第8話「シンデレラの魔法」

 日本皇国海軍にほんこうこくかいぐん高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかん羅臼らうす格納庫ハンガーは活気に満ちていた。海軍では初のパンツァー・モータロイド運用部隊、皇国海軍PMR戦術実験小隊こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい……通称、フェンリル小隊。幼年兵ようねんへいだけで構成される、異質な存在ながら皆の士気は高い。

 海軍の誰もが皆、陸軍中心の日々に鬱屈うっくつを溜め込んでいたのだろう。

 己の愛機である89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきの側で、五百雀千雪イオジャクチユキは溜息を零した。


因果いんが、ですね」


 小さく呟く声が、オイルの臭いで満ちた空気に溶けてゆく。

 喧騒と機械音が入り交じる中に、その言葉は消えた。

 そう、因果である。

 目の前では今、誰もがイキイキと働いている。己の務めを果たし、責任をまっとうするために。そうして声を張り上げ作業を続ける大人たち、海軍の軍人たちが千雪にはまぶしく見える。そして、思わずにはいられない……これが戦争ではなく、もっと平和で建設的な活動だったらどれほど素晴らしいだろうか、と。

 千雪は戦争でなければ、もっとPMRも好きになれる気がするのだ。

 だが、現実にはパラレイドの侵攻は今も続いており、人類は滅亡の危機にさらされている。言葉の通じぬパラレイドには文化がなく、ただ鉄火をもって闘争のことわりで対するしかないのだ。

 暗鬱あんうつとした気持ちを無表情な顔には出さず、千雪が再度溜息をついた、その時だった。

 突然自分を呼ぶ声が響いて、千雪は長い黒髪をひるがえして振り返る。


「あ、いたいた! 五百雀さん。お疲れー! なんか、戦技教導部せんぎきょうどうぶだけ配置換えだって?」

「お疲れ様です、柿崎カキザキ君。クラスの方はもういいんですか?」


 そこには、ブレザーの制服を着崩した一人の少年が立っていた。

 名は、柿崎誠司カキザキセイジ摺木統矢スルギトウヤの友人で、千雪とはクラスメイトだ。彼は緩めたシャツにネクタイを引っ掛けるようにして、鼻の下を指でヘヘヘとこする。


「待機命令が出て、そのまんま。待つだけってしんどいよな」

「ええ。できればこのまま、本土にはパラレイドが現れなければいいんですけど」

「だな。そういや、さ……統矢、いるか?」

「統矢君なら先程までこの辺に」


 誠司に言われて、千雪は周囲を見渡す。

 真っ先に目につくのは、格納庫の隅に崩れ落ちるように屈んでいる97式【氷蓮ひょうれん】だ。今はスクラップ同然だが、その周囲についさっきまで統矢はいた。秘匿機関ひとくきかんウロボロスの技術士官、八十島彌助二尉ヤソジマヤサウケとくむにいと共にアレコレ議論の真っ最中だった筈だ。

 さらに首を巡らせれば、多くの人員が集まる奥に、トリコロールの目立つPMRが一機。

 誠司もそれに気付いたのか、珍しそうに「へぇ」と目を丸くした。


「なにあれ、新型機? 見ない型だよなあ」

「機密ですので。すみません、実は私たちは軍属……いえ、軍人扱いになったそうです」

「えっ、マジ!?」

「マジです」

「いや、マジです、って……ボケてる場合じゃないでしょ、五百雀さん。統矢も?」

「ええ」


 二人は並んで、白衣姿の研究者や迷彩服たちが集まる場所を見詰める。白を基調に赤青黄色のPMRは、コードネーム【シンデレラ】だ。記憶喪失の少女、更紗サラサれんふぁを乗せて突如とつじょ次元転移ディストーション・リープで現れた謎の所属不明機アンノウン……その各部には現代の技術力では考えられないオーバーテクノロジーが散りばめられているらしい。

 そして、御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさから千雪は、妙なことを聞いていた。

 そのことを思い出してつい、千雪はポツリとつぶやく。


「柿崎君。シンデレラの童話の、その教訓というのはなんだと思いますか?」

「教訓? ああ、なんかいましめみたいなの?」

「ええ。昔話は相応にして、教訓めいたものが根底にある気がします。正直であれ、進んで人を助けよ、強欲をつつしめ……では、シンデレラの物語は」

「んー、なんだろうなあ。忍耐? いや違うな……一発逆転? これか!」


 ちょっと違う、むしろかなり違う気がする。

 だが、こういう時に玲瓏れいろうな無表情でじっと見詰めてしまう千雪は、周囲からは冷淡な人間だと思われるらしい。よく統矢が「お前なあ、その目でジッと見るのやめろよ」と笑うのだ。現に今、誠司は千雪の視線に少し萎縮している。

 だが、灰被はいかぶりの物語には確かなメッセージがある気がする。

 そしてそれは、ここから眺める【シンデレラ】にも秘められている気がした。


「シンデレラが伝えたいこと……なんだろうなあ、でも統矢ならこう言うかな?」


 頭の後ろに両手を組みつつ、なんの気なしに誠司が呟いた。


「どんな時でもあきらめるな、ってさ。十二時の鐘が鳴っても、ガラスの靴が脱げても……諦めるなってことじゃないか。時には耐えて願い、時には忍んで祈りながら……諦めるなって話じゃないのかな」

「柿崎君……」

「あっ、五百雀さん! 今、俺のこと少し、ってかかなり見直しつつ……意外だなって思っただろ。やだなあ、俺ってアホに見えてるんだ」

「そういう訳では……すみません。でも、意外だったのは確かです」

「はは、いいっていいって」


 ――諦めるな。

 それがシンデレラに……【シンデレラ】に込められたメッセージ。更紗れんふぁを載せて、今の人類に託された望みなのかもしれない。

 以前、刹那は千雪に【シンデレラ】のコードネームの意味を教えてくれた。

 謎の科学力で建造された、時代の先をゆくPMR……【シンデレラ】。その技術を解析し始めたウロボロスのメンバーから、驚嘆きょうたんの声があがったという。全てが新機軸、そして最新鋭で最先端。それなのに、整備と解体、再組み立てを繰り返す過程でそれは、驚くほど簡単に明らかになったのだ。

 まるで隠す様子がなく、むしろ逆に指し示すように親切に組み込まれた、オーバーテクノロジーの数々……無言で語る【シンデレラ】が伝えてくるのは、希望の刃か、それとも破滅の禁忌か。


「まるで【シンデレラ】は……西暦2098年の人類に新技術を教えるために来たような。そんなことを言ってたので、つい」

「で、シンデレラの話がどうかしたの? 五百雀さん」

「いえ、なんでもありません。それより、柿崎君はどうして統矢君を」

「ああ……ほら、あいつ機体がないだろ? 大事な【氷蓮】はあの有様だし」


 誠司が親指でクイと指す先に、やはり沈黙した【氷蓮】がうずくまっている。その姿は、千雪の胸を押し潰すような疼痛とうつうさいなんだ。

 統矢と直した、更紗りんなの遺産……それが今、修理と改造を待っている。

 彌助は直ると言ったのだ、今は待つしかない。


「クラスのみんなで、統矢の【幻雷】を……ほら、あいつが抜けた分、余ってるからさ。予備機に回さずみんなでチューンして、せめて中継ぎでも乗ってもらえたらって」

「柿崎君……」

「はは、なんだろうな。俺ら、整備科じゃないから大したことできないけどさ。Gx感応流素ジンキ・ファンクションの反応値もギリ限界まで挙げたし、足回りもガチガチに固めてエース仕様。そうさ、あいつは……統矢は俺たちのエースだからよ」

「ですね」


 思わず千雪は嬉しさに頬をほころばせた。つもりだった。

 だが、現実には相変わらずの平坦な鉄面皮で頷くだけだった。

 それでも、照れる誠司に再度「ありがとうございます」と礼を言う。このことを早く伝えたくて、周囲を見渡した時に声が響いた。


「なあ、御堂先生! じゃねえ、御堂特務三佐! 俺も乗らないと駄目なのか?」


 例の【シンデレラ】のコクピットハッチが空いて、中から統矢が姿を表した。手にはタブレットを持っている。あれも幼馴染のりんなが残した形見で、今という時代では貴重な端末だ。

 その彼は、相変わらずの学ラン姿でコクピットから顔を出している。

 そんなとこでなにをしてるのかと、千雪が首を傾げたその時だった。


「統矢さぁん、開けないでください……はっ、恥ずかしいですから! 外から見られちゃいます」

「ん? ああ、悪ぃ! れんふぁ、お前の格好って今はアレだったな」

「そ、そうですよぉ! もぉ、なんでこんな服……服ですらないです、うう」

「ま、さっさと起動実験っての? 終わらせようぜ」


 例の【シンデレラ】の起動実験が、臨戦態勢の中で極秘裏に行われているのだ。誠司のような部外者がぶらりと入ってこれる程度のセキュリティだが、こうしたことは隠さず普通に、なんでもない様子で行う方が返って機密性が保たれる。隠すから暴かれるのだと言っていたのは、刹那だ。

 その刹那が、相変わらずの矮躯わいくで【シンデレラ】の足元をチョロチョロしている。


「摺木統矢! 貴様は機体がなくて暇だろう! せめて更紗れんふぁと同乗して、機体のデータ収集を手伝え。貴様のタブレットにデータログが入るよう設定してある」

「いや、いいけどさ……狭いんだよ、PMRのコクピットってのはさ。そりゃ、れんふぁは細くてでっぱりが少ないからいいけど、それでも二人は狭いって」


 あ、と千雪は口に手を当てた。

 地雷を踏んだと察したのと同時に、妙な暗い感情がニラニラとざわめき出す。うらやましいのか、ねたましいのか、そんな自分があつかましいのか。

 だが、狭いPMRのコクピットで二人きりである。

 その相手が、いかがわしい服を着たれんふぁなのである。

 思わず隣の誠司が「大丈夫? 五百雀さん」と顔を覗き込むくらいには、千雪はいつもの無表情をことさら硬く強張らせていたようだった。


「……統矢さん、今、言った……でっぱりが少ないって、言った」

「ん? どした、れんふぁ」

「うう、そりゃ……千明さんや御巫ミカナギ先輩には負けますよぅ……うう、気にしてるのに」

「あ、ああ! しまった、いや! 俺はそういう意味で言ったんじゃ……と、とにかく! 起動実験、やっちまおうぜ? な? お前の生体データがないと、動かないんだからよ」

「う、うん! わたし、少しは役に立たなきゃって……お世話になってる人のため、千雪さんのため……ついでに、統矢さんのために!」

「俺はついでかよ。ま、いいや」


 微動に震え出した【シンデレラ】から、独特の金属音が高まり響く。ハイチューンの常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクター特有のメカニカルな音は、まるで人ならざる妖魔ニンフが歌うようだ。黄泉路よみじへ誘う鎮魂歌レクイエムのように割れ響く。そんな轟音の中で、異変が始まった。

 遠くで見守る千雪と誠司の目にも、【シンデレラ】の周囲が慌ただしくなるのが見えた。


「な、なんだっ!? 五百雀さん、あのPMR……浮いてる! 浮かんでく!」

「……飛行能力がある? いえ、でも推進機の類は動いていないですね。これは」


 白衣姿が悲鳴を上げる中で、【シンデレラ】は重力を裏切るようにふわりと静かに浮いた。脱力したままの自然体で、【シンデレラ】が宙をゆっくり漂う。すぐに格納庫の天井に達して、刹那の声が叫ばれた。


「聞こえるか、更紗れんふぁ! 機体を停止させろ! クッ、重力制御とはな……摺木統矢! 更紗れんふぁを手伝え、二人でなんとか制御して見せろ! まずは下ろすんだ!」


 だが、狂喜乱舞といった雰囲気でデータシートを手繰る技術者たちの声が重なり、皇国海軍正規兵のパイロットたちも何事かと集まり出した。

 千雪も誠司と駆け寄ろうとした、その時……突如として空気が沸騰する。

 鳴り響くのはレッドアラート、敵襲を告げるサイレンだ。


「くっ、パラレイド!? またここ、青森かよっ! 五百雀さん!」

「ええ、柿崎君はクラスに戻った方がいいですね。統矢君の機体もスタンバらせてください。私が伝えておきます。……きっと、統矢君……喜びます」

「ああ、だと嬉しいよな! じゃあ、五百雀さんも気をつけて。お互い無事だったら、一緒に飯でも食おうぜ!」

「そう統矢君にお伝えしておきます」

「いや、そういう意味じゃ……ハハ、参ったな。ま、いっか! それじゃあ!」


 駆け出す誠司を見送り、すぐに千雪はケーブルに捕まって愛機のコクピットに潜り込む。素手による近接格闘のためのジャジャ馬、【幻雷】改型参号機にすぐに火を入れた。むずがることなく出力が安定して稼働し始め、素早く千雪はヘッドギアを装着する。

 彌助が既に手を入れてくれたので、Gx感応流素の反応速度は上がっている筈。

 今までよりもっと高いレベルで、自分の動きを再現することができると千雪は思った。己を鍛えて肉体に力を宿し、それをイメージとして流し込むことで……PMRは比較的簡単な操作ながら、無限のモーションバリエーションを展開できる。

 コクピットのハッチを閉じようとしたその時、声が響いた。


「立ちぃ! 立って戦うんや、そないなことやっとる暇ないやろ!」


 あの関西弁は確か、整備科の佐伯瑠璃サエキラピスだ。その切羽詰まった声に、思わずハーネスを外して千雪はコクピットから顔を出す。

 瑠璃は、震えて竦む三つ編みの少女の、その細い二の腕を掴んでいた。


「しっかりするんや、御巫桔梗ミカナギキキョウ! 自分、そないなことでみんなを、仲間を……辰馬タツマを守れるん? シャキッとせんと!」

「す、すみません……佐伯さん。わ、わたくしは……大丈夫、立てます。戦えます」

「そうや、誰だってパラレイドは恐ろしいで? せやかてなあ、この格納庫であんた等の機体をいじるんがウチの戦いや! せやったら自分、自分の戦いはなんや?」

「わたくしの、戦いは……パラレイドを、撃つ……狙い撃つ、撃ち抜く」

「せや、行きいや!」


 弱々しく立ち上がった戦技教導部の副部長、御巫桔梗は震えていた。そんな彼女の背をバシン! と叩いて、瑠璃はこちらへ走ってくる。そんな彼女を白い改型壱号機かいがたいちごうきが追い抜いていく。兄の五百雀辰馬イオジャクタツマが乗る隊長機で、それを見上げて瑠璃は手を振っていた。

 そして、彼女は千雪の改型参号機の足元までやってくる。


「千雪! あんなあ、これからは全機にアンチビーム用クロークが標準装備されてん。出撃前にハッチんとこでゲットしてやあ!」

「ありがとうございます、瑠璃先輩」

「死んだらあかんで、千雪ぃ! 死んだら自分、ブッ殺す! 死ぬ気で生還するんやよ!」


 チグハグな言葉にありったげの想いを載せて、瑠璃が親指を立てた拳を突き上げる。

 千雪も愛機の拳を握って親指を立てつつ、ハッチを閉じて前面のモニタで再度確認した。ようやく落ち着いたようで、この突然の敵襲に対して海軍の反応は早い。練度の高い精鋭たちが集められているという話は本当のようだ。

 そして、もはや実験どころではない状態で、【シンデレラ】はまだ浮いている。

 データ収集用に各所につけられたコードやケーブル、テーピングがふわりと浮いている。千雪は先程刹那が口走った、聞きなれない言葉を思い出した。


「重力制御、と言いましたか。そんな技術がまさか……」


 それでも、ヘッドギアのインカムに向かって、広域公共周波数オープンチャンネルで語りかける。


「統矢君、すぐに機体を停止させてれんふぁさんと避難を。それと……柿崎君が統矢君の機体を用意してます。満足のいく性能でなくとも、統矢君なら」

「あ、千雪か? 敵が、パラレイドが来たか……機体は、俺が返却したクラスの【幻雷】か? ないよりまし……え? 待て、待てって、れんふぁ!」


 どうやら【シンデレラ】のコクピットは混乱しているようだった。だが、海軍用にネイビーブルーで塗られた94式【星炎せいえん】が次々と格納庫から出てゆく。羅臼が停泊する皇立兵練予備校こうりつへいれんよびこう青森校区あおもりこうくも、臨戦態勢でまさに最前線と化していた。

 そんな中で、レシーバーの向こうに千雪は妙な声を聞く。


「落ち着けって、れんふぁ! ……え? このまま出るのかよ」

「一度起動させたら、やっぱりわたしの生体データはキーになってるみたい……全機能がオンラインになってる。と、とりあえず地面に下ろすね?」

「そうしてくれ!」

「統矢さんは、降りて……わたし、戦う。この機体で、【シンデレラ】でやってみる!」

「なっ……馬鹿言うなッ! こんな得体の知れない機体で」

「ううん、わかるの。わたし、知ってる気がする。覚えてないのに、動かせる」


 その時、突如として【シンデレラ】から光がほとばしる。

 駆け回っていた作業員たちも、思わず絶句に足を止める眩い光芒こうぼう……虹色に揺らめくその光を、人類は恐怖の代名詞として知っていた。

 それは、パラレイドの予兆……

 そしてそれは、いまだ浮かび続ける【シンデレラ】から発していた。

 迷わず千雪は、愛機を格納庫の奥へと、【シンデレラ】へと走らせる。


「統矢君! 中でれんふぁさんを守ってください……引きずり下ろします!」


 足元の人間を踏まぬようにジャンプし、【シンデレラ】に組み付いた瞬間、臨界に達した輝きがぜる。そして千雪は、耳元で統矢とれんふぁの悲鳴を聞きながら……起動した【シンデレラ】が広げた次元転移の光条に吸い込まれていった。

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