ばったもん・後編 ~クロコの章~


 あたしは病院の裏手に回り、先生とガキどもの会話に耳を澄ました。


 アキナは泣きながらしゃべっているので、その言葉はなんだかよくわからないのだが、言いたいことはなんとなくわかった。


   🦊


 つまるところ、彼女の家で朝、家にある古いものをしていた。その中には祖父の遺品のバッタの置物があった。その置物の隣で、彼女が大事にしている祖母からもらった指輪も一緒に虫干ししていた。


(なぜ指輪を虫干しする必要があったのかは謎だけど、子供の考えていることはよく分からない)


 問題はそこからだ。その祖父のバッタが突然動きだしたという。それは金属で作られた関節の動く置物で、もちろん動き出すようなものではない。それなのにバッタは突然起き上がり、そのついでに脚に祖母の指輪をひっかけ、羽を広げて飛んで行ってしまったという。


(まぁ、付喪神のたぐいなんだろうけど)


 アキナはあわてて追いかけたが、もちろんつかまらない。ただずいぶんとよたよたと飛んでいたらしく、追いかける途中で、触覚や足の一部などが落ちてきた。それを手掛かりにして追いかけたが、結局バッタも指輪も見つけられなかった、と。


   🦊


(それにしてもまぁ、先生もよくこれだけ聞き出したもんだわ)


 先生は辛抱強く二人の話をずっと聞いた。

 普通の大人だったら、何をバカなことを、と笑って済ませてしまうようなことだろう。でも先生は違う。相手が誰でも、それこそ妖怪でも、ちゃんと向き合って、ちゃんとその話を聞こうとしてくれる。


「さて、今回はどうしようかな?」

 あたしはちょっと考える。


 それから病院を離れ、ガキどものいる家へと歩き出す。

 あたしの目なら妖怪の類はバッチリ見える。

 小さくたって、その痕跡なら見える。


「でもやっぱり報酬がないのよねぇ……でも今回は仕方ないかなぁ」


 あたしはジャンプし、さらに鳥居を蹴って、七つ闇町の上空へと舞い上がる。


   🦊


――それから一時間後――


「先生、ガキども帰りましたか?」

 知ってはいるけどそう聞く。先生の前ではあたしはミステリアスな中学生、妖怪が見えるだけの女の子だから。


「おやおや。今晩は、クロコ君」

「先生、ずいぶんお疲れの様子ですね」

「まぁね。実はあれから、マサヒコ君の家の近所にある森に行ったんですよ。アキナちゃんが大切にしている指輪を探しにね」

「指輪ですか? 見つかりましたか?」


「それがさっぱりでね。手掛かりといえばこれだけ」

 先生の机の上には、虫のものらしい触覚と羽と足のパーツが置いてあった。どれも銅板を加工して作ってあるようだ。


「ひょっとして、先生の探し物はこれじゃないですか?」


   🦊


 あたしはポシェットから伊勢海老くらいの大きさの物体を、そうっと取り出した。それは銅で作られたバッタの工芸品、アキナの祖父の遺品だ。


「ク、クロコ君。キミ、いったいどこでこれを!」

 珍しいことに先生はびっくりしていた。

 そしてそーっと両手を出し、そのバッタの置物を受け取った。


「散歩していたら偶然見つけたんですよ。なんか妖怪っぽい感じだったから、先生に見せようと思って」

 と用意した言い訳を言ったのだが、先生は聞いてなかった。


 もうその置物にすっかり夢中で『へぇー』とか『ほぉー』とか『うわぁ』とか、言いながら、動く関節をクネクネと動かして遊んでいた。


「あの、先生?」

「へー、こりゃすごい。精巧だなぁ」


「先生?」

「ん? おお、すみません。こんなに素晴らしいものを見るのは初めてですよ。これはね『自在置物』というんです。けっこう歴史のある工芸品で、エビとか蛇とか虫とか、そういったものの関節が本物そっくりに作られてるのが特徴なんです。甲冑をつくる職人たちが作り始めたと言われてて、ものによってはすごい金額になるんですよ」


 先生の目がまた怪しく輝きだしている。でも今回は純粋に感動しているだけかもしれない。子供みたいな目になってるし。


   🦊


「先生、指輪はいいんですか?」

「ん? そうそう、そうでしたね」


 それから先生は少し考え込んだ。たまに指先でちょんちょんとバッタをついてみた。それから思い出したように、取れたパーツを元通りにはめ込んだ。それから腕を組んでまた眺めた。


「あの、何してるんです?」

 あたしはとうとう痺れをきらしてそう聞いた。先生がなにをやっているのか、なにをしたいのか、さっぱり分からなかった。


「いえ、付喪神なら動き出さないかと思いましてね。そうしたら指輪をどこで落としたか聞き出せるかもしれないでしょう?」

「あ! そういうことですか」


   🦊


 あたしはそのバッタをそっと手で持ってみる。胴がひんやりと冷えていて、ずっしりとした重みがなんとも心地いい。


 それからそっと妖気を送り込んでみる。付喪神が動かなくなるのは、たいてい妖力が足りないせいだからだ。


「クロコ君がこういうものに興味を持つとは意外でした」


 あたしはえへへと笑う。妖力を送っているのが先生にばれてないなら、それでいい。それにしてもいくらやっても動く気配がない。どうしてだろう? あたしはあきらめて机にバッタを戻した。


 二人でそれをしばらく眺める。

 すると先生がハタと手のひらにゲンコツを打ち付けた。


「分かった! 虫干しです! いいんですよ」

 先生はデスクのライトをぱちんとつけ、それをくっつきそうなくらい、バッタに近づけた。


 あたしたちは何か変化が起こるのをじっと見守った。でも動かない。がまんがまん。まだ動かない。しんぼうしんぼう。やっぱりまだ動かない。


「あー、いらいらする!」

「まぁまぁ、クロコ君、じっくり待ちましょう」


 するとバッタの輪郭がぐんにゃりとゆがんだ。


「きたっ!」


   🦊


 そのバッタの置物がゆっくりと動き出した。

 六本の足をちょこちょこと動かして、ゆっくりとこちらに向きを変える。それから、どういうわけだかいきなり、二本の足でスックと立ち上がった。


「うわっ!」


 あたしと先生は思わずのけぞってしまった。なんか気持ち悪かったのだ。するとバッタは前足四本をきれいにそろえ、お辞儀した。

 こういう付喪神は初めて見る。

 あたしの妖怪辞典にも載ってないし、もちろん名前も知らない。


「は、初めまして、私、山吹と申します。付喪神様でいらっしゃいますよね?」

 先生が先に自己紹介する。


「ん? ワテのことでっか?」

 バッタは関西弁でしゃべりだした。


「はい。よろしければ、お名前を教えていただけますか?」

「ワテ『ばったもん』いいます」


 ばったもん……なんとも脱力するような名前だ。ちなみに関西地方で『偽物』という意味だ。それとバッタがかけてある。洒落が効きすぎて笑えない感じだった。


「珍しい、というか変わったお名前ですね」

 先生もハハッと乾いた笑いを浮かべた。


   🦊


「実際そうなんですわ。マサヒコ君ところのおじいちゃん、ワテが国宝級のお宝言われて買うたんです。もちろんそりゃ真っ赤な嘘でして、ワテはお土産用に作られた大量生産のバッタモンなんですわ」


 ばったもんはハッハッハッとなんとも乾いた声で笑った。


「ですがねぇ真面目な話、それがなんとも大事にしてもろうて。可愛がっていただいているうち、こんな塩梅になった次第で……」

 前足の四本をクネクネと器用に動かしながら、ばったもんは話した。


「それはそうと、一つ言うとかな、あかんことがありまして」

「なんでしょう?」

「ワテ、どういうわけか五分きっかりしか動けんのです。温まって動き出してから五分。これがまぁ、計ったように動けなくなるんですわ。たぶんワテの妖力の電池みたいなもんが、そんな感じなんでしょうなぁ。しかしワテこの通り……」


「ストーップ!」

 黙って聞いていると五分以上喋りたおしそうなので、あわててあたしが止めた。


「先生、聞くことがあるんじゃないですか?」

「そうそう、そうでした! あなたに聞きたいことがあります。あなたがあの家を飛び出したとき、あなた指輪をひっかけて飛んだらしいのです」


「指輪でっか? はて、なんのことやら? いや、そういえばいつもと違って飛びづらかったような……しかし指輪でっかぁ」

「はい。どこかで落としたはずなんです。それを覚えていませんか?」


   🦊


「……はてなぁ。ちいとも記憶にあらしまへんなぁ。そもそもワテはあまり記憶に自信がある方でもないですし。しょせん虫ですからな、三歩歩けば記憶なんて……ってそれは鳥やがな! あ、しかしですな。何かが落ちる音は聞いたような、いや聞いてないような……」

 バッタは四本の腕の指先に当たる部分で、たぶん顎に当たる部分を支えた。そうして考えこんでいる様子なのだが、その口の方はずっと喋りっぱなしなのだった。


「結局、心当たりはあるの? ないの?」

 痺れを切らしてあたし。もう我慢の限界も近い。


 ばったもんは急に黙り込んだ。そのポーズのままじっくりと考え込んでいる。

 どうやら真剣に思い出す気になったようだ。邪魔しないように待つ。動かない。まだ考えてる。じっと待つ。


 が、なんかおかしい……


「どうやら……五分たったようですね」

 と腕時計を見て先生。


 あたしはがっくりと座り込んだ。


   🦊


「さて困りましたね。あの森の中から、手掛かりもなしに指輪を見つけるというのは、ほとんど不可能ですしね」

「ばったもんはあの通りですしね」

 あたしも打つ手がない。せっかく見つけてきたというのに、アイツがここまで役に立たないとは思わなかった。


「なんとか見つけてあげたいんですよねぇ」

 先生はホントに困っている。何とかしてあげたいとは思うんだけど、今回ばかりは何ともならない。妖怪のできる範囲を超えている。あたしはため息をついた。

「今回ばかりはどうしようもないですよ、先生」


「それがですね、一つだけ解決策があるんです」

「えっ? 本当ですか?」

 ちょっと意外。いや、かなり意外。

 あたしには考えつかなかった。


「はい。それがなんとも情けないことなんですが……」

 そう言って先生は静かに立ち上がった。

 あたしの方をまっすぐに見ている。顔つきは真剣そのもの。


 そして急に頭を下げた。もう頭が膝にくっつくくらい、深くお辞儀をしている。


「クロコ君、あなたにお願いがあります!」


   🦊


「な、なんです急に、先生……」

 あたしは大慌て。いや先生に頭を下げさせるなんてとんでもない。あたしこそ土下座したい気分になる。

 が、ここはグッと我慢する。だってあたしは先生との今の関係を壊したくないから。山吹先生とちょっと変わった女の子クロコ、それが今のあたしの望みだから。


「……とにかく頭上げてくださいよ。山吹先生」

「実は私にはもうこれしか手がないのです。あなたにお願いするしかないのです」


「いったい何です? あたしにお願いって?」

「この前やってきた『猿柿』たち、あの妖怪たちの力を借りることはできないでしょうか? 彼らならあの森で指輪を探すことができると思うんです。ただ私は彼らに接触するすべがありません。ですがクロコ君なら、キミなら彼らと話せるんじゃないかと思ったのです」


   🦊


 あ。なるほどね。あたしは思い出す。彼らが牡蠣を食べてお腹を壊したとき、あたしは治療費の代わりに誓約書をとったのだ。後で何でも言うことを聞くという誓約書。ただ先生はその誓約書のことは知らない。ただあたしが若頭と話していたのを知っているだけだ。


 アレをずいぶんと軽いお願いに使ってしまうことが悔やまれるが、たしかにあの人数で探せば何とかなるかもしれない。


 だけど本当はもう少し違うことに使いたかったのだ。最近の七つ闇町にはやたらと妖怪が増えてきている。このままではいずれタチの悪い妖怪もやってくるに違いない。そういうときのために使おうと思っていたのだ。


「クロコ君、どうか彼らに頼んでみてくれないでしょうか? 報酬が必要なら何とかします。だから聞いてみてもらえないでしょうか?」


 なにより先生のお願いだ。先生が直々じきじきに頭を下げて頼んでいるのだ。出し惜しみしてもしょうがない。断る理由なんかない!


「分かりました、先生。あとはあたしに任せてください」


 あたしがそういうと、先生は今にも泣きそうな顔をしていた。


「ありがとう、クロコ君。本当にありがとう」


   🦊


 それから、あたしは猿柿達の住む、港に近い森へと向かった。そろそろ時刻は真夜中にさしかかろうとしている。猿柿達は毎度のことなのだろうが、猿酒で宴会を開いていた。


「若頭はいる?」

 あたしはその中にずかずかと入っていき、声をあげた。ちょっと猿たちがざわつく。中には見たことのない猿柿たちもいて、総勢は五十匹近い。


「おや、クロコ姉さん」

 首から白いお守り袋を下げた若頭が近づいてきた。

「その節はお世話になりやした。あれからすっかりみんなよくなりまして」


「それは良かった。今日はね、その支払いの話に来たのよ」

 若頭はぎくりとした。そして前回病院にやってきた、約半数の猿たちもギクリと背中を震わせた。


「そ、それはなんでごぜえましょう?」

「安心して。あんたたちにはいい知らせだから」

「へ、へぇ」

 若頭は信用していない。ほかの猿柿どももザワザワとしている。


   🦊


「八王町の森は知ってるわよね? そこにあたしの知り合いが指輪を落としたらしいの。それを三十分以内に見つけてきてほしいの」

「そ、それだけですか? それだけでいいんですか?」


「ええ、何人で探しても構わないわよ。とにかく指輪を見つけてくれればいい。そうすればあの時の誓約書は全員分すべて破棄してあげる」

 猿柿達はさらにざわめいた。猿の表情はよくわからないけど、手を叩いている様子から喜んでいるのが分かる。


「ただし、三十分以内に持ってこれなかったら、次の支払い内容は手加減しないからね。命を取ってもらった方が楽だった、なんてことにするつもりだから」

「へ、へぇ。とにかく見つければいいんですよね。どんな指輪で?」

「石の色は赤。ちょっと古い感じの指輪だと思う」


 若頭は群れに向き直った。

「聞いたなおめぇら! 全員で探し出すんだ! 猿柿一族の、の未来がこれにかかってる! 死ぬ気で探せぇ!」


 猿たちは雄たけびでそれにこたえると、次の瞬間には一斉に走り出していた。


   🦊


 そしてきっかり三十分後。

 あたしはまたもや病院に戻っており、先生の前に立っていた。


「はい、先生!」

 あたしはその赤い指輪を先生に渡した。


「まさか、クロコ君、これ」

「そうです。約束の指輪です」

「こんなにも早く見つかるなんて」

「猿柿たちにお願いしたら、大喜びで引き受けてくれましたよ」


「そうでしたか、かれらも本当はいい妖怪だったんですね」

 まぁそれはないと思う。あいつらは損得勘定でしか動かないから。


「とにかくありがとう、クロコ君。感謝してもしきれません」

「水くさいですよ先生。あたしと先生の仲じゃないですか」


 なんだかくすぐったくなるような、甘い思いが胸につかえた。


   🦊


 翌日、先生はバッタの置物と指輪を、マサヒコの家に届けに行った。指輪はどうやら無事に返せたらしい。だがバッタの置物の方はなぜか持って帰ってきた。


「バッタの置物は気味が悪いから、くれるというんですよ」

 先生は紙袋に入れたそれを私に渡す。

「良かったらクロコ君にあげます。今回のこと、いずれきちんとお礼をするつもりですが、これも悪いものじゃないと思いますよ」


 あたしは紙袋の中のバッタを見つめる。今回の報酬は妖怪自身になってしまったわけだ。猿柿達の誓約書に比べれば何とも安い報酬になってしまった。


 でもあたしは思いつく。これの有効な使い道を。


「先生、お昼にしませんか?」


   🦊


「そうですね。ちょっと早いけどそうしましょうか。実はささやかながらコンビニ限定ものを買ってきたんです。クロコ君の好きなお揚げ増量のやつ」


 あたしと先生は向かい合って座り、お湯を注いだカップうどんを並べる。

 それからあたしはバッタの置物を取り出し、蓋の上に乗せる。

 するとすぐにバッタが動き出す。


「いやぁお久しぶりでんなぁ。なにやらお腹のあたりが温かくて目覚めまして。おっとここは不安定ですな。立ち上がらない方がいいでしょうなぁ、そうそう例の指輪は見つかりましたか? ワテも心配で……」


 ばったもんは五分余りをきっかりしゃべり倒し、五分後に沈黙する。

 カップうどんは食べごろの時間だ。

「これぞまさに、『一寸の虫にも五分ごふんの魂』!」


「あのね、クロコ君。それをいうならゴブ、ですよ」


   第四夜『ばったもん』 終わり

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