第6話

 西高は『工』の字に立てられた三棟の校舎から構成されているが、どの棟の屋上も普段は立ち入り禁止であり、生徒は基本的には入ることが出来ない。

 まあ基本があれば例外もあるのがこの世界の良い所であり、また悪い所でもある。僕の隣で大あくびをしている男、熊倉正也が屋上の鍵を持っていた。

 こっそりと合鍵を作製していたのだ。


 見つかれば生活指導の山田にこっぴどく怒られるが、フェンスもしっかりあるし、不良の溜まり場というわけでもないし、そもそも教師達も屋上の鍵が出回っているなどと考えないから見回りにもほとんど来ない。

 だから、今日も大胆にも昼食を屋上でとっていたのだ。


「あ、まさやんタコさんウインナーだ! かわいい!」


 弁当を隠すように背中を丸めている正也の脇で、滝沢あずさが声をあげた。


「見んなよ!恥ずかしいだろ」


 正也は照れ隠しに怒鳴った。


「はいはい、一個ちょーだい」


 あずさは正也を適当にあしらうとパッとウインナーを取ってしまった。

「あ~、楽しみにとっておいたのに」

 嘆く正也。

「最近まさやん太ってきたから、いいのよ」

 もごもごと口を動かしながらあずさが正也を見下す。

「さすが、長い付き合いだけの事はあるな。夫婦漫才師としてデビューすれば?」

 僕が冷やかすとあずさは露骨なしかめっ面をした。

「嫌よ、こんな図体ばっかりでかい男なんて」

「なんだと、こっちから願い下げだよ」

 正也も負けじと言い返す。


 あずさは正也と小学生からの腐れ縁だと言う。二人は、小学校からの幼馴染で、毎年あるクラス替えでなんと九年間も同じクラスだったという。

 運命の人なんじゃないの、と皆によくからかいのネタにされている。


 僕は大の字に寝っ転がり、頭上で応酬する低レベルな罵り合いを聞いていた。屋上のコンクリートは暖かく眠気を誘う。今日は過ごしやすい良い天気だった。


 いつもの面子の何気ない日常。遥か未来に振り返ってみて、あれが青春だったんだな、なんて思い出すんだろうか。


 空は青く日差しは眩しい。


 正也は常日頃から昼飯は広い空の下で食べた方がうまいもんだと言い、晴れた日は屋上で昼食を取っていた。日に焼けるから嫌だとあずさは言うが、正也はいつも強引に屋上に連れて行く。


 一年生の頃は校庭や中庭で昼食を取っていたが、人は多いし砂埃も舞うので正也は嫌だったのだそうだ。


「なあ、あれ。あの雲さぁ」


 僕ははるか向こうの巨大な積乱雲を指差した。正也とあずさが指の先を見る。


「うんこみたいだよなって思ったんだろ。俺も思った」


 正也が瞳を輝かせて言った。


「ちょっと!!」


 あずさが頬を膨らませる。


「違うよ! てか全然似て無いし。入道雲が出てるってことは梅雨は明けたのかな、って思っただけだよ」

 梅雨前線は何処に入ってしまったんだろうか、亜希子の家に行った日以来、東京は晴れが続いている。

「馬鹿に暑いもんな最近」


「だけどさ、うんこってのは小学生並みの発想力だな。言うとしても竜の巣とかじゃないか」


「あーっ、あたしも思った!」

「そぅか?うんこだろうんこ」

「サイテー!」


 あずさが上履きを正也に投げつけた。


「いてえ。上履きはねぇだろ、この暴力女」


 正也は立ち上がり上履きを拾う。女相手なので一応手加減をして投げ返す。

 悲鳴を上げるあずさ。

「女に暴力振るうなんてサイテー!」


「お前が先にやってきたんじゃねえかよ! ろくでもねえ女だ。あ、そういやさ、明信よ、この前のあれはどうだったんだ?」


 突然話しを振られて戸惑った。

 この前のあれってなんだっけ。


「女の子んち行ったんだろ?」


 正也は口の端を嫌らしく釣り上げて笑っていた。相変わらず悪い顔しやがって。女子達に恐がられるのも無理はない。

 亜希子の家へ向かう途中に正也と電話をしていたとこを忘れていた。後悔先に立たず。正也なんかに言わなければ良かった。


 なにそれー、とあずさが大袈裟に驚いた声をあげる。


 ほら、ホントそういう話好きなんだよな女って。


「正也、誤解を生む発言はやめてくれ。二人に勘違いされるようなことは何にもないからな。ミスターにさ、届け物頼まれただけだよ」


 あずさが変な誤解をしていそうなので経緯を話す。


「ふぅん。で、結局どうだったんだ? ヤれたのか?」


 話し終えると、わかったのかわかってないのか正也は素っ頓狂な事を聞いてきた。ホント、下品で馬鹿だ。


「お前アホか、なんでそうなんだよ!」


 バカ、とあずさも呆れ顔。


「そうだ!笹井は金比羅団ファンだったんだよ!」

「金比羅団ってあの変なバンドか?」

「変じゃない! 前衛的というんだ。そもそも今のJポップなんてのは商業音楽の——」

 ここぞとばかりに熱く語ってやった。


 正也もあずさも全くと言っていいほど大神リューヂの良さを理解してくれない人達だったから、自分の他にも大神リューヂや金比羅団のファンがいたことと、いかに金比羅団が世に蔓延している商業主義的音楽と違うものなのかを、身振り手振りつけて語った。


「マニアだな」

「そうね」

 つまらなさそうに聞いていた二人は同じような声の調子で言った。


「ちくしょー、全然興味ねえなぁお前ら……」


 うなだれ溜め息をつく。とりつく島もないというのはこういう事を言うんだな。この無関心、無反応は悲しすぎる。良い物をみんなに教えてあげたいだけだったのに。


「愛の反対語は憎しみではなく無関心だ」

 ぼんやりと呟く。虐げられた某宗教の宣教師達もこんな惨めな気持ちになったのだろうか。


 ああ、今の気分なら休日の朝っぱらに宗教の勧誘がチャイムを嫌みのように鳴らして来ても、暖かく迎え入れてあげるだけの慈悲深い心を持てる気がする。いや、流石にないな。ごめん、言い過ぎた。


「いいんだ、いいんだ。金比羅団の良さはわかる人にしかわかんねーよ!」


「ま、良かったじゃん、初めての金比羅同志が柳川系で」


 意地の悪い笑顔で正也が言う。


「ヤナガワケイ?」


 あずさが聞き返す。あずさは柳川系という言葉自体を知らなかったようだが、正也の口振りから好印象はもたなかったようだ。

「何? 柳川系って」


「あずさ知らねーの?友達いないような変な奴を柳川系って呼ぶんだよ。仁田とかさ、ああいう奴らをな」


「なんで?」

 あずさは僕を見る。僕に聞かれても困る。


「それは……、なんでだっけ?マサヤ」


「おお、聞きたいか。よし話してやろう。あれはもう何年も前の話らしい」


 正也は弁当を置いた。入道雲のほうを向き、遠い目をして語り始めた。



「当時の西高に柳川君っていう生徒がいたんだよな。柳川君はさ、自意識過剰で根拠のないエリート意識を持っているような少年だった。自分は他の生徒とは違い、何か特別な才能を持っていると信じてやまなかったんだな。まあ、それも若さって奴だ。俺にも気持ちはわかるぜ。そんな柳川君は当然というか、これまた不幸にもというか、とにかく不良からいじめられていたんだよ」


 あずさはふんふんと聞いている。僕は正也の目を見る。黙ってろよと目で正也がいう。


「さて、ある日のことだ。いつも通り、からかわれていた柳川君だったんだが、その日は様子が違ったんだ。震えているんだよ。授業中も休み時間もずっとな。なんか今日の柳川、ヤバいぞってみんな空気でわかったんだってさ。そしたらさ、突然だよ。授業中にダーンって机を両手で叩きつけて立ち上がったんだ。みんなポカーンとして柳川君を見てたんだって。柳川君は肩を震わせて机の中から何かを取り出した。カッターナイフだ。なんかヤバいぞとみんなが後ずさりをする中、柳川君はぶつぶつと何かを呟いている。なんだろうなってみんな静まり返ったんだ。耳を澄ますと……」
「澄ますと?」


 正也はスッと立ち上がり、ふらふら歩き始めた。何かぶつぶつ呟いている。柳川君の真似をしてんだな。芸達者な奴だ。


「みんな殺してやる。みんな殺してやる。みんな殺してやる。みんな殺してやる……。みんな殺してやる!!」


 正也の迫真の演技。あずさは大声に驚いて上体を震わせた。正也はふらふらとあずさの方へ向かう。ぶつぶつと殺してやると呟きながら。


「きゃー!来ないで!」とかぶりをふるあずさ。


 正也は大きく両手を広げ、ジェスチャーを交えて叫ぶ。


「殺してやるー!」


「来ないでって言ってんでしょ!」

 ばしっと良い音がして正也がうずくまる。あずさが鞄で正也の頭を殴りつけたのである。


 あずさがごくりと息をのむ。沈黙。そして。

「あー、怖かったぁ」

「お前の暴力性の方が怖いわ」


「で、どうなったの?」

 僕のツッコミには耳を傾けないようだ。

「ま、そんなこんなで何考えてるか分からないような生徒をひっくるめて柳川系の生徒と呼ぶようになったらしい。終わり」


 うずくまる正也は頭を摩りながら言った。

「へえ、そんなことがあったんだね。知らなかった」


「そう。怖い怖い柳川系の笹井さんってわけだな」


「いや、だから結構普通だったんだって」


 擁護する。だが、あの日以来、亜希子とは一度も話していない。授業中に何度か亜希子の方を覗き見る事もあったが、あの日の亜希子と同一人物だとは思えないほど暗い顔をしていた。話しかけれる雰囲気ではなかった。


「でも、なんかあいつ怖い感じもすんだよな」


 ポツリと呟いたのを正也は聞き逃さなかった。


「だって柳川系だろ、変に気い持たせてストーカーとかになられたら怖いよな」


 けけけと正也は笑った。ストーカーとは違うと思う。言葉にはできないのだけど、それは違うと思う。


 でも、なんで彼女は僕の秘密を知っていたのだろうか。これだけ毎日一緒に居る正也達にも、言っていない秘密なのだから。


「それよりさ、今日はカラオケでしょー。フリータイムなんだから早く行こーよ」
 

 携帯電話のディスプレイで時間を確認したあずさが口を尖らす。あずさは朝からオウムみたいにカラオケカラオケと繰り返していた。


「そうだよな。俺もそう思ってたんだよ。なぁ、正也なんで午前授業なのに弁当持ってきてんだ?」


「うっせーな! しょうがないだろ、母ちゃんが作っちまったんだからよ」


 正也は一生懸命に弁当をかきこんでいる。


「余計な話してるヒマあったらさっさと食べなさいよ」


 あずさが言う。全くその通りだ。うっせーと正也は返す。


「カラオケって飲食物の持ち込みは禁止だけど弁当もだめなのかな」


「お弁当くらいバレないように食べればいいのにね」


「だってドキドキしながら食うの嫌なんだもん」


 正也が恥ずかしそうに言う。


「この男、意外と小心者なのよね」


「やかましいわ!」


「よっしゃ、今日は金毘羅団歌いまくるぞ!」


「みんながわかる歌を歌いなさいよ」


 正也もあずさも金毘羅団に全く興味がないため張り合いがないのだが、今日は金毘羅団の歌を歌いたい気分なのだ。


 いいんだ。所詮カラオケなんか自己満足だ。


 亜希子から金毘羅団を好きだと聞いたことで僕の金毘羅団熱もちょうど再燃していたのだった。

 カラオケとか、亜希子は行くのかな。ちょっと一緒に行ってみたい気はする。結構、普段地味な人に限って歌はうまかったりするんだよな。


 考えてみると、あの日以来、心のどこかに亜希子がいる。何かにつけて亜希子のことを考えるようになっていたのだ。恋心とかではない。変に気にかかっていたのだ。
 先週、家に行った時の亜希子はどこにでもいるような普通の女の子だった。それが次の日、学校に行くとまるで別人みたいに黙り、誰も近寄らせないようなオーラを出していた。当然、それは僕に対しても。


「ご馳走さまでしたっと。食い終わったよ! 行くべ!」


 正也が弁当箱を鞄に投げ入れた。


「よし、行こう」


 あずさが立ち上がる。


「明信、ただしは来るって?」


 機会があればまた話したいと思うけど、あの雰囲気じゃ学校内では無理だろうな。
「明信?」


 呼ばれていることに気づかなかった。


「あ、ごめん。禎は軽音部あるから無理だってさ」


 このまま二度と話さないのは、悪い気もするんだけど。でも、こっちからアクションを起こすのもなんかなぁ。情けない男である

 あずさはもう校舎への扉の前まで行っている。

「寺内は?」正也があずさに聞いている。


「寺ちゃんは来るよ。ほらアッキー!はやく」


「おう」返事をして立ち上がる。


 よし、保留!

 今日はカラオケに専念しよう。僕は鞄を拾い歩き出した。

 

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