懺悔:何故私は表現活動を続けてしまうのか~巻ノ2~

 私の悪夢の正体は15年間身を浸し、10年以上プロとして活動した『表現』だった。パソコンに向かいカタログ作りのために画像ファイルを貼り付けている横でマッカーサーが使っていたコーンパイプを吹かしながら私を見つめている。その目には慈愛が宿るが、その本質は自愛である事を私は知っている。右手でマウスを握り、左手でキーボードを操作する私の手に『表現』は手を重ね「悔しいだろう?大丈夫よ」と目を合わせないで微笑み語る。

 その日も昼は日高屋に行き味噌ラーメンエルドラドを食べていたが全く味がしなかった。地球で34684154868343584541454545454546959789番以内には美味い最高の料理の味がしない。味を上回るのは恐怖だ。私は完全に恐怖している。なぜ今『表現』が私に近付いてきたのか?

「あなたが呼んでくれたのよ? 嬉しかったわ……捨てられたと感じていたのよ」

 『表現』は私の後ろに立ち、不自然に長い両手を肩に置く。指先は日高屋レッドに染め上げられた美しい床に届こうとしている。背中には豊かで冷たい胸の感触。首元には冬の雨を思い浮かべる冷たい髪が巻きついてくる。

「あの時はあんなにも求めてくれたのにね」

 会計で500円を支払い会社に戻る。午前中にやった仕事は間違いだらけで上司から怒られるどころか心配までされてしまう出来だった。


 帰宅して万年床となった布団を折りたたみ床に座って背中を預ける。少し背中を伸ばしただけでポキポキと小気味いい音が変拍子を刻む。年齢を重ねると全身から不思議な音がする。通勤途中に膝が「ポン!」と鳴った時は本当にどうにかなったと感じた。若い時はこんな事なかった。そういえばあの時は声優専門学校なんてところで四六時中動いて練習をしていた。

 過去には進めないのだから少し振り向いて眺める程度は許される。実家近くの個人経営のカメラ屋で現像した写真、上京しコンビニで現像した写真、プリンターを持つ友人の家で現像した写真。写真とは不思議なもので写っている景色はもちろん、どんな状況で現像に出したのかも思い出せる。

 写真に映る私は根拠なき自信に満ちあふれていた。まさかこの写真の10数年後にサラリーマンをしているとは考えていないだろう。過去の自分を見ていると謝りたくなる。しかし声に出さない。本当に届いてしまったら今の私は耐えられなくなるからだ。あの日夢見た私には成れなかった。いや、厳密には成った。しかしそれは私の思い描いていた世界とは全く違っていた。正直今のほうが気が楽だ。仕事のミスにしても違う社員に仕事のイニシアチブを取られても納得できる。あの時は全ての理由がわからなかった。世界の形がわからなかった。わからなかったからこそただガムシャラに自分を表現した。それが今では場のために自分を押し殺している。

 悪いことじゃない。そうでもしなければ物事は上手く回らない。誰かが誰かのサポートを続け、誰かは単純な作業をミスなくこなし、誰かは誰かに物を売る。声優をやっていた時と持ち場が変わっただけだ。『仕事』としての本質的な部分で言えば、人に届くカタログなどの下準備、大切な部分の仕事を担当しているのだから声優をしていた時よりも『仕事』にたいして深く関われている。


「俺は満足している」


 言葉にすることで形を作る。形を打ち壊すのはいつだって形だ。認識してしまった存在は別の形で粉砕しなければならない。心は思っているより狭い。狭く脆弱な心の上に乗せられるのはたった一つの形だけだ。とりあえずそこに形を置く。自分でもそれがもろく不確かなものだとは認識しているが何も置いていないよりはマシだ。


 昔の写真を見てしまうと芋づる式に昔のものを取り出してしまう。ダメだダメだとわかっていても学生の時にレッスンごとに付けていたノート、仕事で使った台本などを引っ張り出してしまった。「自分自身の意思で引っ張り出したものだ。取り込まれることは無い」言い訳にしては弱すぎる言葉で自分自身を押さえ込む。

 どこのセリフで噛んだのか、どこのセリフが言えずに怒られたのか、どこのセリフを褒められたのかがスタジオの空気と共に蘇る。声優になってから一度も安心したことなんて無かった。毎日誰かにどこかを否定される。明確ではなく「違う」と一言。

 誰にアドバイスを聞いても全く違う答えが返ってくる。仲の良い友達も少ない椅子を奪い合う敵だ。本当に心の底からは相談できなかった。1人で悩み、1人で作り、皆で作り上げ、皆様に届ける。それだけのために毎日を使い込んでいた。遊ぶこと、楽しむこと、悲しむこと、悔しいこと、全てのベクトルは『表現』に向けてのことだった。喜びを全身で感じていながら、辞めてしまった今ではマゾヒスティックな姿勢に驚かされる。傷つき、涙することを心から喜んでいた。正直不気味だし何か宗教がかっている。今もう一度やれと言われても勘弁願いたい。しかし多少の羨ましさは感じてしまっているのは事実だ。

 こう冷静に考えられているってことはもう全てが過去になった。もうあんな世界に戻ることはない。もう夜中に飛び起きることもないし眠れないこともない。あの夢が明確に形になるまではそう思っていた。


 しかし奴はでてきてしまった。自然発生することなんてない。願いと意思がないと奴は生まれない。だとすると私自身が望んでしまったということになる。


 あんな地獄の日々はまっぴらだ。まっぴらなんだ。表現なんてしなくても生きていける。生きていける。


 生きていける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る