鶯太夫・後編 ~クロコの章~


 あたしは鎮守の森にあるイチョウの木のてっぺんにいた。

 ここは町で一番高い丘の上にある神社の、さらにそのまた一番高い木の上だ。

 ここからは街が一望できる。


 眼下は元・七つ闇神社、神社の石段を下ると広がる七つ闇町の街並み。街並みの向こうは湾につながり、湾のさらに向こうには夕暮れの海が広がっている。

 ずいぶんと長く生きてきたけど、何度見ても海に夕日が沈む景色は美しい。


   🦊


「そろそろアイツも帰る時間よね」

 あたしはひらりと背中を倒し、そのまま枝につかまりながらクルクルと下に降りる。下りたところでアイツが出てくるのを待つ。


 出てきた。

 あれが骨董屋の伊万里。見た目は若いかもしれないが、あれはいわゆる狸親父だ。とぼけたふりはするし、無害そうなふりをしているが、実際はかなりしたたかな男だ。

 山吹先生にとっては天敵。

 つまりはあたしの敵!


「じゃあ、取りに来るよ。それまでによろしくぅ!」

 伊万里はなれなれしく、先生の肩に手をかけた。


? いや、ちょっと待ってください。そんな簡単には直せませんよ」

「だいじょぶ。だーいじょぶ! 山吹君なら楽勝だって。それに明日までに直せたら修理代の半分を渡すからさ」


 と、ここで先生の目がギラリと光った。

「…………そんなに?」

 と、思ったら、なにかあきらめたように大きく息を吐いた。


「いえ……わかりましたよ。ただ、もし直せたら、おばあちゃんの修理代、半額にしてあげてください。私の分はいりませんから」


   🦊


 あたしもまた大きくため息をつく。

 クリニックで話していたことはちゃんと聞こえていた。

 伊万里は十万円で笛の修理を引き受けたが、直せなかったので山吹先生の所に持ち込んできたのだ。その半分をくれるというなら五万円の臨時収入になる。


 でも、まぁ先生ならそうするわよね……

 まぁ分かってたことだ。だからこそ、あたしは山吹先生が好きなのだ。だからこそ、あたしがしっかりしなきゃならないのだ!


「えー、それでいいの? せっかくの儲け話なのに?」

「ちっとも良くないですよ。それでもお年寄りを騙すような真似は出来ません」


「騙してなんかないって。納得して支払うんだからさ。それにさ、トメさんトコは町でも有数の大金おおがね持ちなんだよ?」

「知っています。それでもダメです」


「相変わらずお人よしだねぇ、山吹君は。ま、分かったよ」

 そう言って伊万里はニンマリと笑った。

 それからもう一度先生の肩を叩くと、ひらひらと手を振りながら石段を下りて町へと戻っていった。


   🦊


「ふぅ……アイツ、ホンっと疫病神だな……」

 珍しく先生が毒舌を吐いている。

 あたしはそっと先生の背後から近づいてちょっとそれを聞く。

「……いつもトラブルを押し付けて……すぐ俺を騙そうとするし……ホント昔っからそうなんだ、気付くとアイツのペースで……」


「先生?」

 声をかけると先生はハッと背筋を伸ばし、それからメガネをツーっと上げていつものように微笑んだ。


「おや、クロコ君。また来たのですか?」

「はい。それより先生、それ直せるんですか?」

 そう言うと、山吹先生は持っていたウグイス笛をもう一度眺めた。


「確かにひびの入ったところは修繕してありますね。たぶん木工ボンドだけど……」

 それからちょっと笛を吹いてみる。

 ス~っ、ス~っと、音色にならず空気が抜けている。


「ちょっと見せてください」

 あたしも先生と同じように眺めてみる。ちょっと夕日に照らして、ほかにひびが入っていないか確かめてみる。ない。それから先生と同じように笛を吹いてみようと唇をすぼめ、ハタと固まった。


   🦊


 ハッ! こ、これは世にいう間接キッス? まだ笛の先がかすかに濡れて輝いている! こ、これは……

 いや、でも行っちゃう? あたしは顔が赤くなり、心臓がドキドキしてくる。


 でも吹いてみないとどこが壊れているか分からないし、これはやらなきゃいけないコトなのだ! そう、意識しちゃダメ! これは仕事なの!

 ここは先生を見習って、気付かないフリしてさりげなく……


「あ、わかりました!」


 あたしが口づけるその瞬間、先生がパッと笛を取り上げた。

 そして笛の横に施されている彫刻を指さした。


「これですよ!」


   🦊


 嬉しそうにそう言う先生をちょっと睨みつける。だって睨みつけたくもなるでしょ。でも先生はまるで気付いていない。


「ほら、見てください。こちら側の彫刻、こちらには梅の木に鶯がとまっているでしょう? でも反対側、こちらには梅の木はあるけれど、ウグイスの姿はない」


 確かに先生の言う通りだった。片方には彫刻された梅と鶯、でも反対側には梅しか彫刻されていない。鶯が彫ってあったと思われる場所はそこだけ窪んでいた。


「つまり彫刻の鶯が逃げ出したってことですか?」とあたし。

「そういうことですね。やはり妖怪の一種でしょうね」

「でも、どういうことですか? 逃げたってこと?」

「それはないでしょうね。おそらくは飛び立ったけれど、何らかの事情で戻れなくなったのではないでしょうか」

「じゃあ、そのウグイスの妖怪を捜さないと、笛は絶対に直らないってことですねぇ……」


 あ。二人にしてそのことに思い当たり、無言になってしまった。


 こんな小さな妖怪、しかも空を飛ぶ妖怪を捜すのなんて、ほとんど不可能だ。

 虫一匹を捜すようなもの。しかも明日までになんて……


   🦊


「どう考えても無理ですよ、先生。あんな小さい鳥を捜すなんて」


「うーん……」

 先生は考え込んでいる。だからあたしも考えてみる。

 今は真冬。さすがに鶯は飛んでいない。飛んでいてもあの小さな体じゃスズメと大して見分けがつかない。

 特徴的なのは緑色だけど……あとは鳴き声くらいしか思いつかない。


「……せめて鳴いてくれれば、いいんですけどね」


「それだ、クロコ君!」

 先生はそういうなり病院へと戻っていった。居間の窓にパッと蛍光灯がともる。動いている先生の姿が、擦りガラス越しにぼんやりとにじんで見える。それからしばらくして電気が消え、再び先生が息を弾ませて戻ってきた。


「よかった。まだありましたよ!」

「なにがですか?」

「これです」

 先生が手の中に持っていた物、二本の竹を組み合わせただけの素朴なそれは……


「あ。!」


   🦊


 それからあたしと先生は病院クリニックの戸締りをして、町へと下りて行った。時刻は夜の六時。でも冬だからすっかり暗くなっている。会社帰りのおじさんや、塾帰りのガキどもとすれ違いながら、港の方へと歩いていく。


 十分ほど歩くと、チエミの家にたどり着いた。結構な高さの板塀がぐるりと屋敷を取り囲んでいる。近隣の家と比べても五倍くらいの敷地がありそうだ。そして正面の門扉がまた馬鹿みたいに立派な作りになっていた。


 そして玄関には大きな看板が掛けられていた。


『料亭 ななつ亭』


「ここって、あのですよね?」


 あたしはちょっとびっくりして先生にそう聞いた。

 お正月にななつ亭のおせち料理でちょっとした事件があったのだ。ちょっと笑えないような大騒ぎ。

 すると先生はちょっとひきつった笑いを浮かべて答えた。


「ええ。この間お重を返しに来て、初めて知りましたよ。チエミさんの家が『ななつ亭』だと」

「ま、まぁバレなかったんだからいいんじゃないですかね?」

 なんだかあたしまで笑いがひきつってしまう。


「先生、それより、梅の木、見えますか?」

 もちろんあたしの背じゃ、なんにも見えない。

 先生は背伸びをして、さっと中の様子を見まわした。

「うーん、敷地内には見えませんね。裏に回りましょう」


 塀沿いを伝って屋敷の裏側に出る。そこはちょっとした雑木林になっていた。あまり手入れもされていないようだが、ちょっと川も流れている。そして林の中には何本もの梅の木があった。


「ずいぶんと生えてるものですね。どれ、はじめましょうか」


   🦊


 先生は持参したウグイス笛をとりだし、そっと息を吹きかけた。


『ホ~』

 うわ! きれいな音だった。まるで本物のウグイスみたい。

 それから先生は笛の前と後ろを指で押さえ、再び息を吹き込んだ。

『ホ~、ホケキョ』


「すごい先生! まるっきり鶯の声!」

 先生はウインクをする。本人はかっこいいつもりなのだろう。すごく得意そうだ。でもあたしは先生のニンマリとした意地悪そうな笑い方の方が好きだ。なんか先生らしいから。それはさておき、


『ホ~、ホケキョ、ホケキョ、ケキョ、ケキョ』

 シンと澄んだ冷たい空気の中で、先生のウグイス笛がすごくはっきりと聞こえる。先生、すごく上手だった。まるで本物が鳴いてるみたい。


『ホ~、ホ~、ホケキョ』

 先生は本物の鶯みたいに節を変え、抑揚を変えながら笛を吹く。

『ホ~、ホケキョ、ケキョ、ケキョ』

 笛を吹き、時々反応がないかと耳を澄ませ、反応がないとさらに林の奥へと進む。そしてまた笛を吹く。


『ホ~、ホ~』

 

そしてついに……


!』


 林の奥からウグイスの返事が聞こえてきた!


   🦊


 あたしたちは声を頼りに林の奥へと進んでいき、とうとう鶯の妖怪を見つけ出した。和服姿の小さな鳥が、木に寄りかかっていた。


「あーら、やっと見つけてもらえた。もうダメかと思ったわよぉ」

 鶯のかわいい鳴き声とは違って、ちょっとだみ声っぽい。

 しかも話し方はまるっきりのオバサン口調だ。


「ま。どしたのよっ、ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔して、ってあたしのせい? それよりもっと早く見つけてくれなくっちゃ。もう声が枯れるとこだったわ、ホ~ホ~ホケキョ! うん。まだ大丈夫ね」


 先生は目を丸くしてウグイスのマシンガントークを聞いている。

 どうもこういうタイプには弱いみたいだ。


「あーら、あんたよく見るといい男じゃないの。でも無口ね。まぁいいわ。あたしがここにいる理由、聞きたいんでしょ? いいわよ、話してあげる。あれは……」


 先生はそのウグイスを両手でそっと持ち上げた。


「あの、その前にあなたのお名前をお聞きしても?」


   🦊


 先生は手のひらの上の、和服を着ている鶯に声をかけた。ちなみに着物から出ている部分、頭とか足はそのまんまウグイスだ。その姿はなんともかわいらしい。

 あのトークがなければだけど。


「あたしの名前? そうね、まだ言ってなかったわね。そんなに聞きたい? いいわよ、教えてあげる。あたしの名前は『鶯大夫ウグイスダユウ』。この笛の持ち主のトメちゃんがね、いっつもあたしをそう呼んでたの。で、あたしも気に入って、その名前をもらうことにしたの。どう? とっても素敵な話だと思わない?」


「ええ、まぁ……」

 先生はめんどくさそうに相槌をうった。名前を聞いただけでこれだ。いきさつなんて聞いたらどれだけかかるか……そういうあたしもこのタイプは苦手だった。


「そうでしょう? あたしもこの名前とっても気に入ってるの。トメちゃんはいつも『ねぇ鶯大夫さん、鶯さんのおうた歌って』なんて言ってね。そうするとあたしも『ホ~ホケキョ』って歌ってあげてね、そうすると他のウグイスがたまに返事をしてくれるの。それが楽しいらしくて、いつまでもいつまでも、そう、あたしの声が枯れるまで歌っていたものよ。実際は彼女の方が先に疲れちゃうんだけどね……」


   🦊


 鶯太夫のおしゃべり、さえずりはとどまることを知らない。しかも身振り手振り、声真似を使い、表情らしきものをくるくると変え、こちらが止めない限りいつまでもしゃべりそうだった。


「それでどうして戻れなくなったんですか?」とあたし。

「え?」

 と鶯太夫。まるで今初めてあたしの存在に気付いたみたいに。


「声が枯れて、笛に戻れなくなったんですか?」

 ちょっとイライラしながらもう一度聞く。


「ん? ああ。そのことね、違うの。全然別の理由なのよ。それがさ、ちょっと聞いてくれる?」

 いや、さっきからずっと聞いてるわよ。


「トメちゃんがね、この真冬だっていうのに孫に見せてあげるんだって、あたしを、あ。あたしってウグイス笛の本体のことね。それを箱から出したのよ。それでこんな季節だってのに、笛を吹いたわけ、ホーホケキョってね。ところがこんな季節に……」


   🦊


 長い……彼女の話はホント長い。

 余計なところをカットして要約するとこうだ。


 笛を吹いたところ、獲物と勘違いしたのか、カラスが飛んできた。おばあさんは思わず笛を落とし、そのはずみで鶯大夫も笛から飛び出してしまった。そしてカラスから逃げるため雑木林に逃げ込んだ。だがそこで枝に羽をぶつけてしまい、さらに目をケガしてしまい、近くの物はみえるけど、遠くがかすんで見えて、うまく飛べなくなってしまった。そうしてるうちに朝が来て、笛に戻れなくなった。


 というわけらしい。


   🦊


 ということで、先生は鶯太夫を胸ポケットに入れて、あたしと診療所に戻ってきた。そして病院に戻ると、先生はあっさりと鶯大夫の小さな着物を脱がせた。


 そこでまた恥じらう鶯大夫と、興味なさそうな先生のやり取りが続くのだが、これもカットしていいだろう。


 とにかく先生は机の上にタオルを敷き、ケガした翼に軟膏を塗った後、拡大鏡を使って鶯太夫(今は着物もないのでただの鳥だ)の目を診察した。


「目の方も幸いひどい傷にはなっていないようですね。でも薬を付けてじっくりと治さないといけませんね」


「先生、でもそれじゃ明日までには間に合わないですよ……」

 あたしが小声でそう言いかけたのを、先生が止めた。

 にっこりと笑って。


「まぁすぐに治るというものではないですが、大丈夫、ちゃんと治療すればすっかり元通りに見えるようになります」


 ため息をつきたくなったのはあたし。治るのはいいけど、これでは伊万里との賭けに負けちゃう。まぁ先生がお金を払う訳じゃないけど、でも先生がアイツに負けるのはなんか嫌だな。


 でも先生はニコニコしてる。たぶん鶯太夫のケガがちゃんと治るのが嬉しいんだ。だからのこともすっかり忘れてる……


 ん? 

 あたしはふと思い出す。


 賭けと言えば……そういえば、にはまだ支払いをしてもらってなかった! なんか役に立つもの持ってるかも!


   🦊


「山吹先生!」

「いきなりなんです、クロコ君?」


「あの、ちょっと居間に入ってもいいですか? 実はこの間、妖怪辞典を忘れてきちゃったんです」

「そうでしたか。かまいませんよ」


 あたしはさっそく診療室の奥にある先生の居間に入り込む。ちょっとコタツに入りたくなってしまったが、今は我慢。すぐに部屋の隅にある引き出しを開ける。ちょっと探しただけで目的のは見つかった。


 あたしはその小さなサイコロを手のひらに載せ、妖気を送り込む。六面体の輪郭がぐにゃりと曲がると同時に、小さな手足、着流し姿のぽっちゃりとした体、そして木の鞘におさまった長ドスが姿を現す。


「おう、おめぇさんかい……人が気持ちよく寝てるってのに、いってぇ何の用だい?」

『賽ノ目』は相変わらず言葉が悪い。でも小さいからあまり怖くない。


「ずいぶんとご挨拶ね。取り立てに来たのよ」

「取り立て? オレぁカネ借りた覚えはねぇぜ、お門違いだ。とっととけえぇんな、嬢ちゃん」


「あんた、先生に目を治してもらったでしょ? まだお代をもらってないのよね」

「へん、言いがかりはよしてくんな。それに元はといえばあの山吹のせいでオレの目が見えなくなったんだ。ロハで治すのはあたりめぇだろ」


 ちょっとカチンときた。今、こいつ山吹先生の悪口言った。


「だいたい、大事な一つ目を遊びで塗りつぶすか? とんだいたずら坊主だぜ、おかげでオレは妖気を塞がれて動けなくなっちまうし」


   🦊


 あ。そういうことか。今になってあたしは理解する。

 たぶん先生は賽ノ目が妖怪化して動き出すようになったから、封じたのだ。こいつの性格からしてきっと先生に迷惑をかけたに違いない。


「まぁあんたの事情は分かったわ。でもね、ソレはあたしには関係ない」

「あぁ?」

「だからあたしには関係ないの! あたしは集金係なの。でもあんたお金は持ってないみたいだから、何か代わりになる物を支払えって言ってるの? わかる?」

「なんでい、ただの追いはぎじゃねぇか」


 あー。また言っちゃならないことを。

 自分でもそうみたいだとは思ってたけど、人に言われるとなんだか腹が立つ。


「どうやら、話しても分かり合えないみたいね……」


   🦊


 しばらくしてあたしたちは分かり合うことができた。

 というか、すっかり打ちとけて今はすっかり仲良しだ。


「え、えれぇにあったぜ……サイコロだけに……」

 賽ノ目は角に出来た赤いたんこぶをさすってそう言った。


「じゃあ、手筈通りにね。余計なことしたら……」

「へ、へぇ分かってやすよ、クロコ姉さん……」


 あたしは賽ノ目を手のひらに載せて、先生の診療室に戻る。

「辞典はありましたか?」

「はい。それより先生、賽ノ目さんが先生に話があるそうですよ」


 あたしは賽ノ目を先生の机の上に乗せる。

 賽ノ目はトテトテ、と机を歩いていき、ちょっと鶯大夫を観察した。


   🦊


「賽ノ目さん、どうかしましたか?」

「へぇ、先生。ひょっとして、この鶯、目をケガしてるんじゃありやせんか?」

「はい、実はそうなんです。どうも枝にぶつかったらしいんですよ」

「そういうことでしたら……」

 賽ノ目は四角い頭の横をコンコンと叩く。

 と、『二の目』の部分から黒い小さな粒がコロコロと二粒転がってきた。


「先生、良かったらその二つの粒を、この鶯に飲ませてやってくだせえ。たぶん先生の薬と合わされば、すぐに治るはずです」

「賽ノ目さん、これはいったい?」


「なぁに、この間の礼でさ。オレぁ賽ノ目、にはなにかと縁があるんでさぁ。これは目のわずらいの万能薬でさ」

「ありがとうございます。さっそく使わせていただきます」


   🦊


 それから先生はピンセットでその黒い粒をつまみ、鶯大夫の小さなくちばしの中に入れた。

 コロリと一粒、もう一つ粒。

 鶯大夫がコクリとそれを飲み込む。

 そして沈黙……


「あら!」

 鶯太夫がパチっと目を開いた。それからパチパチと何度も瞬きした。

「見える……ハッキリ見えるわ!」

 それから

「ホ~ホ~ホケキョ! あら、声も元通り!」

 いや、声は最初から何ともないから。さらに

「飛べる! あたし飛べるわ!」

 それも最初から何ともないから。


 だが鶯大夫はとにかくうれしそうだ。パタパタっとそのまま浮かび上がった。そのまま部屋の中をしばらく飛んでいたが、やがて先生の肩にちょこんと止まった。


「山吹先生、ほんっとあなたは名医だわ。いえね、実は最初に出会ったときからそんな気がしてたのよ。きっとその鋭いまなざしのせいね……」


 とまぁ、やっぱり長くなるのでここもカット。

 なにはともあれ、鶯太夫はすっかり治ったのだった。


   🦊


「あのぅ、ところでヤマブキ先生。今回の治療代のことなんですけどねーぇ」

 お。珍しい! 自ら治療代を払おうとは妖怪にしては律儀なタイプだ。

 が、言った相手が悪かった。先生は何も受け取らないだろう。


「いいんですよ。すでにもらってますから」

 いや、なにも受け取ってないし。と言いたかったが、ここでそれをいう訳にもいかない。


「では、クロコさん、お支払いするわね」

「えっ? あたしにですか?」


 

 まさかこうもすんなり手に入るとは!

 あたしはいっぺんに鶯大夫のことが好きになる。

 彼女とはいい友達になれそうな気がする。


   🦊


「そうよ。手を出してくれる? こう、お椀型に」

 あたしは言う通りに手を丸め、何が出てくるのかすごく期待して待つ。

 やっぱりお金かな、あ、金貨とか。鳥は光る物が好きだから。それとも宝石かもしれない。


「なにかな?」

 なんて嬉しくて声を出しちゃう。


「ふふふ。

 鶯大夫はパタパタと飛んできてあたしの手に止まった。それからちょっと方向を変えてお尻を向ける。そして……


 プリッ。


 手の中に緑色の糞をされた。

 あまりの驚きに声も出なかった。

 なにこの落差。なにこの仕打ち。ふざけてんの?


「かわいいあなたにだけ特別よ。大事につかってねー!」

 鶯大夫はそういってあたしの手から飛び立ち、机の上にあるウグイス笛にそっと止まり、そのままスッと消えてしまった。


 ウグイス笛の梅の木の枝に、彫刻の鶯の姿が戻っていた。


   🦊


「これでちゃんと笛も直りましたね。明日さっそく伊万里君に届けます。いやぁそれにしてもよかったよかった」


「いえ、ちっとも良くないですよ」

 あたしの手にはまだウグイスのフンが……


「それにしても珍しく律儀な妖怪でしたね。ちゃんと支払いをしていくなんてね」


「これが、支払いですか?」

 あたしの手は怒りでふるふると震えている。


「ええ。いいものをもらいましたね。鶯のふんは昔から化粧品としてとても有名なんですよ。今でも本物のウグイスのフンは大変高価なんです。江戸時代などは顔に塗ったりもしていたそうです。美容液としてだけではなく、美白なんかにも効きめがあるらしいですよ」


 いや、そんなのいらないし。それにこれただの鳥の糞だし……

 そして先生はしみじみとこう続けた。


「鳥の妖怪だからですかね。クロコ君、こんなことわざを知っていますか?」

「いや、たぶん知ってると……」


「これぞまさに『立つ鳥跡をにごさず』!」


 あたしの手、思いっきり汚れてますっ!


   第七夜『鶯太夫』 終わり

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