第20話「蒼月に吼える」

 月明かりだけが照らす廃都はいとは、静寂が死となってどこまでも続く。

 かつてこの街には、一千万の都民が暮らしていた。ここには皇都として、国家の中枢があった。経済と流通の一大拠点として、世界と繋がっていたのだ。

 それが今は、無残な廃墟となって沈黙に沈んでいる。

 封鎖された禁地きんちとして閉ざされた遺都いと、東京。

 その中を進む三機のパンツァー・モータロイドは、互いの死角をかばい合いながら周囲を警戒していた。その中の一機、89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきに乗る五百雀千雪イオジャクチユキは、先程から頭上を行き交う会話に眉を潜めていた。

 緊張して声音の硬い美作総司ミマサカソウジ一尉と違って、先程から五百雀辰馬イオジャクタツマ流暢りゅうちょうだ。


『いや、だから俺は言ったんだけどよ……さっきのアレ、似合わないってな』

『そ、それは、まあ……でも、彼女も必死なのだろう。辰馬君、君のためを思ってだと自分は思うけど』

『そらまあ、わかるけどな。でも、なんつーか……女の子はやっぱかわいいのが一番だって。総司さんもそう思うだろ? な? なあ?』

『……ちょっと前時代的な発想かな。聞く人が聞けば怒るよ、それは。ね、千雪ちゃん』


 突然話を振られて、千雪は愛機の首を巡らせる。

 前方の白無垢しろむくの機体が兄の89式【幻雷】改型壱号機かいがたいちごうき、その隣のカーキ色の機体が総司の94式【星炎せいえん】だ。辰馬はグレネードランチャー付きの40mmアサルトライフルに、パイルバンカー内蔵の大型シールドと、通常のトルーパー・プリセットに準じた装備だ。

 総司の機体は、火力重視の88mmカノンが両肩から突き出るガンナー・プリセットだ。重量の関係から、手には40mmカービンのみを携行している。

 恐らく、三機で小隊行動を取る上でのバランスを考慮したのだろう。

 当然の如く、千雪の改型参号機は零距離ゼロきょりでの格闘戦に特化した前衛フォワード、インファイターだ。

 指揮官機である改型壱号機が中衛リベロならば、総司は後衛バックスでの砲支援を引き受けたらしい。

 その総司の言葉に、千雪は曖昧な返事を返す。


「前時代的、というのは……そうだと思います。けど」

『はっはっは、流石は我が愚妹ぐまい! わかってるな? お前もいつもブスッと仏頂面ぶっちょうづらしてないで、少しはかわいくしなきゃ駄目だぜ?』

「……少しくらいは、私も。それとも……少しもかわいくないんでしょうか。かわいげ、ありませんか? 私」


 総司と辰馬は、同時に黙ってしまった。

 思わず、改型参号機の豪腕でブン殴りたくなる。そういう気持ちが、操縦桿スティックGx感応流素ジンク・ファンクションに拾われてしまいそうだ。

 だが、ややあって引きつる声が返ってきた。


『い、いやあ! 千雪はかわいい、かわいい妹だぜ! な、なあ? 総司さん』

『え? あ、ええ! そうですね、かわいいですね!』

『腕っ節は強いし、文武両道ぶんぶりょうどうで頭もいい! 腹筋も割れてるしよ!』

『少し資料を拝見しましたが、驚くべき撃墜スコアですよ。並外れた操縦技術ではありませんね! ええ、もう感嘆する他ありません! はは、ははは』


 二人のフォローになっていないフォローで、千雪は大きな溜息をこぼす。

 そして、自分が一番よく知っている。

 千雪は己がかわいげのない少女であることを知っていた。そして、皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこう青森校区あおもりこうくで、誰もが憧れる存在だということには気付いていない。多くの上級生や下級生に憧憬どうけいの視線で見詰められても、全く彼女の知るところではなかった。

 千雪が振り向かせたいのは、ただ一人。

 だが、その少年は今、負傷した仲間の元にいる。

 死んだ幼馴染おさななじみと全く同じ顔の少女に、付き添っている。

 そうして欲しいと望んだのが千雪で、彼も今はそうしたいと言ってくれた。


「……辰馬兄様、パラレイドの反応はありませんか? 任務中です、集中してください」

『はいはい、っと。んー、対地センサーにレーダー、反応なし。次元転移ディストーション・リープの予兆も観測できねえな。地面の下の敵ってなあ、厄介だぜ』


 専用のプリセットを装備することなく、高い索敵能力を誇る改型壱号機。皇国海軍PMR戦術実験小隊こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい、通称フェンリル小隊の隊長機だ。各々の技量に合わせて極端なチューニングが施された改型弐号機かいがたにごうき以降と違って、改型壱号機は傍目はためにはまともなバランスに見える。

 だが、やはりそこは戦技教導部せんぎきょうどうぶが使うじゃじゃ馬チューンだ。

 恐らく並のパイロットなら、立たせて歩くことも困難だろう。

 そういった意味では、辰馬のパイロットとしての腕は確かで、心なしか千雪は誇らしい。

 月光が浮かび上がらせる白亜はくあの機体は、どこかヒロイックで頼もしく見えた。まるで、旧世紀のアニメや漫画に出てくるロボットモノの主人公だ。

 そう思いつつ周囲に気を配っていると、突然辰馬の声が緊張を帯びる。


『ッ! ……反応があった、近付いてくる! 500m後方……450、400!』

『こっちでも確認した! 千雪ちゃん、後だ!』


 咄嗟に千雪は機体をひるがえすや、ズシャリと愛機にアスファルトを踏み締めさせる。様々な駆動音が折り重なる中で、振り向いた改型参号機がキュインと関節部を高鳴らせた。

 今、人気の失せた大通りを進んでいた三機が立ち止まる。

 左右のビルは全て廃墟、明かりの灯らぬ都市の死骸だ。

 そして、所々に横転した車両が散らばる中……後方から動力反応が近付いてくる。

 いさぎよく必要最低限、バッサリと索敵能力の大半をオミットした千雪の改型参号機にも、接近する機体が認識できた。

 だが、その反応は不意に広域公共周波数オープンチャンネルで呼び掛けてきた。

 聞き覚えのある声に、千雪たちは三者三様に安堵の溜息を零す。


『わーっ、タンマ! タンマであります! 撃たないで欲しいでありまーすっ!』


 闇の中から浮き上がるように、見慣れた機体が現れた。ロービジ仕様の都市迷彩シティめいさいは、埼玉校区さいたまこうくの89式【幻雷】だ。既に軍の第一線を退役した旧型機だが、PMRの基本理論は数十年前から完成しているため、現行の機体との差はそこまで大きくはない。

 それでも、勝利のために1%の性能向上、1%の勝率向上が求められていた。

 パラレイドとの戦いに勝利せねば、人類と地球は共に滅亡する。

 それだけは、確実な100%の未来なのだ。

 千雪は緊張感を解くと共に機体を一歩下がらせる。


「……ひょっとして、渡良瀬沙菊ワタラセサギクさん、ですか?」

『はいであります! 殿っ、自分を置いてくなんて水臭いであります。不肖ふしょう、渡良瀬沙菊がお手伝いするでありますよ!』


 現れたのは、埼玉校区の渡良瀬沙菊だった。自称、千雪の大ファンだという奇特な娘である。一年生だが、そばかすの目立つ元気な笑顔が千雪の脳裏を過ぎった。

 そして多分、弾んだ悪びれない声は、その表情を裏付けるように明るい。

 だが、子犬のようになついた声を、苛立ちにとがる言葉が遮った。


『例の三体合体するセラフ級を探すなら、自分も力になれるでありま――』

『なんてことをしてるんだ、君は! 一年生だな? 君たちが出てきては危険だ!』

『ッ……え、えとぉ……お、怒ってるでありますか? 美作一尉』

『当たり前だ! 君たち埼玉校区の幼年兵ようねんへいには待機命令を出した筈だ。まったく、なんてことを……下手をすれば死んでしまうぞ! そういう危険な任務なんだ、これは!』


 総司の怒りももっともだが、なにかが千雪の中で引っかかる。

 幼年兵を使い捨てて、見殺しにするようなことは避けたい……確かに総司はそう言っていた。そして恐らく、その中に自分たちフェンリル小隊の少年少女は含まれていない。

 それほどまでに、千雪たちの高度な戦技、戦闘能力は買われている。

 既に正規の海軍軍人でもあるし、千雪は特別な扱いを求めている訳ではない。だが、やはり総司の善意と良心に引っかかるものがある。

 そうこうしていると、怒り心頭の総司とは裏腹に、千雪の兄が言葉を選んでくる。


『まあ、それはさておき』

『辰馬君! 全く……千雪ちゃん。悪いが彼女を連れて母艦まで戻ってくれるかい? 大丈夫、辰馬君の護衛は僕が引き継ぐよ』

『その前に、だ。ええと、沙菊ちゃんつったか? なに、なんかいいアイディアでもあるのかい? 例のセラフ級、サマエルをいぶり出したいんだがよ』


 辰馬は少し神妙な声音を作って、僅かに機体を寄せてきた。

 こういう時、辰馬は非情なまでのリアリストで、実際主義者としての実利優先主義を垣間見せる。どの道、戦力として期待できない少女が加入、しかも四人で無事に帰還することを考えれば、この強行偵察任務は既に破綻している。

 運良く合流できた沙菊が、運良く復路も無事戻れるとは限らないのだ。

 そして、未熟な兵士を守るのは、鍛え抜かれた自分を守る以上に難しい。

 それを知るからこそ、逆に辰馬はこう考えた筈だ。

 同じリスクが高まるなら、戻るより進もう、と。

 そんな辰馬の声に、しょぼくれていた沙菊が息を吹き返す。


『自分、海軍さんとこの整備班に言って、いいものを借りてきたであります! ジャンジャジャーンッ! どうでありますかっ!』


 沙菊は乗機を振り向かせた。

 千雪の目には、沙菊の【幻雷】がなにかを背負っているのが見える。同時に辰馬がフームと唸って、総司はなにかブツブツと悲観を呟いていた。

 だが、千雪には無骨な四角いバックパックが気になる。通常のプリセットでは、こうした巨大な装置を背負うことはないはずだ。そして、恐らく積載重量ギリギリであろうコンテナ状の装置を、辰馬が一発で見抜いて教えてくれた。


『なるほど、か。確かに羅臼らうすは海軍の高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかんだ。ここ最近は使わねえが、対潜用たいせんようのソノブイくらい積んでるわな』

『ういっす! 自分、突貫工事でそれを対地ソナーに改造してきたであります。効果は半径500m四方、地下500mまでの音を拾えるであります!』

『だとよ、総司さん。ここは一つ、諦めて帰るにしてもうちの愚妹に送らせるにしても、ちょっとやらせてみてもいいんじゃないかね』


 センサーやレーダーを見てくれていた辰馬が、めぼしい情報を得られなかったことは明白だ。そもそも人類同盟じんるいどうめいのどの国にも、

 だが、現にセラフ級のサマエルは形態を変形させて再合体、地中へと消えた。

 そして今も、虎視眈々こしたんたんと東京のどこかで千雪たちを狙っているのである。


「……違い、ますね。狙われているのは私たちではなく、母艦でもなく……サマエルの目的は」

『ん? 千雪殿、なにか言ったでありますか? ……よーしよしよし、それでは早速探査開始でありまっす!』


 沙菊の【幻雷】が、巨大な背の装置からケーブルを引き出す。先端に音波の発振器が取り付けられたそれは、まるで巨大な聴診器だ。それを地面へと押し当て屈みながら、四つん這いになって狭霧の【幻雷】が索敵を開始する。

 その無防備な背を守って、千雪たちは警戒心を最大限に高めて周囲を見張った。

 落ち着かないのか、先程より多弁になった総司が話しかけてくる。

 逆に辰馬はいつもの調子で、緊張感を高めれば自然と黙ってやることをやるだけだ。


『千雪ちゃん、さっきの話……敵の目的というのは? その、パラレイドに関してはわかっていないことが多過ぎる。次元転移で現れ、人類を無差別に攻撃する敵性兵器群。正体不明の無人兵器だと言われているけど……奴らには目的があるのかい?』

『私にもわかりません。でも、青森では……明らかにセラフ級は、法則性のある進軍ルートを選んでるように思えました。そう、パラレイドは恐らく――』


 その時だった。

 不意に機体を立ち上がらせた沙菊が、スピーカーが割れんばかりの声を張り上げる。


『ソナーに感、あり! 目標を探知したであります! ……こ、これは! 目標、時速80kmで地下を侵攻中! 深度400m、羅臼に向かっているであります!』


 千雪の中で、驚きと同時に納得が満ち、自身の推測が確信で上書きされてゆく。

 そう、絶対にサマエルは母艦である羅臼を狙う筈なのだ。

 そこには、あの【シンデレラ】と……更紗サラサれんふぁがいる。

 過去、青森の戦いでもそうだった。れんふぁが【シンデレラ】と次元転移してきた時、呼応するかのようにパラレイドが現れた。そして、セラフ級のゼラキエルもまた、【シンデレラ】が安置され、れんふぁが身を寄せていた青森校区を狙ってきた。そして、昼間の戦闘……サマエルはやはり、【シンデレラ】とれんふぁがいたこの東京で初めて合体、セラフ級の真の姿で襲ってきたのである。

 そして、今また……闇夜より尚も暗い地の底で、サマエルが迫る。

 咄嗟に叫んだ辰馬の判断は早かった。


『オッケェ、沙菊ちゃん! 大手柄! ソナー装置はここに破棄、あとで回収しな! そいつを背負ってちゃ戻るのが遅くなる。総司さん、羅臼に連絡を。んで、俺と一緒に沙菊ちゃんを守りつつ後退。千雪、お前は――』


 その言葉を待っていた。

 以心伝心、兄と妹は一つの目的のための最短ルートで、同じ方向を向いている。

 言葉を待たず、千雪は愛機の改型参号機に鞭を入れる。フルスロットルを叩き込めば、千雪の気持ちを吸い上げるGx感応流素が、機体中のラジカルシリンダーを爆発させた。もはや隠密行動を棄てた千雪は、スラスターを全開にして来た道を引き返す。


『千雪っ、お前は好きに動け! 先行しろ! 改型参号機の方が速ぇ!』

「了解です、兄様……では!」


 駆け出す一歩が長く伸びて、ぶようにせる。

 重量級の重装甲、通常の1.5倍ものラジカルシリンダーを積んだ改型参号機は今、さながら打ち出された砲弾のように真っ直ぐ疾走った。大通りを突き抜け、そのまま進む先に小さな光が集合している。それは、僅かな明かりを灯して浮かぶ母艦の羅臼だ。

 だが、その艦首を向けた先で……突然、地面がめくれ上がった。

 散らかっていた廃車の群れが宙を巻い、アスファルトの下の土砂が竜巻となって逆巻く。その中から、白い巨体がゆっくりと持ち上がった。天をく左手には、金切り声をあげて回転する巨大なドリルが尖っていた。

 間違いない、セラフ級パラレイド……サマエル。

 先程のミーティングで命名された地上用の高速形態、サマエル乙型おつがた

 鋭角的な姿は、まるで地の底より蘇った太古の邪神だ。その供物くもつは今、月夜に浮かぶ巨大な羅臼……そして、その中で眠る【シンデレラ】と、れんふぁだ。


「スクランブルは? ……今、艦にいるのは御巫ミカナギ先輩とラスカさん、そして――!?」


 その時、千雪は目撃した。

 ゆっくりとパラレイドへ回頭する巨艦の先端……不燃性の超軽量ガスを満たした艦体の上に誰かがいる。なにかが、立っている。

 夜風にアンチビーム用クロークをはためかせる影が、巨大な月を背負って見下ろしていた。

 十二時の鐘と共に忘れられた、ガラスの靴になぞらえた大剣を担ぐその姿。

 無線を通じて、千雪の耳朶じだを打つ頼もしい声が響いた。


『【シンデレラ】は……れんふぁは、渡さないっ! 俺はもう……守る全てをなにもっ、なに一つ! 渡さないっ!』


 吼える摺木統矢スルギトウヤの声と共に、獣の咆哮のような駆動音が飛び降りてくる。

 40m近くの巨躯を振り向かせるサマエルの前に、再び地獄から蘇った復讐機アヴェンジャーが立ちはだかった。

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