最終話「エピローグ」

 事後処理を終えて、五百雀千雪イオジャクチユキは青森へと戻っていた。

 早いもので、廃都東京での決戦から一週間が経過していた。あの戦いは軍の情報統制によって、隠蔽いんぺいされた。この時代にジャーナリズムは機能しておらず、疲れた民も真実など欲していない。

 絶望しか伝えてこないニュースはやがて消え、軍の大本営発表だけが残った。

 そんな情勢の中に、千雪のかけがえのない日常はまだ無事だ。

 教室で彼女は、放課後の外へと視線を投ずる。

 既に軍事基地さながらの皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくは、灰色の空気に沈んでいた。

 窓辺の物憂げな女神像ネメシスと化していた千雪を、ポスンとなにかが叩いた。


「おい、千雪。……大丈夫か? なんか悪いもんでも食ったか? なあ、おいって」


 二度三度と、頭をポスポスとタブレットで撫でてくるのは、摺木統矢スルギトウヤだ。彼は以前より、ずっと表情豊かな素顔を取り戻している。

 いつも仏頂面ぶっちょうづらしかできない千雪と違って、その顔は少し明るい。


「統矢君。……学校、変わってしまいましたね」

「まあ、有事の際は軍事拠点になる前提の場所だからな。ってか、有事云々の前に、ずっとそうだろ? 俺たちが生まれた時にはもう、平和なんてどこにもないからさ」


 既に校区内には、皇国陸軍のパンツァー・モータロイド部隊が駐屯している。海軍の輸送機やヘリ、そして巨大な巡航輸送艦までもが頻繁に発着を繰り返していた。

 窓を隔てて見る、教室の外は戦場。

 既に千雪たち人類に逃げ場などなく、立ち向かうしかない現実が圧してくる。

 それでも、今という時代でも千雪は、感謝したい。

 生まれてよかったと思って死にたい。

 できれば、畳の上で……この人と生きたあとで、眠りたい。

 だが、乙女のセンチメンタリズムを全く察しようともせず、統矢はタブレットに指を滑らせ向けてきた。


「ん、ほれ」

「……これは?」

「ざっと見積もったけどよ、千雪。お前の89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうき、直るぞ? 直す……俺たちでんだ。ぶっちゃけ、新造した方が早い上に安上がりだけどな」

「直り……治り、ますよね? あの子は、きっと」

「当たり前だろ? 他の機体を回してもらったって、どうせお前は馬鹿みたいに過敏でピーキーな突進馬鹿にしちまうんだ。だったらあの機体を修理しても同じだしな」


 思わずじっと見詰めてしまったからだろうか?

 タブレットを押し付けてくる統矢が、僅かに頬を赤らめ目を逸らす。

 最近、よくそういう反応を見せてくれる。

 つい、期待してしまう。

 淡い恋心の先を、確かめてみたくなる千雪だった。

 だが、一騎当千のPMRパメラ乗り、フェンリルの拳姫けんきこと【閃風メイヴ】は……意外に不器用で、オクテで恥ずかしがり屋なのだった。

 それでも千雪は、タブレットを受け取り視線を落とす。

 細かくパーツ単位で、改型参号機の修理計画が記されていた。


「統矢君……ここ、計算間違ってます」

「あ? どこ、どこだよ。いや、これであってるって。何度も確認した」

「私の場合、Gx感応流素ジンキ・ファンクションの反応係数は、もっと限界を高めにしてますので」

「……嘘だろ、マジかよ」

「マジですが?」

「よくお前、こんなの平気で乗り回してるよなあ」

「統矢君に言われたくはないです」


 呆れたように溜息をついたが、統矢は笑った。

 それはとてもほがらかで、無邪気で、年相応の少年の笑みだった。

 千雪には眩しいその笑顔すら、かつての北海道での面影に、在りし日の輝きには届かない気がする。人は失ったものを、完全には取り戻せない。

 きっと、あの少女は……更紗サラサりんなは、もっと眩い笑顔を見たことがある筈だ。

 千雪は今も、永遠の恋のライバルを密かに想っていた。

 そして、同じ顔で同じ身体、同じ遺伝子を持つ少女のことを思い出す。

 それは、クラスメイトの柿崎誠司カキザキセイジが二人を呼ぶのと同時だった。


「おーい、千雪さん……って、怖っ! に、睨まないでよ、悪かったよ。五百雀さん、いつものお迎えですけど? ついでに統矢、お前にも」

「……私、睨んたつもりは」

「目つきよくねーぞ、千雪。つーか誠司! 俺がついでってなんだよ」


 誠司の背後から、下級生の少女が二人、飛び出してきた。

 何故か今日もむくれっ面のラスカ・ランシングと、もう一人。


「千雪殿っ! お迎えに参上したであります! 一緒に帰りましょう、そうしましょう! もっと自分に、青森をアチコチ案内してほしいであります!」


 子犬のようにじゃれつく声は、渡良瀬沙菊ワタラセサギクだ。彼女が埼玉校区から転校してきて、既に数日が経過している。その間ずっと、千雪は突然できた熱狂的ファンの妹分に振り回されていた。

 そして、そのことが不快ではない。

 勿論、一緒に振り回されるラスカや統矢が、どう思ってるかは知らないが。

 そのラスカは、クラスの全員が視線を注ぐ美貌を、不機嫌そうにフラットにしている。彼女はヒソヒソ声に対して睨んで歯ぎしりしつつ、いらだちをつのらせていた。


「ほんともぉ……そろそろ慣れて欲しいわね! こんなとこまで来てやってるのに、なによもう。人を珍獣みたいに見て」

「それは、ラスカさんがかわいいからでは? 一応、仮にも、恐らく、多分」

「当たり前よ、千雪っ! なに、日本人は美少女はねぶるように見詰める風習でもあんの?」

「ないです」

「フン!」


 腕組みそっぽを向いたラスカの隣では、沙菊がニシシと笑っている。

 統矢も心なしか表情が穏やかで、下級生へ向ける視線は優しい。

 ここ最近はずっと、沙菊が一緒なので……千雪は統矢となかなか二人きりになれない。格納庫での戦技教導部せんぎきょうどうぶとしての作業も、おおむね仲間たちと一緒だった。

 そして、そのことを統矢があまり気にしてないのも、ちょっとつまらない。

 その統矢だが、返されたタブレットのデータをいじりつつ、話に加わる。


「そういや沙菊、お前も戦技教導部に……フェンリル小隊に入るんだってな?」

「うぃッス! 自分、千雪殿と皆様のために戦うッスよ!」

「せっかく拾った命を、なんでまた……埼玉校区にいりゃよかったんだよ。ここは最前線だぜ? ……もう、本土も……青森も、戦場だからよ」


 もう、この日本列島に平和な場所などない。

 次元転移ディストーション・リープで現れるパラレイドに対して、万全の備えなどなに一つないのだ。

 それでも、だからこそ……多くの犠牲を出した埼玉校区の沙菊には、普段通りの訓練だけの学校生活に戻って欲しかった。

 だが、彼女は笑って意外なことを言う。


「いやー、埼玉も居辛いづらいんスよ。……なんでお前は生き残ったんだー、って……友達の御両親はみんな、そう思ってるッス。口に出す人はまあ、半分くらいしかいないスけど」

「バッカじゃないの! 言い返しなさいよ、沙菊!」

「いやいやラスカ殿、しょうがないッスよ。……沢山、死んだんスから」


 僅かに沙菊の笑顔がかげった。

 しかし、それを見越したかのようにラスカが背中を、バシン! と叩く。そうして彼女は、華奢きゃしゃ矮躯わいくを大きく見せるように背を反らした。胸を張って、堂々と言い放つ。


「死んだ奴はね、運がなかったの。……なら、そんな連中のためにも生き抜くしかないじゃない。憎まれたってうとまれたって、アタシには関係ない。アタシはパラレイドを倒し続ける、根絶やしにするんだから。そうでしょ、統矢!」


 ラスカの言葉に統矢が重く頷く。

 意地っ張りで強情で、やっぱりラスカは少しかわいい。小動物的な愛らしさがある。こういうのもかわいげなのかな、と千雪は思わないでもないが、自分には欠けてるものという自覚はあった。

 そんなラスカが、どうして統矢に毎度毎度つっかかるかも、なんとなくわかる。


「ほらっ、千雪! 帰るわよ! せっかく沙菊が迎えに来たんだから」

「今日もご一緒したいッス! 千雪殿、いいでありますか?」

「ま、千雪が沙菊と帰るんだから……とっ、とと、当然、アタシはかわいそうな統矢と一緒に帰ってあげるべきね! しょうがないわね!」


 露骨なわかりやすさに、思わず千雪は嫉妬を通り越して微笑ましくなる。生温かく見守る視線を注いでも、いつもの玲瓏れいろうな無表情でしかないが。

 そして、統矢はそんな少女たちの心の機微に、全く触れてこないのだった。

 ここまで鈍感な朴念仁ぼくねんじんだと、さすがの千雪も呆れてしまう。


「仲良く四人で帰ればいいだろ? ほら、行こうぜ」

「ちょっと! まっ、待ちなさいよ! それと……やっぱ来てないんだ? 


 ぐるりと教室の中を見渡し、二年生たちを半ばねめつけるようにしてラスカが呟く。

 更紗れんふぁは、怪我もあってまだ学校を休んでいた。

 あの日、記憶の混濁現象に見舞われる中で、無謀とも言える戦いに飛び込んだれんふぁ。あの【シンデレラ】で、異次元の戦いを見せた姿は記憶に新しい。全てを忘れた少女は、確かになにかを知っている。なにを知っているか忘れていても、その知識や経験が存在する。

 だが、千雪は純粋に友人として心配だった。

 自分を友達だと言ってくれた、謎の少女。

 現代技術の産物とは思えぬ【シンデレラ】と【グラスヒール】を、千雪たちへともたらした女の子。そして……何故か更紗りんなとそっくりな、その姿。


「ま、心配ないだろ? 帰ってくる時もずっと医務室にいたけど、元気そうだったし」

「あー、統矢殿! 統矢殿って……なんか、こぉ……ガッカリな子ッスねえ」

「なんだよ沙菊、先輩だぜ? ちったあうやまえよな」

「これでは自分がいくら応援しても、千雪殿が報われないであります!」

「なにを応援すんだ? 千雪、やっぱこいつおかしいぞ」


 ――おかしいのは、超鈍感なウスラトンカチの統矢君です。

 何度、そう言いかけたことか。

 しかし、そんなとこも含めて、千雪は統矢が好きだった。彼の周りに少女たちが集っても、気にしないし気にならない。……御巫桔梗ミカナギキキョウが時々無駄に優しいが、気にしてはならない。

 統矢が誰とどう親しいか、それは関係ない。

 自分が統矢とどう親しくなるか、それだけが千雪の大事で大切なこと。

 そんな千雪の心情など毛ほども察することなく、統矢が鞄を手に取った。


「うし、じゃあ帰るか。ちょっと、小腹もすいたしよ」

「ならっ、当然! 寄り道してくべきね! ちょっと統矢、こないだのあれ、美味しかったじゃないの! なによもうっ、あれ好きよ! ……好き、なんだから」

「ああー、たこ焼きな? 気に入ったんだ、おしおし。帰りに買って行こうぜ?」

「……う、うん」


 怒っているのに、なんだかちょっとうつむき加減にラスカが瞳を潤ませる。

 それでも統矢は、なにも感じないかのように教室を出てゆく。後を追うべく鞄を持った千雪の耳元に、そっと沙菊がささやいてきた。


「千雪殿、自分が援護射撃するであります……この数日で、お二人の関係やお気持ちは完全に理解したスから。自分に任せるッスよ!」

「……いえ、結構ですよ? 私、自分でできますから」

「流石は千雪殿であります! まあ、自分はラスカ殿と適当なとこで消えますので。それでは、作戦開始であります!」


 そう言って沙菊は、千雪の腕を抱き締めぶら下がるように歩く。

 クラスメイトたちと挨拶を交わしながら、千雪は帰宅の途に突いた。毎日繰り返される、細い糸の上の日常……僅かな余裕も許さぬ、綱渡りにも等しい時間。戦争と戦争の狭間はざまの青春が、今日も千雪の背を押す。

 完全になついた沙菊を連れて、千雪は大好きな背中をおいかけた。

 戦場でも日常でも、今からでも未来までも。

 どこまでも、ずっと追いかけたい背中がそこにはあるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る