第22話
本当に亜希子は何も言わずに学校を辞めてしまう気なのだろうか。
もうあと少しで夏休みだっていうのに次の日も、亜希子は学校には来なかった。彼女が来なくなってからというもの、僕は毎朝、教室に入ると亜希子の席に誰もいないことを確認するのが日課になりかけている。考えても仕方のないことなんだと言い聞かせて、出来るだけ彼女のことは考えないようにしていた。
そんな日の休み時間、廊下で友人たちと上履きをボールに見立てサッカーの真似事をしていると、携帯が震えた。メールだ。誰だろうと携帯電話を見ると、なんと亜希子だった。
『久しぶり。今日、ノブバイトだっけ? 違ったら会えない? 予定があるんなら別にいいんだけど』
突然のメールに僕は驚いた。全然連絡なんて来なかったから、このまま辞めてしまうのではないか、と不安だったんだ。
亜希子から会おうと言われて断るような大それた予定なんてない。放課後だって、どうせいつものように川原でぐだぐだだらだらするだけだろう。あ、でも正也も今日はバイトの日だったな。なら何の気兼ねもないか。僕はすぐに返信をした。
携帯をいじっている僕の足元にボールにされている佐伯の上履きが、転がってきた。
「明信、シュート!」禎が叫んだ。
顔を上げると相手チームの高橋が猛然と迫ってくる。携帯は片手に持ったまま「うおりゃー!!」と思いっきり上履きを蹴り飛ばした。ただでさえ何処に飛んでいくかわからない形状の上履きだ。
僕の弾丸シュートは見当違いの方向へ飛んでいく。そして、隣のクラスの入り口付近で、背を向けて友人たちと喋っていた女子の太ももに直撃した。バチンっという生々しい音。
「あ……」石像の様に固まる僕たち。
ぶつけられた女子は悲鳴すら上げられないほどの激痛なのか、崩れる様にしゃがみ込んでしまった。さっきまでざわめいていた場が凍りつく。やばいと思い周りを見渡すが、仲間は誰も目を合わせてくれない。
急によそよそしくなった友人たちは、あさっての方向を向いて、口笛を吹き始めたり、どうでもいいはずの次の授業の話なんかを始めたりして、助けを求める僕に誰一人として目を合わせてくれない。
「あ、あの、ごめんね、い、痛かった?」
僕はおろおろしながら、しゃがみこんでいる少女の後姿に声をかける。少女はしゃがんだまま震えていたが、キッと睨みつけるように振り向いた。
「あ、あずさ?」涙をためてこちらを睨んだのはあずさだった。
「アッキィィィ!!」
獰猛な猫科の肉食獣みたいな呻り声で怒り狂っている。
「ごめんごめんごめんごめん!!」
開いた両手を突き出し左右に猛烈に振って無抵抗をアピールする。あずさは今にも飛びかかってきそうな勢いであった。
「こ、このバカ!!」
しゃがんだままのあずさは近くに落ちていた上履きを僕に投げつけた。でも、それきり立ち上がっても来ない。僕もしばらく身構えていたが、いつまでたってもあずさは立ち上がってこない。
「だ、大丈夫?」
流石に心配になりオロオロと尋ねる。
どこか怪我でもしてしまったのかもしれない。
「馬鹿! 最低! 死ね!」怒って叫ぶあずさの頬を涙がこぼれ落ちた。マジかよ、泣いちゃったよ。
「あー! 明信が滝沢さんを泣かせたぁ」
周りの連中は対岸の火事とばかりに囃し立てる。
「あ、てめえら、きたねーぞ!」
あずさとはいえ女の子を泣かしてしまった僕は、後悔の念と晒し者にされている恥ずかしさから逃げ出したかった。
「あんたらみんな共犯でしょ!」
あずさにハンカチを渡している女子が怒鳴る。皆、知らんぷりで目を逸らした。
「あずさ、大丈夫? 保健室行こっか?」
取り囲む女子たちに支えられ、あずさはなんとか立ち上がった。
「大丈夫」とあずさは気丈に振舞ったが、目は真っ赤だ。
「ホントごめん」
「この前、幼稚な遊びはやめなって言ったじゃん」
あずさは鼻をすすりながら言った。罪悪感で胸がいっぱいになる。
「いや、その……、ホントごめん。ゆるして、この通り!」
手を合わせ拝むように頭を下げる。あずさはプイッと横を向いてしまった。
「許してよー。昼飯おごるからさ」
皆の手前本気で謝るところを見られたくないという小さな虚栄心が僕をおちゃらけさせた。
「馬鹿!」
涙目のあずさのグーパンチが僕の胸に叩きつけられる。
「ハンバーガーは嫌だからね」
あずさはそっぽを向いたまま言う。よかった。なんとか収集つきそうだ。
「は、はい。なんでもおごりますから。ごめんなさい」
もう一度頭を下げる。なんかお金で解決って悪い大人みたいだけど。
と、思った矢先、始業のチャイムが鳴った。良かった。助かった。
「じゃ、じゃあ、また放課後ね」
僕がそう言うと赤い目のあずさはちらりと一瞥しただけで何も言わず、女子たちと教室に入っていった。本気で怒らせちゃったのかな。ああ、本当に馬鹿だなあ俺。
後悔先に立たず。僕は嘆きながら教室に戻った。
「で、何食いたいの?」
放課後仕方なく合流した僕はあずさに聞いた。
「あそこでいいわ。リバーサイド」
「あぁ、あそこ……ね。ホントごめんね」
リバーサイドは駅近くの洋食屋。ディナーなどになると高校生がおいそれと気軽に行けるような価格ではない。終業式前の午前授業でお得なランチタイムだから行けるが、それなりに高い所を指定してくるあたり、あずさの怒りは尾を引いてる感じだ。
「いいのよ。別に」
無表情なのが逆に怖いんですけど……。
「アッキーって尻に引かれるタイプなんだね」
僕らの後ろで楽しそうに笑っているのは寺内さん。先程のあずさを泣かしてしまった時に一緒にいた子だ。箸が転んでも笑う年頃なのか、いつもニコニコしている。寺内さんの仕草を見ていると人間外見じゃないなって思う。仕草が可愛らしい人なのだ。仕草が。他意はないぞ。
「ってか、寺内さんも来る感じ? 申し訳ないけど寺内さんの分は払えないからね」
「ひっどーい」と言いつつも何が面白いのか竹内さんは笑顔だった。
「いやいや、勘弁してよ」
「っていうかー。うちが元々あずさとお昼食べる予定だったんだからー。横入りしてきたのはアッキーなんだかんね」
横入りって、別に入りたくて入ったわけじゃないのだけれどもね。
「あずさはアッキーには譲らないぞっ!」
そう言って小柄な寺内さんはあずさに抱きつく。
「暑苦しい」と纏わりつく子犬を払うようにあずさは竹内さんを追い払った。
ああ、こんな時に限って正也はいない。バイトとのことだ。肝心な時にいねえんだもんなあいつ。
十二時台は混んでいるから、と駅近くのゲームセンターで時間をつぶした。僕はクレーンゲームをやらされ、大枚はたいたあげく結局何も取れず、さんざん文句を言われた。
リバーサイドについたのは一時半で、予想通り席は若干空いていた。昼のピークも過ぎて店内にはカップルと小奇麗な老紳士とサラリーマンしかいなかった。
ログハウス風な内装は女子曰く「お洒落で素敵」らしいが、無学な僕には単に古臭いという印象しか与えなかった。まあ、店主も高校生なんかに分かった風に言われたくもないだろうが。
僕らは大木をぶった切ってそのまま置いてみました、という感じのテーブルに着いた。
あずさと寺内さんはなんちゃら風スパゲッティなるものを注文した。僕は洋食屋定番のオムライス。
「よかったね、あずさ。リバーサイドなんかをご馳走してもらえて。うちも今度アッキーに上履きぶつけられよっかなあ」
ニコニコ笑っている寺内さんは悪意がない嫌味を放ってくる。寺内さんの余計な一言であずさはさっきの怒りがぶり返してきたみたいで、ブツブツ文句を言っている。どうにも居心地が悪い。
さっさと機嫌を直してもらって、とっとと退散したい。
自分から昼飯を奢ると言っておいて、早く帰りたいというのも酷い話だけれど、ってあれ、何か忘れてないか、俺。今日早く帰ろうとしてなかったか? なんか用事あったっけ。バイトは入ってないだろ。正也となんか約束したわけでもないし。
僕は何か大切なことを忘れている気がしたのだが、注文の品が運ばれてきたことで、記憶を辿る作業は中断させられた。
あずさはガツガツ、寺内さんはチルチルとスパゲッティを食べている。あずさにはもうちょっと女性的に召し上がっていただきたいし、寺内さんにはもうちょっとテキパキと召し上がっていただきたいのだが、まあ、寺内さんの食べ方は小動物みたいで可愛らしいからいいか。仕草が可愛いんだよな。寺内さんは。
セットメニューでついている食後のコーヒーを啜っている時だった。寺内さんの携帯電話にメールが来て、寺内さんが鞄から携帯電話を取り出した。人間って不思議なもので誰かが何か始めると連鎖的に自然と周りの人も同じ行動を取ったりするものだ。あくびは伝染するっているけど、携帯電話を見る動作の伝染率は半端なく高い。
僕とて例外ではなく、ポケットの携帯電話を何の気なしに取り出した。そして、慌てた。
新着メールが三件。全て亜希子からだった。まず一件目。
「じゃあ、一時にこの前のファミレスでいい?」
十一時半のメール。上履きサッカーであずさに上履きをぶつけた時くらいの時間だ。僕はあずさの憤怒の形相にあたふたして、その直前に亜希子から来たメールのことを完全に失念していた。
そして二件目。
「HR長引いてる感じ? とりあえず行ってるからね。もし駄目になったら連絡してね」
四限目が終わったくらいの時間のメール。やばいやばい。完全に忘れてたよ。そして三件目。
「メール見てるー? ごめんね、急だったから無理になっちゃったのかな。気にしないでね。しばらくは本読んでるから、もし来れたら連絡してね」
これが一時過ぎ。で、呑気に飯食ってだらだら喋って食後のコーヒーなんかを飲んでいる今は二時半。まずい。まずいってこれは。
「そ、そろそろ帰ろっか」
「えー。デザート食べたい。アッキーの奢りで」
僕の提案を無下にしてあずさは調子に乗ったことを言ってくる。この野郎。昼飯だけだって言ったろうが。それにゲーセンでも金使わされまくってんだぞ。
「何? その顔」あずさが僕の顔を睨む。
「いや、なんでもないです。けど、今日はもう勘弁してください」
頭を下げる。あずさはふふんと鼻を鳴らすと、説教を始めた。
「まあ、いいわ。ホント馬鹿な遊びは辞めなよ。二回目でしょ。女の子泣かすの」
胸にちくちく来る。素直に謝れないけど、謝らないといけなくて、もう一度頭を下げた。
「はいはい。どうせまたやるんだろうけど。ちょっとお手洗い行ってくる」
あずさは僕の苦笑いの謝罪を適当に受け流し席を立った。
残される僕と寺内さん。寺内さんはニコニコとしている。素の顔が笑顔なのだ。
「アッキーってあずさのことどう思っているの?」
「怒ると怖い」
寺内さんはふふふと笑った。
「なんか最近あずさ変なのよね」
僕は全然気がつかなかった。
「そうなの?」
「うん。何か悩んでのかな。1キロ痩せたって言ってたし」
1キロくらい痩せたうちに入らないだろうよ、と僕は思った。焼肉食い放題行けば一日で戻りそうなものだけれど。
「アッキーには何か言ってなかった?」
「なんにも聞いてないなあ」
正直に答える。そう、と寺内さんは首をかしげた。僕が何か知っていると思ったようだ。
生きていれば悩みの一つや二つ持っているものだし、友達だからと言ってそれを全て打ち明けろとは思わないし。
「お待たせ」
大股で帰ってきたあずさは伝票を取った。僕達も立ち上がる。きっかり奢らされて、寂しくなった財布を尻ポケットに入れた。
「じゃあ。俺帰るから、またな」
「あれ、用事あんの?」
あずさは僕が一緒についてくると思っていたようだ。
「お前と違って暇じゃないんだよ」
へへへと嫌味をこめて笑う。
「そっか、ごめんね。忙しいのに」
あずさは少し寂しそうな表情を見せた。
「は?」予想外の言葉に僕は思わず寺内さんを見る。寺内さんは、ほら、あずさ変でしょ、と言わんばかりに頷いた。
「ま、いいよ。今日は俺が悪かったんだからさ」
調子狂うなあ、まったく。僕は変なあずさと寺内さんに別れを告げ、自転車を漕ぎながら携帯電話を取り出した。
亜希子へ電話。つながらない。
「電波の届かない所にいるか電源が入っておりません」
女性のアナウンス。届かせろ。それが仕事だろ。と理不尽な悪態をつきながら坂道を上る。とりあえずファミレスだ。そこにいなければ家だろう。亜希子が怒ってたらどうしよう。いや、怒っているより失望されるほうが怖いな。
携帯電話片手に自転車を漕いでいて、そんなことを考えていたからだろうか。車に気づかなかった。
交差点を渡ろうとした時、けたたましいクラクションの音と悲鳴にも似たブレーキの音。音のするほうを向くとと乗用車が僕に迫っていた。運転手と目が合った。初老の男性。目を見開いて慌てている。
あ、ぶつかるわコレ。
骨、折れたら嫌だな。
僕は何故かわからないけど、冷静にそんなことを思った。恐怖を感じる暇すらなかったのかもしれない。
そして、僕は乗用車にはねとばされた。
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