桜 鼠・中編 ~クロコの章~


 どういう訳でこうなってしまったのか?

 まぁ自業自得なんだけど、あたしは例のガキども四人を連れて『桜鼠』のいるところにやってきた。


 時刻は夕暮れ。そろそろ妖怪が姿を現す時間だ。


 目的の家はすでにフェンスで囲まれていて、かなり老朽化した木造家屋が広い敷地の中に立っているだけだ。ショベルカーもすでに到着していた。


   🦊


「なぁ、見えるか?」

 マサヒコはさっそくメガネをかけ、首をゆらゆらと揺らしながら桜の木を見つめている。


 目的の桜の木は庭の真ん中に立っていた。びっしりと枝が広がっており、幹もしっかりとした太さがある。

 だがその根の周りはすでに掘り返され、幹にはワラが巻かれ、さらに全体に何本ものロープが巻き付けられていた。

 その姿はなにか捕らえられた動物のようだった。


「今のところ見えませんね」

 トシオはスマートフォンをかざし、やっぱりゆらゆらとさせながら、桜の木を画面越しに眺めている。


「あたしもダメー」

 チエミは鏡に映しながら、アキナはメガネをかけ、やっぱり首を揺らしながら観察している。


「姉ちゃんは? なんか見えた?」

「うーん、見えない」


 あたしはそう答えたが、本当は見えていた。


 桜鼠はすっくと枝の上に立ち、右手を桜の幹に添え、夕日が落ちていくのを寂しそうに眺めていた。


   🦊


 いや、それにしても……このガキどものあきらめの悪さ、妖怪を見たい気持ちを甘く見ていた。

 見えないとなったら敷地をグルグルと回りだし、いろんな角度から観察を始めた。さらにお互いの持ち物を交換し、さらには桜鼠の名前をみんなで呼び、最後には敷地の中へ入ろうと相談を始めた。


「いや、それはさすがにダメでしょ?」

「でもさ、明日にはここの解体工事始まっちゃうんだぜ」

 マサヒコは本当に悔しそうだ。


「桜の木を運ぶ準備も整っているみたいですしね、たぶん今夜が最後のチャンスじゃないかと思います」と、トシオ。


「だから余計に危ないんじゃないの」

 そう言ったけれど……そうなのか。もう運ぶ準備は整っているのか。どこかに植え替えられるならいいけど、切られる可能性もある。


「とにかく陽も暮れてきたから今日は終わり!」

 あたしは特にマサヒコに向けてそう言う。


「でもさぁ、せっかく妖怪が見れるチャンスなんだぜ? オレだけ、まだ妖怪見たことないんだよ。アキナは桜鼠見たし、チエミはウグイス笛持ってるし、トシオは不思議な茶碗持ってるし、オレだけなんにもないんだよ」


 アンタ『ばったもん』持ってたじゃない!

 と、ツッコミも入れたくなるが、ガマンガマン。

 でもなんかイライラする。特にマサヒコの鈍感さには。


「とにかく解散! 今日はここまで!」

「「えーーーーー」」


   🦊


 あたしはガキどもがトボトボ帰っていく背中を見届ける。特にマサヒコには要注意、あの子だけは戻ってくるかもしれない。そう思ってしばらくとどまっていたが、誰も戻って来ないようだった。


「先生も大変だなぁ、あいつら相手じゃ」


 さて、そろそろいいだろう。

 あたしはヒラリとフェンスを飛び越える。それからスタスタ敷地を歩いていき、ひらりと桜の木に飛び上がって、桜鼠が立っている大きな枝、桜鼠の立つすぐ横に腰掛ける。


「今晩は、桜鼠」

 あたしは桜鼠に声をかける。

 

   🦊

 

 桜鼠は枝の上から海を見ていた。

 すでに太陽は落ち、海の向こうには夜空が広がっている。


「こんばんは、クロコ様。いい夜になりそうですね」


 桜鼠はとてもいい声をしている。低音なんだけど、スッと通るような透明感のある声なのだ。そしてとても紳士的なしゃべり方をする。


「アンタ、結局戻ってきちゃったのね?」

「すみません、いろいろと気を使ってもらったのに」


 もちろん桜鼠と会うのはこれが初めてじゃない。

 半月ほど前、ちょうどひな祭りの時期に、ここの家と桜の木がなくなることを知り、桜鼠にそれを伝えたのだ。別の桜の木を捜した方がいいと。

 だが桜鼠はこの桜の木から片時も離れなかった。仕方なくあたしは先生のトコにいくのもやめて、二日ほど桜の木を捜して回ったのだ。


 桜の木はたくさんあったけれど、桜鼠が気に入りそうな大きな桜の木というのはそれほどない。それでも二日目の夜に、やっと立派な木を見つけた。桜鼠もその桜の木が素晴らしいと感動してくれた。なのにやっぱりここに戻ってきていたのだ。


「どうしてよ? あの桜だって、あんなに気に入ってたのに」

「そうですね。この木に負けないくらい立派で美しい桜でした」


   🦊


「じゃあ、どうして? ここにいたらあなたも消えちゃうのよ?」

 あたしはそう聞かずにはいられなかった。だって、あの桜の木を捜すのにすごく苦労したんだから。


「私はやっぱりこの木が好きなんですよ」

 桜鼠は愛おしそうに、幹を小さな手で撫でた。


「それでもさ、これは切り倒されちゃうのよ? 他の桜の木に憑りつくしかないんじゃないの?」

「アナタなら分かるでしょう? クロコ様」


 うーん。実はよく分かんない。

 桜の木なんてどれも変わらないし。


「クロコ様、あなたは神社のお医者さんに憑りついているでしょう?」

「憑りつくっていうのは、ちょっと違うけどね」


「相手が人間だったら誰でもいいですか? あなたはあの先生が好きだからそばにいるんでしょう? 誰かにあの先生の代わりがつとまりますか?」


「それは……」


「私にとってはそれと同じことなんです。私はこの桜の木のそばにいたいんです。それだけなんです」

 

   🦊


 まったく桜鼠の言う通りだった。しかもこの綺麗な声でささやかれると、説得力がさらに増して聞こえてくるのだ。


「でもさ、アタシはあなたに消えてほしくないのよ」

 それがあたしの気持ち。だって仲間が消えてしまうのは嫌だから。仲間が寂しい思いをするのはつらいから。


「昔、私にも友達と呼べる妖怪がいたんです」

 スッと桜鼠が指さしたのは、古くて小さなマンションだった。


「あのあたりに古い梅の木が立っていましてね、その木には『梅鼠』が憑りついていました。ちょっと距離は離れてはいましたが、わたしたちは時々会ってはいろんな話をしたものでした」


   🦊


 その先は言わなくてもわかる。

 マンションを建てるために梅の木は撤去され、梅の木とともに梅鼠もいなくなってしまったのだろう。


 古いものはどんどん消えてなくなっていく。それとともに妖怪の数もどんどんと減っている。一度失われてしまえばそれまでなのだ。


「私は彼と同じように、この桜の木と運命を共にするつもりです」


 ふぅ。あたしはため息をつく。やっぱりダメなのかな?


 あたしたちはあまり新しいものになじめない。古いものに寄り添って生きたい気持ちが強い。人間には分からないだろうが、本当に長い時間を生きるからだ。


「でも、やっぱり悲しいな……あなたがいなくなるのは悲しいの」

 あたしは泣いてしまう。涙がぽろぽろ零れて泣いてしまう。

 本当は桜鼠がつらいはずなのに、あたしのほうが泣いてしまう。


「ごめんなさい、クロコ様」

 桜鼠はその小さな手で、泣き止むまであたしの背を撫でてくれた。


   🦊


「クロコ様、陽も暮れました。私は最後の瞬間までこの木とともに過ごすつもりです。あなたは先生の所へお戻りください」


 桜鼠は優雅に頭を下げてそう言った。その目に宿る気持ちから、そして言葉に流れる思いから、桜鼠を説得するのは無理だと分かった。


「分かったわ……これでさよならね」


「ええ、さよならです。こうして最後にあなたと話せて嬉しかった」


 あたしはクルリと回りながら枝から降りる。

 最後に見上げると、桜鼠は枝に腰掛け、うっとりと両手で幹を抱いていた。


「ごめんね……さよなら、桜鼠」


 あたしはクリニックへの帰り道についた。


   🦊


 珍しいことに診療所にはまだ電気がついていた。


「先生、帰りました! やっぱり妖怪は見つけられませんでしたよー」

 なんとか明るい声を出しながら、診療所の扉を開ける。

 と、そこに意外な人物がいた。出来れば関わりたくない人、というか先生に関わらせたくない人。

 あの『骨董屋の伊万里』だった。


「おや、クロコちゃんおかえりぃー!」

 伊万里は相変わらずの和服姿、うさんくさい笑顔、しかもどういう偶然か、着物の色は桃色を墨でくすませたような『桜鼠』という色だった。


「おや、早かったですね」

 そう言う先生は、診察室の机で何やら書類を書き込んでいる最中だ。


「あれ? 先生、何書いてるんですか? まさか、なんか買ったんですか?」

「彼から買ったわけではありませんがね、その……まぁ仕方ないんですよ」

 先生はそう言って書類の下にささっと何やら書き、印鑑を押した。


「これでいいですかね?」

「うんうん。これで契約完了! でもほんとにいいのぉ? こんなことしたらキミの病院潰れちゃうんじゃない?」

「返せなかったら、そうかもしれませんね」

「ま、それでもボクは構わないけどさぁ」


 伊万里がそう言って書類を懐にしまう前に、あたしはサッとそれを奪い取った。そしてチラリと見ただけでそれが何なのか分かった。


? 

 あたしの手は震えていた。


   🦊


 それはだった。


 わけわかんない。

 なんでそんなの書いてるのかも、なんで伊万里に借りたのかも。

 だいたいそれを何に使うつもりなのかも!

 あたしはその借用書を先生の机の上にたたきつけた。

「これ三百万円ですよ? そんなお金借りたって返せないですよ!」


 山吹先生はクッとメガネを上げた。

 そして……そのまま伊万里にもう一度、その書類を手渡した。


「すみません、クロコ君。でもどうしてもやらなくちゃいけないんです。今の私では彼に頼ることしかできないんです」

「でも先生、そんな借金したらクリニックはもう……」

「ほんとうにすみません、あなたが一生懸命守ってくれたのに。でも私はどうしても……」


 そういう先生もなんだかつらそうだ。でもあたしも怒っている。

 どうしてあたしに相談してくれなかったの? 確かにお金は持ってないけど、もっと違う方法があったかもしれない。それよりも、どうしてお金が必要なのか、なんでそれを説明してくれないの?


   🦊


「はーい! 契約は成立ね。じゃ約束通り今すぐに手筈てはずを整えるよ」


 伊万里はそう言って、さっそく携帯電話をとりだし、さっさと診療所を出て行ってしまう。これじゃ書類も取り戻せない。


 今日は何をやってもうまくいかないコトばかりだ。


 あたしの好きなものがみんないなくなっちゃう。


 なんにもできないまま、みんな遠くに行っちゃう。


?」


「これには理由があってですね、これはあなたのためでも……」


!」


 あたしはまた診療所を飛び出した。


   🦊


 気が付くとあたしはまた桜鼠の所に来ていた。でも枝には登らない。幹に寄りかかって、なんとなく桜の木を見上げている。


「ごめんね、最後の夜を邪魔しちゃって」

 桜鼠を見上げてそう声をかける。


「かまいませんよ、どうしたんです?」

「なんでもないの。それより、花が咲いてるとこ、見たかったね」

「そうですね。私も最後に見たかったです。この木はね、それはそれは見事な花を咲かせるんですよ」

 桜鼠は昔を思い出したのかちょっと涙をぬぐった。


「桜はね一年に一度咲けないんです。だからせめてそれまでは待ってほしかったんです。でも人間は残酷ですから」


 あたしはその言葉を静かに聞く。確かにそう。妖怪が見えないからって、植物が話せないからって、その気持ちも考えずに、自分の都合を平気で押し付ける。

 でも、そんな人ばかりじゃないのも本当なのだ。


「そうね。でも、それでもあたしは人が好きなの」

 桜鼠にそこだけは誤解してほしくなかった。


「そうですかね? 私から見ればひとは残酷この上ない」


「そうね。そう言う人もたくさんいる。でもね、もっともっといろんな人がいるのよ。あなたはそういう人に会っていないだけ。それでね、一人でもそういう人に会えたなら、あなたもきっと人を好きになる。優しい人もいっぱいいるの」


「そんなものですかね? クロコ様がそういうなら……」

 だが……そんな思いを裏切るように、トラックが到着し、わらわらと作業員の人たちが敷地の中に入って来た。


   🦊


「こんな時間になに?」

 あたしは妖気を薄めて姿を消した。そのまま桜鼠の枝に舞い上がり、何が始まったのかと様子を見下ろした。


 敷地のフェンスが開かれ、クレーンのついた大きなトラックが入ってくる。そしてヘルメットをかぶった五人の作業員が、桜の木の根元をスコップで掘り出しはじめた。


「これから始めるの? こんな時間に?」

「恐らくそうでしょうね。彼らには昼も夜もないのでしょう」


 作業員たちは根の周りをあっという間に掘り返した。それからクレーンで桜の木を持ち上げ、さらに藁で全体をグルグルと包んでゆく。丁寧にやっているところをみると、捨てるつもりはなさそうだけど。


「これからどこかへ運ぶのでしょう。夜は道も空いてますし。いよいよお別れですね。この桜はこの土地以外では生きていけませんから」


「やっぱりだめなのかな?」

「ええ、桜の木にも感情があるんです、この木はここから離れたら寂しくて枯れてしまうに違いありません」

 やがて桜の木の根元がすっかりワラに包まれた。


「クロコ様、今度こそお別れです」

 あたしは桜の木からヒラリと飛び降りる。桜の木はクレーンで釣り上げられていき、トラックの荷台に載せられ、ロープでしっかりと固定された。


「今までありがとう、クロコ様。あなたの心遣いはとてもうれしかった」


 トラックの上に載せられた桜の木、横になった枝の上で桜鼠の姿がゆっくりと消えていく。妖力が急に弱まっているのだ。やがて桜鼠の輪郭がゆらりと揺らぎ、空気に溶けるように消えてしまった。


 そしてトラックが敷地を出て走り出した……。


 本当にこれが終わりなの?

 桜鼠とはもう会えないの?


   🦊


!」


 あたしは気が付くと飛翔していた。

 今は元の姿になっている。


 それは真っ黒くて大きな、尻尾が九本も生えた巨大な狐の姿。

 それがあたしの本当の姿で、自然なモノノ怪の姿。

 今は姿をごまかしている場合じゃなかった。

 なんとかして桜鼠とあの桜の木を助けなきゃ!


 眼下にトラックの姿をとらえながら空中にとどまる。

 トラックはか細いヘッドライトをつけ、真っ黒な道をゆっくりと走り出したところだった。


 あたしはトラックがどこまで遠くに行こうと、ついていくつもりだった。


 たとえ違う土地に行っても、アタシの妖気を分けることでちゃんと根付くかもしれない。たまにでも会いに行けば、桜の木の寂しさを癒してあげられるかもしれない。そうしたら桜鼠も生き続けることが出来るかもしれない。


 それには


   🦊


「どこまでだって追いかけてやるんだから!」


 が、気合いを入れたところで、トラックは急に左折した。


 走って五分もたっていない。

 そして曲がりくねった狭い坂をクネクネと登り始めた。


「アレ……この道って?」


 この道は知っている。

 その坂が行きつく先は……


』だ!




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