第9話お姫様とリルラ

「……はっ!やっ!せい!」


魔王城の中庭に、気合いを乗せた女性の声が木霊する。


「……なっ!のっ!だー!」


それに加えて奇怪な言葉を叫ぶ少女の声も聞こえる。




魔王に囚われた姫が、魔族の少女リルラを相手に剣を振るっていた。


剣と言っても、模擬戦用の当たっても怪我をしない金属の棒だ。


柄もナックルガードもあるが、刃は細く、また刺突も斬撃もできないように全体が流麗なフォルムで丸みを帯びている。


そして実戦で使われる剣よりもかなり軽い。当たっても大したダメージにならないだろう。


だが、姫は内心でかなり焦り、同時に驚嘆していた。


息は多少あがっているが、そんなのは些事だ。




今日でリルラと特訓(リルラは頑なに運動と言うが)を始めて5日。


出会った日にリルラの提案で二人で模擬戦をすることになったが、次の日リルラはこう言ったのだ。


「リルが避けるから、王女様はリルに剣を当ててみせるのだ!」


最初は戸惑ったし嘗められているのかなと思ったが、せっかくの好意だし怪我をさせないように抑えていけば大丈夫と高を括り、リルラのその提案に乗った━━のだが。





未だに一撃も当てられていない。


姫は確かに王宮の兵士達に比べれば非力だし、武器の心得はない。


それでも護身程度に一通り学びはしているのだ。


ゆえに武器での戦いかたは分かっている。


だがリルラには一切通用しない。


刺突、斬撃、上下左右斜め全方位からの連続斬り。


様々な攻撃を繰り出すも、しかしリルラは全ての攻撃を紙一重でかわす。


最初こそ手加減もしていたが今では全力である。


姫は特訓ということで普段のドレスとは違い、リルラが用意した動きやすい服に着替えている。


ショートパンツとTシャツという格好は、姫には物珍しく自身が着るのは恥ずかしかったが、それでも動きやすくてすぐに気に入った。もっとも、普段から露出の少ないドレスを着ている姫にとっては、できれば異性には見せたくないものだ。


一方、リルラは最初に会ったときと同じ、ターバンとローブの姿だ。


ローブがヒラヒラしているのに、リルラはそれさえも剣に触れさせることなく、ギリギリでかわす。


姫と違い、息もきれていなければ、その額には汗一つ浮かんでいない。


顔に浮かぶ表情はいつも通りの無邪気さを想わせる笑顔である。


結局、今回も姫の体力が先に底をついた。





「はぁ、はぁ、はぁ……っ」


「そろそろ休憩しようなのだ!」


リルラが床に尻餅を付いて呼吸を整えている姫の隣に座る。


姫は珠となって流れる汗を持参のタオルで拭きながら、リルラに訊ねた。


「……リルラ、あなた凄いわね」


「そんなことないのだ!リルはもともと避けるのが得意なだけなのだ!」


なおも謙遜するリルラに姫はジトッとした視線を送る。


「……普通、あれだけ動いて汗一つかかないほうがおかしいのよ」


「うーん、でも王女様と違ってリルは身体を普段から良く動かしているからそれの違いだと思うのだ!」


それで汗をかかなくなるんだったら苦労はしないだろうと姫は思うが黙っておく。


「でも王女様、この5日間で王女様の剣技の腕は着実に上がっているのだ!」


「……本当?」


「嘘なんかつかないのだ!」


「……そう」


姫はその言葉を聞いて、自身の身体を触る。





……最初の頃よりは多少締まった程度だろうか。


これだけ身体を動かしても、あまり変わらないとは。


今までダイエットの類いをしたことのない姫からすれば戦慄する出来事だった。


「……リルラは細いわね」


リルラの腕にそっと手を添える。


リルラの身体はローブに隠れているため正確な体格は分からないが、ローブがダボダボなのでかなり着膨れしているのだろう。


腕から察するに、不健康ではないが自分よりもずっと華奢と言っていいほど細い。


姫はリルラに羨望の眼差しを向ける━━が。


「王女様はふくよかで綺麗なのだ」


「……膨よかよりは細いほうがいいのだけれど」


「『膨よかな女性は柔らかくて男にもモテる』ってポポンも言っていたのだ。リルラは今のままの王女様がいいのだ!」


ポポンって誰だろうとか、膨よかかどうかは関係ないのではと、姫は思うが、それを聞く前にリルラが飛びついてきた。


「な、なに?リルラ」


リルラはそのまま姫の身体に自身の頬を当ててすりすりと頬擦りしている。


姫は瞬間的に恥ずかしさで顔が熱くなる。


「リ、リルラ!?汗かいてるから離れなさい!」


「……うーん、ポポンの言うとおり柔らかくて気持ちいいのだ♪」


リルラは姫の言葉を聞かず、頬擦りをする。


姫は言っても無駄だと思い、とりあえずはリルラが満足するまで見つめていた。







「やっぱり今の王女様が一番いいのだ!」


「……そ、そう」


リルラの頬擦りは5分ほどで終了したが、姫はやはり恥ずかしかった。


「リルと違って柔らかいし、いい匂いがするし、お胸もあるし、綺麗だし、リルはそのままでいいのだ!」


「は、恥ずかしいからリルラ、大きな声で言うのはやめて……」


いくらなんでもここまでベタ褒めされると、慣れていないので恥ずかしい。







「魔王様もそう思うのだ?」


「……えっ?」


しかし、次のリルラの一言で、姫は固まった。


リルラが見ていたとある窓は閉じられているが━━━少しすると開かれて。


「……リルラ、何か用か?」


魔王が顔を出した。


「王女様は今のほうがいいと思うのだ!」


「……ふむ、今のままとは?」


「ち、ちょっとリルラ!?」


「無理に痩せなくても、身体全体が柔らかくて、ぽかぽかあったかくて、いい匂いで、とにかく凄いのだ!」



(いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?)



内心で絶叫をあげるも、もちろん周りには届かないし、気絶もできない。


「……ふむ、それで?」


魔王は相変わらず無表情だが、どこか声音が普段よりぎこちなく聞こえた━━気がした。


「お胸も大きいし、もうムッチリなのだ!魔王様はどう思うのだ?」


(もう……殺して)


姫は羞恥ですでに顔を真っ赤にして震えている。


リルラの無邪気ゆえに、場の空気を読まない発言によって、見下ろす魔王と見上げる姫の間の空気は凍ったと言っていいほど静かである。


やがて魔王が重々しい口を開いて━━━━。








「……リルラ、すまぬがディロが呼んでいるので我は行くぞ」


魔王はそう言って、身をひるがえして、見えなくなった。


……ここからはディロの声が聞こえなかったので嘘の可能性があるが、それでも魔王の機転でなんとか助かった。


姫は未だに心臓がバクバクと激しく動いているのを深呼吸してゆっくりと落ち着けようとした。


しかし心臓の音はなかなか納まらない。


(……なにかしら?この感じ……)


「うーん魔王様が忙しいなら仕方ないのだ」


リルラは答えが聞けず少し残念そうだが、姫からすれば安堵するしかなかった。


魔王の言ったことを信じているようでやはり素直でまっすぐでいい子だ。


だが━━━━。




「リールーラー……!!」


姫は模擬戦用の剣を構えて、リルラに突撃した。


「へ?王女様どうし……」


「そんなとこまで素直じゃなくていいのよー!!」


「ぎゃあああなのだー!!」


姫の形相と怒号にリルラはたじろぎ、あまりの勢いに叫んだ。









その後、羞恥と怒りを力に変えて特訓を再開したが、結局リルラには一撃も当てることはできず。


後にリルラが魔王に対して「その様は鬼神か武神のそれだったのだ」と語ったとか語っていないとか言われているが、その真実を他の者達が知ることはないのであった。


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