第9話
人種が違う。
学校での亜希子と他の生徒との違いを言い表すのには、それが一番しっくり来るような気がする。
亜希子の心の闇を垣間見てから、学校での彼女の雰囲気がより一層恐ろしくなったような気がした。開けちゃいけないなんとかって箱を開けてしまったようで、そんなことはないとわかっていながら、それでも亜希子の心の闇から魑魅魍魎が飛び出してくるのではないか、と警戒して彼女のことを注視してしまう。
学校の外で会う亜希子はいわゆる普通の女の子にしか見えなかったのに。
友達なんかいらない。ドラマの台詞みたいだけど、そんな事を言う奴は周りにはいた。友達が出来なかった僕もそう思った事があった。他にも格好をつけたり粋がったりしてそういう事を言うの奴もいた。大概が自意識過剰な思春期中学生である。
しかし、亜希子は根本的にそういう輩とは違う気がする。上手くはいえないがそういう気がするのだ。
七月。関東地方は相変わらず梅雨空が続いていたが、今日は午後から雲が消え、綺麗な夕焼けが広がっていた。
亜希子にCDを借りてから一週間が経った。CDはまだ聞いていない。
僕はあずさと二人、夕暮れ迫る多摩川の河川敷を駅に向かって歩いていた。明日からは憂鬱な試験期間だ。
珍しく二人きりなのは、いつも一緒の正也が現在職員室でお説教を食らっているからだった。
なんでも昼休みに学校を抜け出してゲームセンターに行っていたことが、生活指導の山田先生にバレたのだという。正也らしいといえば正也らしい。
だらだらと遊歩道を歩く。学校から駅までのルートとしては遠回りなのだが、夕日に向かって開けた川原を歩くのは気持ちがいい。それに他の道と違い車が来ないので、だべりながら歩くには最適のコースなのだ。
ただ、忌々しいことに西校内で出来上がったカップルの定番デートコースでもあるのだ。今日も川べりには何組かの西高カップルが寄り添い合っている。
そりゃ可愛い女の子と歩けば汚い多摩川でも、セーヌ川に見えるかもしれない。セーヌ川自体が綺麗かどうかは僕は知らないけど。
夕時、沈みゆく太陽が川を黄昏に染めると、河原の斜面にはカップルがコバエの様にどこからともなく湧き出て甘ったるい空気を醸し出し、黄昏空を薄桃色に塗り替えたりする。
死ねばいい。順繰りに蹴落として廻りたい。
「何を恐ろしいこと口走ってんのよ」
思わず口から気持ちが漏れてしまっていたようだ。
「ちくしょー。俺だって女の子とこの道を歩きたいよ」
とほほ、と言ったところだ。
「あたし、女の子なんですけど」
あずさが眉間に皺を寄せる。
「ん? どこが?」
とぼけた顔で聞き返す。すかさずあずさは「死ねー!」と怒り出しぶんぶんと鞄を振り回した。
僕はすんでの所で鞄をかわした。
「逃げるな!この無礼者!」
「あら、なんか俺悪い事言ったかしら?」
「そうかそうか、そんなに多摩川に沈めて欲しいのか。おーおー、やってやろうじゃん」
腕まくりのしぐさをして追いかけてくるあずさを避けながら水際を走る。あずさは長身で足が長い。端正な顔立ちは男子よりも後輩の女子に人気がある。女の子が格好いいと思うような女の子だった。
性格も女の子特有のべたべたした感じはなく、さばさばしていて男っぽい。というか男の中の男だ。砲丸投げも軽音部の
あずさ本人は女の子らしく振る舞いたいらしいが、ライオンはいくらウサギになりたくてもなれないのだ。そんなわけで、あずさは女子じゃない。証明終わり。
河原には高校生や大学生のカップル、水遊びに精を出す子供達など様々な人がいて、それぞれ楽しげに時を過ごしている。
何組かのカップルを横目に歩いているとあすさが何かを発見した。
「あ、あれ、後藤君だよね?」
あすさが脇腹を小突いてきた。見るとホルモン馬鹿の後藤禎がにやけきった顔で河原に座っている。その隣には小柄な少女が楽しそうに微笑んでいた。
「ホントだ!禎じゃん!」
ホルモンを理科室で焼くような馬鹿が、なぜ。
「隣の子は一年生かな」
あずさも興味津々だ。確かにあまり見ない顔だ。
「ギターを持ってるところを見ると軽音部の後輩だな。ちくしょー。隠してやがったな、あの野郎」
「女欲しいなー」が口癖だった禎が最近静かになったのはこれが原因だったのか。 「青春してんだぁ。羨ましいね」
「あいつ明日ぜってぇ殺す。なんだよ! この前まで上野毛組だったくせによ!」
めらめらと僕は瞳に怒りの炎を燃やした。
西高には二つ最寄り駅がある。一つは今歩いているコースの先にある二子玉川駅で、方角的には西高から西に一キロほど歩いた所だ。都心に出るにも多摩川の向こうの神奈川方面に行くにも便利で、駅前には大型百貨店やゲームセンター、ファーストフードなど遊ぶ場所も多い。
今日正也が教育指導の山田先生に捕まったのも、多分ここ周辺のゲーセンだろう。
もうひとつの駅は西高からは北へ五百メートルほどの距離にある
坂の途中に自然公園があってそこが生徒達の溜まり場になったりもするのだが、二子玉の駅と違い、駅周辺に娯楽施設がなにもないのだ。
よって、彼女もいない遊ぶ金も友もないといった冴えない男子達ばかりが汗だくになりながらこの坂を行き来する図式がなりたってしまった。
上野毛組とはこのような非モテ連中のことを言う。上野毛組という呼び名はいわば汗臭くも素直な将来の日本紳士候補たる男子たちの輝かしい称号なのだ。
ああ、なんて切ない話なんだろう。
「いいなー。あたしも青春したくなっちゃうよ」
禎達を遠目に通り過ぎる。キラキラと目を輝かしてあすさが言った。あずさは珍しく女の子の目をしていた。
「そっか、あすさって女の子なんだよな」
言葉の意味が分からなかったのか、あずさは一瞬目をぱちくりさせてから声をあげた。
「えー!? びっくりなんだけど! アッキーは今まであたしのことなんだと思ってたのよ?」
「あ、いや、そうじゃなくて」
両手を振って否定する。
「ちょっとマジショックなんだけど! やっぱ死ね」
「馬鹿馬鹿落ちるって! 一応、一応だよ。確認しただけだよ」
川に叩き落されそうになって必死で訂正する。
「一応も何もれっきとした女の子よ!サイテー!」
怒るあずさは長い足で蹴りまで入れてくる。臀部に蹴りを受けながら思う。この暴力馬鹿のどこがれっきとした女の子なのだろうか。
「いってえな。だから、そうじゃなくってさ。俺らとつるんでる時は男っぽいっていうか、男勝りっていうか、男にしか見えないっていうかさ、そんな感じじゃない?」
「ねえ、わかってる? それ、全っ然フォローになってないからね」
言葉を遮ってあずさが語気を強める。このままでは本当に多摩川の藻屑になりかねない。
だから、その乱暴なところが女の子らしくないんだよ、と言ってやろうかと思ったがやっぱりやめとこう。
まだ死にたくはない。
「ああ、いや、だからそうじゃないって。あずさって俺らだけじゃなくって女子とも仲良いわけじゃん。うん、友達も多いしさ」
「多いのかなぁ、わかんないけど」
「多いよ、多分。うん、羨ましいよ。マジで」
「そっかな。まあ、人徳ってゆうか? あたし性格いいからねー」
まんざらでもない顔をしている。単純なところも女の子らしくないんだぞ。
「そう思うよ」
おだてると悪戯っぽくあずさは笑った。あずさの茶髪が夕日を受けて眩しい。
「なあ、友達って面倒臭いって思ったりしない? 友達って必要?」
ふと、そんなことを聞いていた。友達がいらないと言った亜希子の顔が浮かんだので、明るく友達も多いあずさに、なんとなく聞いてみたくなったのだ。
亜希子はあすさとは全く違う系統だけど、あすさにだって友達がいらないと思うことだってあるかもしれないし。
「なになに? もしかしてまさやんと喧嘩とかした?」
心配そうにあずさは尋ねてきた。笑って否定する。
「してないしてない。あいつ馬鹿だから喧嘩しても三歩あるけばすぐ忘れるんだよ」
「ニワトリじゃん」とあずさは笑った。
「女子ってどんな風に友達つきあいしてんのかなって思ったんだよ。ほら、俺女友達っていない……あ、いや、あずさくらいしかいないからさ」
危ない危ない。またどやされるとこだった。
「だから、ちょっと聞いてみたいなって思って。男の友情と女の友情ってなんか違ったりすんじゃん。俺もよくわかんないんだけどさ」
「うーん、よく男子は言うよね。女の友情は浅いとかって」
むむむとあずさは考えこむ。
「確かに男の子ってさあ、馬鹿じゃん」
「なんだよ、それ。馬鹿って酷いな」
「なんか男子って端から見てると時々さ、幼稚でマジ馬鹿なこととかで盛り上がったりしてんじゃん。ほら、昨日とかもさ」
「昨日?」
何かあったっけ。ぽかんとしている僕にあずさは呆れたようにため息をついた。
「覚えてないの? アッキー昨日、上履きサッカーとか言って廊下でふざけてて、サエコに思いっきり靴ぶつけて泣かしたでしょ」
あずさは非難の眼差し。やばい、みんな知ってんのかな。
なんで女ってベラベラなんでも喋っちゃうんだよ。
「いや、あれはたまたま松下に俺のシュートが炸裂しただけで、松下がいなければうちのチームが勝ってたんだよ」
慌てて言い訳にもなっていない言い訳をしてしまった。
「だから、そういうのが馬鹿だって言ってるのよ、反省してんの?」
「はい、すみません。反省します」
「まったく、馬鹿。男ってみんな馬鹿なのよ。幼稚で鈍感で無神経、そのくせ義理とか人情とかってそんなのが好きじゃん」
「そうかなぁ……」
「そうよ。女の子はそうじゃないんだよね。自分に正直っていうかさ。そうだねー、悪く言うなら打算的ってやつ? ノリとか雰囲気とかじゃなくって、損得勘定で動いてるって感じ? 例えば、この子と付き合えば自分が可愛く見えるとか、クラスの力関係とかをさっと察知して派閥に入ったり。で、自分に不利になると手のひら返したり、裏切りみたいな事も簡単にできちゃうんだよ」
「怖いな、女って」
「全員が全員そうじゃないよ。でも、そういう面が強いのが男の子との相違点なのかなって思う。勿論女みたいな男もいれば男みたいな女もいるけどね。でもそんな裏切りなんかも女の子同士は理解しあってるのよ。お互い利害関係がわかっているからね。だから、一度離れてもまた利害が一致すればべたべたしたり。ま、捉えようによっては男子より高次元な関係なんじゃない? 男子からはドライな風に思われるけどね」
「ふうん、わかったようなわかんないような」
「わかってないでしょ」
首を捻る僕にあずさは言った。
「うん」素直に認める。
「ま、アレよ。あたしが思ってるだけのことだから、別に正しいわけでもないしさ。こういう風に考えてる奴もいるって程度の認識にしといてよ」
あずさはあははと笑った。
「あずさは男寄りの女だよね」
皮肉をこめて言ったが伝わらなかった。
「そうだね。男子の馬鹿みたいなつきあいも楽しいし。てか、だからアッキー達とつるんでたりすんだけどね」
あずさはちょっと照れたように顔を背けた。ふむふむと頷きながら聞く。
「じゃ、友達がいらないって思った事は? 最初の話に戻るけどさ。あずさの話だと面倒くさいって思うこともんじゃないの?」
「いらないなんて思った事ないよ」
あずさはきっぱりと言い切った。
「人は一人じゃ生きてけないんだよ。アッキーの嫌いなありがちな言葉だけどね」
ありがちな言葉。僕の嫌いな言葉。ありがちな言葉で彩られたラブソングなんか最も嫌いだ。だけど、そうだよな、そこはあずさに同感。結局は男にも女にも、やっぱり友達は必要みたいだ。ならばなぜ亜希子は友達がいらないのだろう。あずさの意見を聞いて亜希子の考えを汲み取ろうとしてみたが、二人は性格的にも違い過ぎるし、あまり参考にはならなかった。というより、やはり亜希子が他の人間と違うのだ。 突然真面目なことを尋ねたのがあずさには不思議だったようで、心配そうに「なんかあったの」と聞いてきた。
「ん? まぁ、ね」と的を得ない返答。
「アッキーが真面目な話なんて珍しくない? もしや……、病気? てか癌? 末期?」
「ちゃうわっ!」思わず関西弁でつっこむ。
生まれも育ちも東京であり、関西圏で暮らしたことはおろか旅行ですら行ったことはないのだが、つっこみになると関西弁になってしまうのは関西発の漫才文化の功罪の一つだろうか。
「笹井さんだっけ? 彼女の話?」
腐っても女。あずさも変なところで勘が鋭い。
「別に、ちょっと気になっただけだよ、大して意味はないよ」
あいまいに笑う。
「そっか」あずさは神妙に黙りしばらくそのまま隣を歩いていた。夕日が少し陰る。
「明日も雨なのかな」
僕は話を逸らすように西の空の雲を見て呟いた。自転車通学の一番の懸念材料は天気だ。今日の様に朝が雨で後々晴れるのなら電車で行けばいいだけだから、文句はないのだが、朝晴れていて後から雨というパターンが一番辛い。
「アッキーに彼女できたらなんかヤだな、あたし」
隣を歩いていたあずさは水溜まりをぴょんと飛び越え僕の前に出た。ミニスカートが揺れる。
「あん?なんだよ、突然」
あずさの後ろ姿に尋ねる。
「あんま遊べなくなるじゃん」
あずさは振り返らず答える。ローファーで道の小石を蹴飛ばしている。
「そしたらさ、あずさも彼氏作りゃいいんじゃねーの? 正也とくっついちまえよ。腐れ縁で」
僕もあずさの後に続いて水溜りを越す。あずさはクルッと振り返り睨んでくる。
「なんだよ」
僕は立ち止まった。
「別に」あずさはプイっと背を向けてしまった。
「いや、なんだよ?」
「べーつーに!」
「なんなんだよー」
「べーつーにー!!」
なんなんだよ一体。女ってややこしい。正也の為に気を使ってやってんのに。男は馬鹿で鈍感って言ってたけど、女だって鈍感じゃねえか。
「やっぱり男子って鈍感で馬鹿」
あずさが僕に聞こえるか聞こえないか位の声で呟いた。
お前が言うな!
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