第13話「三位一体の死天使」
昨日の嵐が嘘のような、青空。
雲一つない
目の前では今、
千雪は恐る恐る、彼の持つタブレットの中へと語りかける。
「兄様……
向こうにも戸惑いが広がっているようだ。
回線の向こうで、兄の
『千雪ちゃん、
「
『落ち着いて聞いてください、千雪ちゃん。
そして、それが真実であることが千雪にとっては、信じられない現実だった。
それは統矢も同じようで、言葉を失ったまま目を丸くしている。かろうじて顔を上げた彼は、千雪を見て自分と同じ顔を感じたのだろう。なにかを言おうとしては口を噤み、言葉を探すようにして
あの次元転移から、一週間後の世界。
それが、昨夜この場所に、
「統矢君、これは……」
「あ、ああ。えっと、桔梗先輩! あの、一週間って……俺ら、昨日来たばかりなんですけど。それって」
あ、と千雪は気になった。
こんな時なのに、気にせずにはいられない。
この時千雪は、自分こそが男子の
ただ、兄の辰馬という恋人がいながら、あの人は統矢にも名前で呼ぶことを許しているのだ。それがなんだか、面白くない。そう思う自分が少しだけ、ほんの少しだけ、嫌になる。
だが、統矢は自分のことも千雪と呼んでくれる。
呼び捨ててくれる。
そのことを思い出して言い聞かせ、よし、と千雪は心の中で頷く。
すると、統矢の持ってるタブレットが突然叫び出した。
『摺木統矢、貴様っ! 生きているのか、大丈夫なんだな! 勝手にいなくなりおって……五百雀千雪と
「……えと、はあ。無事、です。えっと……
『
「どう、って」
『馬鹿者! 健全な男女が一週間のサバイバルだ……現在、上空からスキャンしたが、人間レベルの熱源反応は貴様ら三人しかおらん。で? やったか?』
「やったか、というのは」
『五百雀千雪及び更紗れんふぁと、性交したかと言っているのだ!』
ぼんっ! と千雪の顔が真っ赤になった。
そして、言葉の意味がわからず統矢が固まっている。
極限状態の男と女……やることは一つと言わんばかりに、刹那の声が何度も、やったか、やったのかと叫んでくる。
気付けば見詰め合っていた千雪と統矢は、互いの瞳に映る赤面した自分を見やる。
刹那が直接的で色もへったくれもない単語を叫んでいる間、ずっと。
『
「あ、ああ、いや……なにも……なにもしてないです! いや、本当に!」
『なんだと……なにをしているんだ、貴様はっ!』
「だから、なにもしてないんですって! な、なあ、千雪! ……千雪?」
『このっ、
見上げれば、頭上を
叩きつける風圧の中で、自然と千雪は零れそうな胸元を押さえた。
同時に、まだ喋り続けている指揮官、刹那へと言葉を選ぶ。
千雪がタブレットのマイクに口を近付けると、遠ざけるように統矢が少し身を引く。半裸の千雪は、先程の会話も加味して避けられていると思えば、一層意識させられて顔が
「あの、御堂先生……御堂特務三佐」
『なんだ? そうか、やっぱりやったか! どうだ、五百雀千雪! 受精できたか?
「ええ。その……先程聞きましたが、私たちを探すためだけでないと。この東京に、どうして羅臼が? 私たちの捜索にしては、規模が大き過ぎると思うのですが。迎撃作戦、というのは」
先程、桔梗が不穏な言葉を発していた。
迎撃作戦、とは? そういえば、千雪たちが【シンデレラ】の突然の次元転移に巻き込まれる直前……
そう、あの時の……千雪にとって昨日の襲撃は、狙いすましたかのようにやってきた。
【シンデレラ】の起動に呼応するように。
その力が
「そちらの被害は、どうなんでしょうか。昨日……そちらで一週間ほど前、私は出撃する瞬間に【シンデレラ】を抑えようとして、次元転移に巻き込まれましたが」
『青森校区の被害は軽微だ。問題なく迎撃、殲滅できた。呆気ない程にな。だが、いつものアイオーン級やアカモート級に加え、デーミウルゴス級が出現した。さらに』
デーミウルゴス級というのは、パラレイドの中でも比較的希少な個体である。一度の次元転移で現れる数も、五体前後と少ない。その分、個体能力は高く、厄介な敵だ。雑兵であるアイオーン級が蜘蛛、砲兵であるアカモート級が陸亀なら……デーミウルゴス級は正しく、巨像だ。陸上戦艦とも言える四本足の重量級は、進む先で全てを踏み抜き、強力な防御力と殲滅力で死を振り撒く。
だが、それだけではないと刹那は言葉を続けた。
『また、例の飛行型パラレイドが出た……現在、
「セラフ級の定義は、確か」
『ああ。セラフ級とは広義の意味で、他の個体と類似性のない強力な人型パラレイド、これをセラフ級と呼称している。だが、既に飛行型は三種が確認され、どれも似ているのだ』
「確か、沖縄にはコード
『うむ、そして先日の青森校区には、黄色い個体……コード
「それは……ん、ふぁ……クシュン!」
千雪は寒さに肩を抱いて、小さなくしゃみを一つ。
それでも、統矢と二人で声だけのタブレットを見詰める。
そして、刹那の声は衝撃の事実を告げてきた。
『飛行型パラレイドの三機は、それぞれ沖縄、青森、朝鮮半島の
送られてきた映像が、タブレットの液晶画面に映る。
それは、北海道を失った日本皇国と、その周辺の地図だ。
赤い光点がそれぞれ、沖縄と青森、そして朝鮮半島の北へ灯った。大雑把ではあるが、やや歪な三角形だ。
そして、データの地図が矢印を描いて、三つの光点が動き出す。
『戦闘には介入せず、不審な動きを見せていた飛行型……三機それぞれが機首と思しき進行方向を示していたので、それを調べた結果だ』
「こ、これは……統矢君」
「あ、ああ。三機はそれぞれスピードや航続距離が違う? そして、これ……ここって」
そう、三つの光点が重なる場所。
それは、この東京だった。
かつてパラレイドによって
それがなにを意味するのかはわからない。
だが、それを知る瞬間は唐突に訪れる。
千雪たちは、人類は思い知らされる……パラレイドの最も恐るべき敵意の姿を。
『御堂先生!
『ええい、御堂刹那特務三佐と呼ばんか! 朝鮮半島は!』
『現在、情報が
『わーってる、ちょい貸しぃや! ったく、整備の人間までいいように使われて
刹那、空気が震えて沸騰した。
統矢と一緒に天を仰げば、巨大な羅臼のさらに上空で……三つの飛行機雲が互いを塗り潰すように
遅れて衝撃波が地上を薙ぎ払い、千雪は統矢に押し倒されるようにしてその場に伏せされられた。
咄嗟に守られた中で、乱れる自分の黒髪の向こうに千雪は見た。
空を乱舞する、驚異的なスピードの飛翔体。
余りに速くて、行き交う姿は肉眼で視認できない。
ただ、気流を生み出し空気を掻き乱しながら、何かが
『パラレイド、レンジイン! 数は三……例の飛行型です!』
『飛行型、合流! こ、これは……上空監視、怠るな!』
『PMR各機、発進よろし! PMR戦術実験小隊、スクランブル!』
『発艦手順の400番代を省略、スタンバってる奴から放り出せ! 本艦は上空退避、緊急上昇!』
『目標はマッハ10で飛行中! 見てください、御堂特務三佐……三機の機動が……かさ、なる』
アラートをけたたましく響かせながら、羅臼が再び高度を取ろうとする。
その頭上を抑えるように、三つの影が乱れ飛んだ。
音速の何倍ものスピードは、その数さえ何十倍にも見せてしまう。入り乱れる残像が、いやがおうにも千雪の恐怖心を
千雪も羅臼から吹き下ろされる風圧にバスタオルを抑えて、ようやく立ち上がる。
「クソッ、見ろ千雪!」
「……見えないです、けど。統矢君? あれが……敵の動きが見えるんですか?」
「あ、いや、えっと……なんだろう、見える、気がする。見えてる感じなんだ、だから!」
血相を変えた統矢が見上げる先は、まるで航空力学を無視した魔の空域と化していた。縦横無尽に乱舞する飛翔体は、その実体は三つ。千雪の目には、とてもじゃないが追えない。空手や柔道は勿論、あらゆるスポーツで鍛えた千雪の動体視力でも、捉えられない。
その、白い軌跡で青空を切り裂く影を、統矢はどうやら見ているようだ。
それがDUSTERと呼ばれる者の、秘めたる力。
自分が死を実感して極限状態になればなるほど、その能力は際限なく解放されてゆく。人間の反応を超え、一秒という時間の感じ方さえ変えてしまうというのだ。そのことを思い出したら、不思議と千雪は震えが止まらない。寒さで凍える身に、冷たさとは違うなにかが這い上がってくるようだ。
統矢が近くて遠い、別の世界にいってしまったようで、怖かった。
「クソッ、機体があれば……千雪! お前は改型参号機へ。俺はれんふぁを連れて――」
冷静な統矢が頼もしく思えて、その声がちゃんと届く距離にいる自分を千雪が再確認していた、その時。刹那の安堵と、増してゆく緊張感を引き裂く、声。
甲高い悲鳴に振り返って、千雪は統矢と一緒に固まった。
そこには、まだ髪の濡れた風呂上がりのれんふぁが、パジャマ姿で立ち尽くしていた。
「あ、ああ……あれは、うっ! あ、ああ……頭が、痛い……千雪さん、たす、けて……統矢さん! ああっ」
れんふぁはふらふらと危うい足取りで、両手で頭を抱えながら歩く。
思わず駆け寄った千雪の、その手を彼女は振り払った。
そして、涙に塗れた顔をあげた時……れんふぁの表情は、異質な硬さに凍っていた。普段のマシュマロのような笑みと、どこまでも
そこには、泣きながら
「わたし……いかなきゃ。たす、けて……もらう、より……たすけ、なきゃ。いかなきゃ、かあ、さん。だいじょう、ぶ……おじい、ちゃんに……会いに」
「れんふぁさん? 記憶が? 統矢君っ!」
「しっかりしろ、れんふぁ! とりあえず、俺と【シンデレラ】に避難だ」
だが、ビクリ! と身を震わせたれんふぁは、不自然に身を正して、ガクガク揺れながら歩く。その腕を再度
武道の心得には自信があったし、道場では
その千雪を、ただ歩きながられんふぁは、
千雪が投げられたと気付くことも、受け身をとることもできない、それは瞬速の
そしてそれは今、異変の中で証明された。
「ばっ、馬鹿! 千雪、前! 隠せ、丸見えだっ!」
「はっ……見ました、ね?」
「……ハ、ハイ。って、それよりれんふぁを! れんふぁ、待て! れんふぁーっ!」
ふらふらとれんふぁは、【シンデレラ】の前に立つ。
そして、信じられないことが起こった。
ほっそりとした腕を伸ばして、れんふぁが【シンデレラ】へと手をかざす。すると……ツインアイに光を走らせ、ゆっくりと【シンデレラ】が起動したのだ。生体データの認証がどうとか、遠隔操作デバイスがどうとか、そういうレベルではない。
まるで、主である
【シンデレラ】はその手にれんふぁを乗せて、胸部のコクピットへと
響き渡る駆動音が甲高く割れ響き、ハイチューンドのラジカルシリンダーが金切り声を歌う。【シンデレラ】の中へと、れんふぁは小さな呟きを残して消えた。
「いかな、きゃ……まって、て、おじいちゃん……未来、に……
意味不明な言葉と共に、ふわりと【シンデレラ】が浮かび上がる。周囲の重力をコントロールする、一切推進力を用いない浮遊。その頭上ではさらなる異変が、千雪たちへと絶望を見せつけてきた。
吸い上げられるように羅臼を
同時に、頭上で三機のパラレイドが一つに重なる。
合流……否、合体する。
「統矢君……避難してください! 私が改型参号機でれんふぁさんを」
「待て、千雪! 見ろ、あれは……危険だ! くそっ、そうか……羅臼はこれを見越して東京に。でもっ!」
三つの飛翔体は、一つになった。
連結されるように
そこには、天を支配し地を
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