第20話シンシアの焦燥
「はっ!やっ!せい!」
「なっ!のっ!だーっ!」
中庭にいつもどおりの、裂帛の気合の乗った声と、妙に元気な謎の叫びが響く。
シンシアは息を切らしながらも、剣の切っ先をリルラに向け続ける。
「そろそろ休憩しようなのだ」
リルラの言葉に、シンシアは模擬剣を降ろし、リルラと共に床へと座った。
当てられる気がしない。
シンシアの脳裏にそんな漠然とした思考が浮かび上がる。
シンシアのため息に、リルラは不思議そうに見つめてくる。
「シンシア、どうしたのだ?」
「……ん、なんでもないわ」
「……なにを焦っているのだ?」
「……なにって」
「最近、シンシアは焦っているように見えるのだ。魔都レヴィスを訪れてから」
「……ばれてたか」
シンシアは深い息を吐くと、ぽつぽつと語りだした。
最初はただ、軽い気持ちで始めた特訓。
リルラと特訓を重ねるうちに、そんな気持ちは消え去り、技を磨くことが楽しくなった。
……だけど、シンシアは知った。
ガルディと相対したとき、シンシアは敵わないと思った。縛られていたとはいえ、抵抗することを諦めそうになった。
自身と相手の、圧倒的な力量の差。
シンシアはそれを知ってしまった。姫であるはずのシンシアが、本来は知る必要のないもの。
そしてそんなガルディを一方的に叩きのめした目の前の少女に、シンシアは当然ながら「勝てない」と覚った。
一撃、たった一撃を当てるだけ。
それが途方もないほどに長く険しい目標であることを、シンシアは知ってしまった。
「……私じゃあ無理なのよ。あなたが満足できるような結果は、私には残せない」
「……」
「ごめんなさい、リルが一生懸命、特訓をしてくれたのに、期待に応えられなくて」
「……シンシア」
リルラを見て、シンシアは息を詰まらせそうになった。
━━リルラの顔から表情が抜け落ち、瞳だけが射抜くようにシンシアを見つめている。
しかし、その瞳は優しげだった。
「ごめんなのだ」
「……え?」
「リルはシンシアが少しずつでも上達しようと必死になってるのを知ってて、シンシアの気持ちに気づけなかったのだ」
「……そんなこと」
気にしないで、という言葉を紡ぐことはできなかった。その前にリルラが言葉を重ねてきた。
「でもシンシア、一つ勘違いしてるのだ。シンシアは、リルのようになる必要なんてないのだ」
「え?」
「リルは守りたいものがあるから、守る強さが欲しかったから強くなったのだ。……それは決して簡単に手に入るものではないのだ」
シンシアが特訓を始めてまだ一月。一方、リルラの鍛練など年月と覚悟が違う。
「別にすぐに結果を求める必要なんてないのだ。シンシアは、シンシア自身を守るために、まずは強くなればいいのだ」
誰にも負けない強さではなく、自身を守れる確かな強さ。
それを身に付けることが優先すべきことであり大切なことだと、リルラは言う。
「それにリルの強さは結局のところ、血にまみれた上に成り立つものなのだ。……シンシアにはそんな強さを持って欲しくないのだ」
「……ありがとう、リル。そうよね、ほんの少し頑張った程度で、できると思ってすぐに諦めるなんて、都合が良すぎるわよね」
シンシアには、ガルディとの闘いでリルラを巻き込んでしまったという後ろめたさがある。
それは自身が強ければ解決できたことだ。
そうすることができるようになれば、結果的に他者を巻き込まずに済む。
期間はこの生活が続く間だけ。これは自身が変わるためのチャンスなのだ。だからこそ気長に、だけど1回1回を大切にしようと思えた。
「……というわけで、特別講師に来てもらったのだ!」
そうしてリルラが連れてきたのは。
「……あの、リルラ?なんで私に特訓の依頼を寄越したの?」
頭にコック帽を乗せ、清潔な白服を着たポポンだった。
「ポポン、あなた闘えるの?」
シンシアの問いに、ポポンは全力で頭を振る。
「そんなわけないじゃないですか。私じゃあ特訓相手にはならないですよ」
「リル?」
疑問の声で訊ねると、リルラはえっへんと言った感じに胸を張って笑っている。
「ポポンならきっと闘いにおけるノウハウを教えてくれるのだ!」
「……いや、私は料理人であって武芸者ではないのだけれど」
「でもポポンならきっと良いアドバイスができるのだ!」
話が通じない。
そんな風に思ったのかは分からないが、ポポンは軽くため息をつく。
「それに、リルは剣とか使えないから、シンシアの特訓は(当てるため)の特訓くらいしかできないのだ」
リルラの戦闘スタイルは徒手空拳で、魔技を用いた近接・中距離が主だ。
つまり、武器の心得なんて当然ながら持ってない。
ゆえにリルラの特訓は、武器への慣れと動体視力・俊敏性の向上が課題となっている。
「シンシアもそろそろちゃんと相手と打ち合わせる特訓をしたほうがいいと思うのだ」
だが、いざというとき自分の身を守るには、武器を持った相手への対処法も知っておくべきである。リルラの特訓では、(敵が攻撃してきたときの対処)を学べないので、適度な相手と闘うのはよいことだ。
「とはいえ、ポポンは大丈夫なの?」
それでもシンシアは、ポポンには申し訳ないので、断っても良いという意思を含めて質問をした。
「いいですよ、ここまで来たらもうヤケクソです。どんと任せてください」
ヤケクソと言ってる地点で不安だが、シンシアはあえて何も言わなかった。
「……ねぇ、ポポン。あなたは特訓してくれるのよね……?」
シンシアは現在、ポポンと相対するように立ち、剣を構えている。
「もちろんじゃないですか。何か問題でも?」
ポポンが不思議そうに訊ねてくるも、シンシアは冷や汗を浮かべて困った表情をしている。
「……その装備はなんなのかしら」
ポポンは料理時とは異なり、コック帽と白服を脱ぎ、黒いTシャツとスエット短パンという、悪魔らしい色合いの格好をしている。
そして右手には料理用の鉄のオタマ、左手には鍋用の木のフタを携えていた。
「いやぁ、なにぶん料理人なので、いきなり襲われたときのためにと装備品は料理道具にしているんですよ」
「そこまで想定しなくても……」
「甘いですよ姫様。いつ、どこで、誰が襲ってくるかなんて分かりません。だったらあらゆる状況において対処できるようにしないと」
「……そういうものかしら」
「そういうものです」
ポポンが頷くと、リルラもうんうんと同じように頷いている。
「それにこのオタマをただのオタマと思ってはいけませんよ?」
「まさか……実はオタマに見えて仕込みナイフとか!?」
「……いや、さすがにそれはないです。ですが━━」
ポポンがそう言って、オタマを顔から距離をとるように持つ。そして次の瞬間━━。
シンシアの視界を光が覆い尽くした。
眩しさに目を閉じ、しばし経って見てみると。
ポポンのオタマを軸に、炎が螺旋状に渦巻いている。
炎が消えると、そこには真っ赤に焼けてジュージューと音をたてるオタマがあった。
「━━こんなふうにして、闘うこともできますよ」
「……すごい。でも、オタマ溶けない?」
シンシアとポポンは距離をとっているが、シンシアのもとまでオタマの熱気が微弱ながら伝わってくる。並大抵の熱さでないことはそれだけでよくわかった。
「ふっふーん♪このオタマをそんじょそこらのオタマと一緒にしてはいけません。このオタマは並の炎では溶けることはおろか、武器とぶつけても傷つかない頑丈さと錆びることのない腐食への耐性とその他様々なオタマに対する不平不満欠点短所を克服した至高にして究極を兼ね備えた徹頭徹尾こだわりにこだわりを重ねたアルティメットオタマであって━━━━━」
「……すみません、つい熱くなってしまいました」
あれからポポンによるオタマへの解説は約
10分に及び、途中でやっとそれに気づいたポポンは顔を真っ赤にしている。
とりあえずシンシアに分かったことは、「オタマってすごいのね」という、少し的外れなことだった。
「……こほん、一見役に立たなそうなオタマでも、さっき私がしたみたいに炎で熱々にすることで、並の武器より殺傷力を高めることができます」
あのオタマを相手に当てれば、それこそ皮膚が焼け爛れるか、最悪人体発火することだろう。確かに危険である。
「もちろん、私はこのオタマを誰かに使うつもりも当てるつもりはありませんよ?自身の身を守るのに必要なのは純粋な強さだけではありません。ときに相手に真意を覚らせず、ハッタリで相手を怯ませる……要は駆け引きですよ。そういった駆け引きを用いて、相手を脅して逃がすもよし。隙を見て自分が逃げるもよしです」
「でも、私にはそんな駆け引きできるようなものはないわ」
シンシアは魔法が使えない。正確に言えば、魔法を使った経験がない。まったくのド素人である。
加えてハッタリなどといった交渉術も当然持ってない。
「別にそこまで徹底しなくていいんですよ。ほんの少し相手の注意を逸らせれば。私では魔法は教えられませんが、少しの武器の心得と駆け引きくらいは大丈夫です。あまり時間とれないので短時間でビシバシいきますから覚悟してくださいね?」
ポポンが既に熱さのひいたオタマをシンシアへ突きつけるように構え、シンシアへと不敵に笑みを浮かべた。
「……さすがに疲れたわ」
シンシアは今日の特訓を終えて、廊下を歩いていた。
ポポンは自らを武芸者ではないと言った。
確かに身体能力はリルラに劣るし、動きも動体視力を鍛えられたシンシアが追い付けるくらいには遅いが、ポポンの様々な駆け引きによってシンシアは精神的に疲れてしまった。
「こんなの戦闘では当たり前の手段ですよ」とポポンに言われたのを思いだし、シンシアは苦い表情を浮かべる。
考え事をしながら下を向いて歩き、そのままシンシアは無意識に歩を進め━━。
「むぐっ……!?」
途端、何かにぶつかった。
壁かと思ったがそれにしては軟らかいし、ぶつかった前頭部は包み込むような感触が伝わってくる。
なにかと思って確認しようとし━━。
「……どうした、シンシア」
感情を伺わせない無機質にさえ感じる声を聞いて、シンシアはバッと後方へ跳んだ。
「ままま、魔王!いきなりなんですか!?」
シンシアが真っ赤な顔で、羞恥か憤怒か分からない声音で魔王に食って掛かる。
「……いや、気づかぬままぶつかってきたのはシンシアなのだが。……なにか考え事か?」
「え、えぇ。そんな感じです……」
「……そうか。特訓を頑張るのはいいことだが、体調も気づかうのだぞ」
「えぇ、もちろんそうします」
「……ではな」
魔王が歩きだし、シンシアの横を通りすぎてシンシアが通ってきた道へと行く。
振り返り、魔王の背を見つめたシンシアは。
左腰の模擬剣を抜剣した。
それはほとんど無意識に近い行動だった。
シンシアは直後、それを思い止まるよう考えたが、そのまま動きを止めず、振り抜いた剣を胸の前に構え、そのまま魔王へと向けて前へと突きだす。
シンシアは一月前から未だに疑念を持っていた。
決して強さを見せない魔王。その強さは本物か否か。
この男が、真に魔王だと言うのなら。
今ここで、それを証明してみせる!
シンシアの突きが魔王のマントへと触れる。
そのまま止まらずに、抵抗する感触を返してくるマントを押し返すように全力で突いた。
剣の先端が魔王の身体へと当たる━━。
そう認識したときには、シンシアは
「……よい一撃だ」
そして、自身の背後からいつもと変わらない声が木霊する。
「……直前まで相手に攻撃することを気づかせない気配の遮断、最小限の動作で最短距離を描く剣の構え、実に見事な不意打ちだ」
その声には怒りは窺えない。
「……だが途中で動揺したことと、マントに当たった直後に躊躇ったのは惜しいな。あれがなければ不意打ちとしては完璧だった」
むしろ、褒めるような響きを感じた。
「……この短期間でこれだけ上達すれば上出来だ。……特訓、更に励むといい」
魔王は再び、シンシアの横を通りすぎ、通路を歩いていった。
シンシアの顔には冷や汗が大量に吹き出ている。
「……あの距離で、あの状態からかわすのね……」
……魔王が避ける瞬間をまったく捉えられなかった。
魔王はシンシアの不意打ちを褒めたが、魔王がシンシアの攻撃を察知できないのは当然だ。なんせ、直前まで攻撃する気なんて更々なかったのだから。
無意識からの突発的な行動である以上、シンシアの実力とは言いがたい。
「……上等じゃない……!」
しかし、シンシアは落ち込むことなく、むしろ自身を奮い立たせた。
魔王の片鱗を見たことで、昔の自分の甘さをはね飛ばした。
「絶対にいつか不意打ちなんかじゃなくて真正面からぶっとばしてやるんだから……!」
少々?物騒ではあるものの、悔しさとプライドを燃やし、シンシアは特訓に励むことを決意した。
*
「……というわけで、今日から私も姫様の特訓相手をすることになりました」
「……そうか」
玉座に座る魔王に、ポポンがシンシアの特訓の報告をする。
姫の特訓に関しては、魔王自身、自衛手段は持つべきだと考えていたので、特に止めるつもりはない。
「……とはいえ私では大したことは教えられないんですよねぇ。本職は戦闘職じゃないですし。……エレノアやローランはどこ行ったんでしょうね……」
「……ふむ」
「……まぁ、無い物ねだりしても仕方ありませんもんね。私は私にできる限りのことをやらせてもらいます」
「……うむ、頼んだ」
「任せてください♪」
ポポンが部屋を出ていくと、魔王はしばし考え事をしていた。
先程はポポンの質問に答えなかったが、魔王には心当たりがついていた。
しかし、一人は今どこにいるのかは不明。
リルラ同様、しばしば旅に出ては適当に世界を見て回っているからだ。
ゆえに魔王はもう一人の心当たりに頼ることにした。
「……そろそろあの者には起きてもらわねばならぬな。……あの者になら任せてもいいだろう、シンシアのことも……我の要件も」
魔王は久々にかつての記憶を思い浮かべ、その情景に浸った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます