第24話シンシアとエレノア

「……ん」


シンシアは目を覚まし、窓の外を見る。


魔界特有の赤い空は相変わらずだが、昨日まで降り続けていた雨は無事にやんだようだ。


シンシアは上体を起こし、身体を伸ばす。

身体はまだ怠いが、気分は心地いい。どうやら雨の止みと共に、風邪は無事に治ったみたいだ。


しかし、シンシアは再び上体をベッドに倒すと、ベッドの上で身体を丸め込んだ。


(私、なんてこと頼んでんのよ……!)


魔王とのやり取りを思い出したとたん、顔が紅潮し、シンシアは身悶えた。


(あれは風邪のせい……。そう、あれは風邪で昔のこと思い出して一時的に寂しくなっただけで、それ以上でもそれ以下でもないのよ……!)


『ぷるぷる、シンシアちゃんおはよ~』


そんなことは露知らず、枕となったライムがいつもと変わらない挨拶をかわしてきた。


「ライムちゃんおはよう。ずっと枕にしてごめんね」


『ぷるぷる、シンシアちゃんが元気になってくれたならこれくらい別に構わないよ~』


「ありがとう。とりあえず風呂に入って汗を流しましょうか……ん?」


魔王のことを一旦忘れ去り、身体を起こそうと思ったら、布団の一部が少し膨らんでいることに気づく。


シンシアが布団を捲ると━━。


「……狐?」


そこでは小さな狐が寝ていた。普通の狐と違い、体毛が鮮やかな水色で、子供なのか愛らしい顔をしている。


狐が目をパチッと開けて、耳をぴょこぴょこ動かしながら起き上がる。

そしてあくびをすると、シンシアにつぶらな瞳を向けた。


『ふあぁ。おはよう、シンシア』


「お、おはよう……?」


知りもしない狐にテレパシーで挨拶され、シンシアは混乱した。

その様子を見た狐は、相手の反応のおかしさに自分の身体を見下ろすと。


『……あぁ、そういうことね』


突然そう呟きベッドから下りると、狐は淡く発光しだした。


シンシアはとっさに目を閉じ、少し間を開けてから、目を向けると。




「ふあぁ。おはよう、シンシア」


そこには先程の狐が消え、眠たげなエレノアが立っていた。



……一糸纏わぬ、あられもない姿で。


「エ、エレノア……!?」


「ふあぁ。ボクは狐の獣人だから、変化へんげとかは得意なんだよ。それにしても、花畑も寝心地いいけどベッドの方がやっぱりいいね。この3日間は魔王のソファで寝てたから久々にベッドが恋しくなっちゃった」


シンシアが真っ赤な顔で口をパクパクしているのを見て、エレノアがこの場にいる理由を補足しながらサムズアップした。


……違う、そうじゃない。


いや、魔王のソファって、それ玉座じゃないの?とか色々あるけどそうじゃない。


「服!服を着なさい!!」


「ん?」


そこでエレノアは再び自分の姿を見下ろした。


「あぁ、そういえば狐に変身した後はいつもこうだったなぁ。五年ぶりで忘れてたよ」


「いいからさっさと着て!!」


「シンシアは恥ずかしがり屋さんだなぁ。ボクは別に気にしないのに」


あなたが気にしなさすぎなのよ!


シンシアからすれば、自分の裸を見られるのはもちろん、相手の裸を見るだけでも恥ずかしい。


日に焼けてない真っ白で瑞々しい肌と、少女らしいスレンダーな肉体。それは同性であるシンシアから見ても視線を逸らせないほど、蠱惑的な雰囲気を備えていた。


「ふあぁ。まあいいか。えーと服は……」


エレノアがそう言って背を向けると、シンシアの目にあるものが止まった。


腰からふさふさとした尻尾が生えて、エレノアの動きに合わせて左右に揺れている。


(……そういえば変化が得意って言ってたわね。普段は邪魔になるから出さないようにしてるのかしら?)


シンシアはつい興味をそそられ、先程一人だけ動揺する羽目になったお返しにと、エレノアの尻尾にそっと手を伸ばした。起きたばかりのせいか、エレノアは避けるような素振りも見せず━━。


「ひゃっ!?」


シンシアが尻尾に手を這わせた瞬間、エレノアから普段のワンオクターブ高い声がもれた。シンシアがそのまま撫でると身体を痙攣させた。


「シン……シア……っ、やめ……っ!」


このどこか掴めない性格をした少女が気持ち良さそうに甘い吐息を吐き出す姿に、ついつい調子に乗ったシンシアは丁寧に撫で回し続けた。


「……尻尾って柔らかいのね」


大きくももふもふとした毛の質感に、シンシアが堪能していると。


「……あぁ……っ!」


エレノアがびくんびくんと一際大きく痙攣すると、床にぺたんと膝をつき、疲れたように息を溢す。少し涙目(恥じらっているのか、あくびのせいか分からないが)でシンシアを上目遣いに視線を向ける。


その様子がまた少女らしからぬ雅さで、シンシアは息をのみ、顔を赤くした。エレノアでもこんな反応をするとは思っていなかった。


「さ、さぁ!特訓に向かいましょうか!」


自分がしたこととはいえ、このままというのも空気が悪いので、明るく振る舞ってベッドから降りようとした。


しかし、シンシアは既にミスを犯していた。エレノアに視線を向けると、そこには誰もおらず、突如背後から両手が伸ばされ。




シンシアの胸をがっちり掴んだ。


「ふぇっ!!?」


あまりのことにシンシアが奇怪な悲鳴をあげるも、すぐにシンシアは黙ることになった。


「……ふふふ、シンシア。君だって十分柔らかいものを持ってるじゃないか」


マイペースな物言いなのに、シンシアはそれだけで身動きがとれなくなった。稼動域ぎりぎりまで首を後ろにぎこちなく向けると、エレノアがじつに楽しげに笑みを浮かべていた。


……目が笑っていない。蛇に睨まれた蛙のごとく、シンシアはエレノアの視線から目を離せなくなった。


「エ、エレノア……?」


「シンシア。一つ忠告しておくよ……」


「な、なにかしら……?」


「ボクたち暗殺者というものはね。依頼がなければ無闇に誰かを傷つけたりしないけど、報復は何倍にも増して返すのさ。舐められるわけにはいかないからね……」


シンシアは身体が震えだした。もはや目の前にいるのはただの魔族の少女じゃない。




「ボクが受けた屈辱…………覚悟しなよ?」


シンシアには悪魔にしか見えなかった。





その直後シンシアの、悲鳴や絶叫と呼ぶにはくぐもった声が魔王城に響き渡った。





「エレノアおはようなのだ!」


「ふあぁ。リルラ、おはよう」


「シンシアおはようなの……だ?」


特訓のために中庭に出たリルラは先に来ていた二人に挨拶をしたが、シンシアの様子に首を傾げた。


顔だけでなく耳まで真っ赤にして、少し俯くように片手で胸元を隠すようにしている。


「エレノア、シンシアはどうしたのだ?」


「んー?」


リルラの問いに、エレノアがあくびを噛み殺すと。


「……シンシアはグラマラスってことだよ」


エレノアが両手を見つめながら、手を開いたり閉じたりしていきなり突拍子もないことを呟いた。


「グラマラスってなんなのだ?」


「んー、シンシアみたいに体型が『ボンッキュッボン』な人のことかな。……まぁ、『キュッ』の部分が少し『モチッ』だけど」


「あ、そういうことなのだ。シンシアはとっても柔らかくてあったかいのだ!」


「ふあぁ。そうだねぇ、抱き心地もいいだろうねぇ……」


「いつまでもその話引っ張らないでよ!!」


シンシアが真っ赤なまま模擬剣の突きをエレノアに放つも。


「シンシア落ち着きなよぉ」


エレノアにあっさりとかわされる。リルラのように俊敏な動きではなく、ゆったりとした動作で。


「誰のせいでこんなことになってると思ってるの!」


「シンシア、自分からやり始めたことを人のせいにするのはどうなのさ?」


「ぐっ……うぅ、……もぉぉぉ!!」


眠たげながらも冷静に返してくるエレノアに、シンシアはヤケクソ気味に剣を振るう。その全てをエレノアがマイペースに避けるので、シンシアは煽られていると感じて体力尽きるまで狙い続けた。







「はぁ……っ、はぁ……っ」


「ふあぁ。リルラ、疲れたから交代」


そう言うと、エレノアは重力を感じさせないのんびりとした跳躍で屋根に乗る。


「へ?エレノアが相手するんじゃないのだ?」


「ボクはのんびりしてたいからねぇ。それに」


「……リィィィルゥゥゥ……!」


「……」


「ふあぁ。あんな怖い顔と対峙するのはねぇ」


「ちょっと付き合ってもらうからね!!」


「ぎゃぁぁぁとばっちりなのだぁぁぁ!!」


地獄から聞こえてきそうな怨嗟の声で、鬼のような形相を浮かべて突進してくるシンシアに、リルラは心の底から絶叫をあげた。




「ふーん」


エレノアは中庭で繰り広げられる死闘を閉じかけた目でのんびりと鑑賞していた。まるで自分はまったく関係ないかのように。


「なかなか狙いはいいみたいだねぇ」


しかし周りから見ればふざけていても、エレノアのは真剣だった。


「的確に相手を狙う技術はある。……でもやっぱり対人戦闘の技術と剣の扱いがまだまだかなぁ」


シンシアはいつもリルラを真っ直ぐ狙う。そしてリルラがその攻撃を紙一重の距離でかわす。


これがこの特訓のいつもの光景だ。


(……敵が動くのは必然なんだから、狙いかたを工夫しなければ当たらないよ?)


まだ三日の短い付き合いだが、宝物庫のダンジョンでの土人形との闘いで、シンシアに対人戦闘の経験がないことをエレノアは理解していた。


ゆえに、エレノアはシンシアがどんな特訓をしているのかをまずは確認しようと考えたのだ。


そのためにシンシアがやる気になってくれたのはエレノアからすれば都合がいい。その過程はともかく。


エレノアは軽くため息をつく。


暗殺者として育てられた彼女には、必要な技術が刷り込まれている。それこそ外道と呼ばれるものも含めて。


だからこそ、エレノアにはシンシアの生き方や戦い方は真っ直ぐで綺麗・・に見えた。


(魔王にはシンシアを鍛えるように言われたけど……。まだまだ時間はあるわけだし、気長に見ていきますか)



「怖いのだー!」と叫びながら特訓をするリルラとシンシアを見ながら、エレノアは呑気にあくびをこぼした。






そして結局、その日もシンシアはリルラに当てられず。


後にリルラが魔王に「その様は死神か悪鬼羅刹のそれだったのだ」と語り、それに対して魔王が「……なんかデジャヴだな」と呟いたと言われているが、他の者達がその真実を知ることはないのであった。

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魔王と姫のほのぼの譚 《伝説の幽霊作家倶楽部会員》とみふぅ @aksara

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