懺悔:何故私は収録帰りに安焼酎を飲んで荒れたのか~巻ノ4~
スタジオには一時間前に到着した。
「新人は1時間前に到着しろ!!」
そんな風に思われている部分があるのではないかと感じています。しかしそんな事はありません。むしろそんなに早く行くと迷惑なので15分程前に入ります。
そりゃ、僕らの前にも収録があって、役者が早く到着してもしょうがないから当たり前なのですが、新人はビビリすぎてこの時間には到着しています。電車が遅れたとしても言い訳になりません。車に轢かれても行かなければならないのです。なぜなら代わりになる人間は腐るほどいるのです。むしろ腐ってきている人も多いです。
その後は時間になるまで喫茶店にでも入り最終確認です。僕の場合は心配性が精神疾患に近いレベルにあるので、台本を出すことで機密が外に漏れる事を恐れて、家から出ると絶対に台本を開きません。何があるかわかりませんから。台本を一枚落とすだけで企業の機密が漏れる場合があります、クライアントのライバル企業の人がチラっと台本を見るかもしれません。
ずっとずっと頭の中に刻み込んだ台本を追い続けます。長い作品のメインでも無い限りは台本は全て頭に入っているので当日になると台本が無くても大丈夫って部分が1番大きいのですが。
今まで寝食を削ってやってきたことは正解だったのか?この演技を選んだ僕の人生は正解だったのか?まだこの段階で私は自分の演技を疑っています。
「もっと素晴らしい正解はないのか?」
収録は仕事の場であり、プレゼンの場です。その場で認めれる事をしなければ次に繋がりません。だから本当に脳が削れる程考えます。私が出演した作品に命を削った仕事の給与を出して買ってくれる人がいるかもしれません。人生で最後に見るのが私の出演した作品なのかもしれません。
だからどんな現場でも絶対に手を抜かない。失敗したら自殺する気で向かいます。それがたとえ自分の力不足で地獄だったとしてもそんな事はもうどうでも良いのです。やれることをやる。そして必ず勝って帰る。
私が失敗すると事務所の人間全てがバカにされるでしょう。私に仕事を回してくれたマネージャーの頑張りも無に還ります。そしてこの作品に携わった人全ての思いも無に還ります。
私のミス一つで数十人。数百人の作品がぶち壊れる。声優はそんな思いを持っている人が多いと感じています。私達は最後の最後、企画してデッサンして造形して最後の最後、だるまに入れる最後の目と同じです。
画竜点睛
その最後の一歩を叩き込みます。厳密にはその後のミックスとかプロモーションとかもありますが、それは私達が上手く出来ていないともう地獄なので考えないことにします。
時間が来た。スタジオに向かう。ドアの前で深呼吸。よし落ち着いた。ここからは俺の世界だ。俺だけの世界だ。やってやる。
「おはようございます!◯◯所属の後藤です!本日はよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いします。じゃあ、時間に通りはじめるんでこちらで待っててください」
「失礼します!」
用意された部屋で椅子に座る。ようやく台本を取り出して最終チェック。まだあるか?まだ最高の答えはあるか?探せ。探せ。見つけろ。
「お疲れ様~」
「…?お疲れ様です!」
そこには先程まで収録をしていたであろう超大御所が居た。子供の時からずっと声を聞いていた人だ。
「今年から◯◯所属させていただきました後藤と申します!同じ作品に出演する事ができて光栄です!」
「お、◯◯の新しい子?頑張ってね~」
ニコニコと手を振りながら去っていく。椅子に座ると同時に先程の衝撃で爆裂した心臓のパーツを拾い集めた。心臓は簡単に爆裂するのだ。それを今日知った。
「じゃあはじめましょうか。こちらです」
急激に緊張が増してくる。何も考えられない。俺は今日ここに何をしに来たのだ?わからない。本当にわからない。気がついたらここにいた。マイクの高さを調節してくれる人がいる。どうしてだろう?俺はなんでここにいるんだ。何もわからなくなる。俺はバイトをやって…それで…何をすれば…
「それじゃあちょっと声ください」
生き様を叩きつければ良いんだよ。任せろよ。
覚悟を決める瞬間は人によって全く違う。私の場合は本当に直前まで覚悟ができない。マイクの前に立った時、一気に世界が広くなる。マンガでよく見る光景だ。でも本当だ。私はマイクの前に立ち、声を出して人に届ける。10年以上ここに来たいと思っていた。ここに来れずに諦めた仲間もいる。志半ばで死んだ友達もいる。私が受かったせいで落ちた人がいる。この世には数え切れない怨念や悲しみが渦巻いている。選ばれた人間はそれに誠意で答えるのです。
テスト、ここが勝負です。本当の勝負です。テストだから何をしても良い。私はとある声優と声が似ていた、厳密には似せる事ができた。その人の作品を見まくった。話し始める時の音、ブレスのタイミング、着地のタイミング。そしてそこに、そこに、そこに、とっておきを叩き込め。
「はい。えーっと、もっと普通で大丈夫ですよ。音だけ似させてください」
「はい!!」
現実は厳しい。
「あ!良い感じです!じゃあ録音しながらもう一回テストしますね!」
「はい!」
注文通りに普通に音を似せる。それがオーダーだからだ。今日この瞬間まで思い切りプランなどを考えてきたが、商品として使われるのはこの録音で使われた声だけです。
オーダーに応える。必ず応える。それもプロとして大切な事です。ここでツッパって自分を貫いて認められる人もいるでしょう。でもそれは夢物語です。それが出来る人の影に数万の出来ない人がいます。私は後者です。
「はい。いただきましたー。お疲れ様です」
「お疲れ様です!」
録音していたブースのドアを開けると倒れ込みそうになる。酸欠なのか脳がチカチカする。
「いやあ、良かったですよ。めちゃくちゃ似てました」
「ありがとうございます。めっちゃ研究しましたよ」
「本当にお疲れ様です。今日はありがとうございました」
楽屋に戻ると同じ事務所の先輩が来ていた。通り一遍の挨拶をしてしばし雑談をする。
「今日どうだった?」
「◯◯さんに似せてって感じだったのですがなんとかやりきれました」
「え!?そんなのできるの?やって!」
「◯×■▲♪◯×」
「おお、似てる。ちょっとびっくりした」
「………」
「どうしたの?」
「何ていうか…うん…あとでメールしますね」
「うい」
「お先に失礼します!また飲みに誘ってください!」
「おつかれー!」
収録に掛かった時間は22分。30分を予定していた収録で若干早く終わるのは良いことです。ヤバイ状態に入ると「とりあえず世に出せる声くれや!」モードになり、完璧に地獄になります。その状態はヤバイ。心と人間と未来が一気に壊れます。
一仕事終えた私は愛すべき街、池袋に舞い戻りました。今日はバイトも無い。だらだらしていたらもう夕方前。昼からやっているお気に入りの店、池袋北口の若大将松島に入り煮込みとビールを注文。注文から1分以内に揃うスピーディーさが心地良い。
アルコールで脳を痺れさせながら先輩にメールをする。
「ディレクターは喜んでくれたんですけど。。。」
「どしたのよー」
「僕じゃなくて良かったのかなとか。悔しいですね。。。」
「よくあること!そんな時はお酒でも飲んでストレス発散すれば良いの!」
「今やってます」
「正解!でもがんばってね。全部無駄にならないしもっと悔しい思いすることあるからさ。その悔しいことに耐える練習よ」
「ありがとうございます」
そうだ、声優は練習を繰り返す。練習じゃないことも練習として身に落としこむ。それが声優として生きるってことだ。この全身を駆け抜ける悔しさが俺の生きている証だ。この痛みや苦しみが未来に「後藤さんにお願いしたいです」を作り出してくれるんだ。
そう信じてただ酒を飲もう。でも、今だけは。今だけは。心の中で叫ばせてくれ。
「やってられるかアホンダラア!」
演歌の流れる居酒屋で安い焼酎を飲みながら。
以上を「何故私は収録帰りに安焼酎を飲んで荒れたのか」の懺悔とさせていただきます。ありがとうございました。
終了まで時間がかかってしまい申し訳ないです。長編を仕込んでいるところです。よろしくお願いします。
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