第一夜 【小判猫】

小判猫・前編 ~山吹の章~


 ○~○~○




 関東地方のとある県、その最北端に『七ツ闇ななつやみ』という町がある。


 その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。


 だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。


 そしてすっかりすたれて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。

 

 神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。

 

 そのクリニックには町で唯一の医師が住んでいる。

 

 町の人々は彼を『山吹先生』と呼んだ。

 

 その山吹先生、器量も悪くないし、物腰も柔らかな好人物。


 無口なほうではあるが、話してみると人当たりもいい。


 診察してもらった者によれば、医師の腕も悪くないらしい。


 だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。


 そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。


 その噂いわく


『あの診療所には物の怪モノノケがでる』


 というのである……




 ○~○~○





   🌸


「先生、今日も患者さん来てませんねぇ」


 診療所の扉がそっと開かれ、着物姿の女の子がひょっこりと顔をのぞかせる。


 ……とは思ったが、私はいつも通りの冷静な応対をする。


「私にとっては、患者さんのいないことがなにより幸せな事なんです」

 微笑みながら、ツッーっとメガネを上げつつ、ぬるくなったお茶をすする。


 考えてみたら、今日したことはお茶を入れ、それを飲んだだけだった。

 うん。それしかしていない。


 窓の外を見るといつの間にか夕方。鮮やかなオレンジ色がやけに目に沁みる。

 そろそろ学校帰りのガキどもが集まってくる時間だった。


「山吹先生、それってどういうことですか?」

 先ほどの着物の少女が尋ねる。


 と、いつまでも他人行儀に言っていられないだろう。

 この娘はこのクリニックの常連で『クロコ』という。


 歳は中学生くらいだと思う。患者ではない。ただの冷やかしだ。朝でも昼でも夕方でも、しょっちゅう顔を出しては、ここでダラダラと過ごしている。


「つまりですね。それは街のみなさんが健康に過ごしているということです。それは、むしろいいことだと思いませんか?」

 私の言葉を聞いて、クロコはクリクリとした瞳を半分閉じて、ジトッと見つめてくる。そしてちょっと唇を尖らせてボソリとつぶやく。


「嘘ばっかり……ホントはお金が欲しいくせに」


   🌸


 クロコには私の腹の底が見えているのだろうか?

 勘のいいガキはこれだから嫌いだ。


「いえいえ、本心ですよ。心の底からそう思っていますよ」

 ちょっと動揺はしたが、わたしはそんな素振りをおくびにもださない。

 いつも通りのポーカーフェイスだ。


「でも、今月も赤字なんですよ?」

 クロコはポストから回収してきた請求書の束をドサッと机に広げた。『ドサッ』というくらいだからかなりの量だ。

「……先生、コレ全部、今月中に払えるんですか?」


 すでに崩れている請求書の束にちょっと冷や汗が出てしまう。

 実際のところ払えるだろうか?

 肝心の患者のアテは全くない。

 つまりこれから現金が入る可能性はほとんどゼロだ。


 これはちょっと、いや、かなり厳しい状況と言わざるをえない。


「む」


 私はそれしか口にできない。

 悔しいがクロコになにも言い返せない。


   🌸


 その時だ。


「実はですね、あたしに名案があるんですっ!」


 クロコが自信たっぷりに笑顔で告げる。その晴れやかな表情に、私までなんだか希望が湧いてくる。


 いったいどんなプランだろう?

 正直に言えば、私にはこの状況を打破する解決策が考えつかなかった。

 だがそれはあったのだ。

 あるからこそ、クロコはこんなにも顔を輝かせているのだ!

 そういうことだ! きっとそうに違いない!


 ちょっと興奮してしまったが、それでも私は落ち着いてこう尋ねる。


「なんですか、その妙案というのは?」


「どうしても、聞きたいですか? 山吹先生」

 クロコはちょっと鼻を膨らませて得意顔だ。まぁ子供だから。


「まぁ興味はありますね」

 内心は別として、あくまで冷静にそう答える。


「それはズバリ、!」

「患者を……作る?」


   🌸


 なんとなく魅惑的なプランにも聞こえる。

 受け身の営業ばかりでなく、攻めの営業に転じようということか!

 たしかに私にもっとも欠けていた姿勢かもしれない。


「それで、そのプランというのは?」

「ずばり『ニセモノ健康診断』です! 町の人に嘘の健康診断をして、片っ端から不安にさせるんです。そうすればみんながこのクリニックに来るはずです! しかも毎日!」


「はぁ……」

 私はため息をつく。


「どうです? きっと毎日大行列ですよ! ナイスアイデアでしょ?」


「はぁぁ」

 もう一度。

「……あのね。ダメに決まってるでしょう。嘘をつくなんてダメですよ。まして騙すなんて絶対ダメです!」


   🌸


 それにしてもこのやり取りも、もう何回目だろう?

 この申し出と却下のやり取り。

 いまだに簡単に引っかかる私もどうかしている。


 だがそれだけ余裕がなくなっているのも事実。

 わらにもすがる思いで、本当に藁をつかんでしまうのだ。いつもいつも。


「いい考えだと思いますけどね。でもね、先生、もうホント余裕ないですよ。月末まであと三日、最低あと八万は必要なはずです」


 なんでそんな金額まで知ってるんだ? と思ったら机の上の請求書はすべて開封済みだった。しかもクロコはこのやり取りを続けながら、胸から黒革の手帳を取り出し、せっせと帳簿に記入していた。


 大きなお世話だけど、実際は助けられてもいる。私がこうしてギリギリ生活できるのは彼女の会計によるところが大きいのだ。


「……あっ!」

 と、彼女が急に戸口を振り返る。


「なんです?」


「またが来ました。あたし帰りますね」

 言うが早いか、クロコは手帳を胸元に収め、素早く部屋を出て行ってしまった。


 そして入れ替わりに、今度はそのガキどもがやってきた。


   🌸


「センセー、遊びに来たよぉ!」

 開口一番、元気な声を張り上げるのはマサヒコだ。たぶん小学三年とか四年くらい。黄色い帽子をかぶり、ボロボロになっているランドセルをさらに虐待するようにブンブンと振り回している。

 アレ、たぶん卒業まではもたないだろう。


「君たち、ここは病院ですよ」

 私は静かにそう告げる。ここをたまり場にされて迷惑この上ないのだが、時には我慢も必要だ。子供に好かれる、街の優しいお医者さん。そういうイメージは口コミで広がるものだからだ。


「せんせ、こんにちは」

 マサヒコの陰に隠れているアキナちゃんがペコリと頭を下げる。彼女はたぶん一年生か二年生。マサヒコの妹。彼女はすごく照れ屋さんだ。


 とさらにもう二人が現れる。

「お邪魔いたします」

 挨拶通りに丁寧で物静かなトシオ。小さいのになかなかのイケメンで勉強もできる。ホントはよく知らないけどそんなイメージだ。彼はマサヒコにひきずられるように、毎日ここに来るようになっていた。


「センセー、今日のおやつは?」

 最後の一人はチエミちゃん。いつもパンツが見えそうな短いスカートをはいているお転婆娘だ。彼女はトシオ君目当てでこの病院に寄り付くようになった。


 これがいつも病院クリニックにやってくる四人のガキどもだ。


   🌸


(ここは無料の託児所じゃないんですけどね)


 と思いつつも、私はスーパーで買いだめしている『うまいぞう』を彼らに一本ずつ配る。

 彼らも慣れたもので、戸棚からそれぞれマイ湯呑を取り出し、チエミちゃんがみんなの分のお茶を入れる。

 もちろん私の分も淹れてくれる。しかもどういうわけだか、彼女が淹れてくれるお茶は、私が淹れるよりお茶よりも美味しいのだ。


 そして彼らはまるで我が家のように思い思いの場所に座り、私の存在などないように勝手に雑談を始めるのだった。


   🌸


「そういえば、宝くじの当たった『ミズホさん』の話、聞きましたか?」

 最初に切りだしたのはトシオ君。彼は口数が少ないから、彼が発言するときはみんなついつい注目してしまう。私もそう。ついトシオ君の言葉に注目してしまう。


「あーアレな、聞いたよ。もう三回目だろ? 父ちゃんがなくしたとか、盗まれたとかいってたやつ」

 とマサヒコ。彼もけっこう情報通らしい。すでにそのニュースは過去のものとなっているようだ。


「えー、なになにー? あたしそれ知らなーい」

 チエミちゃんは多分知っているのだろうが、ここぞとばかりにトシオ君の隣にピッタリとくっついた。


「先生は聞きましたか?」

 トシオ君は珍しく私にも話を振ってきた。その気遣いがなんだかとてもうれしい。嬉しいが、私はツッーっとメガネを上げ、冷静に答える。

「いえ。私は聞いたことがありませんね」


「ボクたちの上の学年にミズホさんっていう女子がいて、その子の家、宝くじをよく当ててるんです」


「えっ? そんな人いるんですか?」


 正直、びっくりした。

 宝くじなんて宣伝だけで、本当は当たらないものだとばかり思っていたのだ。


   🌸


「最初は三千万だったかな? それから一千万を当てて、この間また百万円当てたらしいですよ」


 ますますびっくりだ。

 のんびり子供たちの話を聞いてる場合じゃないかもしれない。

 そんなに当たるなら、すぐに買いに行くべきじゃないだろうか?


 なんだかそわそわしてくる。


 当たりくじが売り切れてしまうかもしれない。

 駅前の売り場はまだ開いているだろうか?


   🌸


「……でも、その百万円の当たり券を失くしたらしいんですよね」

 トシオ君はちょっと外国人みたいに肩をすくめ、手のひらを上に向けた。

 その仕草に私はちょっとイラッとする。


「えー、あたし知らなかった! それで、それで、どうなったの?」

 だがチエミちゃんにはそんなところがいいらしい。彼女まで外国人みたいにジェスチャー付きで語りかけた。


「実はその前後に、そこで飼ってたネコがいなくなったらしいんです。それでそのネコが当たり券を持ってるんじゃないかって話になって、町の人みんなで探してるんですよ」

 トシオ君はチャキッっと眼鏡を上げた。

 子供のくせになんだか大人びた仕草。やっぱりイラッとしてしまう。


   🌸


「マジかよ! 知らなかったぜ」

 と、マサヒコが俄然食いついてきた。

「なぁ、もっと詳しく教えてくれよ! トシオ。ヒャクマンのネコなんだろ?」


 百万円か……子供にとっては夢のような大金だろう。

 

 これで全ての借金を返済できる! 借金を返済できれば、刺身だって寿司だって、ステーキだって、ウナギだって、そういえば天ぷらもずいぶん食べてないな……とにかく何でも、好きなものが好きなだけ食べられるじゃないか!


「…………」


「せんせ?」

 アキナちゃんが心配そうに私を見ていたので笑顔を返す。

 大丈夫だよ。ちょっと興奮しただけだから。

 そんな大人の余裕を笑顔に乗せる。


   🌸


「なぁ、それってどんな猫? これから捕まえに行こうぜ!」

 とマサヒコ。


「たしか真っ白い猫だって話でしたね」

 とはトシオ君。


「げー。なんだよ、そんな猫なんかいっぱいいるじゃん」

「それがですね。その猫、赤い腹掛けをしてるそうです。真ん中に小判の絵が描いてあるらしいですよ」


「なんだか、招き猫みたいだなぁ」

「ええ。実際そのネコ、宝くじ屋さんで拾ったそうですよ」

「へぇ、でもそれならすぐ見つかりそうだけどなぁ」


   🌸


 私は注意深く彼らの話を聞く。


 赤い腹掛けをした真っ白い猫。

 もしそれを捕まえられたらお礼が出るかも。

 いや、こっそり換金する手もあるな。

 今の話を知らなかったことにして、偶然拾って、たまたま通りかかった銀行にいって、何の気なしに調べてもらって、えっ、当たってるんですか? という感じなら……


「…………」


「何がですか?」とトシオ君。


「いえ、何も言ってませんよ。さ、続けてください」

「いや、それだけです」


「それだけ?」

「ええ。たぶん猫は見つからないと思いますよ。ほら、猫は自分に死期が迫ると姿を隠すっていうでしょ、それだと思いますよ」


 なかなか冷静な推理だな。


「なんだよ、じゃ探せないじゃん」とマサヒコ。

「えー、みんなで探しに行こうよぉ」とチエミちゃん。


 ちなみにアキナちゃんはお兄さんたちの会話を聞きながら『うまいぞう』に黙々とかじりついていた。


   🌸


 そして私は決心する。


 これからその猫を探しに行こう、と。

 それにはまずこのガキどもを解散させ、早く家に帰さねばなるまい。


「ささ。その話はそれぐらいにして。キミたちそろそろ家に帰る時間ですよ」


「えー、まだ早いじゃん」

 予想通り、マサヒコが口をとがらせる。


「今日はだめです、先生はまだ仕事が残ってるんです。さ、今日はもう帰りなさい。お家の人が心配しますよ」

「嘘だぁ、患者さんなんていないじゃん!」

「患者さんがいなくても仕事があるんです」


 本当はないけれど。


   🌸


 とにかく、くつろいでいたみんなを立たせ、さっさと湯呑も取り上げる。

 そして帰りたくなさそうな彼らを玄関まで送りだす。


「では、また明日!」

 私はさっさと扉を閉めると、白衣を脱ぎ、自室へと非常用の懐中電灯を探しにいくことにした。


 懐中電灯はすぐに見つかった。

 カチッとスイッチを入れてみる。

 大丈夫。電池もちゃんと入ってる。

 明かりが、頼もしく、まぶしい。


「……そうですね。最初に食べるのは、刺身にしましょう!」




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