第16話

亜希子は真っ赤な瞳で僕を見つめていた。


僕は話した。五年前に起きた事故を、全てを包み隠さずに亜希子に伝えた。僕のせいで起こったあの事故を。



なんでだろう。話せば話すほど、姉との思い出が蘇ってくる。

お菓子の取り合い、チャンネルの奪い合い。亜希子から借りた漫画を回し読みして大笑いしたこと。


全て懐かしく、でも、もう巻き戻すことは出来ない。全ての思い出はあの事故に収束する。 



「……だから、俺が姉ちゃんを殺したんだ。ごめん、あっちゃんはあんなに姉ちゃんを慕ってたのに」


 僕の言葉を亜希子は黙って聞いていた。


 真っ赤な瞳を少しも逸らさないで。


 僕が全てを話し終えると、俯いて一つ息を吐いた。僕はぐっと拳を握る。彼女に憎まれ罵られたとしても僕は全てを受け入れなければいけない。


そう心に決め、亜希子の言葉を待つ。


亜希子は顔を上げた。
やはり、口を真一文字に縛り、眉間に力を込めている。

「思い上がんないでよ」

 厳しい口調で亜希子は言った。亜希子は怒っているのだろうか。それも当然だ。


「事故だったんでしょ?自分のせいだったなんて、そんな自惚れなんてやめてよ」
 うぬぼれだって?

僕のせいで姉が死んだというのは僕の自惚れだというのか。いや、それは違う。


「俺が事故の原因を作ったんだよ」


「それが自惚れだって言ってんの!なんで?明信くんが追いかけたからアキ姉は死んだの? 違うでしょ、車に引かれたからでしょ。アキ姉が明信くんの事恨むわけないじゃない」


 確かに直接の原因は車に引かれたからだ。だけど……。


「だけど、俺が余計な悪ふざけさえしなければあんな事故起きなかった
」

 そうだ。これが事実なんだ。だけど、亜希子は苛立ちを隠さない。

「じゃあ、その前日に喧嘩しなければ明信くんはその悪ふざけをしなかったわけでしょう? 車が来なかったら、追いかけなかったら、喧嘩しなかったら、そもそもを辿れば、生まれてこなければ。言い出したらきりがないんだよ」


 亜希子の言うこともわかる。


「それは屁理屈だよ」


「でも、間違ってはいないわ。ねえ、一人で抱え込まないでよ。世の中には人を傷つけたって殺したって平然としてる奴らも五万といるのよ、そんな奴らがへらへらしてるのに、悪くない明信くんがそんな風に抱え込まないでよ」


 亜希子は僕を責めていないのか。弱い僕は少しの期待を持ち、ちらりと亜希子の表情を覗きみた。しかし、そこにあったのは激しい非難の眼差しだった。目が合う。僕は逃げるようにすぐに視線を逸らしてしまった。


「明信くん、私は明信くんがアキ姉を殺したと思ってるよ」


「うん」と小さく答える。


 わかってる。そんなことは。

 自分では、自分が姉を殺したと思っているくせに、それを人に指摘されると心が折れそうになる。逃げ出したくなる。俺のせいで死んだんじゃないと叫びたくなる。
 でも、やっぱり、姉を殺したのは僕なんだ。


「違うよ、殺したっていっても明信くんが思ってるような意味じゃないからね。私には不幸な事故だとしか思えない。だってそうだもん。明信くんもアキ姉も悪くない。車の運転手だって、突然飛び出されたんだもの。ある意味不幸だと思う」


 不幸な事故だなんて、そんなこと僕は言えない。亜希子は当事者じゃないからそんなキレイ事が言えるんだ。


 目の前に転がる血まみれの姉を見て、そんな事言えるものか。

 違うのか? 僕が卑屈なのか? 僕がひねくれているだけなのか。

 分からない。


「この前、私の家に来たときに明信くん、自分にはきょうだいはいないって言ったじゃない。なんであんなこと言ったの?」


 亜希子は真っ直ぐ僕の事を見ているのだろう。僕は亜希子の目を見ることができない。


「君があっちゃんだって知らなかったから……」


「私がアキ姉を知らない人だったら、きょうだいがいないって貫き通すつもりだったの?」


「うん」


「なんで?」


 今度は僕も目を逸らさない。見つめた。違う、睨んだ。


「なんでって……、だって……。姉がいたけど僕のせいで死にましたって、そう言えって言うのかよ。言えないだろ!そんなこと」


「そんなこと言ってない! だって、たった一人のきょうだいでしょ? そんなふうにいないことにするのって悲しすぎるよ」


 お互い声を荒げ、見つめ合ったまま、しばらく黙る。


 亜希子の言うこともわかる。わかるけど、でも、だけど。わかっているのに、納得できない。否定系の言葉ばかりが頭に浮かぶんだ。

 にらみ合う二人。だが先に目を逸らしたのは亜希子だった。


「ごめんね、言い過ぎた。私だって明信くんの気持ちはよく分かるよ。わかるなんておこがましいのかもしれないけど、想像できないくらいのショックだったんだってのはわかるよ。
つらかったんだよね。自分のせいでお姉ちゃんが死んじゃったと思って。自分を責めて。
ショックが大き過ぎて、心の中で抑えきれなくて、記憶から消すことでバランスを保ってたんだよね。
私はね、アキ姉が死んだなんて全然知らなかったから、辛い時や悲しい時には、もしアキ姉がそばにいたら私になんて言うかな、なんてよく考えてた。でもね。今、アキ姉が亡くなってたって知っても、それは変わらないと思う。
悩んだ時は心の中のアキ姉にアドバイスをもらうの。
私はアキ姉みたいに強くなりたかったから、いつもアキ姉だったらどうするかって考えてた。死のうと思ったとき、心に浮かんだのはアキ姉だった。アキ姉が死んじゃだめだって言ってくれた。
私は忘れないし、忘れたくない。
モンブランを見たらアキ姉が好きだったなって思うし、ディズニーランドに行ったらみんなで一緒に行った時のことを思い出すと思う。
アキ姉ともう会えないのは悲しいけど、うん。本当に悲しいけれど、でも、アキ姉と過ごした時間を私は忘れない。私の心の中のアキ姉は生きてるもの。
明信くんが自分のせいでアキ姉が死んじゃったって思うのは勝手だけど、明信くんの心の中のアキ姉は殺さないでよ」



 その言葉には力があった。引越したくないと泣いていた五年前の亜希子。僕たちの前から姿を消していた亜希子の五年間に何があったのか分からないけど、亜希子は強くなったんだ。強く変わった亜希子と五年前のまんま動けず変われなかった僕。


 でも、亜季子はどこか昔より影を帯びている。色々あったと言った亜希子。すっかり変わって暗くなってしまった亜希子。


 そんな彼女の心にも、いつも晶子がいたのだろうか。
「色々」あったその間にも、亜希子を支えていたのは晶子だったのだろうか。


「心の中の姉ちゃん……」


「うん。明信くんの心にいるアキ姉だよ。死んじゃって会えなくなったって、私たちアキ姉を知ってる人の中に、それぞれの心の中にアキ姉は生きてるんだよ。そのアキ姉を忘れないであげてよ、殺さないであげてよ」


 僕は今まで、姉のことを出来るだけ考えないように意識していた。まるで、初めから存在していなかったように記憶の底に封じ込めていた。


「明信くんが誰かを殺したんだとしたら、それはただ一人よ。明信くんの心の中のアキ姉だよ」


 姉の存在を記憶の底に追いやったこと、亜希子はそれを殺したと言ったんだ。


 亜希子の言うこと全てが納得できるわけじゃない。
やっぱり僕のせいで姉が死んだのだと思う。だけど、心の中の姉は亜希子の言うとおりに殺しちゃいけないんだ。
「私は絶対に明信くんがアキ姉を殺したなんて思わないよ。だから、もう逃げないで」

 目頭が熱くなる。なんでだろ。なんでこんな気分になるんだろ。


 そうだ、僕はずっと亜希子に申し訳ない気でいたんだ。


 ずっと許して欲しかったんだ。姉を殺した僕を許して欲しかったんだ。


 亜希子は僕が姉を殺したわけではないと言ってくれた。本当にそう思ってくれている。でも、亜希子が違うと言っても、僕は僕が姉を殺したと思っている。その自分の気持ちから、僕は逃げちゃ駄目なんだと思う。僕は償わなければならない。僕なりに、心の奥の姉と対話して。


(ノブらしいわ。馬鹿なこと悩んで、結局あっちゃんにおんぶにだっこで。いつになったら男らしくなんのかね)


 姉がいたら、そんなことを言うような気がした。 
姉は呆れたように、微笑むんだろうな。


 僕は目を逸らさない。もう、二度と。



 

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