第23話シンシアの風邪

「はぁ……っ、はぁ……っ、コホッ」


『ぷるぷる、シンシアちゃん。はい』


「うぅ、ありがとうライムちゃん……」


雨がシトシトと降り注ぐ今日、シンシアはベッドに寝込んでいた。風邪をこじらせて。


それもこれも二日前のダンジョン探索が原因である。落とし穴からの湖ダイブを果たした後、服を乾かすことも着替えることもできなかった上、過度の疲労が拍車をかけたのだ。


昨日からベッドに寝たきりとなっており、なかなか熱も収まらない。


仕方ないこととはいえ、今まで何事もなく過ごしてきたシンシアは、少しだけ気落ちしていた。


ちなみに、ライムはポポンにもらった氷を身体に取り込んでシンシアの枕になっていた。

程よい冷たさの低反発ライム枕は、風邪で寝込むシンシアには気持ちよかった。


(……まさか、決意していきなりこんなことになるなんて)


ベッドの側に立て掛けた剣を見ながら、二日前の魔王との会話を思い出す。魔王が何故いきなりこの剣を預けたのかは知らないが、シンシアはそれを気にしないようにした。


魔王があんな風に唐突なのは今更だし、深い意味はないのかもしれない。


『……だがそれでも我を・・含めた誰もがお前にそのままのお前でいてほしいと願っている』


顔が風邪の熱とは違う熱さを帯びたような気がするけど気のせいに決まってる。


(そうよ。魔王がイイ人だからってなによ。誘拐した側とされた側なんだから、別に魔王のことなんてなんとも思っていないわよ!)


『魔王様のこと好きなのだ?』


リルラの言葉を思い出すも、シンシアはぶんぶんと心中で否定する。


(そんなわけないじゃない!あの人なに考えてるか分かんないし、ぶっきらぼうだし、顔死んでるし、誰にでも優しいし、私の我が儘聞いてくれるし、顔も意外と美形……ってなに考えてんのよ私!!)


これはあれだ。風邪のせいだ。そうに違いない。ならば眠ってさっさと治すに限る。


シンシアはそう結論付け、瞳を閉じた。


それにしても。


(……風邪をひいたときに限って雨なんて。……王宮にいた頃を思い出すなぁ)





「……ダンカンはいるか?」


一方、その頃魔王はココット村を訪れていた。こちらも魔界同様、雨が降っている。


「おう、兄ちゃん久しぶり……ってずぶ濡れじゃねぇか!?」


店の奥から現れたダンカンは、魔王の姿に仰天していた。


「……そんなに変だろうか」


魔王の様相はいつもどおり、ローブを被っていた。しかし、雨のせいでぐっしょりと濡れ、身体に張り付いている。


つまり、普段のローブとしての役割を果たしていない。ぴったりとくっついたローブによって魔王の角があらわに━━━なっていない。


魔王がフード部分を頭から脱ぐと、そこには角がなかった・・・・・・


ダンカンは目を何度も瞬く。


「おお、兄ちゃんがフードを脱ぐなんて、もしかして俺っちついに兄ちゃんに信頼された感じか!?」


「……もともと信頼しているから、別にそういうわけではない。……ただ単に邪魔になっただけだ」


「そうかい、それは残念だ。いやでも、もともと信頼されてるって言うのは俺っち嬉しいぜ!死んだ魚の目が雨で潤ってくれればもっといいんだけどな!それで今日はなんの用だ?」


「……風邪に効く物はあるか」


「ああ、あるぜ。ここ二日は雨ばかりで面倒だよなぁ。兄ちゃんも風邪には気を付けろよ」


魔族は人間よりもずっと病気への耐性が高いが。


「……あぁ、気を付けよう」


魔王は黙ってダンカンの言葉を受け取った。





「……どうやら無事機能しているみたいだな」


魔王は城に帰る途中そう呟く。手には買い物袋を持ち、もう片方の手には差した傘を握っている。魔王のずぶ濡れ姿を見たダンカンが勧めてきたので買ったのだ。


なんともシュールな光景である。


ちなみに先程までの濡れていた姿が嘘のようにローブは乾き、雨は魔王の周囲を避けるように流れていく。


雨が弾かれるのは、魔王が魔力を使って周りに球状の結界を張っているからだ。


なら傘の意味がないではないかと思うが、魔王にとっては新鮮なので気分だけでも味わおうと差しているのだ。


そして、角がなくなったのは━━。



「……やはり宝物庫に入って正解だったな」


魔王は左手を見る。中指と人差し指にはそれぞれ異なる色彩を放つ指輪が填められていた。


一つは『魔幻の指輪』と呼ばれるもので、魔力を流すことで相手に幻影を見せることができる。幻影を見せられるのは装着者本人と身に付けている物、触れている物に限定されるが、用途はかなり多岐に渡る。


もう一つは『人化の指輪』。『魔幻の指輪』と同じく魔力を流している間、角や爪、牙といった魔族の象徴とも言える物を消滅させ、あたかも本物の人間に見せることができる。


どちらも滅多に御目にかかれない物であり、これ程純度の高い物はそうそうない。


魔王はダンカンに、『雨で濡れているように見える幻影』を見せた。そしてその上で角がない姿を晒した。


雨で濡れている風に見せないと、「どうやって濡れずに来たのか?」と聞かれるし、濡れているのにフードを脱がないのも変である。


こうすることで今後も利用する際にダンカンだけでなく、周りの村人達にも『自身が魔族であること』を不信に思われないように対処してみせた。


要するに、ちゃんと指輪が効果を発揮するかどうか確かめるためにダンカンに試してみたのだ。


……まぁ、ダンカンの「兄ちゃんなんで傘差してこなかったんだ?」という質問に、「……傘とはなんだ?」と返したら、ダンカンに怪訝な視線を向けられ、「……これ持ってけよ」と傘を勧められたが。



「……雨か」


魔王はぼそりと呟き、立ち止まる。その姿はまるで昔のことを思い出すような佇まいだ。






『あなたなんか……!━━━━なんか!!』


「…………簡単に消えぬものだな、記憶というものは」


魔王はしばらく瞑目すると、帰路へと向かった。





視界がぼやけるような、フワフワした感覚。辺り一面が霧で覆われ、霞がかかったようになっている。ただ、目の前だけが切り抜かれたようにはっきりと見えていた。


そこには小さな女の子がいた。顔を下に向けて泣いている。鮮やかな金髪を揺らし、小さな両手で目元を拭っている。


そんな女の子の頭を大きな手が覆った。手は不器用に、だけどまるでその女の子を慰めるようにゆっくりと動き、頭を撫でる。


そこには女の子よりずっと背の高い、ローブを被った者がいた。体格からしておそらく男だろう。姿を確認しようにも、顔も髪も見えないため、特徴と呼べるものは確認できない。


女の子が泣くのをやめ、その男に泣き腫らした目を向けると、女の子はぎこちなくも満面の笑みを浮かべた。


私はそこへと歩み寄ろうとして━━━。





ナ ニ モ シ ン ジ ル ナ




シ ン ジ ラ レ ル モ ノ ナ ド




コ ノ ヨ ニ ア リ ハ シ ナ イ ノ

ダ カ ラ




「……!!?」


シンシアはベッドから飛び上がるように起き上がった。息が乱れ、額から汗が流れ落ち、服はぐっしょりと濡れている。


(……いったい、あれはなに……?)


彼らに近づこうとしたとたん、急にノイズのようなものが走り、そのあと……。


(……何が起こったのか思い出せない)


荒く吐き出す吐息が落ち着いてきたことで、思考を巡らす。


(……それにしても、あの女の子……)


シンシアは夢の中で見た少女を思い出す。朧気ではあるがその姿を見間違うはずもない。


(……あれって、私よね……?)


シンシアが更に考えに耽ろうとすると。


「……シンシア、突然どうした?」


真横から聞こえた声に身を固め、シンシアがぎこちなく上体を左へ向けると。


椅子に腰かけた魔王がそこにいた。


「ま、ま、まままままま……!?」


シンシアは何度も口をパクパクとさせながら顔を真っ赤にする。


「……シンシア、落ち着け」


魔王が両手で、落ち着くようジェスチャーした。


「落ち着けるわけないでしょ!なんでいるの!?」


「……ノックしたのだが、寝ていたからライムに許可をもらって入れてもらった」


「ライムちゃん!?」


『ぷるぷる、だってシンシアちゃん、寝てたからわざわざ起こすの申し訳なくて』


「起こしてくれていいのよ!むしろこんなときは!あぁ……っ」


シンシアは目眩がして起こしていた上体をベッドに倒した。


「……それで、何の用なの?」


「……風邪に効きそうな物を買ってきた。あと、これはポポンからだ。お粥は風邪のときにはいいらしい」


魔王が立ち上がり、机の上からお粥の器を持ってきた。


「……そう、なら食べようかしら」


未だにひかない顔の赤みを無視し、シンシアが起き上がろうとする。


「……いや、シンシア。起き上がらなくていい」


「え?」


「……我が口に運んでやろう」


「な……っ!?」


一度収ろうとしていたにも関わらず、顔が先程以上にトマトのごとく真っ赤に染まる。


「ま、魔王、あなた、なに、言って……」


「……『病人にはできる限り無理をさせず、世話をしてあげるのがいい』とポポンに言われてな。これくらいなら我でもできるから、無理せず休むといい」


「いや、でも、あの……」


「……先程もうなされていたようだったし、目眩を起こしていたからな。お前は何もしなくていい」


前者はともかく、後者はあなたのせいよ!


そう叫びたいが、身体がかなりだるいのでこれ以上はあまり無茶はできない。


魔王がスプーンで掬ったお粥をふーふーと冷ます。


それだけでシンシアは風邪とは別に、熱が上がった気がした。


な、なんで平然とそんなことができるのよ……!


魔王がスプーンを口元に持ってくるので、それを「……もう!なるようになりなさいよ!」と言った感じで、かじりつくように食べる。


……味がよく分からないのは、風邪のせいか、別のことが原因か。


シンシアはそれらを考えないように一蹴し、魔王からの拷問?を受けた。





「……うむ、これだけ食べられれば元気になるだろう」


「……ごちそうさまでした」


食事が終わるや否や、シンシアは顔を隠すように布団を手繰り寄せる。


いくらシンシアが世事に疎い王宮育ちとはいえ、病人に対する振る舞いは分かっているつもりだ。でもそれを同性にされるのと異性にされるのではまったくの別物であることを当然シンシアは知らないのである。


魔王が椅子から立ち上がる音がするも、布団で顔を隠していたため、シンシアは魔王が何をしようしているのか気づかなかった。


「!?」


突如、シンシアのおでこになにかが添えられる。


布団を軽くどけて確認すると、それは魔王の手だった。


「ま、魔王、あなたなにして……!?」


「……熱はまだまだのようだな」


全部あなたのせいよ!


驚くほどひんやりとした手がシンシアの熱を奪っていく。だが、それと同時にやはり熱が湧いてきた。


(近い近い近い近い!!)


シンシアの顔を覗きこむように、魔王が顔を近づけてきた。


表情が死んでいるとはいえ、もともと魔王の顔はかなり整っている。


シンシアは王宮にいた頃から、異性との関係がないに等しい。お城での社交パーティにも参加したことはあるが、シンシアは異性と話すことや触れ合うことは皆無だった。


ゆえに、こういうことには一切耐性がない。


結局、魔王に対して子供っぽく上目遣いで睨むことしかできなかった。


「……では、我はそろそろ行くとしよう。薬はちゃんと飲むのだぞ」


「……えぇ、分かったわ」


やっと解放されるとシンシアは安心し、魔王が椅子から立ち上がろうとした瞬間。





窓の外が眩く光り、耳に割れんばかりの音が轟いた。


「……む、雷か。かなり大きいな」


「……」


「……心配せずとも今日中に収まるだろう。それでは我は……む?」


魔王が窓に向かってそう呟くと、魔王のマントが後ろから引っ張られる。


振り返ると、シンシアが上体を起こし、片手でマントを掴んでいた。


「どこに……行くの?」


「……どこにとは」


「……どこに……行くの……?」


声だけでなく、身体を震わせるシンシアの様子に、魔王は椅子に腰かける。


「……どこにも行かぬさ」


魔王が両手でシンシアの腕を包む。


「『お前なんかいらない』と、『消えてくれ』と望まない限り、我はお前の傍にいる」


「……魔王、お願いがあるの」


「……なんだ?」


「……私が寝付くまででいいから……私の傍にいてくれない……?」


雷に怯えるように、シンシアは不安げな瞳を向けてくる。


「……ああ、お前が眠るそのときまで、我が見守っておこう。安心して眠るといい」


「……ありがとう」


シンシアがはにかむように笑みを浮かべて瞳を閉じる。


魔王がシンシアの頭に手を当てると、シンシアはぴくりと反応したが、そのまま受け入れた。


魔王に頭を撫でられることを恥ずかしく思うも、シンシアはそれを気にしないようにした。


シンシアが王宮にいた頃、周りには大人だけだった。シンシアが風邪をひいても、決まった時間以外は世話をする人もおらず、いつも一人だった。


そしてそんなときに限って、いつも雷が鳴り響いて、シンシアは心細くて、寂しくて、悲しかった。


不器用ながらにそっと撫でる、側にいてくれる魔王存在に安堵しながら、シンシアは満腹感も相まって眠気に襲われ、寝息をたて始めた。




魔王はしばらくの間、そんなシンシアの様子を見つめ。


ライムは空気を読んで、ただの枕と化した。

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