懺悔:何故私は表現活動を続けてしまうのか~巻ノ5~

「小説を書いてみようと思うんです」

 所縁あり、食人の小説を書いている方と会うことができた時につい口に出してしまった。特に表現の世界に戻るつもりはなかった。毎日の有り余る時間をゲームや酒以外で消費しようと考えただけだった。小説や漫画、イラストをネット上にアップしている方々を見て「ちょうど良い暇つぶしじゃねえか」と感じたのが最初の理由だった。

 絵は練習がいるが小説なんてある程度なら誰が何を書いても同じだ。雛子の舞台を見てから何かやった方が良いと感じただけだ。ただ生きているだけなのはしんどいだけだ。この仕事ばかりの毎日は10年以上声優なんて世界に居た懲罰だが刑務所にも娯楽や運動時間はある。独房の中で衰え朽ちていく自分自身を便所の水に映し眺めるだけの生活は不健康すぎる。ただ何かやる。それが毎日の張りになる。


 しかし書く事がない。全くない。フィクションを考えようと思ってもキャラクターや設定だけは浮かぶがそれをどう形にして良いかわからない。何か手本になる本はない物か?自室の本棚には漫画が並んでいる。数少ない文庫のほとんどは戯曲だ。そんな時、数年前にタイ旅行に行った時になんとなく購入した『沢木耕太郎著 深夜特急』が目に入った。数年前は『この人、行く先々で現地人と喧嘩しとるなあ』と思いながら読んでいたのだが、文章の書き方は売れている人のをそのままやれば良いと考え読む。ついでに町田康、夢枕獏などをも読みふける。


 結果として特に何もなかった。面白いのは分かる。悲しいことにそこ止まりだった。それ以上何も浮かんでこない。なんとなく感じるのはどの文章巨人たちも全力で文章を書いているのだろうなと感じた部分だけだった。


 ならば自分自身もそれをやってみれば良いだけでは?


 好き勝手やるのは声優時代にひたすらやってきた。だったらその通りにやれば良いだけじゃないかと頭に浮かぶ。なるほど、書き方はわかった。『好きにしろ』だ。だったら次は何を書く?特に浮かばないが自宅にある本の作家は全員自分の事を書いている。だったら自分の事を書けば良いのでは?なるほど、書く物は決まった。ではどこで書けば良いのか?ブログ?違う。どうせなら小銭が欲しい。小銭が入る=人に刺さったって事だ。だけども最初から小銭を払わないとダメな所では書きたくない。困っていると人から『note』というサイトだった。なるほど。ここで書くかTwitterの人たちも使っている。


 後は書くだけになる。しかし書けるのか?書く練習をするか?すると言ってもどう書く?考えるな、突き抜けろ。まずは何を書くか決める。私の人生を思い返すとやはり声優をしていた事が特殊で割と多くの人に刺さるのでは無いかと考えた。しかし、最初の第一歩でそれを書いても良くわからない何かが生まれるだろう。ならばもう少しハードルを下げた物語を書こう。

 文章を書くという行為に書く前から照れを覚えた事に腹を立てた私は飲めない缶ビールを胃袋に流し込んだ。苦味と不快感とアルコール起因の高揚感が一気に立ち上がってくる。何が現実か分からなくなる。視界の隅にチラチラと映っていた『表現』と目が合う。逸らさない。それに支配され続けてきた人生を振り返る。ろくでも無いことばかりだった。


 「懺悔:何故私はパグの顔面を蹴ったのか?」


 なぜかそんなタイトルを打ち込んでいた。私は必要に駆られてパグの顔面を蹴飛ばした。飲酒が表現に対して別のスイッチを入れてしまったのか、タイトルを目視、認識した瞬間にあの時にことが一気に蘇ってきた。歌舞伎町の蒸し暑い温度、ションベンの匂い、キャッチのうざさ。

 書き方はわからないが所詮文字なんて一文字ずつ書いていけば形になる。とりあえず書く。筋書きなんて書けばできる。最初は自分がどんな人間かを書こう、そこから何が起こったのかを書こう、そこから出来事に至った経緯を書こう、そしてその出来事から何を感じたのかを書こう。考えてみたら芝居とそう変わらない。キーボードに向かってズガズガとタイピングを重ねる。30分程度で書き上げることができた。ここから読み直して色々と削るのだろうが、まとまった文章を書いたことがなかった私は読み返す事もなくネット上にアップし、Twitterで小説を書いた旨を呟く。

 仲の良い何人かが反応してくれた。瞬間、脳に懐かしい麻薬が打ち込まれた。マイクの前、舞台の上、カメラの向こうで継続的に摂取していた麻薬だ。その場所でそれをするには継続的に麻薬を体に入れなければいけない。いつのまにか抜け出せなくなり、いつのまにかより多くの麻薬を求め、ひどい時には死んでしまう。多少読んでくれる人がいたが感想などがある訳では無かった。

 「まあこんなもんだろう」

 と考え、次にどうするかを考える。小説を書いてみたいと言って書いた。その次は続けないといけない。続けるとなるともっと多くの人に読んでもらいたい。演劇でもそうだが、何かをはじめるには戦略が必要だ。頭を使って多くの人に読んでもらわないといけない。そのためにどんな戦略を立てれば良いのか?


 だめだ。


 今までそれを考えて、それを考えすぎて失敗をしてきた。私が面白いと思ったのは人間が極限状態になると心臓から1滴落ちる痺れる汁を舐められる作品だ。それを意識的に出してくるのがプロなのかもしれない。まだ、一本書いただけでそんなことを考えてどうする。まず、この文章が面白いかどうかもわからない。面白いと言う人も見つからない。何事にも修行が必要だ。声優時代は何をした?毎日ひたすらに基礎を繰り返した。

 文章の基礎とは何か?知識を覚えることか?tipsを覚えることか?多分正解だがこの時点でやるべきことじゃない。この時点でやることを考える。考えても考えてもまとまらない。「次はこんなのを書こう、その次はこんなのも、ああこれも面白いかもしれない」頭の中に文字が溢れてくる。文字が溢れて心の中を独占していく。吐き出さないと窒息しそうだ。


「とりあえず書こう。まずは100本だ。明日から4月、新しいことをはじめるには最適だ」


 次の日、起きて会社に行くのが待ち遠しくなっていた。終わった後に書くことができるからだ。


 

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