雛々団・後編 ~クロコの章~
「クロコ君! よく、よく来てくれましたね!」
山吹先生の声が部屋の奥から聞こえてきた。
「すいません、こんな夜中に……」
「いいんです、いいんですよ! それよりホントよく来てくれました!」
現れた山吹先生は……目の下にひどいクマを作っていた。一目で寝不足とわかるくらい。ついでに言うとメガネはちょっとずれてるし、頬は少しこけていた。
(先生、きっとお金のことが心配で眠れなかったんだ)
今回はさすがにきつく言いすぎたかもしれない。
あんな言い方しないで、もっと優しく言えばよかったかも。
と、ちょっと反省したんだけど、なんか様子がおかしかった。
🦊
「いやー、ホントちょうど良かった、あなたに見せたいものがあるんです!」
山吹先生はずいぶんと嬉しそうにそう言った。が、やつれきった姿で言われるとますます悲壮に見えてしまう。なにか良くないものに憑りつかれたような、熱にうなされているような、そんな感じだった。
ますます怪しい。というか、おかしい。
「いったいどうしたんです、先生?」
なんだか心配になってそう聞いてみる。
「クロコ君にね、雛人形を見せようと思って飾ってあるんですよ」
🦊
「え? 雛人形?」
それはちょっと意外な答えだった。
でも雛人形には、ちょっとあこがれていたのだ。階段型の豪華な舞台、かわいい人形たちと色とりどりの小物、それにボンボリの明かり。これまで女の子たちが人形で遊んでいるのを、遠くから眺めるだけだったのだ。
「先生……まさかあたしのために?」
それだけであたしは感動してしまう。先生があたしのために、あたしだけのために、雛人形を飾ってくれただなんて!
「もちろんですよ。私の母の物なんですけどね、クロコ君が喜ぶかと飾ってみたんです。ほら、ひな祭りは女の子のお祭りですからね」
「先生……」
「まぁ、見てください。そしてさっさと片付けましょう」
さっさと片付ける? あれ、聞き間違いかな?
とにかくあたしは先生の後について、コタツのある部屋に向かった。
🦊
フスマを開けると『ディスコ』があった。いや、ディスコというのはちょっと違う。もっとミヤビな感じだか、祭りというほど上品なものでもない。一番ピッタリくるのは……とにかくやかましい! だった。
『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』
『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』
太鼓の音が聞こえ、笛の音が甲高く響いている。薄暗い部屋の中でボンボリの明かりがまばゆく輝き、キラキラと怪しい光を振りまいている。肝心のひな壇では三人官女が怪しげな踊りを踊り、なにか魔界のような雰囲気だった。
「先生、なんですか、これ?」
あたしは思わず尋ねた。
🦊
「雛々団の集会ですよ」
先生は真面目に答える。が、意味が分かんない。
「あのコレずっとやってるんですか?」
「はい。もう三日目です」
これが先生の寝不足の原因だ。これでは眠れるはずがない。
でも先生はあたしのために、あたしに見せようとして、この人形たちを出してきたのだ。それなのに……
あたしの怒りは一気に沸騰する。もうコブシがワナワナと震えだしてしまう。
よくも先生を困らせてくれたわね、この妖怪ども!
もう抑えようがなく、妖気がブワッと流れ出す。
とたんに演奏が止まった。踊りも止まった。姫は手拍子をやめた。
そして人形たちが一斉にあたしのことを振り返った。
🦊
「おや、演奏が止まりましたね」
先生はクマのできた目をすがめ、とても嬉しそうにそう言った。そしてフラフラとコタツの方へと歩いていく。
「クロコ君、ゆっくり見て行ってください。あ、お内裏様の箱だけがどうしても開かなくてですね、なんでも外に出られない、やんごとない事情があるそうです」
先生はコタツに足を入れ、それから電池が切れたように机に突っ伏した。
そしてすぐにいびきをかいて眠り始めた。
そこであたしはギンと人形たちを睨みつけた。
🦊
「な、なんだよ、オメェ」
五人囃子がおびえている。
「な、なによ、アンタ」
三人官女は固まって震えだしている。
あたしはそのまま彼らを無視し、姫をむんずと捕まえて一段下におろした。
「あ、アタイに触んな!」
ガラの悪い姫も完全無視。そして閉じたままの箱を睨みつける。
箱がカタカタと小刻みに震えだした。
「さっさと出てきなさい」
あたしは静かにそう命令する。
「い、いやじゃ。余は絶対に出ない!」
あ。そう。あたしは箱をつかむと、無理やりその蓋を開けようと、取っ手をつかんで持ち上げる。
カタカタカタと、箱が震えるが、扉だけはガンとして開かない。
「い・い・か・ら、出てきなさい!」
渾身の力で蓋をこじ開ける。
が、やっぱりビクともしない。こう見えてかなりの妖力があるらしい。
しばらくそうやって試したのだが、結局ふたは開けられず、あたしもすっかり疲れてしまった。
🦊
「はぁぁ……ねぇ、何で出てこないのよ?」
あたしもすっかり根負けしてしまった。
これだけ頑張るからには、よほどの事情があるのだろう。もうあとはオダイリサマが自分から扉を開けてもらうほか手がなさそうだ。
でないとこのバカ騒ぎが延々と続くことになる。
「……そのやんごとなき事情ってなによ?」
木箱を床に置いて話しかける。
「やんごとなきは、やんごとなきじゃ」
あ。箱ごと壊そう。
急に決心してコブシを振り上げると、さらに箱の中から声が聞こえてきた。
「余は醜い姿を見られとうないのじゃ……」
🦊
自然とあたしのコブシは止まった。
その告白。それは妖怪ならではの悩みかもしれない。
妖怪は自分の姿を見て人が恐れるのを結構気にしているのだ。わたしだってそう。人間の姿に化けているけど、やっぱり本当の姿は先生に見せたくない。
「……そうだったの。それなら仕方ないわね」
「……分かってくれたか、
「皺?」
「……皺じゃ」
「お内裏様、あなた男よね?」
「無論じゃ」
「シワなの?」
「シワじゃ。目じりと口元に……」
あ。また殺意が湧いてしまった。
いけない、いけない。我慢、我慢。
ここは落ち着いて。寝てはいるけど先生もいる。冷静に対処しなきゃ。
「皺が気になって外に出られないのね?」
「うむ。これでも人形、人に見られるのが仕事でおじゃる。醜い姿は見せられないでおじゃる」
🦊
あたしはちょっと腕組みして考える。
皺か。人形だからヒビかもしれない。でもあたしには治せそうにない。でも先生なら何とか出来るかな? いやいや、せっかく先生寝てるし、今は自分で……
そこで思い出す。
なんとピッタリの物を持っていたのだ!
鶯太夫からもらったウグイスのフン。たしかあれは美容に効果絶大だと言ってたはず! たしかあの時のフンは、先生があたしの手からすくい取って、小さな空き瓶に入れていたはず!
「ちょっと待ってて。いいものがあるの!」
あたしは診察室に戻って、机の上にその瓶が置きっぱなしになっているのを見つける。それを取ってすぐに部屋に戻る。
「お内裏様、いい薬があるんです、どんな皺もとれるクリームです」
「それはまことか?」
箱から声が聞こえてくる。
「もちろんです、特に妖怪には効果絶大の美容クリームです」
初めて箱がちょっと開いた。
「これは鶯の貴重なクリームです。これを塗れば顔のシワなどたちどころに消えると言われてます」
「まことか、それは? ぜひ余にも分けてほしいでおじゃる」
そう言ってとうとう箱からお内裏様が姿を現したのだった。
🦊
姿を現したお内裏様はものすごく美形だった。小さいけれど、その顔はこれまで見たどの人間よりもハンサムだった。切れ長の涼しい目元、すっきりとした顎の線、魅力的な唇の形。その完璧な美しさは自ら光を放つほどだ。
思わずあたしも見とれてしまった。
「へぇ、あなたずいぶんと男前なのね」
「顔の良さならどの人形にも負けんでおじゃる」
自身たっぷりにそう告げる。普通ならイラッとするセリフもなんだか素直に納得してしまう。
「それでどこに皺が?」
「ほれ、ここ、と。ここ、じゃ」
小さな指でさしたのは目元と口元。もちろんよく分からない。グッと顔を近づけてみたが、ほんの一ミリか二ミリのことだった。
「あまり見るでない」
そういって扇で顔を隠してしまった。
それからあたしは瓶のふたを開けて、かなり嫌だったけど指先にウグイスのフンをつけた。それからお内裏様を持ち上げ、顔全体にまんべんなくフン……ではなくクリームを塗った。
その瞬間、パーッと緑色の光が放たれ、わずかに見えていた皺がすっかりと消えるのが分かった。
🦊
「おお、おお、これはすごいでおじゃる!」
お内裏様には見えてないはずだが、感動の声をあげる。
「せっかくだからたっぷり塗っておきますね」
また緑色の光がパーッと広がり、その光が収まるころにはすっかりお内裏様の顔から皺がなくなっていた。
「さて、これで箱から出られるわね?」
「無論でおじゃる。この美しい顔は人に愛でられるためにあるのじゃからな。ほれ、諺にもいうじゃろ? 『人形は顔が命』とな」
「それ、ことわざじゃないけど……ま、いいわ。さて、治ったところでお代の話にしましょうか?」
あたしはにっこりと笑ってそう言った。
🦊
そう、今回ばかりは待ったなし! あたしは気合が入っていた。このところ集金人として十分な活躍が出来ていなかったのだ。ここらで金目のものをもらっておかないと……と自分で言ってて、ちょっと悲しいが、もうそんなこと言ってる場合じゃないのだ。
「もちろんタダで済ますつもりはないわよね?」
「もちろんでおじゃる。余はれっきとした貴族、そちには十分な褒美を取らせるつもりじゃ」
ホッ。どうやらすんなりといきそうだ。
「では、さっそく」
お内裏様がムムっと考え込んだ。
それからあたしの顔を見た。
それから天井を見上げる。
そしてハッと顔を輝かせ、咳ばらいをひとつ。
「君がため~、冬の野に出でて~」
「ちょっと待った! なにしてんの?」
「いや、だからソチに和歌を送ろうと……」
「いや、そうじゃないでしょ。もっとこう、あるでしょ? 貴族なんだから」
「では……そうじゃ、そこの雛あられ、菱餅、好きなだけ持っていくがよい」
「いやいや、子供の使いじゃないんだから」
「ではそこの酒樽はどうじゃ? 酒がどんどん湧いてくるぞ」
うーん。微妙。人形の酒樽だから湯呑茶碗よりもさらに小さい。
「微妙ねー、もっと他にないの?」
「うむ。困ったなちょっと皆と相談させてくれ」
「分かったわよ」
🦊
あたしはお内裏様を所定の場所に飾る。お雛様もその隣に飾る。
「ようやくお会いできましたわね」
姫は先ほどまでのキャラはどこへやら、すっかり姫様になっている。そしてうっとりとお内裏様の顔を眺めてポッと顔を赤らめた。
「姫や、余はかの者に世話になった故、なにか褒美を取らせたいのじゃが、何がよいと思う?」
「もちろん楽しい音楽と踊りでもてなすのがよろしいかと!」
「そうじゃな、それがいいな! さすがは姫じゃ。ではさっそく」
『トン・トン・トントコ……』
『ピー・ピー・ピーヒャラ……』
太鼓の音、笛の音が流れ出し、先生がビクリと背中を震わせた。
「ストーップ!」
もちろんやめさせる。それから大きくため息をつく。
🦊
「なにか、もうちょっとないの? 現金とか小判とか」
「ずいぶんとわがままな娘ですね! ねぇー、お内裏様!」
「うむ。あれもダメ、これもダメでは礼のしようもない」
あ……またちょっと殺意が湧いちゃった。
「あのね、褒美って、ふつう金とか銀とか宝石とか、なんかそういうのでしょ?」
「そうなのか?」とお内裏様。
「よくわかりませんわ」と姫。
「うーむ……」
またもや考え込むお内裏様。
イライラしてきたけど、ガマンガマン。
🦊
「そうじゃ! 余のものではないが、そこの者の母上が大事にしていた物がある」
「え? 先生のお母さんのもの? なにそれ?」
「余も詳しくは知らんが『へそくり』と呼ばれるものらしい。なにやら大事そうに余の箱にせっせと詰めておった。余には不要の物じゃから全部持っていくといい」
へそくり……なんかよく分からないけど。と木箱の中をのぞいてみる。と、紙幣が見えた。現金だ。たぶん二十枚くらい。それを取り出してみる。
「あれ、これ本物なの?」
その紙幣は全て二千円と印刷されている。本物みたいだが、これまで見たことのないお札だった。だいたい金額が中途半端だ。どうもニセモノみたいな気がする。
「ねぇ、これ本物なの?」
あたしはお内裏様と姫の二人に聞いてみる。
でも二人は黙ったままなにも答えない。
いつのまにか人形から妖力が消えていた。
ようやく元の雛人形に戻ったのだった。
🦊
「まぁいっか!」
先生は机に突っ伏していびきをかいている。
あたしは近くにあった毛布を先生の肩にかけ、ちょっとその寝顔を眺める。
「先生。あたしのためにお雛祭りしてくれてありがと」
それからひな壇の人形たちを眺める。さっきまであんなにうるさかったけれど、こうしてよく見ると、どれもこれもかわいい顔をしている。
「今回はちゃんと集金も出来たし、今月のピンチもこれで乗り切れそうですよ」
紙幣をまとめて、先生の顔の横に置いておく。先生が目覚めてお金を見つけたときの顔も見たいけど、一晩中ここにいるわけにはいかない。
一応あたしは年頃の女の子だしね。
「まさに『果報は寝て待て』ですね、先生。今日はゆっくり寝てください」
第八夜『雛々団』 終わり
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