるかな?」
「そりゃあ保証付きですぜ」
もちろんクリニックにはあっという間につく。扉を開けると、先生は診察室にはおらず、奥にある居間から先生の声が聞こえてきた。
「クロコ君かい? 出かけるには早いから部屋にあがっておいで。コタツあるよ」
ふすまを開けると、そこは畳敷きの狭い部屋で、部屋の真ん中にはコタツがでん、と置いてあった。山吹先生はコタツに足を入れ、小さな机の上には徳利とおちょこ、竹かごに盛られたミカンがあった。
🦊
「実はですね、先生。猿柿が一緒なんです」
あたしはふすまから顔だけ出して先生に告げる。
もしダメだと言われたら遠慮なく猿柿を追い出すつもりだった。
「おや、お客さんですか、どうぞどうぞ。彼らには以前助けてもらいましたからね。ぜひお礼を言いたかったんですよ」
先生の声を聞き、若頭がガラっとふすまを開ける。
「山吹先生、こちらこそ以前は大変お世話になりやした。本日は新年のご挨拶に、おせち料理を持ってめえりやした次第で、へへ」
若頭は実に流ちょうにそんなことを言った。そして一つうなずくと、手下の二人があの紫の風呂敷に包まれた箱を運んできた。
それをコタツの上にドンとのせ、手早く風呂敷包みを広げる。中から現れたのは黒い漆塗りの三段のお重だった。それもかなり大きい。
🦊
「これはこれは、ずいぶんと立派なお重ですね。おっとそれより」
先生はくるりと猿柿たちに向き直り、スッと姿勢を正した。
「……先日は大事な指輪を見つけてくださり、ありがとうございました」
そういって両手をついて深々と頭を下げた。
前にも言ったかもしれないが、妖怪に対してこういう接し方をしてくる人間はいない。ちゃんとした存在として認めてくれて、対等な存在として敬意を向けてくれる。そんな人間はまずいない。妖怪が見える者でもまれなのだ。
「そ、そんな、よしてくださいよ、先生。水くせぇですよ」
若頭はあわててそんなことを言ったが、だいぶ照れているのは分かる。ものすごい速さで頭を掻いているし、顔も真っ赤になっている。
きっとこいつも先生のことが大好きになったに違いない。
「いえいえ、本当に助かったんです。感謝してもしきれません」
「な、なぁに先生のためならお安い御用でさぁ。もしまた困ったことがあったらいつでも言ってくだせぇ。力になりますから」
あの猿柿がそんなことまで言い出す。損得勘定でしか動かないこいつらにココまで言わせるなんて、ホント先生は妖怪たらしだ。
🦊
「そ、それより、先生。堅苦しいのはこのへんにして、宴会をはじめましょうや」
若頭はさらに顔を真っ赤にしてそう言った。普段は煙たがられる妖怪だから、こういう素直なお礼にはとにかく慣れていないのだ。
「そうですね。ではちょっとお皿を用意してきますね」
そう言って先生はお皿を取りに行った。
「あの、クロコ姉さん。ど、どう座ればいいんでやしょう?」
「あたしが先生の隣、反対隣にはアンタ、向かいは二匹まとめて。それでいい?」
「へぇ。ではお邪魔しやす」
猿柿達は指示された場所に座り、恐る恐るコタツ布団をめくり、そっと足を中に入れる。
とたんに……
「……あったけぇぇぇ」
「なにを大げさな……おおぉ、あったけぇぇぇ」
「おめえこそ、そんなに大げさな……うわ、あったけぇぇぇ」
と三匹ともが思わず天井を見つめ、固まった。
なんか温泉に入ってる猿みたいだ。
「まったくみんな大げさねぇ」
と言いつつもあたしもコタツは初めて。やっぱりそっと足を入れてみる。
と足を包み込むようにぬくもりが広がる。
あ。これは……
「……あったかぁぁぁい」
そこに山吹先生が帰ってきた。
「何してるんです? みんな揃って上向いて」
🦊
まぁそんなこんなで宴会は始まった。
「では、さっそく開けてみましょうかね。クロコ君、まず一つ目を」
あたしは一つうなずいて蓋を持ち上げる。
一番上のお重には四角く区切られたマス目の中に、紅白のかまぼこ、黄色い卵焼きみたいなの、昆布巻きに、黒豆なんかがぎっしりと入っていた。
「うわぁー綺麗!」
「本当ですね……こんなにきれいなお重を見たのは初めてですよ!」
二人で感嘆の声をあげる。
「さて、クロコ君、次、次の段はどうなっていますか?」
あたしもがぜんワクワクしてしまう。間違っても落とさないように、そーっとお重を持ち上げる。真ん中には大きなエビ! さらになんかを巻いている肉、大量のハム、とにかく豪華そうな食べ物がぎっしりと詰まっている。
「これはこれは……実に見事ですねぇ、どれもおいしそうだ!」
もう先生の目はキラキラ輝いている。
「さぁ、最後のお重も開けてください」
「はい、先生!」
一番下のお重には煮物がわんさかと詰め込まれていた。鶏肉、シイタケ、見たことない赤い色のニンジン、レンコン、サトイモ。どれもきれいな形ですごくいい色だ。それにすごくいい匂いがしてくる。
「先生、すっごく豪華ですねぇ」
「そうですねぇ、ではさっそくいただきましょうか!」
「はい! いっただっきまーす!」
こうしてあたしたちの正月ごちそうフルコースが幕を開けた。
🦊
とはいえ、おせち料理は初めてだ。どれから食べていいものやら分からない。順番はないのだろうけど、でもやっぱり迷ってしまうのだ。
「どれ、クロコ君、私が取ってあげましょう」
山吹先生がそう言ってくれたので、私は取り皿を渡す。
先生は菜箸を使って、いろんな種類を少しずつ盛り付けてくれた。それから猿柿達にも同じように取り分けてくれる。
「ねぇねぇ先生。この黄色いのはなんていうんですか?」
「これは伊達巻というんですよ。甘い卵焼きみたいな感じですかね、ほかに魚のすり身なんかを入れて作るんです」
ちょっと箸で切ってから、はむ、と食べる。
「ふわふわだ! これ、おいしー!」
「そうでしょう? となりの栗きんとんも甘くておいしいですよ」
あたしは先生に説明してもらいながら、いろんな料理をちょこちょこ食べる。そのどれもがすごく美味しい。と、ちょっと夢中になっていたが、先生も日本酒をおちょこで飲みながら、何か食べるたびに涙をそっとぬぐっている。
「いやぁ、こんなにおいしいおせち料理を食べたのは初めてです」
猿柿達はといえば徳利からじかに猿酒を飲み、
「ああ。んめぇ」「ああ。んめぇ」
なんて言いながら夢中で飲み食いしていた。
それから先生がエビの殻を剝いてくれて、みんなで分けた。これがまたびっくりするくらい美味しかった。さらにハムをみんなで分け、昆布巻きもみんなで分け、夢中になっておせち料理を堪能した。
🦊
「いやぁどれもこれも、全部美味しかったですねぇ」
気づいた時にはお重は空になっていた。見事に空っぽ。何にも残っていない。でもみんな納得。それだけ美味しかったのだ。
「おせち料理って初めて食べたけど、すっごい美味しかった。ありがとう、猿柿さんたち」
あたしもお腹いっぱい。ほんとこのお重の中にはおいしさの全てが詰まっていた。初めて食べるものが多かったけれど、食べられないものは一つもなかった。
「いえいえ喜んでいたいただけて良かったでさぁ。こんなに楽しいなら、また来年もお持ちしやすね」
若頭はそう言ったが、残りの二匹は猿酒を飲みすぎたのかすでに寝ていた。
「そんなそんな。そこまで気を使わないでください」
そう言いつつ、先生はおちょこをもう一つ取り出し、若頭にお酒を注いだ。言葉とは裏腹にすごく催促しているみたいだ。それを無意識にやってのけるところがまた先生らしい。
「おっと、すいやせんねぇ」
若頭もそんなこと言いつつ、唇を伸ばし、吸うように日本酒を飲み干し、ぶはーっとうまそうに息を吐いた。
ちなみに先生はまだ一本目の徳利だったが、飲み切れないうえに、顔はすでに真っ赤だった。
「いゃぁー先生、それにしても楽しいですねぇ」
「全くですねぇ、いやぁ愉快愉快」
🦊
なんか二人で盛り上がっている。あたしもちょっとお酒を飲んでみたい気もするけど、先生に怒られるだろうし、でも二人だけ楽しそうなのが、なんかちょっとつまんなかった。
仕方ないから食べ終わったお重をふきんで拭いて元通りに重ねて、風呂敷に包んで……と片づけをしていたら、お重の下から折りたたまれた紙が出てきた。
「なんだろ? これ」
ずいぶんと小さく畳まれていたが、広げてみると新聞紙の大きさに広がった。
「先生、これ、なんですか?」
「おや、懐かしいですね。これは
🦊
「スゴロク? なんですか、それ?」
初耳だ。そのスゴロクという紙を机の上に広げてみる。
四角いマス目がいっぱい書いてあって、それぞれのマス目が道でつながっている。マス目にはなにやらいろいろと小さい文字が書いてある。道の端にはそれぞれスタートとゴールが、大きく書かれている。
「これはですね、サイコロを振ってコマを進めていくんです。そして一番最初にゴールにたどり着いた人が勝ち、というゲームです」
「なんか面白そう!」
「では、ひとつやってみましょうか。ちょっと待っててください。サイコロがあったような……」
先生は部屋の隅にある小さなタンスの引き出しを開けた。なにやらゴソゴソと中を探り「あったあった」といいながら、小さなサイコロを一つ取り出した。
「それから、駒が必要ですね……」
さらに机の中をごそごそ。取り出したのは干支の小さな置物だった。
「猿柿さんは猿でいいですね、クロコ君には犬、私はコレでいいかな」
山吹先生が選んだのはウサギ。そしてみんなのコマをスタートに並べる。
「ではスゴロク大会をはじめましょう!」
🦊
そして双六が始まった。あたしは五とか六を狙って転がし、ちゃーんとその目を出す。もちろんトップを独走。止まるコマがまたラッキーであと二マス進む、とか楽しいのばかり。
「やったー! また六だ!」
それを追いかけるのは猿柿。猿柿もよく六を出すけど、けっこう一回休みにつかまってる。そのたびに目を覆い、がっくりと肩を落としている。
「……また休みだ……ああ、また休みだ……ああ!」
「先生、スゴロクって楽しいですね!」
「……そうですね……」
一方、山吹先生はズーンと落ち込んでいた。それもそのはず。なんと先生は双六をはじめてからというもの、一しか出していなかったのだ。しかも三回連続して一を出した後には、三マス戻る、という指示がある。つまり先生はほとんどスタート地点から動けずにいた。
「なんででしょうね……」
最初は先生も一緒になって笑っていたのだが、回数が重なるにつれ笑い声も減り、すっかり落ち込んできて、すっかり声もかけられなくなってしまった。
「……また一ですよ。私はスタートに戻ります」
とぼとぼとスタートに連れ戻される先生のウサギ。
「それにしても、ここまで一が続くってのも、凄いんでしょうねぇ?」
猿柿が本当に関心したようにそう言う。それを聞いて先生はなんだかひきつった笑顔を浮かべる。
だから余計なこと言うな! って睨んだが気付いてない。猿酒で陽気になっちゃって気付かないのだ。
「こりゃすごい! 先生、また一を出しましたな! お見事!」
(だーかーら! 猿柿、こっち見なさい!)
ちょっと妖気を込めてもう一度、ギンと睨みつける。
すると、触れてもいないのにサイコロがコロリと動いた。
🦊
「あれ?」
あたしはサイコロを取り上げる。このサイコロ、やっぱりなんか変だ。かすかだけど妖気が流れているのを感じる。
「なんか、このサイコロ、一の目が黒くなってますね」
そう言いながらそっと妖気を送り込んでみる。
またちょっと動いた。
たぶんこのサイコロは付喪神になっている。
「そういえば、昔塗ったような気がしますね、理由は忘れましたけどね」
その時だった! その小さなサイコロの輪郭がグニャリと揺れて、小さな手足がポンと飛び出した。小さいけれど着流しみたいな服装。それにすごく小さいけれど長ドスを帯に挟んでいる。ちょっとぽっちゃりした体形で、頭の部分はそのままサイコロになっている。
それからあたしの手の上でスックと立ち上がり、いきなり怒鳴り声を上げた。
「理由なんかどうでもええ! さっさとワシの目を返さんかいオドレ」
🦊
言葉遣いは乱暴だし、話し方にも迫力はあるんだけど、体が小さいから声も小さい、そのうえちょっとかん高くて……なんだかかわいい!
「つ、付喪神様でしたか……」
山吹先生もびっくりしていたが、ちょっと笑いそうになっている。
「いんやぁ、ちっせえ神様ですな」
猿柿もあたしの手に乗ったサイコロの妖怪をじっと覗き込んだ。
「オドレ舐めとったらあかんゼ、ナリは小さくとも、オドレらとはくぐってる修羅場の数がちがうんじゃ!」
それからちょっと首を傾げ、ゆっくりと一の目を山吹先生の方に向けた。
「……ところで、あんたさん、お名前は?」
「私ですか? 私は山吹と申します」
「ヤマブキ、ヤマブキと……やっぱりオドレか! どっかで聞いた声だと思ってみりゃ、やっぱりオドレだったか!」
サイコロ妖怪はだいぶ恨みに思ってることがあるらしい。雰囲気的にはゴゴゴと地鳴りでも聞こえそうだが、いかんせん小さくて手の平でちょっと振動しているくらいにしか感じない。
「あの、人違いじゃないですか?」
山吹先生はのんきに答える。
が、そののんきさがサイコロ妖怪の怒りにさらに油を注いだ!
🦊
「んなわけあるかい! オドレが奪ったワシの目、返してもらおう、気付いてもらおうと、さんざんアピールしたのに、オドレはなんで気づかんのじゃ!」
あ! それで山吹先生のサイコロは一の目しか出なかったんだ。でもその努力はちょっとかわいい気がする。
「私があなたの目を奪った? そんなことしましたか?」
「オウよ。オドレはワシの赤い目を真っ黒に塗りつぶし、ワシから光を奪ったんじゃ! この『
賽ノ目と名乗った妖怪は長ドスを鞘から抜いた。銀色の刀身がギラリと凶悪な光を放つ。が、いかんせんやっぱり小さい……
「あのそう言うことなら……治しましょうか?」
「オドレ、何言うとるんじゃ……」
「賽ノ目さん、山吹先生は名医なんですよ」
あたしが説明する。まぁ、今回は先生がお医者さんじゃなくてもすぐに直せそうだけど。
「それほどでもありませんがね。ちょっと待っててください」
先生はさっきの引き出しから、今度は赤い絵の具を取り出した。ついこの間のクリスマスにアキナからもらい、トナカイの鼻を塗った、あの時の絵の具だ。
「どれ、ちょっと目を閉じててくださいね」
先生はつまようじの先にちょっと絵の具をつけ、あたしの手から賽ノ目をつまみ、一の目にたっぷりと絵の具を塗りつけた。とたんにパーッと賽ノ目の頭全体が輝き、それから一つ目の目玉が現れた。
「き、奇跡じゃ……光が……目が見える! 先生、あんたさんの顔が見える!」
「それは良かったです」
「すまねぇ。あんたをうたぐった。そんなワシのために……先生、あんた神様じゃ! 本当にありがとう!」
元はといえば先生が原因なんだけど……とは思ったけど、感動しているのだからわざわざ言うまでもないだろう。
こういうことわざもある。
『寝た子を起こすな』
🦊
「ではスゴロクの再開と行きましょう。賽ノ目さん、お願いしますよ」
先生はそう言ってサイコロに戻った賽ノ目を転がした。あ、また一だ、と思ったらひょいと小さな手が出てきてさらに転がる。
「お、ついに六が出ましたね」
そういう先生は嬉しそうだ。嬉しそうにウサギの駒を先に進める。
「どれどれ、エビは長寿のしるし、腰が曲がるまで元気に長生き!」
駒に止まった解説文を嬉しそうに読み上げる。ほんとここまで楽しそうにしているのを見ると、なんだかかわいそうになってきちゃう。もうサイコロでズルしているのもどうでもよくなってきた。
「今度はあっしですね。山吹先生、これぁなんと書いてあるんで?」
「黒豆を食べてマメマメしく、とあります。まぁ質素が一番ということですかね」
「そんなもんでしょうかねぇ?」
次はあたし。サイコロを振る。やった。先生と違ってイカサマなしで六が出た。ゴールはもうすぐだ。でも先生のウサギもすぐ後ろに迫っていた。
「どれどれ、追いつきますよ、よろしくお願いしますよ、賽ノ目さん」
「先生の頼みじゃ、まかしとけい!」
賽ノ目はそう答えて、ウィンクする。もうまるっきりズルなんだけど、先生が楽しそうだから気にしない。
「やった! また六です! どれどれなんて書いてあるのかな? コブを食べてよろコブ、だそうです。」
「なんかどれもダジャレなんですね」
とあたし。
「しゃれてるんですよ。昔のユーモアなんです」
そうこうするうちにどの駒もゴールの目前に迫っていた。
「さぁ、これで六が出れば私の勝ちですよ!」
山吹先生が告げる。
ちなみにあたしはゴールまであと四マスの位置、猿柿は五マスの位置だ。
「さぁサイコロを振りますよ!」
先生は手のひらでたっぷりとサイコロを転がし、ものすごいうれしそうな顔で、勝利を確信して、サイコロを投げた。
しかしこの直後、あたしたちを悲劇が襲う!
🦊
サイは投げられた。
コツン……コツン……とスローモーションでサイコロが転がる。
それはまたしても一の目を上にして止まりそうになり、横からヒョイっと小さな手が出て、少し回転しゆっくりと止まる。
「やった! 六が出た!」
先生が小さくガッツポーズをした。そしてさっそくウサギの駒を手に取り、一・二・三・四・五・六とマス目を進めていった。
「これでゴールです!」
嬉しそうな先生、先生はそのままマス目の文字を読み上げる。
「どれどれ、なんて書いてあるのかな?」
あたしと猿柿は先生が話すのを待っている。負けたんだけど、先生の喜び方がすごくて、こっちまでなんだかうれしくなっていた。
「先生、なんて書いてあるんですか?」
「まぁ慌てないでください。どれどれ? ゴール! 優勝おめでとう!」
「うんうん」
「……楽しい新年を、『ななつ亭』のおせち料理を食べて……」
先生の顔がサーっと青ざめた。
「……お過ごしください……ありがとうございました……『
シーンと静まり返った室内。
「……これ『ななつ亭』のおせち、だったんですね……」
駒を持つ先生の手が震えている。
「ななつ亭のおせち、たしか五万円でしたっけ?」
あたしも青ざめてしまった。
今朝、先生とちょうどその話をしたのを思い出したのだ。もちろん金額も。
「道理で美味しいはずです……まさか、あのななつ亭だったとは」
賽ノ目がトコトコと歩き出し、ゴールに書かれた文字を見つめてこう言った。
「ほう、これがあの有名な『ななつ亭オリジナル双六』ですかい。ってことは、猿柿、おめえさんたち、まだアレやめてねぇんですかい?」
🦊
そこで全てがつながった。
毎年一個ずつ消えていくお重のミステリー。
手癖の悪い猿柿が毎年していたこと。
そしてここに持ち込まれたお重が絶品だった理由。
思わず先生と見つめあった。
先生も何のことかわかったらしい。
「どうしましょう? 全部食べてしまいました……」
「そりゃ、逃げるわけにはいきませんよね?」
そんなことを話していると、若頭はそっとコタツから離れた。
「そろそろ、アッシらは帰りやすね……ほれ、おめえたち、さっさと起きねえか……いやぁ、今年は楽しい新年を過ごさせていただきやした」
もう彼らを怒鳴る気力も、止める気力も残っていなかった。猿柿達は手でお辞儀しながら去っていく。
「いや、これは、困りましたね……」
先生もだいぶがっくり来ている。なんとかしてあげたいけど、というか何とかしたいけど、今回ばかりはすっかり途方に暮れてしまった。とにかく金額が大きすぎる。五万なんて大金、どうしていいか……
ん? 五万?
なにか心に引っかかる……
思いだした!
まだ希望はある! あたしは思わず叫んだ。
「先生、お賽銭! 集めれば五万円になるかも!」
🦊
それからあたしは先生とお賽銭箱を開け、小銭をかき集めた。何枚かはお札も入っていたけど、ほとんどが小銭だった。それをとにかく仕分けして、いくらになるか数えた。
そして数え終わるころにはすっかり夜も更けていた。
「ふぅ……なんとか五万円ありましたね……」と先生。
「ええ……ギリギリでしたけどね……」
もうすっかり疲れてしまった。
「さすがに両替する時間はありませんね……」
先生はそう言いながら布袋にその小銭を全部詰め込んだ。それをお重に入れ、紫色の風呂敷で包む。
「これからちょっと器を返してきます。さすがに名乗れませんけど、お金は入っているから許していただけるでしょう」
先生はそう言って、よっこらせっと風呂敷を持ち上げる。
「先生……」
あたしは先生を呼び止める。
「どうかしましたか?」
「あの……ごめんなさい!」
🦊
あたしは謝った。だって元はといえばあたしのせいだったからだ。猿柿を信用したばかりに、先生に盗んできたものを食べさせてしまった。もちろん猿柿達に悪気はなかったと思う。でもちゃんと確認するべきだったのだ。そうすればこんなことには……先生もあんなに喜んでいたのに。
「……ほんとにごめんなさい!」
と、あたしの頭にポンっと山吹先生の手がのせられた。
温かくて大きな手、そのまま髪をさらさらと撫でてくれる。
どうして? あたし先生を困らせちゃったのに……
見上げると先生が笑っていた。
いつもみたいににっこりと。
「謝ることなんかなにもありませんよ。それより、今日はとても楽しかったですよね。みんなでおいしいおせち料理をいっぱい食べて、スゴロクゲームをして楽しんで、賽ノ目さんという妖怪にも出会えて。私はすごく楽しかったですよ。あなたはどうでしたか?」
「ゥ……あだじも……あたしも……すごく楽しかったでず」
ダメだった。涙が出てきちゃった。
だって先生の笑顔が優しすぎたから。
「だったら笑ってください。こうしてちゃんと支払いも出来ました。だからなにも問題はないでしょ?」
「でも……」
「それにこういうでしょ? 『笑う門には福来る』。新年にぴったりの言葉です。そう思いませんか?」
あたしはうなずく。それから先生のために笑う。
にっこりと笑う。
「そうそう! 今年も楽しい一年にしましょう!」
第六夜『賽ノ目』 終わり
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