第13話


「ったく、ミスターの授業でよく寝れるよな」


 禎はいつものように腰パン。反体制がロックであり、制服など着崩してなんぼだと禎は言う。反体制と腰パンが何の繋がりがあるのか。足の短さをさらに強調するはめになってることに気がつかないのかな。そんなことを思いながら僕は禎と二人でプリントの束を抱えていた。

 禎はなんだかんだ言っていい奴なのだ。英語準備室は反対側の棟にあるから、結構な距離を歩かなければならず一人では大変だろうと手伝ってくれている。


「バイトの疲れが溜まっててさ、気づいたら意識飛んでた」


 昨日、山本さんが遅刻したせいでバイト時間が延長させられたのだ。それだけではないのだけれど、それは禎にも言えない。


「最近、寝不足なんだよな」


 近頃あの悪夢以外にも夢を見る。まだ幼かった頃の夢だ、姉が生きていた頃の夢。大したことのない昔の思い出を夢に見るだけなのだが、なぜかびっしょり汗をかいて夜中に起きてしまう。 


「別に寝不足だろうがなんだろうが、授業中いつも寝てないか」

 禎は痛いところをついてくる。 


「そりゃそうだけどさ、違うじゃん。心持ちが」


 眠たくて寝てしまうのと、つまらなくて寝てしまうのは違う。多分、違う。


「俺も最近、彼女と夜中まで電話してるから眠くて眠くて」


 禎は猫背を反らしてあくび混じりに言った。禎は猫背のせいで小さく見えるけど、しゃんとすれば何気に身長は高いほうなのだ。

「そりゃようござんしたね!」


 禎のトランクスが丸見えの尻に蹴りを放つ。


「あっ、ごめんね~。明信にはまだわかんないか、俺の苦労が」


 腰パンの癖に意外と機敏にするりと避けて禎が言う。


「殺す」一撃加えてやろうかと近寄ると禎は後退り。


「暴力はやめろ。今や俺一人の体ではないのだ」


 にやけ顔の禎。なんでこんなひょうきん者に彼女がいるのか。腹立たしい。


「明信も彼女つくりゃいいんだよ」


 でた。彼女がいる男特有の上から目線。


「簡単に出来れば苦労しないよ」


 ぶっきらぼうに応える。


「それが簡単に作れるんだよ」


「どういうこと?」と僕。


「教えてやろうか?」と禎。


「どうやんの?」と再び僕。


「今日の調理実習でこんにゃく使ったろ? 業務用であれがちょうどいい厚さだったのよ」


 こんにゃくと彼女になんの関係があるのか。


「あんくらい厚いこんにゃくをだよ、真ん中にバッテンの切り込みを入れるんだよ。そんで、お前のナニを出し入れすれば、ほら、即席彼女のできあがりさ!」


 卑猥な腰つきを見せ、爽やかにウインクをする禎。


「最低……」とあずさ。あずさ?


 振り返るとエプロン姿のあずさが女友達数人と歩いていた。


「うわあ!」と飛び退く禎。


 持っていたプリントがバラバラと落ちる。


「お、お前ら次が調理実習か?」


 プリントを集めながら禎が言う。


「そ。今お話にあったこんにゃく使って豚汁をね」


 禎を見下してあずさが言う。


「はは、それは……、が、頑張ってね」


「ふんっ」とそっぽを向いてカツカツ歩いてく。

後ろの女子たちも「最低」「キモい」「変態」などと侮辱の言葉を投げかけながらあずさについていく。しかも、その言葉は禎だけでなく僕にまで投げつけられたのだからたまらない。


「ちょっと!俺はなんも言ってないんだけど」


 叫ぶが「同罪よ!」と返されてしまった。


「なんてことしてくれんだよタダシ! ああ、今あの斉藤さんにもキモいって言われちゃったよぉ」


 斉藤さんとはうちの学年で一二を争う美人で男子はみんな密かに憧れている。が、たった今、うら若き一人の少年の儚い夢は崩れ去ったのだ。死ね、禎。



「おーい! 明信ー。ちょうど良かった!」


 またしても後ろから声を掛けられた。くせ毛を逆立てたいかつい男。熊倉正也だ。 
「次、調理実習なんだけど、エプロン忘れちった!貸してんない?」


「机の横に引っかかってるから勝手に持ってっていいよ」


「さんきゅー! それにしてもお前らのクラス、調理実習が一時間目って微妙じゃね?」

「俺、朝だめだから食欲無くて全然食えんかった」

 禎が恨めしそうに答える。

 正也は「お前の分も食っといてやるよ」と笑い走っていった。

 残された僕たちは散乱しているプリントを拾い集めた。

「はあ、豚汁は食えねえし、あずさには変なこと聞かれるし最悪だなぁ。まだ同じクラスの女子に聞かれたんじゃなくて良かったよ」


 不幸中の幸いとばかりに禎が言う。


「大丈夫だよタダシ、明日にはみんな知ってるから」
 ポンと肩を叩く。
「そうだよね……」

 禎は悲しそうに俯いた。後輩の彼女の耳まで届かなければいいが。


 そういえば、禎は今日の調理実習で亜希子と同じ班だったよな。

「今日の調理実習どうだった?」


「あ? こんにゃくに始まりこんにゃくに終わったよ……」

「いや、そうじゃなくってさ。班のまとまりとかさ。ほら、笹井とかいたろ? 無口の」


 調理実習だからと言って亜希子が誰かと話すかといえば、多分話さないのだろうが、班で行動するのだから事務的なことくらいはやりとりをするんじゃないかと思ったのだ。禎から亜希子について、なんでもいいから情報が欲しかったのだ。人間らしい情報を。


「笹井? ってごめん誰だっけ?」


 階段を上りながら禎がとぼける。


「え?」


「いや、だから、笹井って誰?」


「クラスにいんじゃん! 笹井だよ、笹井亜希子!」


「いたか? そんな奴」


 禎の態度はふざけて言ってるようには見えない。


 亜希子を知らない?

 クラスメートなのに? 


「あれだよ? 柳川系の子だよ?」

 ちょっと言葉に出すのは気が引けたが、共通項なので柳川系と言葉にした。


「柳川系? うちのクラスに柳川系なんていんの?」


 このギター馬鹿、埒があかない。自分の興味あることにしか関心を示さないんだから嫌になる。


「タダシ今日の調理実習三班だったろ?」


「うん」


「誰がいた?」


「箇条と佐々木と、草薙と甲田だけど」


 禎は指折り数え、「あと俺」と締めくくった。


「六人班だろ! なんで五人なんだよ」


「あれ? 確かに。なんでだろ?」


「だから、あと一人が笹井なんだよ」


「いや、そんなことないよ、五人だった。間違いない」


 お前こそ何言ってんのと禎は言いたげだ。


「うーん。笹井ねえ、俺未だにクラスの女子全員と話して無いしなぁ。笹井ねぇ。いたっけ、そんな奴」


「じゃあプリントの名前見てみろよ」


 抱えているプリントを一枚一枚めくる。

「いねえじゃん」禎が面倒くさそうに言う。

「そんなことねえだろ」

 僕も確認する。ない。笹井の名前がない。嘘だ。もう一度確認する。やはりない。 
「げ、もうこんな時間かよ! !明信、よくわかんねーつっこみにくいボケしてないでさっさと準備室行くぞ」


 禎は足早に階段を上っていく。


 ははは、そうだよなと僕は一人で引きつった笑い。本当に幽霊だったなんてわけないよな。家にだって行ってるし、コンビニ来てるし。

 たぶん亜希子は提出し忘れたんだ。で、禎は馬鹿なんだ。そうに違いない。


 禎の後を追い、中二階の踊場まで上った時、このくそ暑い夏とは思えない冷たい風が背筋に当たった。視線を感じたのだ。

 まさか。


 ハッとして振り返ると廊下から誰かが見上げていた。

 亜希子だ。


 ゾッとした。なんでこんなところにいるんだろう。


 亜希子はただ黙ってこちらを見つめている。あの無表情な顔でじっとこちらを見ているのだ。人間離れした無表情。いや、もしかしたら本当に人間じゃないのかもしれない。


 この校舎に何百人と人間がいる空間とは思えない程辺りは静かだった。


 日の光が差し込む階段の踊場と日の光が届かない一階の廊下で見つめ合う。


 いや、違う。見つめ合ってなどいない。僕が一方的に彼女に見られているだけだ。僕の視線は彼女に届いてはいない。そんな気がした。


「あのさ……」


 意を決して話しかけようとした瞬間、亜希子はスッと廊下側へと消えてしまった。 
 追いかけるべきか迷った。


「おーい、明信。早く来いよ!」


 頭上から禎の声。タイミングを逃した。 


「今行くよー!」返事を返す。と同時にポケットでは携帯電話が鳴った。


「さっさと来いよー」


「おー」禎を追いかけて階段を上る。プリントを片手に持ち替え携帯電話を開く。
 



『ノブ、日曜日、楽しみにしてるからね』




「明信、笹井って子もしかしてさ……」


「いや、いいんだ。さっさと出して教室戻ろう」


「なんだ腹でも痛いのか? 顔色悪いぞ? ま、じゃ早く行こか」


 そうか。やっぱりそうなんだ。晶子が戻ってきたんだ。僕は冷や汗をかいていた。晶子が亜希子の体を借りて僕に復讐しに来たんだ。脳内会議では有り得ないという常識的見解と、晶子が戻ってきたんだという意見が真っ向から衝突していた。


「あの暗い亜希子こそが僕の姉である山井晶子が憑依した姿なのだ」と片方の僕が言う。

「そんなわけないだろ、冷静になれよ」ともう片方の僕が言う。

「でも、それならば、二重人格のような亜希子の言動にも納得がいくではないか。学校での亜希子はあんなにも暗い顔をしているのに、外での亜希子はこんなにも溌剌としている理由がそこにあるんだよ」

「そんなわけあるか。気のせいだ」 

「たぶん、完全に人格が入れ替わっているのではなくて、二つの人格が混在しているのだろう。同じ車に二人で乗っていて、どっちが運転してるかの違いだ」

「そんなこと本気で考えてるのか? 有り得ないだろう」


 頭の中では片方が次々と仮説を立てもう片方がただ否定するだけの図式が出来上がっていた。 

 論争は続いていたが、一つ確かなことがある。僕の体の震えは止まらなかった。



「アンタガ私ヲ殺シタンダカラネ」



 夢の中で晶子に言われた言葉を思い起こされる。そうだよな。僕は姉ちゃんに怨まれたとしても仕方ないんだ。

 僕は重大な事を思い出したのだ。

 


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