第2話魔王様と食事

「魔王様、申し上げる事案がございます」


姫を誘拐して1日が経過した。


玉座に座る魔王の目の前には、ローブを身に纏った初老の男が恭しく頭を垂れている。顔には皺があるものの、髪は白髪もなく見事な紺色で統一されている。


「……どうした、ディロ」


魔王の言葉にディロと呼ばれた男が頭を上げ、魔王を見据える。その瞳には昨夜王女を拐ってきた魔物の様に、魔王に対して恐怖を抱いているといった印象は皆無であった。


「人間の姫君に食事を持っていっているのですが昨日から召し上がってくれません」


「……人間は食事をとらねば死ぬのではなかったか?」


魔王の当然の疑問に、ディロが苦々しい表情を浮かべる。


「えぇ、その通りなのですが……料理を運んでも、数時間後取りに行ったときには手付かずのままなんですよ」


「……そうか」


魔王は顎に右手を軽く添えて考え込む。


魔界において、魔族は肉を主食としているが、そもそも一昔前まで魔族には食に関する文化が存在していなかった。理由として、魔族は食事を摂らずとも、魔力で代替えが可能であったからだ。魔力が枯渇しない限り、餓死などで死ぬことがなかったため、魔族にとって食事とは味を楽しむだけの娯楽の一種にすぎないのである。


対して人間にとって、食事とは生きていく上で必要不可欠なものである。これを欠くということは生命活動に影響を及ぼすことになり、最後には死に至る。当然それは王女にも言えることであり、早急に解決すべき問題である。


魔王の反応に、ディロと呼ばれた男は言葉を続けた。


「……まぁ、私達魔族に拐われた者としては敵からの食事など物騒でしかないでしょうね。姫君が来てまだ1日ですし、仕方がないのかもしれません」


「……ふむ」


「あの……魔王様?」


ディロが何か考え込んでいる様子の魔王に訝しむように問いかける。


「……む、なんだ?」


「どういたしましょうか、このままでは姫君は死んでしまいますよ」


1日ならともかく、今後警戒して食事をとらないとなると大問題である。


それに魔王にとって姫には死んでもらうわけにはいかないのだ。


「……ディロ、急用ができたゆえ、すまぬが下がってくれ」


「へ?急用でございますか?些事であれば魔王様が行かれずとも私が……」


「……いや、これは我がやっておくべきだと判断してのことだ。すまぬが頼む」


「……分かりました、では私はこれにて」


ディロが魔王の言動に不承不承ながらも納得して部屋の外へ出ていくのを確認すると、魔王は玉座を立ち上がり、玉座から見て下手側にある窓へと歩いていく。そして窓の前に辿り着くと、魔王は軽やかに飛翔し、どこかへと飛び立っていった。






「へいらっしゃーい!おぅ、お前さん見ねぇ顔だが旅の御方か?俺っちの店の品をぜひ見ていってくれよ!」


大柄な体躯を誇る男性が、バリトンのきいた声で接客をしている。


「……あぁ、ぜひそうさせてもらおう」


ここは俗に『人界』と呼ばれる、人間達が住まう場所。『魔界』と対をなすもう一つの世界。


魔界へと向かう洞穴から最も近い場所に存在する山村、ココット村である。


そのとある一軒家、様々な食材や道具を取り扱っている店に━━━━魔王がいた。


闇色のローブを目深に被り、肌の露出をかなり抑えている。


魔族と人間の違いを瞬時に見抜くためには、見た目が最も重要とされる。


幸いなことに、魔王は魔族の中でも魔人━━角や牙、爪や翼などが生えた、人間に近い姿をした魔族の総称━━と呼ばれる分類カテゴリーに属し、頭の角以外は人間に近い容姿である。角をローブで隠せば、人間の中に潜り込むことも簡単なことなのだ。


……まぁ、ローブを深く被っている姿は一般人から見ればいかにも怪しいのだが。


「……主人よ、一つ聞きたい」


魔王は店の主人に訊ねる。


「おぅ、なんでぇお客さん?」


「人間……いや、女の子が喜ぶような食べ物を探しているのだがそんなものはないか?」


「……へ?」


魔王の予想外な質問に、店主の男性はきょとんとする。


「……あぁ、すまない、今のは聞き方を間違えた。手軽に食べることのできる物を探しているのだが、何かこの店にはあるか?」


魔王が質問を変え訊ねると、店主はにやりと笑った。


「なんでぇなんでぇお客さん、言い直さなくったっていいだろうがよ。女の子に贈り物だなんてぶっきらぼうな喋り方の割にグイグイいくねぇ」


目の前のローブ姿の男が意外にも絡みやすい人間と思ったのか、主人は砕けた口調で話し掛けてくる。


「……いや、主人の考えるようなことでは断じてない」


魔王がきっぱり答えると、店主は苦笑いで応える。


「主人なんて堅苦しい呼び方しなくていいさ。俺っちはダンカンっつうもんだ。……とはいえ、うちは確かに食材も料理も取り扱ってるが、さすがに女の子が喜ぶような物はねぇな」


申し訳なさそうに頬をぽりぽりと掻くダンカンに、魔王は頭を振った。


「……いや、料理だけでいい」


「は?いいのかそれで。女の子が喜ぶどころか普通の料理だぞ」


「……先程のは聞き間違いということで流してくれ」


そして魔王はダンカンの店で取り扱っていた適当な料理を身繕い、金銭を払って買い取った。


「おぅ、兄ちゃん!また会えるか知らんが気に入ったからまた来い!そんときは女の子が喜びそうなもん用意しとくからよ!」


あと何故かダンカンに気に入られた。


人界にも変な人間がいたもんだと魔王は思いながら、魔王城へと帰路についた。






コンコン、コンコン。


「……姫、入るぞ」


魔王は先程買ってお皿に移した料理を、トレーに乗せて姫の部屋を訪れた。


ちなみに城に帰ってくると人界に勝手に向かったことがディロにバレてしまったようで、


「魔王様が人界に行くなどどういうことですか!?」


とかなり本気で怒られた。


魔王が相も変わらず無表情だったため無駄と思ってかすぐに説教を止めたが。


「……入ってください」


少し警戒を帯びたような声音で入室を促され、魔王は部屋へと入る。


姫は距離をとるように部屋の隅にいた。


その様は例えるならば、天敵に威嚇する小動物のそれである。


「……いったい私に何の用ですか」


「……昨日から何も食ってないと聞いてな。魔族は数日食わずとも問題ないが、お前はただの人間だ。1日食わぬだけでもかなり消耗するだろう。食うといい」


魔王がトレーを机に置くと、姫は更に身を固くする。


「……昨日までは肉の塊だったのに、今日は随分と普通の料理ですね」


(……おいディロ、人間は肉の塊は喰わんぞ)


魔王は無表情ながら内心で溜息をついた。


とはいえ、ディロはあくまで他の魔族が作った物を持っていっただけだろう。


魔族には人間のような常識がないのだから、そこは多目に見よう。


「……それはすまなかったな。これは人間の料理だから腹を満たすといい」


魔王が進めるも、姫は動かない。


「……どうした?」


「……信用できません」


「……なに?」


「信用できないと言ったんです。あなたは魔族、しかも魔王です。昨日の態度を含めてもあまりに魔王としては突拍子もないことをしています。私からすれば油断させて殺そうとしてるとしか思えません」


「……なるほどな。ならばどうすれば信用してもらえる?」


「……目の前のその料理、食べてください」


「……我が食ったらお前の食う料理が減るぞ」


「構いません。毒が入っていないか確認するためです」


「……そうか、ではもらうぞ」


魔王はトレーにあるパンを千切り、口へと放り込む。噛めば噛むほどに小麦の香りが鼻腔をくすぐり、素朴な味が口内を満たす。


次に具がたくさん入ったスープをスプーンですくい、音をたてないように飲み込む。具から染みだした味がスープの中で混ざり合い、飲めば飲むほど食欲をそそる。


そしてヘルシーでカラフルな野菜のサラダをフォークで刺す。噛むと強い抵抗とともに、実に小気味良い音が響く。それが野菜の鮮度のよさを如実に表していた。


最後に新鮮な乳牛からとれた牛乳を喉に流し込む。育て方が良いのだろうか、こびりつくようなくどさはまったくなく、それでいてすっきりとした甘さが癖になる。


魔王は毒味を終えると、しばし料理を眺め続けた。


「……やはり、人間の料理はうまいな。これで満足か?」


魔王の言葉に、しかし姫は相変わらず硬い表情をしている。


「毒が遅効性ということもあるので少し経ってからです」


「……涎を拭いたらどうだ」


「……!!?」


物欲しそうに垂らしていた涎をバッと手で拭くと姫は恥ずかしげに俯く。


「……そもそも毒の場合、我が食べた地点で問題はないだろう」


「いえ、魔族には効かなくても人間には効く毒の場合も……」




クルルルル……。




「……随分と可愛らしい腹の音だな」


姫が大きく頭を横へと振る。


「ち、違います!今のは聞き間違いで……」




コロコロコロコロ……。




「…………」


「…………」


「……食うか?」


「……い、いただきます……」


姫は羞恥でトマトの様に赤く染まった顔を魔王に見られぬようにしながら俯くように椅子に座ると、モソモソと食べ始めた。


その様子を見た魔王はひとまず安心し、「……また後で来るぞ」と言葉を残して、そっと部屋を出た。

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