魔王と姫のほのぼの譚

《伝説の幽霊作家倶楽部会員》とみふぅ

第1章 始まりの一月

第1話 魔王様とお姫様

━━誓いを立てよう。


━━お前と交わした約束は、必ず我が叶えてみせる。


━━たとえこの身が滅びようとも。







空一面が赤と灰色が入り交じった曇天に覆われ、雲が淡く輝くとともに辺りに雷鳴が轟く。


ひび割れた大地は隆起や陥没によって角張った岩がごつごつとしており、枯れ果てた草木が風が吹き荒ぶたびに散り散りとなっていく。


そんな土壌としては壊滅的でありながら、広大な荒れ果てた土地の一角に。


まるで世界そのものから隔絶されたかのごとく、巨大な城がただそこにぽつんと建っている。その存在そのものも異質であったが、その様相もまた、従来の城が持つ壮麗なイメージからはかけ離れていた。


もともとは銀白色であったと推測される外壁は薄汚れ、ところどころが青苔に覆われている。また永い年月を経たせいか全体的に風化が進んだことでボロボロになっており、外観だけ見るならば打ち捨てられた荒城などと思われても仕方がない有り様だ。


しかし、この地に住む者達は是が非でもこの城に近づこうとはしない。我こそはと謳う勇猛果敢な猛者も、伝承や伝説などといった信憑性に欠ける話に華を咲かせる者達も、この城に関しては口を噤み、傍観を決め込んでいる。まるで、生きとし生ける者達が神々の怒りに触れぬがために畏怖の念を抱いているように。






「……放しなさい!」


城の中に、女性の声が響き渡る。


光を浴びて煌々と輝き、なだらかに流れる金髪に、凛とした強気な顔立ち。その身には純白のドレスを纏っており、高貴さを漂わせるその様は身分の高さと育ちの良さを自然と窺わせる。


女性は両手を縄で縛られており、その周りには角や翼の生えた人ならざる異形の怪物……魔物達が抵抗できないように見張っていた。


そんな魔物達と違い、悔しげに歯噛みする女性はどう見てもまごうことなき人間であった。


『へへっ、魔王様!この人間をどうしますか?』


魔物達が視線を向けた先には荘厳な玉座が存在し、そこには一人の男が威厳ある様で座っていた。


血そのものを鋳溶いとかしたような紅玉の瞳を宿した端正な顔立ちは少しも表情を変えることはなく、一切の感情を窺わせない。頭の側面からは立派な角が天を突くように伸びており、その容貌は、男と対峙するあらゆる者を恐怖へと駆り立て、死へと誘うとまで噂されるほどだ。


「……御苦労であった。姫を残し、疾くこの場を去れ」


魔王が言い聞かせるようにゆっくりと放った声は感情に乏しく、配下の魔物達はその声におずおずとしながらも頭を垂れる。


『……へっ、へへー!分かりました!今すぐ出ます!おい、行くぞお前ら!』


怯えた魔物達はそそくさと部屋を出ていった。部屋に静寂が訪れる。


「……さて、これで邪魔者は消えたな」


魔王はそう言って立ち上がり、姫と呼ばれた女性の側まで歩いてくる。距離を詰める毎に、魔王の靴音が部屋に響き渡る。小気味よく鳴るそれは、聞く者によっては死が近づいてくる警鐘だと錯覚させられる。銀の髪を揺らし、紅い瞳で見据えながら、徐々に徐々にと近づく魔王に、姫は身体を震わせ━━━しかしキッと魔王を睨んだ。


「くっ、やれるものならやってみなさい!例えこの身を傷つけようとも、汚されようとも!私は絶対に魔族なんかに屈したりしない!」


「……威勢がいいものだ」


姫の言葉を聞きながら、魔王は姫の見るからに柔らかな身体へと手を伸ばし━━━━。






両手を縛る紐をほどいてあげた。






「……えっ?」


姫も魔王が何をしているのか一瞬分からず、呆けた声が漏れた。


「……きつく縛ってあったから痛かっただろう。手首に痣が残らなければいいが……」


魔王は姫の手をそっと取り、じっと丁寧に見つめる。


「……問題はなさそうだな」


「は、放してください!」


姫が手を払うと、魔王はその行いに特に気にした様子もなく、部屋の外へと向かって歩きだした。


おそらくは「ついてこい」と言うことだろう。


姫は警戒して魔王の後ろを一定の距離を保ちながらついていった。






魔王に案内され、廊下を進んでいく。


城の内装は姫がいた王宮ほど綺麗ではないにしろ、ちゃんと掃除が行き届いているのか、不衛生さはまったくなかった。


そうして辺りをきょろきょろと眺めていると、魔王が廊下の突き当たりで立ち止まる。魔王が向き直った先には扉がある。


木で作られた簡素な扉には、しかし無数の傷が刻まれていた。


「……いったい、私をどうするつもりですか!?」


姫が戦慄しているのも気にせず、魔王は扉のノブを捻り、ゆっくりと開けた。


おそらくここが姫を幽閉するための部屋なのだ。魔王に囚われた姫の待遇など想像に難くないものである。しかも扉の傷を見る限り、普通の幽閉場所ではない。そこには血に彩られた無数の死体や拷問器具が━━━━━。





あるわけでもなく、姫の見た感じだとただの綺麗な部屋だった。


姫は慎重に部屋の中を見渡す。


部屋にはベッドや木製の机椅子など、生活に必要な様々な家具が置かれ、生活感に溢れていた。またバスルームやトイレなども完備している。


清掃が行き届いているのか、天井から注がれる照明の光で家具の表面がきらきらと輝いていた。


「……どうだ、気に入ったか?」


出会ったときから変わらない無感情な冷徹さを思わせる声で魔王が訊ねてくる。


「……すみません、あなたがどういうつもりなのかまったく分かりません」


姫は頭が痛むように、こめかみに指を当てた。魔王が姫の言葉に軽く首を傾げるも、それでもなお表情はまったく微動だにしない。


「……分からないとは?」


「わざわざ紐をほどく必要がないですし、部屋を綺麗にしておく理由が分かりません。私を人質にするために誘拐したとして、何故そんなことをするのかが意味不明です!」


「……お前は縛られたままで汚い部屋で過ごしたかったのか?」


「えっ?」


「どうなんだ?」


「……いや、さすがにそんなことはないですけど……」


「……そうか、ならば問題はない」


魔王はそう言って姫に背を向ける。


「……部屋は自由に使えばよい。城の外に出すことはできないが、城の中であれば自由に歩くのも許可する。城にはいきなり危害を加えるような者はおらぬから安心しろ。もし我に用があるのならば、先程の玉座の間に来るといい。……ではな」


「ま、待ちなさい!」


ぶっきらぼうに言うだけ言って部屋を出ていこうとする魔王を呼び止める。


魔王は視線だけを向けてきた。


「……なんだ?まだなにか聞くことがあるか?」


「色々あるけれどこれだけ聞くわ……いったい何が目的?」


あまりにもこの魔王の行動は突飛すぎて訳が分からない。


魔王とは魔族の王であり、人間と争い続ける決して相容れない敵だ。


そして魔族から言わせれば、人間もまた同じく敵である。


人質を捕った以上、何かしらの要求をするのが普通だろう。


ましてや人質に良き待遇をさせるなど普通ではありえない。


「……何が目的と聞かれれば我には一つしかないな。そしてそれは我にとっての唯一の願いでもある」


「……それはいったい?」




魔王の口から発せられた予期せぬ言葉が、姫の胸に深く突き刺さる。






「我は死にたいのだ。勇者自らの手でな」


この日から、姫と魔王のなんとも言い難い、魔王城での生活が始まった。

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