最終夜 【桜 鼠】

桜 鼠・前編 ~山吹の章~


   🌸


「先生、今日もやっぱり患者さん来ませんねぇ」

 今日のクロコは淡いピンク色の、春物のワンピースを着ている。さらにダテだとは思うが丸メガネをかけ、さらに珍しいことにアクセサリーまでつけている。

 ん? たしかあれは……クリスマスにプレゼントした真珠のネックレスだ。


「おや。とてもよく似合ってますね、そのネックレス」

 そんな言葉が自然と漏れてくる。本当によく似合っていたから。


「え? そ、そうですかね? へへへ」

 クロコは指先でその大粒の真珠をもてあそびながら、なんだかずいぶんと照れている。顔も真っ赤だ。そんなに照れることないのに。


「そ、それより先生、今月もピンチなんですからねっ!」

 なんだか今日は、いつもより追及がゆるい気がする。ピンチと言っているわりに嬉しそうなのはなぜだろう? なにかいいことでもあったのかな?


   🌸


「はぁ。でも仕方ありませんよ。この前の健康診断、参加した人はみんな健康そのものでしたからねぇ。それに……」

「それに、何ですか?」

「この前の一件でまた妙な噂が流れているみたいで、ますます人が寄り付かないみたいなんですよ」


 この前の一件というのは、健康診断の時の事件のこと。聴診器にとりついた『管巻蛇くだまきへび』が、町民の抱えているささやかな秘密をばらしてしまったのだ。もっともそれを喋ってしまったのは、私自身だったが。


「それじゃ、しばらく患者さん来ないかもしれませんね」


 本当はしばらくどころじゃなく、ずっと誰も来てないのだが、私はあえて訂正しない。クロコには楽しい気持ちのままでいてもらいたいから。

 なに、お金の心配は大人がすればいいことなのだ。


「まぁ、なんとかなりますよ! 『捨てる神あれば拾う神あり』お金なんて必要な時には回ってくるものです」


 私は彼女を勇気づけるように優しく微笑みかける。が、彼女はピタリと動きをとめ、じっと私をみつめ、大きくため息をついた。

 あれ? なんか一瞬でいつもの彼女に戻ったようだった。


「先生、さすがに世の中そんなに甘くないですよ。それより、ガキどもが来たみたいですから。また来ますね!」


 彼女はそう言い残すと、素早く病院を出て行こうとして……


   🌸


「先生! 大変だ! ビッグニュース、ビッグニュース!」

 飛び込むように病院の扉を開けたのはいつものマサヒコ。

 取っ手を掴んでいたせいで、バランスを崩したクロコ。

 トトトっと態勢を立て直したときには、二人は真正面から向かい合っていた。


「あ、こんちわー!」

 マサヒコはクロコにペコリと頭を下げる。

「こ、こんにちは」

 クロコもつられて頭を下げた。


 考えてみればクロコはいつもガキどもと顔を合わせないようにしていたのだ。こうして顔を合わせたのは初めてのことかもしれない。


「それより先生! 先生!」

 が、マサヒコはさっさとクロコの存在を無視して、私に話しかけてきた。よほど走ってきたのだろう、帽子は脱いでおりグレーのビロードには汗の粒が点々とついている。今日はあまり触れたくない感じだ。


「どうしたんです? そんなに慌てて」

「出たんだって!」

 もうマサヒコはすっかり興奮している。

「いったい何がです? まぁ落ち着いてください」


 私は彼を落ち着かせるためにイスを勧める。そうしている間にクロコは何事もなかったように診療所を出ていこうとした。が……


「妖怪だよ! ついに出たんだって! !」


 マサヒコの言葉に、クロコがピタリと動きを止めた。ドアの取っ手に伸ばした手は空中で止まっている。

 子供のくせになんだか思わせぶりな感じだ。


「クロコ君、どうかしましたか?」


「ねぇ、マサヒコ君、その鼠の妖怪の話、詳しく聞かせてくれない?」

 珍しいことに、クロコはそう言って振り返ったのだった。


   🌸


「……てか、お姉ちゃん誰? なんでオレの名前知ってんの?」

 緊迫したシーンだと思ったが、さすがはマサヒコ。いつもの調子だ。

「てか、お姉ちゃん患者さんじゃないの?」


 クロコはちょっと驚いた表情。

「あ、あの、あたしはその、先生のじょ、助手というか……その、こ、コイ……いや、ちょっと早いかなぁ……ガ、ガールフレ……」

 クロコはなんだかモジモジして言いづらそうにしている。


 まぁ無理もない。女の子だし、だから言い出しづらいのだろう。だからここは私が彼女に代わって答える。


「彼女、クロコ君はですね……」

 なんかクロコが不安そうに私を見ている。

 だから私は安心させるようにクロコに目配せのウィンクをする。

「……なんと、なんです。すごく詳しいんですよ」


 なぜかクロコは呆然としていた。あっさりと真実を告げてしまったからかもしれない。だがこういうことはハッキリと言っておいた方がいいのだ。同じ趣味を持つもの同士、照れることはないのだから。


   🌸


「そうなんだぁ! お姉ちゃん、妖怪に詳しいんだ?」

 マサヒコはキラキラと目を輝かせ、クロコを見つめている。


「ま、まぁね。その、いろいろと」

 クロコがひきつり気味に答えてる間に、いつもの残りのメンバーたち、アキナちゃんとトシオ君、チエミちゃんが続々と診察室に入って来た。


「先生、こんにちは」とアキナちゃん。

「あたしお茶淹れるねー」とチエミちゃん。

「騒がしくしてすみません。僕たちは近所に住んでいて、毎日クリニックに遊びに来ているんです」トシオ君だけはクロコにきちんと挨拶していた。


「こ、こんにちは」

 クロコは照れながら挨拶している。

 うん、初対面は緊張するよね。


 そんな中、マサヒコがみんなに重々しく告げる。

「なぁ、みんなちょっと聞いてくれ。ビッグニュースがあるんだ」

 みんながちょっと動きを止めた。そしてマサヒコに注目する。


「このお姉ちゃん、なんと妖怪博士なんだって!」

 みんながハッとしてクロコを見つめる。その目に宿るのは尊敬と憧れの輝きだ。そしてクロコはピキッと笑顔をひきつらせた。

 が、ギギギとした動きで、服とお揃いのピンク色のポシェットから、いつもの小さな本を取り出した。


「そ、そうなのよ……じゃーん、コレ、妖怪辞典!」

 楽しそうにそう言うクロコは何故か涙目だった。

 

   🌸

 

 そんなこんなで、いつものおやつの時間だ。

 今日はクロコも参加していたのだが、ちょうど『キャラメルゴーン』を一袋買ってあったので、一つの菓子皿に盛り付けた。


「で、さっきの妖怪の話だけど?」

 クロコは何気なくキャラメルゴーンを手に取り、サクッとかじる。

「……わ。なにこれ美味しい……」


「そうでしょう? 時折ピーナツを口直しに食べるんです。すると、新鮮な気持ちで味わえるんですよ」

 言われた通りにピーナツとキャラメールゴーンを手に取るクロコ。

 カリッ。サクッ。

「ホント! 止まんない、コレ!……って、それより今は妖怪の話ですよ!」


「そうだよ、聞いてくれよ! 姉ちゃん」

 マサヒコはむんずとキャラメルゴーンを掴んで口に放り込む。


「ウチの近所にさ、取り壊し予定の古い家があんの知ってる? けっこう古くて大きな家なんだけどさぁ」


 クロコはうなずいた。そうしながらもピーナツとキャラメルゴーンを交互に食べている。ついでに私もうなずいた。その話、知っていたから。


「私も聞きました。確か大きな桜の木がある家でしたね。とても見事な木でした。私が子供の時からありましたよ」


   🌸


「そうそう、それそれ。トシオたちは知ってる?」

 トシオ君とチエミちゃんは首を横に振る。


「そんでさ、その桜の木にさ、でっけえネズミが見えたんだって」

「ネズミ? 妖怪じゃないんですか?」

 そう言ったのはトシオ君だ。


「だって犬くらいの大きさのネズミなんだぜ、それにさ、その巨大ネズミ、ピンク色してるんだって。それもうゼッテー妖怪じゃん?」

「ねぇ、その妖怪、アンタが見たの?」

 とチエミちゃん。珍しく期待するような感じなのは、妖怪が絡んでいるせいだろう。ほんとこの年頃の子は妖怪が大好きなのだ。


「それがさぁ、見てないんだよね! 見たのはアキナだけなんだよ」

「えっ? でも、アキナちゃんが見たの?」

 チエミが聞くとアキナちゃんはコクコクと二度うなずいた。


「見えたの。桜の木のうえにね、まっすぐに立ってたの。でもね、目があったら消えちゃった」


 と、マサヒコが急にクロコを振り返った。

「そうだ! その妖怪、姉ちゃんの妖怪辞典に載ってんじゃね?」


   🌸


 クロコは急に話しかけられてびっくりしたようだ。それもいきなりの仲間扱い、さらに扱いだ。

 だがクロコに怒った様子はない。それどころかちょっと嬉しそうにこう聞いた。


「ねぇ、マサヒコ君は妖怪が好きなの?」

「え? もちろん大好きだよ。でもさ、オレ、まだ一度も見たことないんだよ。一度でいいから見たいんだけどさぁ」


「見てどうするの?」

「そりゃ友達になるに決まってんじゃん!」

 マサヒコはそう言ってにっこり笑う。


 その答えにクロコはちょっと驚いていた。


   🌸


 そして私も驚いていた。


 マサヒコがこんなにもあっさりと、そして自然のままに妖怪の存在を受け入れていることに。妖怪と友達になる、そんなことを考えたことがあるのは、私だけかと思っていた。


 そしてクロコもまた微笑んでいた。

 なんだかまぶしそうにマサヒコを見つめている。


 うん。

 それもちょっとマニアックな世界だから同志は少ないのだろう。

 きっと心が通じ合ったのだろう。


「ちょっと待ってね、調べてみるから」

 クロコは小さな辞典をパラパラとめくっていき、やがて手を止めた。


「ひょっとしてこの妖怪じゃないかな?」

 そのページを開いてアキナに見せる。


「あ、それ! あたし、その妖怪さん見たの!」

 アキナは口をまん丸に開き、小さな人さし指でそのページをさした。


   🌸


「この妖怪の名前は【桜鼠さくらねずみ】。名前の通り、桜の木に憑りつく妖怪なの。身長は五十センチくらいで、もともとは灰色の毛をしているんだけど、木に憑りついている時間によってピンク色になるの。桜に付く虫を食べたり、枝を折ろうする人にかみついたりするの。その仲間に【梅鼠うめねずみ】っていうのもいるのよ。こっちは梅の木に憑りつくの」


「へぇぇぇ」

 みんなが感心してクロコを見つめる。もう尊敬のまなざし、そしてクロコはこれだけでこのグループのリーダーになっていた。


「さすが妖怪博士だ」とマサヒコ。

「すごい辞典ですね」とトシオ君。

「初めて妖怪見れるかも!」とチエミちゃん。

「……」アキナちゃんはもうクロコに見とれて言葉も出ない。


「体がすっかりピンク色になってるなら、かなり古い妖怪。きっとその桜の木と長い時間を過ごしてたんじゃないかな」

「「すっごーい!」」


 子供たちの歓声にクロコはまた真っ赤になってしまった。


   🌸


「あー。そうそう、妖怪を見やすくする方法があるのは知ってる?」

 クロコは照れて話題を変えようとしたのだろうが、この一言でまたみんながクロコをキラキラと見上げた。


「そんなのあんの? オレ初めて聞いた」

 と、残念なマサヒコ……とは思ったが、実は私も知らなかった。

 私の場合、物心つく頃には向こうから姿を見せてきたから。


「妖怪はね、鏡やガラスに映すと、その姿が見えやすくなるのよ」


「すっげぇぇぇ! さすが博士だ……」

 ガキどもから、さらに感嘆のため息が漏れる。


「あたし、手鏡なら持ってる!」チエミは小さな手鏡を取り出した。

「スマホなんかでも大丈夫ですかね」とトシオ君。

「……あたしメガネある!」

 アキナちゃんはチャッっと赤いフレームのメガネをかけた。

 ちなみにアキナちゃんがメガネをかけている事は知らなかった。


「あー……オレはなんもねぇや。メガネもいらねぇし」

 マサヒコだけはグレーのビロードを掻きながらうなだれた。


「し、仕方ないわね。あたしの貸してあげる。これダテだから」

 クロコからメガネを受け取り、さっそく掛けてみるマサヒコ。

 なんかそれだけで頭がよさそうに見えるから不思議なものだ。


「なんか見えそうな気がしてきた! サンキュー、お姉ちゃん!」

「べ、別に大したことじゃないわよ……」


   🌸


「じゃ、じゃあさ、これから見に行ってみる?」

 そう言いだしたのは意外にもクロコだった。

 時刻は夕刻、そろそろ陽が落ちようとしている。


「おう、すぐ行こうぜ!」

「行きましょう!」

 マサヒコとトシオ君の声が重なり、チエミちゃんとアキナちゃんもすっくと立ちあがった。


「山吹先生はどうしますか?」

 聞いてきたのはクロコ。

 なんだかうれしそうだ。

 友達ができた楽しさなのかな。

 私もなんだか嬉しくなる。

 

「私は妖怪に興味ありませんからね。それに、ちょっとやらなければならないことが出来ましてね」

 クロコが不思議そうに見つめてくる。


「一緒に行ってらっしゃい。そろそろ日も暮れますから、そのネズミの妖怪が姿を現すかもしれませんよ」


 クロコはコクンと頷くと、ガキどもに囲まれながら診療所を出て行った。


   🌸


 診療所はまた静かになった。

 夕暮れのオレンジがまぶしく部屋の中を染めている。


 私は診療所を出て、神社の裏に広がる鎮守の森まで歩いてゆく。


 その森の入り口には一本だけポツンと梅の木が植えてあった。

 その梅の木は祖父がどこかから運んできたものだ。

 そして梅の木には、昔、小さなネズミの妖怪が住み着いていた。


「そう言えば、キミが姿を見せなくなってずいぶん経ちましたね」


 ちょっと空っ風からっかぜが吹き上げ、白衣の裾をバタバタと揺らせた。もうすぐ春になるな、冷たさの中にそれを感じさせるような風だった。


「キミは『梅鼠』という名前だったんですね。友達なのに名前も知らなかったなんてね」

 そっと梅の木を撫でる。

 そう言えばいつからだろう? この木に花が咲かなくなったのは。


「それでもね、あなたは私のことをで呼んでくれた、最初の友達だったんです。それに、あなたにも『桜鼠』という友達がいたんですね」


 わたしはそれを知らなかった。

 クロコの話を聞いて初めてそのことを知ったのだ。


「やっぱり寂しいのは嫌ですよね? 仲間も友達も近くにいた方がいいに決まっていますよね?」


 そう言葉にしてみて、改めて心が決まった。


「気が進みませんけど、に電話をかけなきゃなりませんね」

 


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