第八夜 【雛々団】

雛々団・前編 ~山吹の章~


 ○~〇~〇




 関東地方のとある県、その最北端に『七ツ闇』という町がある。


 その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。


 だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。


 そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。

 

 神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。


 だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。


 そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。


 その噂いわく『あの診療所には物の怪がでる』というのである……




 ○~〇~〇


   🌸


「先生、今日も患者さん、ぜんぜん来ませんけど……」

 クロコがため息交じりにつぶやいた。

 今日の服装はどういう理由か剣道着だ。紺色の剣道衣に、黒いはかまをはいている。背は小さいのだけれど、なかなかに凛々しい感じだ。


「そうですねぇ……と、まぁ毎度言ってますけど、患者がいないというのは、医者にとってことなんです」


「はぁ……山吹先生。もう、そんな悠長なこと言ってられませんよ?」

 クロコはまたも大きくため息をつき、死刑宣告のようにそう言った。

「先生の金庫、もうお金残ってませんよね?」

 彼女が竹刀でピシっと差したのは、机の上にある小さな青い金庫。


 わざわざ見なくても中身は分かってる。空っぽだから。


   🌸


「山吹先生、いよいよヤバいです。ホント後がないですよ」


「なに心配いりませんよ。いつものように、最後はなんとかなりますよ。そういうものです」

 私はつとめて冷静に答える。

 それからなんとなくメガネを外して掛け直す。

 内心はかなり動揺しているが、もちろん表には出さない。


 と、クロコが私以上に冷静に答える。


 え? そうなの?

 ちょっとそんな気はしていたのだ。いよいよヤバいって……

 なんとかならないものだろうか?これまでだって、何度もこんなピンチを乗り越えてきたのだ。まぁ『棚からぼたもち』的ではあったけれど。


「気にしすぎですよ。これまでも何とかなったんですから、今月だって……」


「……


 ム。ならないか……彼女がそう言うからには、そうなのだろう。

 ということは本格的に危ないということか……


 そうだな……まずは出来ることからはじめてみよう。


「クロコ君、とりあえずお茶でも飲みませんか?」

 クロコは肩をがっくりと落とし、大きく息を吐いた。


   🌸


「あのですね先生、のんきにお茶飲んでる場合じゃないですよ。なにか臨時収入のアテとかないんですか?」

「そうですねぇ……患者さんあっての病院ですからね。まぁそういうときもありますよ。ほら、こういうでしょ。『金は天下のまわり物』!」


「この病院、

 なかなか鋭いことを言う。うーむ。しかしお金が入ってくる見込みは全くない。それだけは自信をもって言える。つまりは手詰まり。


「まぁあまり深く考えるのはよしましょう」

 クロコはまたため息をつき、頭を抱え込んだ。


「先生。その性格から直した方がいいんじゃないですか?」

 それからクロコは急に立ち上がった。そして私をじっと見つめてきた。

 その目に映るのは……悲しみ? 憐れみ? それとも軽蔑? とにかくいつもとちょっと違う気がする。


 私の背中に不意に悪寒が走る。

 彼女、出て行ったらそのまま戻って来ないような、不意にそんな予感がした。


「クロコ君、まさか……」

「ガキどもが来ました。あたし、もう行きますね……」

 そう言ってまたフッとため息をつき、クルリと背を向ける。


 それから珍しいことに一度だけ振り返った。


「クロコ君、また、戻ってきますよね?」


 クロコは答えなかった。そして風のように出て行ってしまった。


 うーむ。これはさすがに愛想をつかされたかもしれない。


   🌸


「センセー、また来たよぉ」

 と、私のセンチメンタルな気分を見事に壊すマサヒコ。相変わらずランドセルをぶん回して実に楽しそうだ。人の気も知らないで。


「こんにちは」

 トシオ君はいつものように礼儀正しい。


「先生、こんにちは。寒いからお茶入れるね」

 チエミちゃんはテキパキとみんなの湯呑を出し、ポットの湯を沸かし、日本茶の用意をする。よく見ると、なかなか本格的に淹れている。

 今思えば彼女の実家は料亭だから、こういうところきちんとしていたのだ。実際彼女の淹れるお茶は妙にうまい。


「ねぇ先生、今日のおやつは何?」

 マサヒコが野球帽を脱ぐと、その下からグレーのビロードのヘルメットが現れる。いつもなら触りたいと思うのだが、今日はそんな気分になれない。

 なにかクロコのことが気になってしまう。


   🌸


「今日は『ショコラバット』を用意してあります」

 それでも私はいつものように、みんなにお菓子を配る。みんなはそれを受け取ると慣れた様子で包装紙を破って食べ始める。そしていつもの通り、勝手に自分たちだけで話をはじめる。


 なんだか今日はひとりぼっちになった気分だ。

 楽しそうなふりをしてみんなの会話を聞いている。うなずいたりもする。

 でも私はその会話には加わっていない。そこにはいるけれど、透明人間と同じ。誰も私のことに気付かない、その存在すら見えていない。


 なんだかとても寂しい気がしてくる。

 ショコラバットをかじると、なんだか甘くて、不意に泣けてきた。


 いや……やっぱり変だ。今日の私はどうかしている!


 ガキどもと仲良くしたいだなんて、ありえない話だ!


   🌸


「そういえばさぁ、聞いて聞いて!」

 そう切り出したのはチエミちゃん。


「なんだよ? 妖怪の話?」

 マサヒコがさっそく答えたが……

「あんたじゃないわよ、トシオ君に話してんの」

 ズバッとチエミちゃん。さっさとマサヒコに背を向ける。


「なんでしょう?」

 トシオ君はスッとチエミちゃんに体を向け、穏やかに微笑む。

 これだ。トシオ君はこういうのが自然にできる子なのだ。すごいとは思うのだけど、やっぱりイラッとくるのはなぜだろう?


「三月三日はひな祭りでしょ。トシオ君、ウチに来ない?」

「お呼ばれってことですか? いいんですか?」

 と、トシオ君。

「うん。うちはね、お姉ちゃんが二人いるから、毎年豪華にひな祭りしてるの。それで何人かお友達に声をかけてるから、トシオ君もよかったらって思ってさ……」

 チエミちゃんは照れながらも、なんとか最後までそう言った。でも言い終わったときには顔が真っ赤になっていた。


「……ど、どうかな?」

「もちろん。喜んで」

 トシオ君はにっこりと笑ってそう言った。照れもなく、紳士的に、爽やかにそう言った。そしてチエミちゃんは両手を握りしめ、感極まったように診察ベッドに倒れこんだ。


「やったぁ!」


   🌸


「なぁ、俺は? トシオが行くなら俺も行く」

 ここで空気を読まないマサヒコの乱入だ。

 チエミちゃんの額に青筋が浮かんだ。漫画みたいなバッテンの青筋だ。だがなんとかこらえている。ググッと拳を握りしめ、それからハッと思いついた。


「あ、あんたには……アキナちゃんがいるじゃない!」

 アキナちゃんがマサヒコの袖を引っ張り、コクコクとうなずいてみせた。

「ん? ああ。そうだったなぁ。俺ん家もひな祭りやるんだった、忘れてた」

 マサヒコが呑気に答える。

 うん、彼は本当に残念な子だ。


 いや……そこでセンチメンタルな私は少し我に返る。


 ひょっとしてなのではないのだろうか?


   🌸


「……そういえばウチも雛人形、出してたな。なぁ、アキナ?」

 マサヒコがそういうとアキナちゃんがコクコクと頷いた。


「うちもね、オダイリサマとオヒナサマ飾るの」

 なんだか呪文のようにアキナちゃんが答えた。


「やっぱ、ひな祭りっていいよね! 家はさ、姉妹が多いから五段飾りなんだよ。おばあちゃんの頃から飾っているからけっこう古いんだけど、どれもすごくかわいいんだから」

「あのねあのね、ウチはオダイリサマとオヒナサマだけなの。でもね、ウチのもすごくかわいいの」

 アキナちゃんもにっこり笑ってそう答える。


 ここにも出た、格差社会。とは思ったが、当のアキナちゃんが気にしていないなら、まぁいいのだろう。


   🌸


「ところで『ひな祭り』って何をするんですか? 僕の家は、ほら母さんしか女の人いないから、よく分からないんです」

 とはトシオ君。実をいえば私もよく分からない。


 と、チエミちゃんが解説してくれる。

「うーんとね、みんなでお雛様を見て、それからちらし寿司を食べて、ハマグリのお吸い物飲んで、あとは……雛あられとか、菱餅食べたり、甘酒飲んだり、そんな感じかなぁ、でもね、とっても楽しいのよ」


 ちらし寿司……もちろん私が気になるのはそこだ。しかもチエミちゃんの実家はあの『ななつ亭』だ。きっとすごいちらし寿司が出てくるに違いない。

 それをまだ味の分からないガキに食べさせるだなんて、

「……また、もったいないことを……」


 ん? またアキナちゃんが不安そうに私を見上げている。私はにっこりといつものように笑い直し、アキナちゃんの頭を撫でる。


「とにかく、。わたしもすっごい楽しみにしてるの!」


   🌸


 しばらくしてから彼らは帰っていった。

 いつもなら入れ替わるようにクロコがやってくる。だが今日はなかなか現れなかった。それでも私はしばらく待っていた。だがやっぱり彼女は現れなかった。


 ふっと心に声が聞こえてくる。


『クロコは本当に出て行ってしまったのでは?』

 いやいや、まさか。お金がないのはいつものことです。


『ではなぜ来ないのです? あなたは見捨てられたのでは?』

 見捨てる? 私を? どうして?


『お金がないから、理由はそれだけでしょうか?』


 また不思議な声……そこでふと我に返る。この妙な声は私自身の声だった。

 どうやら思わせぶりな心の声が漏れ出していたらしい。

 まったく私らしくもない。


 クロコは退屈だからこの病院にしょっちゅう出入りしているだけ。それだけのことなのだ。大げさに考えすぎだ。そう。それだけのことだ。彼女が現れないからと言って困ることは何もないはず……


「うーん。それとも何か足りないのかな? カップうどんとか」


 私はすぐにクロコのことを考えてしまう。だってそれしかすることがないのだ。患者もいないし、しゃべる相手もいないのだから。


   🌸


 そして私は思い出す。今日ガキどもが話していた内容を。


……

 チエミはそう言っていた。


「ひな祭りか……ちらし寿司に、ハマグリのお吸い物……甘酒も?」

 それはちょっと用意できない気がする。資金的に。


 だが……私は急に名案を思い付く。

「うむ。これならクロコが喜ぶかもしれない!」


 実はウチの蔵にも雛人形が一揃いあるのだ。

 私の母が嫁いだ時に持ってきたモノらしいが、それが今も倉庫の中に眠っているはずだった。

 あれを出せばクロコが戻ってくるかもしれない!


「やれやれ、居れば居るでやかましいが、たまにはガキを喜ばせるのも仕方のないことか……」


 そう。仕方ないが、それもまた大人の務めなのだろう。


   🌸


 蔵の中は見事にほこりまみれだったが、私は何とか雛人形の箱を見つけた。


 全部で十個以上ある。オカモチのように蓋を上に持ち上げるタイプの桐箱で、表面にはそれぞれ墨で中身が書いてある。


「ぶぇっくしょん」

 一つ箱を取り出すごとに、裸電球に金粉のようにホコリが舞う。たまらずハンカチでマスクを結んだものの、やはりくしゃみは止まらない。だがここは我慢。


 まずは台車に土台になるフレームや板を載せ、自分の部屋まで運んで階段型の台座を設置する。部屋の中央にはコタツがあるので、布団が敷けなくなってしまったが、まぁしばらく寝づらいだけの話だ。


 この台座に赤いフェルト布を掛けてディスプレイ台は完成だ。それから倉庫に戻って人形の入った桐箱も十箱ほどまとめて移動する。あまりにホコリがすごいので、一応雑巾で表面だけ拭いたが、もうこれだけでかなりの重労働だった。


「うーん……面倒だな」

 とは何度も思ったが、そのたびにもうひと頑張りする。

 

 なんで自分がこんなに頑張っているのか分からないが、とにかく人形を取り出すことにする。


   🌸


 作業が一通り終わるころには、時計はいつのまにか夜中の一時を回っていた。


「はて? どうしたものだろう?」

 しかし私はちょっと困っていた。


 台座もちゃんと設置した。その上には朱色の布も敷いた。いわゆる五人囃子も並べた。ちゃんと付属の酒樽や盃、太鼓やら笛も飾った。三人官女というのも並べた。ボンボリもちゃんと配置した。それからお雛様もちゃんと配置した。


 しかしオダイリサマだけが不在だった。

 というのも、


「なんでこの箱は開かないんだ?」

 さっきから蓋を持ち上げているのだが、古いせいか全く蓋が動かないのだ。

 けっこう力を入れて引っ張っているのだが、ビクともしない。さすがにお雛様一人というのはまずいだろう。そう思ってなんとか蓋をはずそうとしているのだが、やはりなんともならない。


「困ったな……これじゃクロコに見せられないな……」

 だがどうにも開けられないのだ。鍵のようなものはない。だがまるで内側から鍵をかけられたように蓋はビクともしない。


「とりあえず今日はここまでかな」

 私はあきらめて、コタツに入る。やはり疲れていたのだろう。

 大きなあくびが漏れて、そのまま眠ってしまった。


 そして夜中、事件は起きた……


   🌸


『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』


 遠くで小さな太鼓の音が聞こえた。


『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』

 続いて太鼓の音に合わせるように小さな笛の音が聞こえだした。


「なんだ、この夜中に……ずいぶんと騒がしいな……」

 うっすらと目を開ける。


 ひな壇の上、


「うわっ……」

 瞬間バッチリと目が覚め、思わず声が漏れる。


 雅な感じで太鼓をたたく人形、体を揺らして笛を吹いている人形、三人官女はなにやら踊っている。五人囃子もなにやら楽しそうに楽器をならしている。どういう訳だかボンボリは妖しく輝き、雅なミラーボールのように光を振りまいている。そして姫は蓋が閉じたままのオダイリサマの箱の前でなにやら手拍子していた。


 私はもちろん頭を抱える。

!)


 だが後悔先に立たず。

 仕方ない。寝ていた私はとりあえず上半身を起こした。


   🌸


「あのー、今は夜中なので、笛や太鼓は遠慮していただけませんか?」


 私はそっと彼らに申し出る。が、彼らは自分たちの音楽や踊りに夢中で気が付かない。姫も応援するように手拍子をしている。


 仕方ない。もう少し大きな声を出してみる。


「あのー、今は夜中なので、笛や太鼓は遠慮してもらえますかっ?」

 が、やっぱり気付かない。かといって神様相手に怒鳴るわけにもいかない。そんなことをすればバチが当たってしまう。これは祖父の言いつけでもある。付喪神様を粗末に扱ってはならない。


「あのー、静かにしてくださいっ!」

 とたんにパタリと音楽がやんだ。


   🌸


「アー? なによ、アンタ?」

 そう言ったのは姫だった。ずいぶんと言葉使いが荒い。それに唇をゆがめたその表情は何ともガラが悪い。それにちょっとお酒も入っているようだ。


「あの、夜中ですので、もう少し静かにしてもらえませんか?」

「ハァ? アンタそれアタシに言ってんの? アタシが悪いっての?」

 なんだかひと昔前のヤンキーのような話し方だ。姫なのに。


「あんだよ、おめぇ、姫に文句つけてんのかよ?」

 ずらりと並んだ五人囃子が凄みをきかせてそう言った。よく見るとちょんまげが前にずれてリーゼントみたいになってる。

 そして三人官女がやたらと睨みを聞かせてこういってきた。

「アンタ、アタイら【雛々団ひなひなだん】になんか文句あんの?」


「ひなひな団……ですか?」

「そーよ。なんか文句あるの?」

 とまた姫。そして配下の三人官女と五人囃子が、ナリは小さいのだけれど威圧感たっぷりに睨みつけてくる。


 この光景……どこかで見たような……あれだ、最近の成人式の光景だ。


「要するに騒ぎたいだけなんですね」


   🌸


「アー? そんなんじゃねぇよ!」

 とまたガラの悪い姫。が、急にしおらしい態度になった。

「……そんなんじゃ、ねぇんだよ。あたいらのヘッドが出てこねぇんだよ」


「ヘッド? オダイリサマのことですか?」

「ああ。ヘッドがどうしても出てこないんだよ。でもあいつが出てこないと、ほら、雛々団として締まらないじゃんか」

 姫の態度は実にしおらしい。ギャップのせいか、なんだか可愛らしく見えてくるから不思議だ。


「だからよ、こうして騒いでヘッドを呼んでんだよ!」

 五人囃子がまた太鼓をたたきだした。


『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』

 さらに笛の音が重なる。

『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』


 なんだかガラが悪いのだが音楽はミヤビだ。だがミヤビだろうとうるさいものはうるさい。私は再びコタツ布団にくるまり、無視することにした。


 だが饗宴は朝まで続いた。くすんだ窓ガラスから朝日が差し込み、スズメが鳴き出すころになってようやく止まった。


 つまりわたしは結局一睡もできなかった……


   🌸


 その翌日もクロコはやってこなかった。


 ガキどもは相変わらずやってきたが、お菓子をもらい、わたしの顔を見ると早々に帰ってしまった。


 わたしは寝不足気味だったこともあり、早々に病院を閉めるとまたコタツに横になった。


 そして眠りに落ちようとしたまさにその瞬間……。


『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』

 リズミカルな太鼓のビート、さらに笛のメロディーが重なる。

『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』


 また雛々団が騒ぎ出した。


「ヘッドー。出てきてくださいよ」

「ヘッドー、外は楽しいですよ!」

「ヘッドー、一緒に騒ぎましょうよ!」


 だが箱の中にいるヘッドは昨夜と同様に、沈黙を貫いている。それでも『雛々団』のメンバーはあきらめない。夜通し太鼓をならし、笛を吹き、三人官女はミヤビな舞をおどり、姫は手拍子で盛り上げる。


(もうこの人形たち、片付けようかな……)


 とは思ったが、クロコのことが気になってもう少し我慢してみることにした。なに、これだけ睡眠不足だ、すぐに眠れるさ、などと思っていたのだが、結局その晩も眠れなかった。

 

   🌸


 そして三日目の晩。


 また太鼓の音が聞こえてきたところで、とうとう私にも我慢の限界が来た。

 もう黙っていられなかった。

 私はコタツから立ち上がり、ツカツカと雛人形たちの前に立った。


「あんだよ、オメー、なんか文句あんのか?」

 五人囃子がさっそく威嚇してくる。また今夜も酒が入ってる。そのせいでやたらと態度も大きい。

 が、しょせんは小さな付喪神。

 私はツッとメガネを上げ、冷たく彼らを見下ろす。


「文句はありませんが、我慢の限界です。ちょっとヘッドと話をさせてください」


 私はそれだけ言って、姫の隣に置いてあるヘッド、つまりお内裏様の木箱をコンコンとノックした。


「あの、お内裏様、私、山吹と言います、お話があります。扉を開けていただけませんか?」


 すると箱の向こうから小さな声が返事をしてきた。


   🌸


「いやじゃ」

 か細い声で一言だけ。

「あのー、あなたが出てきてくれないと、雛々団が騒いで迷惑なんですけど」


「そちには関係ないことでおじゃる」

 どうもヘッドだけは貴族言葉でしゃべるようだ。

「でしたらせめて外に出れない理由ワケを、お話しくださいませんか? ひょっとしたら力になれるかもしれません」


 この騒音を止めるためだ。出来ることであれば何でもするつもりだった。

 でないと本当に体がもたない。


「余はやんごとなき事情で外には出られないでおじゃる」

「なんです? その『やんごとない事情』というのは?」

「余は貴族……今の姿では外に出られないでおじゃる……」

 そういうと箱からすすり泣きが聞こえてきた。


「てめー、なにヘッド泣かしてんだよ!」

 姫がメンチを切ってきた。さらに雛人形たちは口々に私に文句をつけてきた。そして箱の向こうからはまたヘッドのすすり泣きが聞こえてきた。


「ヘッド、元気出してください!」

「おい、ヘッドを元気づけようぜ!」


 そうして、

『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』

『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』


 また宴が再開した。

 しかもいつもより熱く激しく、音楽と踊りの饗宴が繰り広げられたのだった。


   🌸


 私はコタツに戻った。

 天板にうつぶせになり、半纏はんてんを頭からすっぽりとかぶった。

 でも音までは遮断できない。


『トン・トン、トントコトン……トン・トン、トントコトン』

『ピー・ピー、ピーヒャラピー……ピー・ピー、ピーヒャラピー』


 あの単調なメロディーが頭から離れない。


「クロコ……帰ってきてくれ……」

 そうつぶやいた時だった。


「センセー、こんばんは!」

 玄関からクロコの声が聞こえてきたのだった!



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