小判猫・後編 ~クロコの章~
あたしはガキどもがしぶしぶ帰っていくのを、屋根の上から見送った。
彼らの姿が見えなくなるのを見届けてから、ヒラリと屋根から飛び降り、再び
と、その扉が向こうから開いた。
姿を現したのは、もちろん山吹先生。
その手には大きな懐中電灯を握りしめていた。
「おや、クロコ君。また来たんですか?」
🦊
「あー、やっぱり」
事情は分かっている。あたしは聞き耳を立て、彼らの話をすべて聞いていたのだ。そこから先生が何を考えたかは、それこそ考えるまでもない。
でもなんだか、かわいそうになってきちゃう。
「やっぱり、ってなんです? それより今日は店じまいです」
「店じまいって、ここは病院ですよ。それより先生、懐中電灯なんか持って、どこへ行くんです? まだ診察時間内ですよね?」
「ん? あーー、ええ。今日は特別なんです。それよりクロコ君、あなた白い猫を見ませんでしたか? ひょっとしたら支払いのメドがたつかもしれないんです!」
🦊
あたしはまた、ため息をつきたくなった。
山吹先生、ホントお金には一直線だ。
だがそこで妙案を思いつく。
あたしは腕組みをして少し顎をつまみ、一芝居打つことにした。
🦊
「ひょっとして、先生の捜しているのって、赤い腹掛けをした猫じゃありませんか? 真ん中に小判の絵のついた?」
「そう、それです! その猫、どこで見ましたか?」
先生の顔がパァっと輝いた。本当に幸せそうな表情。
つくづく不憫に思えてくる。
「その猫なら、診療所の裏の森で見ましたよ。たしか……枝の上で寝てました」
「ほう。こんな近くにいたんですか……ヨシッ!」
先生は小さくガッツポーズまでした。普段なら絶対そんなことしない人なのに。
ほんとつくづく不憫になっちゃう。
「私、ちょっと捕まえて、いや、保護してきますから!」
先生は勢いよく裏手の森の中に飛び込んでいってしまった。
ちょっと乗せすぎたかな、とは思ったけれど、
「あ、先生待ってください! あたしも一緒に探しますから!」
あたしも先生の背中を追いかけた。
🦊
それから約三時間……
山吹先生はまだ裏の林の中を探し続けていた。
暗くなってからは、得意そうに懐中電灯のスイッチを入れ、けっこうな数の木々と、そこから伸びる膨大な量の枝を照らして回った。
「おーい、ネコちゃん、出ておいでぇ、おいしいもの食べさせてあげますよぉ」
あんまりにも先生がうれしそうなので声もかけられなかった。
うん。あたしもちょっと調子に乗りすぎたみたい。
「先生、そろそろ帰りましょう。日も暮れて危なくなってきましたよ」
「クロコ君、最後はどのあたりで見たんです?」
先生の情熱はまだ消えていない。
あたしはまた心の中でため息をつく。
仕方ない。そろそろ種明かしの時間だ。
🦊
「いくら探しても今は見つけられませんよ」
「え?」
先生はポカンとした。それこそ狐につままれたような表情だった。
「あれは『
「ええっ?」
「名前のとおり、コバンザメみたいに運のいい人に憑りついている妖怪なんです」
「えええっ?」
「まだ続けますか?」
山吹先生の手から懐中電灯がぽとりと落ちた。
🦊
それからあたしたちは診療所に戻った。
がっかりしすぎた先生は、すっかり抜け殻のようだった。
だからわたしは手早くお湯を沸かし、二人分の夕食を用意した。お揚げの二枚ついた赤いカップうどん。それはあたしの大好物だ。
「刺身も寿司もステーキも、宝くじのように手の届かない夢なんですかねぇ?」
先生は思ったよりもダメージが大きいみたいで、うどんを一本一本つまんでは、つまらなそうに食べている。いつもだったら、お揚げの一枚をくれるんだけど、今はそれすらも忘れている。
仕方ないから、あたしはさりげなく、先生のお揚げを一枚つまんで自分のカップに移動させる。でもそれにも気づいていないみたい。
「まぁまぁ先生、元気を出してくださいよ!」
つゆの染みたお揚げをハフハフと頬張ると、だしの香りと甘みが口いっぱいにじゅわっと広がる。んーー、幸せ!
「はぁぁ。元気なんて出ませんよ。やっぱり私はついてないみたいです」
先生は世界中の不幸を背負ったみたいに陰気な笑みをハハハと浮かべた。
🦊
こうなるとなんだか先生がかわいそうになってくる。
これもいつものパターンなんだけど、なんかそういう気持ちになっちゃうのだ。
「そんなことはないです。だって先生には妖怪が見えるじゃないですか」
「ん? まぁ見たくはないんですけどね。でもそれがなにか?」
「今の小判猫は弱っていて、普通の人には見えなくなってるんです。でも先生なら見えるはずなんですよ。つまり探し出せるのは先生だけ、ということじゃないですか。 独り占めですよ!」
「そうなんですか? ……いや、そうですよね! クロコ君、キミ、あの妖怪のこと、詳しそうでしたね! 詳しく教えてください!」
🦊
「はいはい。【小判猫】のことですね。普通のネコと見分けがつきませんけど、あれは宝くじ売り場で、長年大事にされてきた『招き猫』が変異した妖怪なんです。当の本人はお金に興味がないんですが、気に入った人についていって、その家に強力な金運をもたらすんです。あたしの図鑑にはそう書いてありましたよ」
「そんな妖怪もいるんですねぇ。クロコ君は本当に妖怪に詳しいですね」
「えへへ。マニアですから」
🦊
先生、実はあたしのことをよく知らない。
あたしにも妖怪が見えることは知っている。
でも知ってるのはそれだけ。
先生はあたしを、ただの妖怪マニアだと思っている。
まぁそのためにいつもミニ図鑑を持ち歩いてはいるけど。
🦊
「なんか元気が出てきましたよ。それにひょっとしたら、コバンネコ、ここを訪ねてくるかもしれないですしね」
「その調子です、先生!」
「うん。なんだか元気が湧いてきました」
――その時だった――
「ニャアア」
玄関で猫の鳴き声がした。
「いきなりきたっ!」
先生が勢いよく立ち上がった。
🦊
玄関に白い猫が立っていた。頭にはほっかむり、胴には金太郎のような赤い腹掛け、腹掛けの真ん中にはフェルトの小判がアップリケにして縫ってある。
「なんだ、このかわいいのは……」
先生は猫のかわいさに悶絶しそうになっている。抱っこしようと手を伸ばして引っ込め、やっぱり手を伸ばしては引っ込め、を繰り返している。
「
と、そのネコが普通にしゃべる。
普通なら驚くところだが、あたしも先生も今さら驚いたりはしない。この診療所は、どういうわけだか妖怪の間で有名で、ケガをしたり病気になった妖怪がたまにやってくるのだ。
🦊
「あの、先生に診てもらいたくて、参りましたニャ」
小判猫はそう言って、腹掛けのアップリケのあたりをそっと手で撫でた。
とたんに先生は真面目な人に戻る。
「どこか具合でも悪いんですか?」
これが山吹先生の素晴らしいところ。
先生は病人であれば、人だろうと妖怪だろうと助けてくれようとするのだ。
こんな人はめったにいない。
だからこそ、あたしも先生の手助けがしたくてここに居ついているのだ。
もっとも先生は気付いてないんだろうけど。
「ボクずっとお腹が痛くて、その先週からずっと……」
小判猫はそういうなりパタッと横向きに倒れた。
「どうやら先に治療が必要なようですね……」
あたしは山吹先生の言葉にこっくりとうなづいた。
🦊
「なかなか目覚めませんねぇ」
あたしがつぶやくと、小さなベッドの上で小判猫がそっと目を開いた。
ちなみに小判猫、人間のように両手脚を伸ばし、あおむけで横たわっていた。
もちろん普通の猫の寝かたではない
それから目をぱちくりとさせ、ハッとお腹のあたりを撫でた。
たぶん痛みが消えていることに気付いたのだろう。
「治ってるニャ……」
「虫下しの錠剤を飲ませました。原因は多分それでしょう」
先生は優しく笑いかけた。今は患者さんが治っているのが素直にうれしいのだろう。こういう時の先生には、ほれぼれしてしまう。
🦊
「最近、お刺身とか食べなかったかい?」
「最近だけじゃなくて、いつも食べてますニャ」
ちょっと先生の口元が震えた。
たぶんちょっとむかついたんだと思う。空気読めよ、この猫め。あたしの殺気が届いたのか、小判猫はあわてて前足を振った。
「いえいえ、家の人が食べさせてくれるんですニャ。ほら、幸運をもたらしてくれる猫だからって」
「それはそれは、うらやましい話ですね」
先生の声はまだちょっと震えている。
🦊
「あの一家、ずっと借金で困っていたんですニャ。身内の保証人とかでだまされたらしくて、でも本当に仲のいい、いい家族たちなんですニャ。それでなんとかお役に立てないかと憑りつきました」
「それはそれは、うらやましい話ですね」
あれ、先生同じセリフ言った?
「そうしたら宝くじが当たるようになって、そこまではよかったんですが、次々とまた保証人を引き受けるようにニャッて……そうなると今度はボクの妖力がなくなってしまって、ついには体調を崩してしまって」
小判猫は少し涙をぬぐった。そんな姿もまたかわいい。
「とにかく先生、ありがとうございましたニャ」
ネコはそう言ってベッドからひらりと降りた。
🦊
「いいよ、いつでも遊びに来なさい」
「ありがとうございますニャ。お気持ちだけでうれしいですニャ」
「まぁそれはいいから。遠慮しないで、またいつでもいらっしゃい」
「いえいえこれ以上ご迷惑をかけるわけにはいきませんニャ」
「迷惑なんてことないですよ。ぜひ遊びにくるといい」
先生はにこやかに笑いかけているが、なんだか必死だ。
だから小判猫、空気を読みなさいって。
先生はあんたの力を利用して宝くじを当てようとしてんのよ!
「いえいえ。お気持ちだけで十分ですニャ。この御恩は忘れませんニャ」
「……それもいいから、とにかく遊びにいらっしゃい」
先生はまだ食い下がっていた。
🦊
小判猫はそれから診療所を出て行った。
だがそこにはあたしが先回りしていた。
「はい、ちょっと待った」
「ニャ? 何でしょう
小判猫は不思議そうにあたしを見上げた。
「なんだ。気付いてたの。なら話は早いわね。タダってわけにはいかないわよねぇ?」
「そう言われましても……人間のお金は持ってませんニャ」
妖怪連中はたいていそうだ。
だいたいお金を持っていても、使えないのでは意味がないからだ。
だがこの診療所の集金係を自認する、あたしの目の前を素通りで帰すわけにはいかないっ!
🦊
「なんかあるでしょ? なにか気持ち的なものとか」
「気持ちでいいんですか? ありがとうございましたニャ」
猫がペコリと頭をさげる。
「いやいやいや、ダメでしょ。なんかもう少し金目のものがあるんじゃない?」
これじゃほとんど追いはぎだ。
自分で言ってて嫌になる。だがこれも全ては頼りない先生のためなのだ。
「あ、これがありますニャ」
小判猫は腹掛けの中をゴソゴソと探った。それからその小さな手に金色に光る物を載せてあたしに差し出した。
「わたしには用のないものですが、よかったらどうぞニャ」
「これならオッケー」
あたしは金色に光る小さなそれを受け取った。
「なるほど。まさに『猫に小判』ね」
第一夜『小判猫』 終わり
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