第六夜 【賽ノ目】
賽の目・前編 ~山吹の章~
○~○~○
関東地方のとある県、その最北端に『七ツ闇』という町がある。
その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。
だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。
そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。
神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。
だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。
そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。
その噂いわく『あの診療所には物の怪がでる』というのである……
今日は一月一日、お正月。
みんながのんびりと新年を祝う静かな日。
だが山吹先生とクロコの二人は、やっぱり今日も大わらわ。
まさに『貧乏ひまなし』なのである。
○~○~○
🌸
「先生、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
今日のクロコは振袖を着ている。花の絵柄の、とても鮮やかな色の着物だ。肩にはフワフワとした白いストール、手には巾着袋も持っている。新年のあいさつにふさわしい華やかな装いだ。
「あけましておめでとう、クロコ君。今年もよろしくお願いします」
私もにこやかに新年の挨拶を返す。
この日だけは私もなんとなく着物を着ている。これは祖父のおさがりだが、一年に一度しか着ないから、まだまだ現役だ。
🌸
「で。やっぱり今日も患者さん来ませんねぇ」
「さすがにクリニックも今日は休みです。まぁ一応ね。でも正月に病院が必要ないなら、医者としてこんなにうれしいことはありませんよ」
「ん? なんか先生、今日はずいぶんとご機嫌ですね?」
クロコは疑うようなまなざしだ。私はちょっと目をそらし、何も隠していないことを証明するため、軽く口笛なんかを吹いてみせる。
「先生、今日は朝からお酒飲んでますね?」
クロコがさらにじっと私を見る。
「……え、ええ。実はちょっと……ほら、正月ですし」
クロコのクリクリとした、心の中まで見透かすような目。
私はそれに耐え切れず、つい視線を外してしまった。
🌸
と、クロコが笑いだした。あはは、っと。
それからお腹を抱えてさらに爆笑する。
最後には息をするのも苦しそうなのにヒーヒー笑う。
「冗談ですって先生! 今日ぐらいはいいんですよ。お正月なんですから」
クロコは涙をぬぐいながらそういった。
「そ、そうですよね。正月ですからね。多少は浮かれてもね」
「そうそう。でもね、先生。そういうことならあたしも付き合いますよっ!」
「おや、なんだか嬉しいですねぇ……」
あまりのさりげなさに私も笑ってそう答えるところだった。
が、なんとかそれは踏みとどまった。
「って、ダメに決まっているでしょう。
🌸
「冗談ですって。それより、先生、お昼ご飯にしましょう!」
クロコは赤いパッケージのカップうどんを取り出す。コンビニ限定のお揚げが二枚入ったやつだ。慣れた様子で湯を沸かし、お湯を注いでいつものように『ばったもん』を蓋の上にセットする。
湯気で暖まったばったもんは、すぐに妖怪化していつものように喋りだす。
「おぉ、何やら腹のあたりが暖まってまいりましたな。はい、というわけであなたのかわいいマスコット『ばったもん』でございます。お? クロコはん、今日はまたずいぶんオシャレですなぁ」
「今日はお正月なの」
とクロコ。頬杖をつき、両足をパタパタと振りながら五分が過ぎるのを楽しそうに待っている。
「正月でっか。それは実にめでたいでんな。そうそう『♪お正月にはタコあげてー』って唄にもありましたな、カリッと揚げたところにレモンをちょっと絞って……ってそのタコちゃうわ!」
ばったもんは右側二本の足できれいな突っ込みを入れた。
でも正直どうでもいい。私にとってばったもんが現れてからというもの、五分がやたらと長く感じるようになった……
🌸
「はぁ、正月くらいはおせち料理でも食べたいですねぇ」
「そうですか? あたしにはコレが一番のご馳走ですけど」
「そうそう、おせちといえば、『ななつ亭』のおせちが有名でんなぁ」
ばったもんが唐突にそんなことを言い出す。
「ななつ亭?」とクロコ。
これには私が代わりに答える。
「『ななつ亭』というのは、この町で一番の高級料亭です。味はもちろん一流、そして値段もびっくりするくらい高いんです。たしか限定のおせち料理は五万円でしたよ。ちなみに私はこの町で生まれ育ちましたが、一度も食べたことがありません」
「そりゃあ不憫でんなぁ、あのおせちの味を知らないとは」
ばったもんは四本の前足で涙をぬぐうフリ。
そんな様子がまたなんとも癇に障る。
「そういうあなたは食べたことあるんですか?」
「あの味は一度食べたら忘れられまへんな。食べだしたら止まりまへん。海の幸、山の幸、甘いの、辛いの、しょっぱいの、あのお重の中には美食の全てが詰まってる! ……という話でしたよ」
「話だけですか!」
思わず私が突っ込みを入れてしまった。
🌸
そうこうするうちに五分がたち、バッタモンが沈黙する。
それから私たちは割り箸を割ってカップうどんをすする。
もちろんクロコのカップにお揚げを一枚移動するのは忘れない。
🌸
「ねぇ先生、おせち料理ってそんなに美味しいんですか?」
カップうどんを食べ終えるとクロコがそう聞いてきた。
「そうですねぇ、今の若い人はあまり好きじゃないかもしれないですね。煮物とか、かまぼこが中心ですからね」
「ふーん……先生は好きなんですか?」
「実は大好きなんですよ。私の祖父が正月には必ず作ってくれましてね。私にとっては思い出の味なんです」
私は小さいころずっと祖父と暮らしていた。祖父はあまり料理が上手ではなかったが、それでも正月だけは煮物を作って、かまぼこを切っておせち料理を作ってくれたのだ。
もっとも二段のお重はそれだけで埋まっていたのだが。それでもそのおせち料理は私たちにとって、正月だけのご馳走だった。
🌸
「……まぁそんなことより、クロコ君、今日の夜はあいていますか?」
「はい。でも、どうしてですか?」
「たまにはあなたに美味しいものをご馳走してあげようと思いましてね」
私はメガネをツッとあげる。
クロコはやっぱり驚いている。
この私が美味しいものをご馳走する、彼女にとってそのインパクトたるや、きっと私の想像をも超えているはず。
そして次に彼女はお金のことを心配するだろう……
「でも先生、お金が……」とクロコ。
……ほらね。やっぱり。
まぁ彼女が優秀な会計係である証拠だ。
だが彼女も忘れている。
今日が正月であるということを。
🌸
「……なにかお金のアテでもあるんですか?」
「もちろんです。今日はおよそ五万円の臨時収入があるんです」
「ご、五万円!」
そうそう、その顔だ、私が見たかったのは。
さてここで種明かしといこう。子供の盲点、大人の余裕、正月に臨時収入のミステリー、その秘密とは……
「お賽銭ですよ」
フッ。おっと、いい終わらぬうちに大人の笑みが出てしまった。
「潰れたとはいえここはまぎれもない神社! いまだに初詣に来る人がいるんです! その額なんと、年平均で五万円!」
「それだけの大金があれば……おっとそれよりガキども来たみたいです」
あっさりとクロコ。
あれ? もっと驚いてもいいんじゃないか? それとも額の大きさに理解が追い付かないとか?
「ということで夜にまた来ます!」
なんともあっさりとクロコは出て行ってしまった。
🌸
入れ代わりに現れたのはいつもの四人組。
「先生、来たよぉ。あけましておめでとー」
とマサヒコ。隣でコクンとお辞儀したのはアキナちゃん。なんとなく二人ともよそ行きの、ちょっといい普段着姿。お揃いの赤いマフラーをしている。
「せんせ、あけおめー」
なんて今風な言い方のチエミちゃん。だが今日は珍しいことに着物を着ている。意外としっかりしてるなぁと思ったりする。
「山吹先生、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
ちゃんと挨拶できたのはトシオ君だけだ。彼はちゃんとスーツを着ていた。髪も整髪料できっちり分けている。うん。彼はさすがだ。
🌸
「今日は正月だというのに、よくここに来ましたね」
なんのかんのと言いつつも彼らは私を慕っているのだろう。まぁ、あれだけお菓子で餌付けしてきたのだ。そうでないと私の立場がない。などと思っていたら、
「だってここ、いちおう神社じゃん」
とマサヒコ。いちおうは余計だけどね。
「つまりみんなで初詣に来たというわけですね?」
「そうそう。ついでに先生にもあいさつしとこうと思ってさ」
マサヒコはへへ、と昭和風に人差し指で鼻をこする。
そう、生意気なところもあるけど、やっぱりかわいい子供たちなのだ。
「……あとさ、今日のおやつ回収しとかないとさ」
まぁやっぱり目的はそれだろうね。
でも実は今日は一つ作戦を用意してあるのだ。
日頃の悔しさを晴らす作戦が!
🌸
「そうでしたね、ちょっと待っててください。今日は特別なお菓子を用意したんです。お正月ですからね」
私はそう言って引き出しを開ける。そして子供たちへのお菓子を取り出す。今日のおやつは『エビみりん焼き』だ。
一枚がCDくらいの大きさのエビ色のせんべいだ。
「まずはトシオ君。今年はケガに気を付けてくださいね」
トシオ君に表彰状のように渡すと、彼はそれを両手で
「次はチエミちゃん。今年も病気をしないようにね」
同じように渡し、今度もさりげなく頭をなでる。
「さて、次はアキナちゃん。この間は宝物をどうもありがとう」
彼女は真面目な顔でそれを受け取り、前の二人にならって頭を出す。もちろん私は彼女の頭も撫でてあげる。
「最後はマサヒコ君。あなたにはバッタの置物をいただきましたね。ありがとう」
いよいよだ。
🌸
そして短く刈り上げたグレーのビロードヘルメットが近づいてくる。
ついにアレの感触をこの手に実感できる日が来たのだ。
これまで何度も挑戦しては失敗してきたが、作戦は完璧だ。
そしてこの瞬間、マサヒコは両手でエビみりん焼きを受け取った!
つまりその一瞬、彼の頭のガードが完全に外れる!
……だが私は焦らない。あくまでさりげなく……狡猾な狐のように……ゆっくりとさりげなく、差し出されたグレーの坊主頭にそっと手を伸ばし……
パシッ! と私の手がいきなり止められた。
なんとマサヒコの両手が私の手を挟んでいた。
真剣白刃取のように、両の掌で私の必殺の一刀が止められていた。
(なぜだ? どういうことだ? なにが起こった? みりん焼きは?)
エビみりん焼きは、隣のアキナちゃんがしっかりと預かっていた。
これはなんとも予想外の兄妹連係プレーだった。
「あのさ先生、オレあたま触られんの、ヤなんだって」
残念だが、今日も私の負けだった……
🌸
それからみんなでエビみりん焼きを食べ始めた。
なんとなく私も話の輪に加わり、彼らの話を聞く。
今日の話題は正月らしく『おせち料理』の話だった。
「おせちといえば、チエミさん今年も美味しかったですよ」
トシオ君が急にそんなことを言い出す。
「それ何の話? おせちの話?」
とはマサヒコ。あまり興味なさそうに。
「そうよ。うちはお料理屋さんでしょ、トシオ君
「なんだよトシオ、お前んち自分で作んねぇの?」
「うちは両親が共働きだからね。時間がないんだって」
「でもわざわざあんなの注文するなんて変だよな、だって煮物とカマボコだろ? すぐ作れんじゃねえの?」
どうやらマサヒコの家のおせちは私が食べてきたおせちと変わらないらしい。
「あのね、ウチのおせちは特別なの。いろんなものがぎっしり詰めてあんだから。海の幸に山の幸、悪いけど家庭の味とは違うのよ」
「でもやっぱり煮物とカマボコだろ?」
マサヒコの言葉にちょっとムッとしたチエミちゃんだったが、ここでトシオ君が応援に回る。さすが彼は紳士なのだ。
「それが全然違うんですよ。僕もおせち料理は苦手だったけど、チエミさんちのおせちは特別なんです。何を食べても美味しいんですよ」
「ホントかよ? だっておせちだぜ?」
マサヒコは胡散臭そうに二人を見つめる。
「そうなの! ウチのは特別なの! それにね、なんとウチのおせちは昔から妖怪にも人気があるのよ」
「え! 妖怪に?」
マサヒコはそこには食いついた。
🌸
「おばあちゃんが言うにはね……」
チエミちゃんが声をひそめて話し出す。
でたよ。また妖怪。
とは思ったが、私は彼らの話をそのまま聞いてみる。
「……ウチは毎年三十個の限定でおせち料理の注文を受けてるのね。でもその通りに作ると、必ず一個足りなくなるんだって」
「それはまた、なんとも不思議な話ですね」とトシオ君。
「でしょ? だからね、必ず一つ余分に作っておくんだって。一つ多く、三十一個のお重を作るの。でも作り終えたころにはやっぱり三十個になってるんだって」
「まじかよ! それゼッテー妖怪の仕業だよ!」
マサヒコは興奮しきって答えた。アキナちゃんの目もなんだかキラキラと輝いている。こういうところはやっぱり兄妹だ。
🌸
「やっぱりそう思うでしょ? おばあちゃんが言うにはね、その一個は妖怪さんの分なんだって、そういって毎年一個余計に作るんだって」
「わぁ……やっぱり妖怪はいるんだ」
珍しくアキナちゃんまでつぶやく。
「それにね、もう一つ不思議なことがあるの。お重は必ず返してもらうことになってるんだけど、帰ってきたときはちゃんと三十一個のお重が揃ってるんだって」
「やっぱ、それゼッテー妖怪の仕業だよ!」
とまたマサヒコ。もうわかったから。
何でもかんでも妖怪の仕業にするのはやめてほしい。それ流行なの?
「なぁ、これからチエミん家行こうぜ! そんで、チエミのばあちゃんにもっとその話聞かせてもらおうぜ。それにさ、ひょっとしたら妖怪に会えるかもしんねぇ」
マサヒコの言葉にみんなが盛り上がる。
「そうですね、ちょっと話を聞きに行きましょうか」
トシオ君がそう言うとチエミちゃんは大喜び。
「うん! 来て来て!」
すでに私の存在は消えていた。
「よし、さっそく行こうぜ!」
まるで最初から私などいなかったように、彼らは病院を後にした。
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