第三夜 【猿 柿】
猿 柿・前編 ~山吹の章~
○~○~○
関東地方のとある県、その最北端に『七ツ闇』という町がある。
その中心部の丘の上、そこにはかつて神社があった。
だがその神社、時代とともに忘れ去られてしまった。
そしてすっかり廃れて、今は町で唯一の診療所へと変わっていた。
神社を改良したその診療所、その名を『七ツ闇クリニック』という。
だがその診療所には近所の子供以外は誰も寄り付かない。
そのクリニックには昔からある噂が絶えなかったからだ。
その噂いわく『あの診療所には物の怪がでる』というのである……
○~○~○
🌸
「先生、今日も患者さんきませんねぇ」
またクロコが朝から来ている。今日は淡い黄色のワンピースを着ている。ちょっと育ちのいいお嬢様に見えなくもない。
が、出てくる言葉といえば患者が来ないとか、カネがないとか、嫌味ばかりだ。
「病院が繁盛しないのは、いいことなんですよ」
私はイライラしないように努めて冷静に答える。
🌸
考えてみれば、私の家系は昔からお金に縁がなかった気がする。そうでなかったら、この神社だってつぶれることはなかったはずだ。
なぜだろう? 貧乏神でもついているのだろうか? いや、ここにはいろんな妖怪が来るが、アレはまだ見かけたことはない。
「でも月末までに、あと八万円は必要ですよ。忘れてませんよねぇ?」
忘れるはずがない。片時だって忘れてない。
むしろ気になって気になって眠れないくらいだ。
水道・ガス・電気、どれが一番先に止まるのだろう?
なんかそろそろ、どれかが止められそうな気がする。
止められるなら、せめて順番を選べたりしないだろうか?
🌸
「……先生、先生! 聞いてますか?」
「はっ? ええ、聞いてますとも。もちろん忘れてませんよ」
とは言ったものの、冷静さを保つのが難しくなってきた。もうストレスも頂点に達しようとしている。
ひょっとして、これは町の精神科医に相談した方がいいんじゃないだろうか? いや、まて。それはだめだ。何の解決にもならない。相談したって金が入ってくるわけじゃない。むしろ出ていくだけじゃないか!
まてまてまて。落ち着くんだ。そう、まずは落ち着こう。
まだ慌てる時間じゃない。
いつものように冷静に。クールに。
🌸
「先生、ほんとに大丈夫ですか?」
「もちろんです。なんです
クロコがジトッと疑わしそうな目で見てくる。
つい反射的に目を逸らしてしまった。
はい、そうですよ。嘘つきました。もちろんアテなんかひとつもない。これっぽちもあるわけない。だって患者が来ないんだもの。患者がいなきゃ金は入ってこないんだもの。
「先生、とにかく患者さんを呼ばないと」
「分かってます。分かってますけど……」
なんか七ッ闇町の人はみんなやたらと元気で丈夫なのだ!
(……ああ、患者さんこないかなぁ。命にかかわらない、軽くて緊急的なやつがいい。インフルエンザというよりは風邪。そういう感じのがいい。風邪が大流行して、患者が行列になって押し寄せてこないかなぁ……)
🌸
私は自然と窓の外に目をやった。
ここからは鳥居が見える。
患者さんは石段を登って鳥居をくぐって病院にやってくる。
しかしよく考えてみると、ここの長い石段を登れるくらいなら、結構健康なのではないのだろうか? このロケーションに問題があるのではないだろうか? かといって街中に開業できるお金があるわけないし……
ここは神社らしく、神頼みしかないか……
と、思ったところで、人の頭が見えた!
しかも……四人!
私はガタっと立ち上がる。
🌸
「クロコ君! きたっ! 患者さんが来ましたよ! しかも四人!」
「えっ! すごいっ! やりましたねっ! 先生!」
クロコも立ち上がり、感動した様子で私の手を握ってきた。
ついに……ついに長年の努力が報われる時が来たのだ!
なんだか二人で感動して窓の外をじっと見つめ、お客様の来院を待ち受ける。
だが幻想はたちどころに打ち破られた。
その四人、いつものガキどもだった。
「なんだ、ガキどもじゃないですか……」
がっくりと肩を落とすクロコ。
「そう、でしたね」
がっかり感では私も負けないつもりだ。
「あたし、行きますね」
クロコはワンピースの裾をひるがえし、さっと部屋を出て行ってしまった。
🌸
「先生! 大ニュース、大ニュース!」
入れ替わるように現れたマサヒコは、やたらテンションが高かった。右手に何やらチラシを持っており、それをブンブンと振り回している。
「いったいなんです? そんなに大騒ぎして」
「大ニュースだって! 今日さ、祭りがあるんだって!」
はて? 祭りといえば神社。だが何も聞いていない。つぶれてはいるが、この町にある神社はここだけのはずだ。
「マサヒコ、あんたバカ? 祭りじゃなくてフェスティバルでしょ」
とチエミちゃん。彼女はマサヒコに対しては容赦ない。
「マツリとフェスティバルと、どぉ違うんだよ? おんなじだろ?」
マサヒコはムキになってチエミちゃんに言う。
「違うわよ、ぜんぜん」
「どぉ違うんだよ?」
ギッとにらみ合う二人。
🌸
荒れる気配を感じたのか、そこでトシオ君が早々に助け舟を出した。
「祭りというのは神社がやるもので、フェスティボーってのは商店街とかがやるイベントです。祭りは神様のために行うもので、フェスティボーは、まぁただの人集めですね」
トシオ君のフェスティバルの発音はさりげないが、とても英語的だ。
そして私は少しいらだちを覚える。
「よくわかんねぇなぁ」
とマサヒコ。うん。君には分かんないだろうねぇ。
私はひそかにうなづく。
「あんたバカだからね」
と、こちらも容赦ないチエミちゃん。
「オマエだって、説明できなかったじゃんよ、な、トシオ!」
「ボクが出しゃばって先に説明しちゃっただけですよ。ね、チエミさん」
急に話を振られたトシオ君だが、実にスマートにかわした。
小学生のくせに大したものだが、やはりなにか引っかかるものがある。
🌸
まぁ喧嘩されても面倒なので、大人の私が仲裁にはいる。
「まぁまぁ二人ともケンカしないで。はいこれでも食べて」
私はいつものように彼らに駄菓子を与える。
今日の駄菓子は『はっぱえびせん』。ケンカしないように、小分けしてある袋がつながっているタイプだ。
まぁガキなんて動物と同じ。
おやつを与えておけば、たいていおとなしくなるものだ。
そして目論見どおり彼らが大人しくなったところで、私はあらためてマサヒコの持ってきたチラシを眺めてみた。
🌸
【七つ闇町 オイスターフェスティバル!】
タイトルはコレ。それにしてもこの町の名前はなんか物騒だ。
【牡蠣を食べて当てよう!】
これがフェスティバルの内容。全国的にはもちろん、多分県内でも知られてはいないと思うが、ひそかにこの町の名産は牡蠣なのだ。
養殖ではなく天然ものなのだが、とにかくよく取れるそうだ。もっともあまり大きくならないらしく、味はいいが人気はない。
私はフムフムとうなずく。まぁ狙いは悪くない。
それにしても『牡蠣』で『当てよう』とは、なんとも胸騒ぎのするキャッチコピーだ。
【抽選で三名様に本物の真珠(十万相当)をプレゼント!】
本物の真珠……しかも十万円。
これはひょっとしてチャンスなんじゃないだろうか?
この町の人口は少ない。つまり参加者はさらに少ない。しかも三人に当たるとなれば、これはかなりの確率で……
だが最後のコピーが私の野望を打ち砕く。
【参加料はおひとり二千円。中学生以下のお子さまは五百円】
(二千円……また微妙なところを……)
自分の財布の中身はきっちり把握していた。
(残念……また届かぬ夢か……)
🌸
「なぁ、ヤマブキ先生も一緒に行こうぜ!」
とマサヒコ。珍しいことに私を誘ってくれていた。
「いえいえ、お祭りごとは苦手ですので」
「えー、牡蠣食べ放題だよ?」
とチエミちゃんも誘ってくれている。
「いえいえ、私は仕事がありますからね」
せっかくの誘いだが私はそう答える。
だって大人だけが二千円なのだから。
ついでに言うと牡蠣は大好きだ。生ガキはもちろん、殻焼きもフライも、牡蠣の土手なべだって大好きだ。どれも最近、というかここ数年、口にしていないが。
「君たちはみんな参加するのですか?」
四人みんながうなずいた。なんのかんのでこの町の子供たちだ。小さいころから牡蠣を食べて育ったのだろう。
「だってさ、食べた数でチケットくれて、そのチケットが抽選券になってるんだって。オレ、牡蠣は嫌いだけど、グレステ4のために頑張るんだ!」
チラシを見ると、二等の景品はグレステ4となっていた。三等にはバーベキューセット、その下にはお米券、商店街で使える商品券などが並んでいた。
🌸
「まぁあまり食べすぎないようにね。それから、君たちはまだ子供ですから、生ガキは食べない方がいいですよ」
「はーい!」
四人は声をそろえて返事をした。
そうか、このガキどもは今から牡蠣の食べ放題に行くのか。
どうせ味なんてまだわからないだろうに。まったくうらやましい。
「フッ……ガキにカキとはね……」
「せんせ?」
マサヒコの妹アキナちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
私はとりあえず笑顔を浮かべる。どうかしましたか? なにも心配はありませんよ、そういう笑み。
医者だからそういう表情は得意なのだ。
🌸
「そういえば、先生」
不意にトシオ君が聞いてきた。わたしは彼に顔を向けて、次の言葉を待つ。
「この神社って、猿がでますか?」
「猿? いえ。いないと思いますよ。見たこともないです」
「そうですか。ここに上ってくるとき、木の上に猿みたいな動物が見えた気がしたんです」
「いちょうの木の上ですか?」
「はい。なんか葉っぱに隠れてて、よく見えなかったんですが……マサヒコは見なかった?」
「見なかったぜ。お前に言われたあとさ、妖怪かもと思ってしばらく見てたけどさ、やっぱりいなかった」
「アレはやっぱり気のせいだったのかな?」
「多分そうでしょう。ここいらには野生動物はあまりいませんからね。昔は狸とか狐がいたそうですが、目撃されたのもずいぶん昔の話です」
🌸
「でもさ、先生んとこは妖怪が出んじゃん」
とマサヒコ。俄然食いついてくる。
ホント迷惑な話だ。子供と老人がせっせとこの手の噂話を広げるのだ。そして私の病院からだんだんと客足が遠のいていくのだ。
「まさか。そんなもの出ませんよ」
そう答えたが、もちろん嘘だ。見える人にしかわからないが、けっこうやってきているのだ。どちらかというと妖怪の世界の方で、この病院は有名になってきているんじゃないだろうか? 近頃そんな気がしてならない。
「なぁ、そろそろ祭りが始まんぜ」
とマサヒコ。そう言って野球帽を坊主頭にかぶせた。
「祭りじゃなくて、フェスティボーでしょ?」
とチエミちゃん。すっかりトシオ君に影響されてる。
「……それより急がないと! みんな、お金は持ってきたわよね?」
チエミちゃんの言葉に、四人はいっせいにポケットから五百円玉を取り出した。アキナちゃんも誇らしげに出している。
五百円玉なら、私も一枚財布に持っている。
だが、これ一枚では大人は参加できないのだ。
「じゃ、先生、お邪魔しましたぁ!」
四人はそう言い残すと、さっさと病院を出て行った。
彼ら、今日は振り返りもしなかった。
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