第4話

「へ~!なんだ、君も蔦中つたちゅうの生徒だったんだ、あたしも蔦中だよー。てかさ、君もしかしたら亜希子の彼氏だったり?」


 冷蔵庫から麦茶を持って来てコップに注いでくれた彼女はテーブルの向かい側のソファに座った。興味津々といった眼差しを隠すこともなくこちらに向けてくる。 


「違いますって。さっき言ったじゃないすか。おんなじクラスなだけです。ちゃんと話したこともないんで」


 体育会系の女子大生といった感じの茶色短髪に日に焼けた肌、亜希子の姉にしては随分とイメージが違う。


 鼻血を出した僕を彼女は部屋に引っ張りこみ治療をしてくれた。

 自分でやりますと言ったが、「私これでも養護教員目指してんだから任せなさい」と彼女はティッシュを僕の鼻に詰め込んできた。悪い人ではなさそうだが、お節介だ。しかも下手。

「痛そう!」とか、「うわあ!」とか血を見て騒いでいた彼女だったが、僕の鼻にティッシュペーパーを詰め込むのは随分と雑だった。保健の先生は諦めたほうがいいと思います。


 そんなわけで、右鼻にティッシュを詰め込まれた僕はリビングのソファに座っているのだ。



「あいつ、ひねくれてんでしょ?学校でどんな感じなの?」


 僕は目をそらしコップの麦茶を飲む。

「いや、よくわかんないっス。亜希子さんとは喋ったことないんで」


 本当は亜希子が学校内で人と喋ってる所すら見たこともなかったのだが、それを言うのはなんとなく告げ口をするようなので気兼ねした。


「あいつ、まだそうなんだ」

 予想はついていたようで、つまらなそうに言うと彼女は再び立ち上がり台所へ向かった。


「あの、今亜希子さんはいないんスか?」


 こちらに背を向け冷蔵庫の中を物色している彼女に尋ねる。余談だが、目上の人に対しての言葉遣いは中学時代の野球部に由来する。なんで体育会系ってみんな「です」と言えなくなっちゃうんだろう。

「ん?ああ、もう帰ってくると思うよ。せっかくなんだから帰ってくるまでいなよ」
 なんで学校休んでるのに外に出ているんだろうか。風邪ではないんだろうな。サボリか?


「いや、でもそろそろ……」


 壁掛けの時計で時間を確認する。時間は一時半。昼飯も食べていないので腹が減っていたし、できれば亜希子が帰ってくる前に帰りたかった。


「アイス食べる?暑かったっしょ」


 彼女は僕の言葉を遮るように、台所から持ってきた棒アイスを差し出してきた。 
「いや、あの……」

「しっかし本当あっついよなー、真夏かってーの」


 アイスを頬張りながら彼女はテレビをつけた。


 立ち上がろうとしていたのに、アイスを押し付けられてしまったので仕方なく座り直す。意思脆弱だ。

 テレビでは昼ドラが始まる所だった。


「お、このドラマくだらなくて面白いんだよねー、知ってる?」


「ちょっとわかんないっすけど」

「面白いから見てきなよ」


 曖昧な返事をして興味もないのにアイス片手にぼんやりとテレビを眺める。完全に相手のペースになってしまっている。帰りますとは言えない雰囲気。芯の強い男になりたいなあ。



 ドラマの中では生き別れの兄妹がそうとは知らず愛し合ってしまったらしく。山場を迎えている。


 ベタだなあ、と彼女は笑った。

 画面の中では二人の運命を悲観して自暴自棄になった女が様々な男と関係を持とうとしている。

「私は兄を愛した不埒な女なの! だから私みたいな女は娼婦のように生きるしかないのよ!」


 女は大げさに両手を広げて力説している。いまいちその論理が理解不能なのだが、今僕が置かれている状況も理解不能なので、つっこむ気にもなれない。そんな僕の代わりに正面に座る彼女が意味わかんねえ理屈だな、と笑った。

 アイスを舐めながら、画面を眺めていると、女がパーティーで知り合った男との情事シーンへと切り替わってしまった。


「パーティーってなんだよ!ああゆう社交界って昼ドラでしか見ねーよな」


 彼女はそう言ってゲラゲラ笑っている。別にそんなに笑うところじゃないと思うのだが、彼女の笑いのつぼを刺激したようだ。


 しかし、昼間っから結構濃厚なシーンである。体当たりの演技というのだろうか。激しい愛し合いが続く。ちょっと今度から母に隠れて録画しようかななんて思うレベルだ。


 だけど、気まずい。気まず過ぎる。

 なんでクラスメートの家でクラスメートの姉ちゃんと昼ドラのエロシーンを見なければならんのだ。

 苦し紛れに携帯電話スマホをいじりながら、それでも興味は捨て去れないので横目でちらちら画門を見る。

 亜希子の姉ちゃんはというと、こちらの様子を特に気にするでもなく画面を見ていた。


「おー」とか「すげー」とか言って笑っている。


 気まずいと思っていたのは自分だけのようだった。さすが女子大生は違うなと感心していると、彼女はいつのまにかこちらを向いていた。それもニヤニヤと卑猥に笑いながら。 


「な、なんスか?」


 心を見透かされているようで気味が悪い。気持ちを落ち着かせる為に麦茶を口にしながら尋ねた。

「ふふふ、君、テレビ見て興奮しちゃったの?」


 噴き出しそうになりゴホゴホとむせる。


 なぜだ、携帯電話を覗き込んでいたから、テレビの情事シーンには興味ないですよアピールは完璧だったはずだ。

 チラチラ画面を見ているのがバレたというのか、いや、俺の興味ないですよアピールは完璧だったはずだ! 


「な、なんでですか!そんなわけないじゃないすか」


 顔から火が噴きだしそうだ。


「本当ぉ? 興奮してたんじゃないの?」


 笑いをこらえながら彼女が言う。何が目的なんだ。


「あの、いや全然っすよ、なんっていうかあのくらいじゃ全然っつうか」

 しどろもどろの弁解をくすくす笑いながら見ていた亜希子の姉は遂に吹き出してしまった。

 ひとしきり笑った後に一言。


「また鼻血、出てるよ」


 つーっと生暖かい感触が鼻下付近を……。ティッシュを詰め込まれていない方の鼻からの出血だった。 


「わーわー! ティ、ティッシュ取ってください~」


 慌てふためく姿を見て女はゲラゲラ笑っている。


「あっはっは、おもしろーい!」


「ちょっとちょっと!垂れちゃいますって!」


 女は腹を抱えて笑うだけで、全然ティッシュを取ってくれる気配がない。顔を上げて鼻血が垂れないように配慮しながらもティッシュを探す。


 その時、唐突に扉が開いた。


「ただいま」


 声のする方に視線を移すと買い物袋を持った制服姿の笹井亜希子が立っていた。状況を把握出来ていないのだろう。きょとんとしている。

 当たり前だ、姉が大笑いしていて、その前で話した事もないクラスメートが鼻血を出してのたうち回っているのだから。


「明信くん?何やってんの?」


 ぽかんとした顔で笹井亜希子が尋ねてくる。

 なんでだろ。混乱して図らずも気をつけの姿勢で応える。


「あ、いや、お邪魔してます」


 顔を下げたせいで鼻血が口に入りそうになり慌てて上を向いた。


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