第四夜 【ばったもん】

ばったもん・前編 ~山吹の章~


 ○~○~○




 関東地方のとある県、その最北端に『七ツ闇』という町がある。


 その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。


 だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。


 そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。

 

 神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。


 だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。


 そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。


 その噂いわく『あの診療所には物の怪がでる』というのである……




 ○~○~○




   🌸


「先生、患者さんきませんねぇ、また」

 クロコは最近届いた『折りたたみ式ベッド』に寝そべってそう言った。


 今日はジーンズにフリルのついた白いブラウスと、なんとなくオシャレな感じの服装だ。さらに顔の半分くらいはある大きなサングラスをかけている。

 まだ中学生の分際で。


「それで、この折りたたみベッド。五つも買ったんですか?」

「はい。この間のように、患者さんが大勢来た時のためです」


 私は颯爽と答える。

 これぞまさに投資というもの。


   🌸


 そう。思い返せば、牡蠣の食あたりの時は患者の大半を床に座らせたり、外で待ってもらったりと、全くができていなかった。

 患者にとって居心地のいい病院、思わず、そういうものを目指さねばならないのだ。


「この間の一件で、先月は支払いを無事クリアできましたよね。残りはいくらだったんです?」

「約十万が残りました」


 答えるわたしはちょっと得意だ。

 うん。札束を数えたときは本当に気分がよかった。

 あまり気分がよくて、何度も何度も数えてしまったくらいだ。

 まぁ何度数えても増えなかったが……


「それで、このベッド。一台いくらだったんです?」

「税込みで一万八千円でしたね。なんと送料込みでしたよ」


 クロコは起き上がり、小さなエナメルのリュックサックから黒革の手帳を取り出し、サラサラと何かを書き込んだ。

 たぶん単価をメモしたのだろう。うちの会計士は抜け目がないから。


「ということは、残り一万円ですね。こんなことで来月の支払いができるんですか? あと七万は必要なんですよ?」


   🌸


 予想通りだった。クロコの辛らつな言葉を私は平然と受け止める。

 まったく子供はこれだから困る。

 目先の金にとらわれていると、大きなチャンスを逃してしまうことになるのだ。


 どれ、仕方がない。少し説明してやるとしよう。


「いいですか? これはというんです。これから毎年、この前のような食中毒の騒ぎがあるかもしれません。あったとき、町の人はどこへ行こうと考えるでしょう? もちろん近くて便利なところです。そこでこの『七ツ闇クリニック』です。ベッドもたくさんあって快適な……」


 が、説明の途中でクロコに『待った』をかけられた。

 なんだ、せっかく乗ってきたのに。


「あの、先生。オイスターフェスティバル、来年は、やらないそうですよ」


「え?」

 ちょっと状況が理解できない。つい首をかしげてしまう。


   🌸


「今年の騒ぎで、来年からは中止になったんです」


「え?」

 それは初耳だった。


 つまり……私はチラッとベッドに目をやる。これは無駄?

 いやいや! これは投資だ! さっき自分でそう言ったじゃないか! もっと自分の判断に自信を持たなければ!


「そ、そうでしたか……ですが、これはあくまで投資です。そうです。これは私ではなく、なんです!」


 急に思いついたのだが、けっこういい理由だ。


 そう思うと、

 きっとそうだ。最初から心の片隅で考えていたに違いない。町の人のための投資。うん。そうだったのだ。


「これで町の人たちが安心できます。不安さえなくなれば、いまに長蛇の列ができるようになります。そうなれば、また十万円くらい……」


 だがクロコはサングラスをとり、どういうわけだかハンカチで目元を抑えた。

「あたし時々先生がかわいそうになっちゃう」


 そう言われると、なんだか自分がかわいそうになってしま……いや! また弱気の虫が出てきたらしい。お金なんてどうとでもなる!

 と、ふと思い出したことがあった。


   🌸


「そういえばクロコ君、先日あの猿の妖怪から、なにやら真珠を手に入れてませんでしたか?」


 私はそれを見逃さなかった。あの日、クロコはヤクザみたいな猿柿の連中相手に、なにやら偉そうにしていたし、リーダーからは真珠を取り上げたりしていた。

 ちゃんと見ていたのだ。私の目はごまかせない。

 そこにはなにか大きな秘密が隠されている、そうに違いない。


 するとクロコは大きくため息をついた。


「あれは返してもらっただけです」

 が、クロコはまるで動じていない。あれ? 私の勘違いなのだろうか?


   🌸


「そうなんですか?」

「はい。実はあの日、あたし商店街で景品に真珠をもらったんです。それを先生にプレゼントしようとしてたんですが、あの猿たちに盗まれちゃって」


 クロコはそういうとブラウスのポケットを探り、大きな真珠の粒を取り出した。とてもきれいな色でまん丸だ。大きさもかなりの物。


「コレ、良かったら使ってください。来月の支払いの足しになると思います」

「いやいや、そんな大事なもの受け取れませんよ」

「いいんです。どうせくじで当てたものですから。でもね、先生、定価は十万円らしいですから、骨董屋の伊万里さんとは上手に交渉してくださいね。あの人そうとうタチが悪いですから」

 クロコはそう言うと、コロリとその粒を私の手のひらに転がした。


「いや、でもやはり、いただくわけにはいきませんよ」

「いいんですよ。猿柿たちからの報酬だと思ってください……それよりまたガキどもが来ました。あたし失礼しますね」


 クロコはさっと手帳をしまい、するりと扉から出て行ってしまった。


   🌸


 私は手のひらに残された真珠を見つめる。定価十万。これが。

 しかしなぁ、子供に宝石もらうわけにはいかないし……


 と思ったところで私は名案を思い付いた!


   🌸


「先生、今日はさ、あんましゆっくりできないんだ」

 扉を開けるなりそう言ったのは、マサヒコ。続いていつものトシオ君、チエミちゃんが入ってきて、あれ? 今日はマサヒコの妹、アキナちゃんの姿が見えなかった。


「おや。アキナさんはお休みですか? 病気だったら連れていらっしゃい。それとも往診に行きましょうか?」

「いや、別にいいよ」

 本人に悪気はないのだろうが、またずいぶんあっさりと断ってきた。まったくガキはこれだから嫌なのだ。


「アキナちゃん、病気とはちょっと違うんですよ」

 そう言ったのはトシオ君。そういえば彼の足からは包帯が消えていた。どうやら先日のねん挫はよくなったらしい。


「ではどういうことです?」

「アキナさ、ばあちゃんの形見をなくしちゃったんだよ。それで落ち込んでてさ、学校にも行かなかったんだ」

 とマサヒコ。説明するのも面倒そうにそう言った。


「形見、ですか……」

 それなら無理もない。あの年頃の女の子であればなおさらだ。


   🌸


「ばあちゃんのくれたの指輪なんだけどさ、なんか縁側で虫干ししてたら、バッタが足にくっつけて、飛んでっちゃったんだって」


 

 ガキの話は大抵よく分からないのだが、今回もまたさっぱり何を言っているのかわからない。で、私は正直にそう告げてみた。


「あの、話の意味がまったく分からないんですが?」

 が、マサヒコはなんともむかつくことに、手のひらを上に向けただけだった。まるで外人みたいに。そんな仕草が無性に私をイラつかせる。


「バッタって、あの昆虫のバッタですか?」

「んー、ちょっと違うなぁ、家にさ、バッタの置物があんの。たぶん金属でできてるやつ、こう、関節とかがプラモみたいに動くんだよね」


   🌸


 ほぅ。それはきっと『自在置物』のことだろう。

 金属や木、などで関節も可動するように精工に作られた工芸品だ。たしかエビとか昆虫とか蛇とか、そういうものが有名だったはずだ。

 ただゼンマイとかで動き出すようなものではない。あくまで置物だ。


   🌸


「それが動き出してさ、アキナの指輪をくっつけたまま、どっかに飛んでったんだって」

「やっぱり意味が分かりませんね」

「俺も」


 なんかもうマサヒコと話しているのは疲れる。ワケわかんない同士が話し合って、余計にワケが分からなくなっていく。これは負のスパイラルそのものだ。


「とにかくさぁ、今日のおやつくれよ。俺、急いで家に帰んなきゃなんないんだ」


 だったらまっすぐ帰りなさい、と言いたい気持ちをグッとこらえて、私は今日の菓子を彼らに与える。

 今週はお金に余裕があったので高級菓子の『アーモンドチョコ』を用意してあった。箱をスライドさせると、二列に並んでいるあのチョコだ。子供たちにはちょっと高級だが、独り占めするのは気が引ける。


「サンキュ、先生。じゃ、またね」

 マサヒコはアキナちゃんの分と自分の分をポケットに入れると、さっさと病院を出て行ってしまった。そしてトシオ君とチエミちゃんもチョコを受け取り、さっと頭を下げて、マサヒコ君を追うように病院を出て行ってしまった。


「うーん、また妖怪がらみなのかな?」

 私は誰にでもなく、そうつぶやいた。


「まあ、たぶんそうだろうな。しかし今回は困ったな……」


   🌸


「……今日はガキども、ずいぶんあっさりと帰りましたね」


 クロコが珍しく、ガキどもが帰ると同時にするりと部屋に入り込んできた。

 こういう入り方、たまにびっくりさせられる。何しろ彼女、足音は立てないし、そもそも気配を感じさせないのだ。


「そうでしたね。なんでもアキナちゃんが、大事なものを失くしたらしいんですよ。何とかしてあげたいんですけどね」

「先生も人が良すぎますよ。ガキどものことなんか、ほっとけばいいんです。それより先生には、もっとやることがあるじゃないですか」


「なんです? 今のところ患者はいませんが」

「晩御飯ですよ!」

 クロコは嬉しそうにコンビニの袋を差し出した。

「ジャーン、今日はコンビニ限定です。お揚げが二枚入ってるんですよ!」


 そういって取り出したのは、赤いパッケージのカップうどん。クロコはどういうわけだか、こればかり食べている。そして家計がピンチの時には、私にも買ってきてくれる。正直助かっているので文句は言えないが、月末にはほぼこれしか食べられなくなる。


   🌸


「さ、食べましょー、先生」


 クロコも慣れたもので、ポットのお湯を沸かし、手早くカップ麺の封を開けてセットする。私も居間のテーブルに、箸とお茶を用意する。

 まぁ私も手馴れたものだ。こればかり食べてるから。そしてクロコがカップ麺にお湯を入れて戻ってきた。私は腕時計で現在の時刻を確認する。


「ねぇ先生、いつになったらタイマー買ってくれるんですか?」

 クロコはそわそわと落ち着かない。どうも待っている間のが気になって仕方ないようだ。

「タイマーなんて必要ないですよ。時計があるんですから見ていればいいんです」


 クロコは頬をプーっと膨らませる。こういうところは本当に子供だ。しかし私は何も言わない。今日はごちそうしてもらっている身だし。


「あたしはなるべく正確に五分、測りたいんです。それにいつも時計を見てなきゃいけないのがなんか嫌なんです」

「そうですか? しかし……おや。そろそろいいでしょう」


 それから二人でカップうどんを食べる。食べ飽きているはずなのに、やっぱりおいしい。それから私はお揚げの一枚を彼女のカップに移す。


「え。先生いいんですか?」

 驚いているふりをしているが実にうれしそうだ。だから私はたいてい一枚を彼女にあげる。一枚しかないときは一枚を彼女にあげる。

 だって彼女はそれを本当においしそうに食べるから。


「先生大好き!」

 彼女はハフハフとまだ熱いお揚げを頬張る。


 私はその姿をみて何とも幸せな気持ちになる。


   🌸


 そして私は思い出す。


 まだ子供だった頃、私はこの神社の森で一匹の子狐を助けたことがある。見たことのない真っ黒い毛をした子狐だった。その子狐は血まみれで、ずいぶんと弱っていた。見つけたときは幹の開いた穴に隠れていた。向こうも見つけられたことに驚いたのだろう。毛を逆立てて私を威嚇した。


「大丈夫ですよ。僕は痛くしませんから」

 私はその子狐に言い聞かせ、多少引っかかれはしたが、穴から引っ張り出した。


 それから祖父の元へと連れていき、血を洗い流し、薬をつけ、包帯を巻いた。危害を加えるつもりがないとわかってからは、その子狐はおとなしくしていた。


 最初の夜は私と祖父がつきっきりで、次の日からは交代で、薬を塗り、包帯を取り換え、肉団子なんかを食べさせた。

 やがて一週間ほどで包帯もとれて、子狐はずいぶんと元気を取り戻した。


「キミ、すっかり良くなりましたねぇ」

 私が頭を撫でるとその子狐は細い目をさらに細くした。その子狐は居心地が良かったのか、しばらく神社の森に住み着いていた。

 たまに水を飲みに現れると、私は祖父から油揚げをもらい、狐にあげた。


 もちろん狐が油揚げを好きだと聞いていたからだ。そして噂通り狐は油揚げが大好きだった。

 それこそ今のクロコのように、本当においしそうに食べていた。


   🌸


「先生? どうかした?」

「いえ、昔ね、あなたのようにお揚げをおいしそうに食べる子狐と暮らしたことがありましてね。それを思い出したんです」


 クロコは不思議そうに私をじっと見つめた。


「あの子ギツネ、かわいかったなぁ……」

「せ、先生、麺が伸びちゃいますよっ!」

 クロコはなぜか顔を赤くしてピシっとそう言った。


 せっかくいい話をしていたのに。とは思ったが、確かに麺が伸びてきた。私は急いで残りのカップ麺を食べた。


「うーん。やはりいつ食べてもおいしいですね」

 私はすっかりお腹がいっぱいになった。うん。とりあえず幸せだ。


「あれ?」

 と、クロコが急に緊張して、外の気配に耳を澄ました。私も自然と耳を澄ました。ひょっとしたらまた妖怪が来たのかもしれない。最近は妖怪の患者ばかりが増えているから。


「また妖怪ですか?」

「違う……みたいですね。たぶん……やっぱり! またガキどもですよ」

「なんでしょう、こんな時間に?」

「先生、とりあえずまた来ます」

 クロコはそう言い残し、いつものように部屋を出て行った。


   🌸


 入れ替わりに部屋にやってきたのはマサヒコと、彼に手をつながれたアキナちゃんだった。


「こんばんは、先生」

「珍しいですね、こんな時間に」


 するとマサヒコは妹のアキナちゃんの背中を前に押し出した。

「ほら、自分で言いな」


「どうしたんです?」

 アキナちゃんはしばらくモジモジとしていたが、


「ぜんゼぇ(先生)、あたじのうびわ(わたしの指輪)、いっじょにざがしてくだざぁい(一緒に探してください)」


 いきなり泣き出して、そう言ったのだった。

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