管巻蛇・後編 ~クロコの章~
「ただいま帰りました!」
扉の向こうで山吹先生の声がして、すぐに扉が開かれた。
「あ、先生、お帰りなさい!」
「留守の間、患者さんは来ませんでしたか?」
そういう先生はちょっとフラフラしてた。
「やっぱり来ませんでしたよ。それより先生、なんだかお疲れですね?」
「そうですねぇ。今日はさすがに疲れましたよ」
🦊
ごくろうさま先生。なにしろ普段は何もせずに一日お茶を飲んでいるだけ。それが今日は四十人もの人を診察したのだから、疲れるのも当然。
そしてあたしは、そんな先生のために一つサプライズを用意してあった。
「フッフッ。先生、実はですね、今日は先生にゴチソウを用意したんですよ」
そう! それも、とびっきりのごちそうだ。絶対、先生がびっくりするような。
「ご馳走ですか……そういえば晩御飯用意してなかったですもんね」
先生のテンションは低い。でもそれでいい。あのご馳走を目にすれば先生も驚くはず。そのギャップがすごく楽しみ!
「部屋に運んであります。一緒に食べましょう!」
「そうですね」
先生の脱いだジャケットをハンガーにかけ、雑に取ったネクタイの結び目をほどいてハンガーにかける。なんか、これ、ちょっと奥さんになったみたいな気分……
「おや、クロコ君。なんか顔、赤いですよ?」
「そ、そんなことないですよ。それより、晩御飯にしましょう」
🦊
先生について居間に入る。フスマを開けるとおなじみのコタツ。
しかし今日はいつもと違う。机の上には朱塗りのお重が二つ並んでいる。
さらに部屋にはうっすらと香ばしい匂いがすでに漏れている。
「こ、これは、まさか……」
先生はがっくりと膝をついた。はわわ、と声にならない声が漏れている。そのまま四つん這いで机の前に移動する。お重に伸ばした手が震えている。
うんうん。これが見られただけで、あたしは幸せ。
「まさか、これ……ウナギですか?」
「ハイ!」
「しかも高級店『七ツ沢』のうな重じゃないですか?」
「ハイ!」
「ま、まさか、私がこれを食べられる日が来るなんて……」
先生はワイシャツの袖でごしごしと涙をぬぐった。
さすがに泣き出すのは期待以上のリアクションだった。
🦊
ちなみにあたしが『うな重』を手に入れたカラクリは簡単だ。
猿柿に頼んで大きなウナギを十匹ほど捕まえてもらったのだ。
「クロコ姉さん、ウナギなんか好きなんですか?」
ウナギは妖怪に人気がない。ぬるぬるしてるし、味も美味しくないからだ。
それにもっと身のおいしい魚なら川にたくさんいる。
「いいから捕まえてきて。なるべく丸々として大きなやつね」
そうして猿柿が捕まえてきたウナギを、水を張った樽に入れて『七ツ沢』に運ぶ。店主のおじいさんは蓋をとって、樽の中でぬるぬると動くウナギをびっくりした目で見ていた。
「こりゃ驚いたな……コレどこでとってきたんだい?」
「七ツ川の上流です。場所は内緒ですけどね」
それから交渉。あたしはウナギ全部を渡す代わりに、二人分のお重の出前を頼む。もちろん川でとれたての、しかも大きなウナギばかりだ。
店主の人は大喜びで取引に応じてくれた。
「でも逆にいいのかい? こんな上物ばかりもらっちゃって?」
「はい。その代わり一つは『ごはん大盛り』にしてください」
「ご飯だけじゃなくて、ウナギも二段にしてあげるよ。じゃあ、夕方には神社に届けるよ」
🦊
という訳で今、先生の目の前にそのお重が二つ並んでいるというわけだ。
ちなみにあたしもウナギはあまり好きじゃない。少なくともナマは。
でも焼いたウナギを食べるのは初めてなのだ。
「デハ、イタダキマス」
先生はなんかカタコトになっている。そして手を震わせながらお重の蓋を取った。ふわり、と焼けた醤油のいい香りが漂う。
「いっただきまーす」
あたしも蓋を開ける。四角いお重の中にきれいにウナギの身が並んでいる。うん。すごく美味しそうな匂い。先生の食べ方をまねて、スッと箸をいれ、ご飯と一緒にウナギのかば焼きを口に入れる。
ホロリとした柔らかい身、少しパリッとしたような、なんとも香ばしい皮の食感、そしてふっくら炊かれたご飯に染み込むタレの甘味、その全てが溶け合って……
(なにこれ? これがウナギなの?)
うわっ。コレものすごく美味しいんですけど。よく分かんないけど圧倒的に美味しいんですけど。匂いも味も全てが完璧ですけど!
「ウワッ! 二段ニナッテイル!」
先生はすでに泣きながら食べてる。おかしいけどあたしも箸が止まらない。四角く切って、なんか大事に大事にウナギを食べる。あ、山椒の香りが……これがまた……ウナギと引き立てあって……
「ウナギって、オイシーデスネ!」
ナンカあたしもカタコトになってしまう。
「オイシーデスヨネェ、クロコクン。本当ニアリガトウ。コンナ御馳走ガ待ッテルナンテ、思イモシマセンデシタ」
「アタシ、センセイガ、ウナギ好キナ理由ワカリマシタヨ」
「ソウデショウ、ソウデショウ、オイシイデショウ」
🦊
それはともかく、楽しいご馳走の時間は終わった。
「さて、じゃ、あたし帰りますね」
あたしが立ち上がると、
「ちょっと待ってください、クロコ君」
珍しいことに先生が呼び止めてくる。いつもならここでサヨナラなんだけど。
「なんですか?」
あたしは振り返りながらそう答える。
なんだろう? なにかウナギのお礼とかかな?
それなら気にしなくてもいいのに。
「いえね、実はちょっと聞きたいことがあるんですよ」
と、先生。それから今日の診察に持って行った革のカバンを引き寄せた。
「聞きたいこと、ですか?」
「ええ、あなたの妖怪辞典に、狭い
🦊
「管? 蛇? うーん『
あたしは首をかしげる。管狐といえば妖力の強い大物妖怪だ。
でもあくまで狐。蛇ではない。ましてそう簡単に出てくる妖怪ではないし。
「どうも妖怪がこの聴診器に入り込んでしまったようなんです」
先生はそう言っていつもの聴診器を取り出した。
グニャリと曲がった銀色の鉄のパイプと黒いゴムの管。
どこに入り込んだか知らないが、どちらもかなり細い管だ。
「管に入ってて……蛇の姿のモノノ怪……うーん」
「まぁ蛇じゃないかもしれません、とにかく細長くてニュルンとしてて、ミミズとか、ウナギのような感じで、それからどうも人の心を読むようなんですよ」
え? ……人の心を読む?
そこが一番引っかかる。なんかすごく危ない能力な気がする。
仮にもし先生があたしに試していたら……
うん。かなり危ない能力だ。あたしのコトがばれてたかもしれないし、それこそ、あたしの本当の姿とか、あたしの気持ちまでバレてたかも!
うん、ぜったい危ない! そんなモノノ怪を野放しになんかできない!
🦊
「先生、それは危険です! 断固、退治しましょう!」
あたしは俄然やる気になる。こんな小物妖怪にこの幸せな生活を破壊させるわけにはいかない! なんとしてもここから追い出して、封印してしまわないと、危なくてしょうがない。
「そんなに危険な妖怪ではないと思いますが……」
「ダメです先生! コトワザにも言うでしょう? 『油断大敵』! どんな妖怪も油断しちゃダメなんです!」
「珍しいですね、クロコ君がそんなにやる気を出すなんて」
「当たり前です! これじゃ仕事になりませんからね。それでなくても患者さん来ないんですから!」
「そう、そうなんですよ! すっかり町の人にも気味悪がられましてね」
「まぁ今回はあたしに任せてください!」
あたしは聴診器をもち、そこからジャンジャン妖気を送り込む。それをごまかすために、集音盤をマイク代わりにして、管の中に潜んでいる妖怪に声をかける。
「あー、妖怪さん、お話があるので出てきてくださいませんか?」
するとさっそく妖怪の姿が浮かび上がってきた。
🦊
それは先生の言う通りに蛇だった。なんとなくヌルリとして、でも色はなんともきれいな水色だった。トルコ石の青によく似ている。
『今日はずいぶん人に話しかけられる気がするなァ。まさかね、誰もボクと話したい人なんていない。これは孤独な精神が生んだ幻聴に決まっているんだ、ヒック』
ちょっとろれつが回ってない。なんか酔っぱらっているようだ。
「あの妖怪さん、あなたが入ったのは聴診器の中で、それがないと先生はお仕事ができないんです。だから出てきてくれませんか?」
先生の前だから、ちゃんとかわいい女の子の声で話しかける。
『女の子の声? ハハっまさか。ボクはいよいよ壊れてきたのかな? それとも酔っぱらったのかな? ウワバミの仲間のこのボクが』
「いえ、幻聴じゃないですよー。ちゃんとあなたに話しかけてますよー」
あたしはすでに怒りを感じていたけど、大丈夫、まだ我慢できる。
🦊
『あの、キミはボクが誰かを知ってるの? ていうか、ボクに話してキミになにかいいことあるの? ヒック』
「そういうことじゃなくて、とにかく先生が仕事できないんです」
『先生かァ……そういえば最近お医者さんと話したような。でもね、ボクはその人をがっかりさせたようです。ボクはいつもそうなんです。いるだけで周りの人をがっかりさせちゃう、どうしようもない奴なんです。酒でも飲まなきゃやってられないんです。でもボクはこれでもウワバミの仲間、いくら飲んでも酔えないんです。ヒック』
いや、あんたしっかり酔っぱらっているから!
喉元まで叫び声が上がってきたけど我慢。
イライラが手の震えに変わってきたけど我慢。
吊り上がってきた目も、優しい微笑みに変えて我慢!
相手はクダを巻いてるだけの小さな蛇なのだ。
🦊
「あ。」
それで急に思い出した。こいつのことは妖怪図鑑に載っていた。
管狐とよく間違えられる、蛇の妖怪。
たしか名前は【
古い楽器なんかに好んで住み着き、祭りが大好きな妖怪。厳密には祭りに出てくる酒が大好きな妖怪だ。
「あなた『クダマキヘビ』でしょ?」
『おや、ボクの名前を呼んでくれるとはね……長く生きてきましたが、ボクの名前なんか誰も知らないと思ってました、ヒック』
それにしても……なんてネガティブなヤツ!
🦊
「管巻蛇さん、とにかくそこから出てもらえませんか? そこに住み着かれると困るんです。あたしも先生も」
先生の手前、とにかく根気よく丁寧に、妖怪に話しかける。
『でもねボク、ココが気に入ってるんです。狭くて暗くて、とにかく落ち着くんです。酒はないけど静かだし、ヒック』
「ひょっとしてお酒が飲みたいんですか?」
今度は山吹先生が話しかける。
『蛇の妖怪と言えばお酒はつきものでしょう? ヤマタノオロチだって大酒飲みだったでしょう? 知りませんか?』
「うーん、困りましたねクロコ君。そんなに大量のお酒は用意できないですよ」
先生が困ったようにそう言った。
「そうですねぇ。まずお酒を買うお金がないですもんね」
うーん、困ったな。この妖怪、姿は小さいけれど、どれだけ飲むか分からない……もういっそ酒樽に封印したいくらいだ。
🦊
ん? 酒樽?
なにかあったような……『樽』で今日捕まえたウナギのことを思い出した。捕まえたウナギは水を張った木の樽に入れて運んだのだ。樽の底で丸まっていたウナギの姿が管巻蛇とぼんやりと重なる。
そういえば、管巻蛇が入るくらいの小さな酒樽を最近見たような……
「あー! あれだ!」
思い出した! 管巻蛇にピッタリのモノがあった!
「クロコ君、どうしたんです急に?」
「山吹先生! 『雛々団』を出してきてください!」
「え? アレをまた出すんですか?」
先生はすごく嫌そうな顔をする。
気持ちは分かる。
先生は彼らのせいで、ひどい不眠症になったことがあるのだ。
「そうです。でも、これで全部解決するんです!」
「気が進みませんが……これじゃ仕事になりませんし……仕方ないですね」
🦊
しばらくして再び雛人形のセットが居間に集合した。今回は省略してひな壇はなし。そして先生は気分が悪いと言って、診察室へとさっさと逃げてしまった。
さて、先生もいないなら気を使う必要もない。
あたしは手早く人形を箱から取り出した。
「あら、またアンタ? もうひな祭りは終わってるんですケドー」
相変わらずガラの悪い姫。
「まぁまぁ姫。なにか理由があるのでおじゃろう」
キラリと笑顔の、相変わらず無駄にイケメンなお内裏様。顔のシワもすっかり取れて肌もつやつやと輝いている。
「ふふ。きっとそうですわね……」
お内裏様の言葉に打って変わったように姫。それからあたしを振り返ると、なんとも意地悪な笑顔を向けてきた。これ、ほんとに姫なの? と疑いたくもなる。
「……それよりアンタ、いいの?」
なにやら意地悪そうな笑顔を扇子で隠す姫。
「な、なにがよ?」
「アタイたちをしまい遅れると、婚期が遅れるわよぉ。まさか知らないの?」
婚期? それって先生と、け、結婚ってそういう意味? え、でもまだ……心の準備が、いやいや、照れてる場合じゃない!
🦊
「お、大きなお世話よ! それよりさっさとはじめなさいよ、雛々団の集会やるんでしょ!」
「まったくガラの悪い女だぜ」
五人囃子が文句をたれながら、太鼓をたたきだす。
『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』
『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』
「さぁ、宴を始めるでおじゃる!」
ボンボリが怪しいピンク色の光を振りまき、姫が踊り出す。三人官女は酒樽を開け、ひしゃくでみんなの盃に酒を注いで回る。
かくして宴という名の『集会』は始まった。
あたしは机の真ん中あたりに先生の聴診器をそっと置く。
あとは管巻蛇が出てくるのを待つばかりだ。
🦊
待つことわずか三十秒……
『あれ、お祭りですか? ヒック、なんか楽しそうだなァ』
そろりと管巻蛇が聴診器から抜け出してきた!
「おう、誰だか知らねぇが、オメェも飲んでけ!」
ガラの悪い五人囃子がさっそく蛇に酒を飲ませる。ちなみにちょんまげはやっぱりリーゼントのように額に落ちている。
『いいんですか? ボク、ウワバミの仲間ですから底なしですよ。フフ』
「お、いいねぇ。遠慮しねぇでどんどん飲んでけ! なにしろこの酒樽、どんどん酒があふれてくる特別製よ、尻尾の先まで飲んでけ」
『ハイ! いやぁ楽しいなぁ、雛々団サイコーですね』
「おめぇなかなか話せる蛇だなぁ」
なんて言いながらすっかり打ち解けた管巻蛇と雛々団だった。
🦊
やがて管巻蛇はすっかり酔っぱらい、酒樽の中に頭を突っ込んだまま眠ってしまった。そのままスルスルととぐろを巻き、手のひらサイズの小さな酒樽の中にすっぽりと納まった。
それを見計らい、あたしは素早く酒樽に蓋をする。
「おい、何すんだよ姉ちゃん、俺たちまだ飲んでんだよ」
と五人囃子の面々が文句を言ってくる。
「そーよ、せっかく盛り上がってきたとこなのにぃ!」
三人官女もせっかくのかわいい顔をガラ悪くゆがめている。
「まだ飲みたんなーい!」
姫までそんなこと言い出す。
「はい、バカ騒ぎはここまで。集会はこれでお開き」
あたしはそう言って小さな酒樽を取り上げる。
「ちなみにこれはあたしがいただくわよ。いいわよね、この前、治療費もらってなかったし」
「いや、そちにはちゃんとヘソクリとやらを……」
「い・い・わ・よ・ね?」
ギンと睨みつけるとお内裏様はスッと目を逸らした。
「さ、もう時間よ。みんなさっさと箱に帰って」
雛々団はブーブー文句を言いながら、あたしを恨めしそうに睨みながら、しぶしぶ箱に帰っていった。
🦊
「おや、終わったようですね」
彼らが箱に戻り終えると、先生も部屋に戻って来た。
アレ? 山吹先生、珍しいことに片手に缶ビールを持っている。
「先生がビールなんて珍しいですね」
「ええ、町内会の人にいただきましてね。久しぶりに飲みましたよ」
なんかちょっと酔った先生はかわいく見える。
いつもより話し方も笑顔も柔らかい感じがする。
「ちゃんと管巻蛇も聴診器から出ていきましたよ」
「そうでしたか。いやぁそれはよかった」
先生はちょっと疲れたように笑った。もちろん私もうれしい。
「ところでその管巻蛇はどこへ行ったんです?」
「この中ですよ」
あたしは管巻蛇の入った小さな酒樽を先生に見せた。
🦊
さて今回は久しぶりにいいものを手に入れた。
なんと蛇酒! じっくりと寝かせると、妖力のたっぷり染み込んだ極上のお酒になるのだ。あたしはお酒飲まないけど、大抵の妖怪はみんなこれに目がないのだ。
「これ、お酒が入ってるんでしょう? 溺れませんかね?」
「大丈夫ですよ。妖怪ですからね」
「それにしても厄介な妖怪でしたね。私も今日は疲れましたよ」
「そうですね、あたしもです。ということでそろそろ帰りますね」
ふと先生が壁にもたれかかり、あたしを見つめてきた。
「クロコ君、今日は晩のウナギのご馳走といい、管巻蛇のことといい、いろいろとありがとうございました」
たぶんビールのせいだろう。
いつもはそんなことしゃべらないのに。
でもそんな先生もなんだか素敵だ。
「先生こそ、今日はいろいろとお疲れさまでした!」
あたしがにっこりと笑うと、先生はちょっと驚いた顔をした。
と、なんだか顔が赤くなった。
「先生、どうかしましたか?」
「いえいえ、なんか急にうれしいような、恥ずかしいような、なんかそんな気持ちになってしまって。たぶん、コレのせいですね」
先生はそう言ってビールの缶を振って見せた。
「先生、飲みすぎには注意してくださいよ、諺ではこういうでしょ?」
「分かってますよ」
合わせたわけでもないのに言葉が重なった。
「『酒は飲んでも吞まれるな』」
第九夜『管巻蛇』 終わり
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